落星の継承者 重量変化だけしか使えない主人公が、バカでかい武器を振り回す話 作:青井リンボ
バーグの姿が白い煙に紛れて消える。
サビは視覚を捨て、周囲の魔力へ意識を集中した。
灰色の煙が兜の周囲を流れる。
雨音。瓦礫から落ちる水滴。
どこかで、石片を踏む音。
そのすべてが狭い広場へ反響していた。
バーグの姿は見えない。
だが、魔力まで消えたわけではなかった。
煙幕の左側。
サビを回り込むように、魔力の反応が移動する。
(左か)
サビは巨剣槍を軽量化し、穂先を左へ向けた。
反応が近づく。踏み込みにしては小さい。
それでも、迷っている暇はなかった。
サビは身体を捻り、巨剣槍を振り抜く。
刃が煙を切り裂いた。
(……は?)
だが、そこにバーグはいない。
青白い魔力の塊が、床の上を跳ねていた。
「――ッ!」
小さな魔力弾。
バーグが作り出し、煙の中へ放った囮だった。
同時に、右側の煙が揺れる。魔力の気配は極わずか。
バーグは身体強化を切り、生身の脚力だけで踏み込んでいた。
巨剣槍は左へ振り切っている。
サビが重さを戻すより先に、鋸刃剣が煙の中から現れた。
サビは咄嗟に身体を軽量化し、後方へ跳ぶ。
それでも、完全には逃げきれない。
鋸刃に魔力がまとわりつき、兜をえぐる。
金属が裂け、視界を覆っていた装甲の一部が弾け飛んだ。
刃が左の頬をえぐり取り、そのまま鎖骨の上を通った。
胸当てが大きく抉られる。
「ぐッ――!」
熱いものが顔から首へ流れた。
頬肉がえぐり取られ、歯がむき出しになる。
衝撃に押され、身体が後方へ流された。
バーグはそこで、右脚へ魔力を集中させた。
追撃。
鋸刃剣を引き戻し、さらに踏み込もうとしている。
サビの視界はまだ煙で白い。
右目にも血が入り、ほとんど見えない。
だが、後退しながらも手放さなかった巨剣槍の穂先を、片手でバーグの方へ向けた。
体勢を整える時間はない。
距離を取る余裕もない。
サビは巨剣槍を軽くしたまま、柄の根元を捻った。
内部の魔力回路が繋がる。
石突側の機構から、爆発的に魔力が噴き出した。
轟音。
軽量化した巨剣槍がサビの片腕ごと前へ射出される。
バーグの表情が僅かに変わった。
直撃する瞬間、サビは軽量化を解除する。
バーグは鋸刃剣を戻し、飛び込んでくる穂先を外側へ弾く。
反応そのものは間に合っていた。
だが、斬られた直後のサビが、体勢も戻さずに推進機構を使うとは読んでいなかったようだ。
鋸刃剣が穂先へぶつかる。
巨剣槍の軌道が僅かに逸れた。
だが、完全には外れない。
厚い刃が、バーグの左肩の装甲へ食い込んだ。
「ガァッ――!」
赤い装甲が砕ける。
巨剣槍の穂先が、その奥の肉を深く抉った。
バーグの左腕が大きく跳ねる。
肩から下が、不自然な方向へ引かれた。
推進機構の噴射が途切れても、巨大な慣性は止まらない。
穂先へ食い込んだ装甲ごと、バーグの身体を前へ押し込んでいく。
サビも柄へしがみついたまま引きずられた。
足が床から離れる。
二人の身体が、煙と泥水を撒き散らしながら広場を横切る。
正面には、崩落で亀裂の入った壁があった。
バーグは鋸刃剣を右手だけで動かし、巨剣槍を外そうとする。
だが、左肩へ食い込んだ刃が抜けない。
「クソォ!」
サビは答えない。
右手首が悲鳴を上げる。
裂かれた胸から血が流れ、握力が抜けかけていた。
それでも柄へ指を食い込ませる。
巨剣槍が壁へ突っ込んだ。
凄まじい衝撃が広場を揺らす。
壁材が砕け、二人の周囲へ瓦礫が弾け飛んだ。
バーグの身体が巨剣槍と壁の間へ叩きつけられる。
サビも柄に引かれ、肩から壁へ激突した。
兜の残った部分が割れる。
胸当ての留め具が千切れ、黒い装甲が床へ落ちた。
二人は瓦礫と共に地面へ崩れ落ちた。
サビは肩から転がり、水溜まりへ倒れ込む。
口の中へ泥水と血が入った。抉れた頬から激痛が走る。
咳き込みながら、片腕で身体を起こす。
少し離れた場所で、バーグも瓦礫の中から立ち上がろうとしていた。
右手には、まだ鋸刃剣がある。
だが、左腕は動かなかった。
肩の装甲は大きく割れ、その奥から血が流れている。
腕は力なく垂れ下がり、指先すら動いていない。
バーグは自分の左腕へ一度だけ視線を落とした。
それから、サビを見る。表情は変わらない。
殺意だけがにじむ顔だった。
ただ、残った右手で鋸刃剣を握り直した。
サビも血の混じった息を吐き、巨剣槍の柄へ手を伸ばす。
煙幕は少しずつ薄れていた。
その代わり、崩れた壁から落ちた瓦礫が広場へ散らばっている。
二人とも立っているのが不思議なほど傷ついていた。
それでも、どちらも武器を手放さなかった。
二人は同時に地面を蹴った。
バーグの鋸刃剣が横薙ぎに迫る。
サビは巨剣槍を立てて受ける。
金属同士が激突し、痺れが両腕へ走った。
左腕を失っても、バーグの斬撃は重い。
サビは巨剣槍の重さを戻し、押し返そうとする。
だが、バーグは力を受けきる前に鋸刃剣を引いた。
体勢を崩したサビの脇腹へ、蹴りが叩き込まれる。
「ぐッ……!」
身体が横へ流れる。
サビは片足を滑らせながら踏みとどまり、巨剣槍を振り返した。
バーグは上体を反らして避ける。
刃が砕けた胸当ての表面を削った。
そのままバーグが踏み込む。
右腕だけで振り下ろされた鋸刃剣を、サビは引き戻した穂先で逸らす。
刃が肩を掠めた。
黒い装甲の残骸が飛び、傷口から血が噴き出す。
サビは怯まずに、石突を突き出した。
バーグは鋸刃剣の腹で受けた。
接触の瞬間、サビが重さを戻す。
鈍い衝撃が響き、バーグの身体が一歩後退した。
だが、それだけだった。
バーグは地面へ沈んだ右脚へ魔力を集中させ、再び前へ出る。
鋸刃剣が下から跳ね上がる。
サビは身体を軽くして飛び退いた。
切っ先が胸元を掠め、身体がさらに後方へ押し流される。
着地した足が水溜まりへ深く沈んだ。
泥水が周囲へ跳ねる。
サビは大きく間合いを取った。
息を吸う。
胸の傷が開き、喉の奥へ血の味が上がってくる。
右手の感覚も薄い。えぐられた頬からは出血が続いている。
巨剣槍を支えているだけで、腕が震えていた。
正面では、バーグも肩を上下させている。
左腕は垂れ下がったまま。赤い装甲はほとんど残っていない。
それでも、鋸刃剣を持つ右腕と両脚には、まだ魔力が集まっていた。
次に正面からぶつかれば、サビの方が先に崩れる。
サビは呼吸を整えながら、周囲へ視線を動かした。
崩れた壁。積み上がった瓦礫。
広場の各所に溜まった雨水。
踏み荒らされ、石粉の混じった泥。
サビは巨剣槍を両手で握り直した。
その場で大きく振りかぶる。
バーグの表情が僅かに強張った。
巨剣槍の穂先を見据え、右腕と胸元へ魔力を集中させる。
サビが巨剣槍を振り下ろした。
だが、刃はバーグへ向かわなかった。
地面へ、重量化した赤黒い穂先が接触する。
浅い水溜まりごと、泥と砕けた瓦礫を掬い上げた。
巨大な刃が、匙のように地面を抉る。
次の瞬間、サビは巨剣槍を振り抜いた。
爆発的な轟音が響く。
大量の雨水と泥、石片が、正面からバーグへ襲いかかる。
「チッ!」
バーグは右腕を顔の前へ上げた。
残った装甲だけでは防ぎきれない。
全身へ魔力を広げる。
飛来した石片が魔力の膜へぶつかり、次々と砕けた。
泥水が弾ける。細かな石粉が霧のように舞い上がる。
視界が茶色く染まった。
バーグは顔を守りながら、周囲へ視線を走らせる。
霧の向こうで、重い風切り音が鳴った。
正面から、巨大な黒い影が飛び込んでくる。
巨剣槍。
バーグは右脚を踏み込み、鋸刃剣を振り上げた。
突きこまれた巨剣槍を正面から受ける。
「オオッ!」
鋸刃剣が黒い刃と激突する。
金属が削れ合う、甲高い音が響いた。
巨剣槍は軌道を逸らされ、回転しながら瓦礫の向こうへ飛んでいく。
(飛んで……?)
巨剣槍の向こうに、サビはいなかった。
「——ッ!」
バーグが視線を上げる。
煙るような粉塵の上。
サビは軽量化した身体で一気に跳躍していた。
振りかぶった両手には、拾った人の胴ほどもある瓦礫が掴まれていた。
瓦礫が崩れる音さえ、いつもより遠く聞こえる。
視界が一瞬だけ、広場全体を見下ろす形に変わる。
崩れた壁。
泥水の水溜まり。
そして、粉塵の中で右腕を振り抜いたバーグの姿。
サビは落下しつつ、バーグ目掛けて瓦礫を振り下ろす。
指先が、ざらざらとした表面に食い込む。
腕の付け根が軋んだ。
視界の中で、バーグの右腕が持ち上がっていく。
鋸刃剣がまだ半分も引き戻されていない。
落下の勢いへ、振り下ろす力を重ねる。
石を握る指の骨が、軋むような感触を伝えてきた。
バーグの顔が近づいてくる。
驚愕に見開かれた目だった。
これまで一度も見せなかった顔だ。
余裕も、嘲りも、そこにはない。
奥歯を噛みしめ、顔が歪んでいる。
初めて、剥き出しの焦りだけがあった。
バーグは叫んだ。
「——サビィィィィィ!」
その目に映る自分の姿を、サビは一瞬だけ意識した。
石塊がバーグの頭部へ触れる、その寸前。
サビは瓦礫の重量を最大まで引き上げた。
軽かった石塊が、赤黒いもやをまとい瞬時に重くなる。
肩の関節が悲鳴を上げる。
それでも手を離さなかった。
空気が唸る。
赤黒いもやを纏った石塊が、バーグへ襲い掛かる。
バーグは頭を逸らしながら、右肩と鋸刃剣で受けようとした。
石塊が鋸刃剣へ激突する。
凄まじい重さに刃が大きく沈んだ。
石の一部が砕ける。
だが、勢いは止まらない。
残った塊が右肩を押し潰し、そのままバーグの頭部へ叩き込まれた。
「ガッ!……」
鈍い音が響いた。
バーグの巨体が瓦礫ごと、地面に叩きつけられる。
頭が石の床へ激突し、水溜まりが赤く弾けた。
サビも石塊と共に地面へ落ちた。
地面に激突し、泥の中に沈み込む。
一瞬の静寂が訪れ、遠くでの戦闘音が微かに響く。
それでも、どうにかサビは身体を起こした。
荒い呼吸だけが、広場に響く。
バーグは動かない。
右手から離れた鋸刃剣が、水溜まりの中へ沈んでいた。
サビはその場に膝をついたまま、倒れたバーグを見つめた。
動かない。
頭の横では、雨水に混じった血がゆっくりと広がっている。
頭からは大きく出血が続き、右肩は大きく潰れ、左腕も垂れ下がったままだった。
それでも、まだ死んだとは限らない。
サビは荒い呼吸を繰り返しながら立ち上がった。
膝が折れかける。
地面へ手をつき、どうにか踏みとどまった。
回復薬で遠のいていた痛みが、一気に戻り始めている。
頬から胸へ走る傷が熱い。
右手首はまともに曲がらず、脇腹へ力を入れるたびに息が詰まった。
それでも、ここで倒れるわけにはいかない。
サビは水溜まりへ沈んだ鋸刃剣を蹴った。
重い刃が泥水を跳ね上げ、バーグの手から離れて転がっていく。
続いて、瓦礫の向こうへ飛んでいった巨剣槍を探す。
黒い刃は、崩れた壁材へ斜めに突き刺さっていた。
サビは足を引きずりながら近づき、柄を掴む。
軽量化する。
それでも、腕に力が入らない。
一度では抜けず、足を瓦礫へ押しつけて引いた。
石片が崩れる。
巨剣槍がようやく抜けた。
サビはそれを杖のように使い、バーグの元へ戻る。
途中で一度、壁際へ横たえたミリーを見た。
まだ動いていない。
だが、胸は僅かに上下している。
サビは再びバーグへ視線を戻した。
(勝ったのか……)
実感は余りなかった。
奴隷時代は恐ろしかった存在だった。そして、憎い相手だった。
夢の中でも何度も、目の前でアオを連れ去られる場面を見てきた。
そんな相手がいま、自分の前で倒れている。
自分が倒した。アオとミリーの顔が浮かんだ。
(……)
サビは大きく息を吸い、倒れた巨体の横へ立った。
その時、バーグの喉から低い呻きが漏れた。
「……ぐ……」
瞼が僅かに動く。頭を打ったせいか、焦点の合わない目がしばらく宙を彷徨い、やがてすぐそばに立つサビを捉えた。
「……殺さねえのか」
掠れた声だった。
サビは答えず、巨剣槍をバーグの右腕へ押し当てる。軽量化を解くと、元の重さへ戻った刃が腕を床へ沈めた。
「ぐッ……!」
バーグの顔が歪む。
左腕は動かない。右腕も巨剣槍の下へ押さえ込まれ、鋸刃剣は手の届かない場所まで転がっている。
「聞くことがある」
バーグは荒い息を吐いた。
「……俺にか」
「アオはどこだ」
その名を聞いた瞬間、バーグの目が僅かに変わった。
痛みとも怒りとも違う。何かを思い出したように、サビの顔を見る。
「……まだ探してたのか」
「どこにいる」
「知らねえよ」
サビは巨剣槍へ体重をかけた。バーグの右腕がさらに床へ押し込まれる。
「誰に渡した」
「……知らねえ」
バーグは息を詰まらせ、血の混じった唾を吐いた。
「指定された……場所まで運んだ。待ってた連中に、渡しただけだ」
「どこの奴らだ」
「知らねえよ……名乗りもしなかった」
サビは巨剣槍を押しつけたまま、バーグを見下ろす。
「お前、開闢軍にいたんだろ」
「……昔はな」
「なんで抜けた」
バーグの口元が僅かに歪んだ。
「抜けた……?」
息を吸った途端、胸の奥で何かが引っかかったように咳き込む。
「……俺が、捨てたんだよ。軍も……家もな」
「なんでだ」
「……あそこにいたって……同じだ」
バーグは浅い呼吸を繰り返した。
「どれだけやっても……もっと出来る奴が出りゃ、そっちを見る」
そこで一度目を閉じる。
苦痛を押し殺すように歯を食いしばり、再びサビを見た。
「……そんなところで、いつまでも……認められるのを待ってられるかよ」
「それで?」
「……俺の腕を買うって奴がいた」
バーグは息を吐いた。
「軍の外なら……好きにやれるってな」
「そいつらが、アオを連れていけって言ったのか」
「……最初の頃の仕事だ」
「誰が命令した」
「だから……知らねえって言ってんだろ」
苛立った声を出した途端、バーグの顔が痛みに歪んだ。
「名前も……顔も知らねえ。仕事を持ってくる奴も……毎回違った」
「アオを渡した後は」
「……知らねえよ」
バーグは荒い息を吐きながら、僅かに目を細めた。
「ガキ一人……その後どうなったかなんざ、興味もなかった」
サビは巨剣槍を握ったまま、しばらくバーグを見下ろした。
嘘を吐いているようには見えない。
「……そうか」
ここから先へ繋がるものを、バーグは持っていない。
サビは壁際に横たわるミリーへ一度だけ視線を向け、再びバーグを見る。
「アオのことを知らねえなら、後はミリーだ」
「……あ?」
「お前をどうするかは、ミリーに決めさせる」
バーグの表情から、僅かに残っていた笑みが消えた。
「……あの女に、か」
「ああ」
ミリーの両親を殺したのはバーグだ。
自分が憎んでいないわけではない。
だが、その先まで自分が勝手に決めることではなかった。
サビはバーグの脚へ視線を落とす。
両腕はほとんど使えない。それでも、このままではまだ逃げられる可能性がある。
「だから、それまで動けなくする」
バーグが眉を寄せた。
「何する気だ」
「脚を折る」
サビは巨剣槍を持ち直し、穂先を持ち上げた。
「……なんだ?」
その時、広場の水溜まりが震えた。
最初は、遠くで何かが崩れたのかと思った。
だが、違う。
一定の間隔で、空気が押し下げられている。
雨水の表面に、次々と波紋が広がった。
風が上から吹き込む。
灰色の空が見える崩落口から、土埃と細かな雨粒が舞い落ちる。
サビは顔を上げた。
重い羽音。一度。さらに一度。
巨大な翼が空気を叩く音が、急速に近づいてくる。
バーグも目だけを上へ向けた。
その顔から、僅かに残っていた嘲笑が消える。
サビの魔力感知へ、上空から巨大な反応が触れた。
ファングアントでも、バーグでもない。
比較にならないほど濃い魔力。
だが、その奥にある気配だけは、知っていた。
忘れるはずがなかった。
「……まさか」
崩落口を覆うように、巨大な影が広がった。