私の名前はキャシー。キャシー・E。
キャシーの綴りはKathyで、CではなくKです。
好きでも嫌いでもない名前です。叔母に言わせれば、アメリカ人の真似をしたような、少し下品な名前だということでした。私も、Catherineであればよかったのにと思うことがあります。
誰かに名前を名乗るたび、相手の頭の中に「C」の文字が浮かぶのがわかります。案の定、書類には間違った綴りが並びます。そのたびに「いいえ、Kのキャシーです」と訂正する。それは、私の人生における、ささやかで執拗な面倒ごとのひとつでした。けれど、今さら変える方がもっと面倒でしょう。
私はこの名前で十八年生きてきて、もうすぐ十九年になります。十八年というのが長いのか短いのか、よくわかりません。長かったようにも思えますし、振り返れば、ずいぶん早かったようにも思えます。
ただ、このウェールズの片田舎を車で走っている時間のほうが、私が生まれてから今日までの時間より長いような気がすることがあります。最後に給油したのは、二時間ほど前でした。それからずっと走っています。
昔、まだ叔母夫婦の元で孤児として暮らしていた頃、私はどこにも連れて行ってもらえませんでした。飛行機はおろか、列車や車にも乗せてもらえませんでした。だからかもしれません。車の窓を流れていく景色は、今でも、いくら見ていても飽きることがありません。
もっとも、走りながら景色にばかり気を取られていては、危険というものです。だから私は、対向車の一台も通らない、こうした神様にも見捨てられたような道ばかりを選んで走ります。それが今では、私の唯一の趣味のようなものになっています。
こうしてハンドルを握って走っていると、空を飛びたくなることがあります。箒はいいものです。ガソリンもいりませんし、オイル交換の必要もありません。好きなように飛べますし、交通法規に縛られることもありません。
けれど、私の箒は、もうありません。とうの昔に手放してしまいました。新しいものを買うつもりはありませんし、それを売っている店に足を運ぶつもりもありません。だから、私はこの中古で買ったポンコツを大切に乗っています。
道路は細く、ところどころ舗装が傷んでいます。左右には低い石垣と草地が続き、その向こうに緩やかな丘が見えます。羊が何頭かいることもありますが、今日は見かけませんでした。空は朝からずっと曇っています。雨が降るほどではないものの、日が差すこともありません。
ときどき、家があります。家と呼んでいいのか迷うようなものもあります。窓が割れていたり、屋根の一部が落ちていたり、庭が草に埋もれていたりします。魔法使いや魔女が住んでいるのかもしれません。そうでなければ、ただ人が住まなくなっただけかもしれません。どちらなのか、確かめる前に車は通り過ぎます。バックミラーに小さくなった家が映り、それもやがて見えなくなります。
考えてみれば、どちらでも同じことなのだと思います。そこには、私とは関係のない人たちがいて、私とは関係のない暮らしをしている。あるいは、かつて誰かがそうしていた。私がそれを知ったところで、その人たちの生活が変わるわけではありません。だから私は、車を止めません。ハンドルを軽く握って、右足でアクセルを踏み続けます。
運転は嫌いではありません。信号のない道なら、なおさらです。誰かに止められることがないからです。もちろん、信号がなくても道路には決まりがあります。速度を守らなければなりません。道を間違えれば、余計な時間がかかります。それでも、街の中を走るよりはずっと気楽でした。前方に車がいなければ、自分の好きな速度で走れます。後ろから車が来れば、少し速度を落として先に行かせる。それだけのことです。
そういう関係なら、人と人との間にも、もう少し簡単な決まりがあればいいのに、と思うことがあります。好きなら好き。嫌いなら嫌い。助けたいなら助ける。そうでないなら、そう言えばいい。
昔は、相手がどう思っているのか知りたいと思っていました。私のことを好きなのか、嫌っているのか、心配しているのか。それとも、ただそうするように決められているから、そばにいるのか。今は、あまり気にしません。知らないほうが楽なこともあります。
フロントガラスの向こうでは、雲が低く垂れ込めています。こちらでは、こういう天気が珍しくありません。雨が降るかと思えば降らず、晴れるかと思えば晴れないままです。私は、この国の天気が嫌いではありません。何も約束しないところがいいのだと思います。
しばらくすると、道の脇に小さな標識が見えてきました。村の名前が書かれています。私は一度目を向けましたが、速度は落としませんでした。
昔なら、少し気になったかもしれません。どんなところなのだろう。どんな人が住んでいるのだろう。店はあるのだろうか。今は、知らない場所は知らないままでいいと思います。人は、自分が関わることのできる場所だけで、たいてい足りるのです。
そう考えるようになったのがいつだったのか、正確には覚えていません。たぶん、あの家を出てからです。
プリベット通り四番地。
あの家では、私の名前を呼ぶ人はあまりいませんでした。キャシー。そう呼ばれることは、ほとんどありませんでした。もっとも、当時はCとKの綴りの違いに頭を悩ませることもありませんでしたが。
おい、と呼ばれることもありました。あなた、と呼ばれることもありました。そこにいるなら手伝いなさい、と言われることもありました。それで、たいてい用は足りました。
名前というものは、なくても生活できるものなのだと思います。食事をすることもできるし、眠ることもできます。学校へ行くこともできます。誰かに何かを頼まれれば、それをすることもできます。それでも、自分の名前を呼ばれると、自分がそこにいることを少しだけ確かめられるような気がします。少なくとも、私はそうでした。だから、自分の名前を嫌いになったことはありません。
Kathy。少し変わった綴りです。叔母は、その綴りを決めた母のことを、あまりよく言いませんでした。叔母は母の妹でした。私は母の顔を知りません。物心ついたときには、母はもう死んでいたからです。
母と叔母は、エバンズ家の娘でした。だから、私の姓もエバンズでした。キャシー・エバンズ。それが私の名前でした。役所にもそう登録されていましたし、学校の名簿にもそう記されていました。叔母も、先生も、近所の人たちも、私をそう呼びました。それが、私の知っている名前でした。
それが変わったのは、十一歳のときです。
車内のラジオが、ときどき雑音を混ぜるようになりました。電波が弱くなっているのでしょう。魔法界では、こういう機械はあまりうまく動きません。そのことを、久しぶりに思い出しました。昔は、それを不思議だと思っていました。今は、少し不便だと思うだけです。
魔法。その言葉を思い浮かべても、もう胸が高鳴ることはありません。
十一歳の頃は、違いました。魔法が使えると知ったとき、私は、それまでとは違う場所へ行けるのだと思いました。新しい学校、新しい友人、新しい家。もしかすると、新しい家族。そういうものが、自分を待っているのだと思っていました。
けれど、後になってわかりました。場所が変わっても、自分が別の人間になるわけではありません。ホグワーツへ行っても、魔法使いたちの世界へ行っても、私は私のままでした。
ただ、あの世界に入った途端、私の名前は少しだけ変わりました。キャシー・エバンズではなくなったのです。
キャシー・ポッター。それが、魔法界での私の名前でした。
私を見た人の多くが、「ミス・ポッター」と呼びました。最初のうち、私は自分のことを呼ばれているのだと気づかないこともありました。私はキャシー・エバンズだったからです。
けれど、魔法界の人たちは、そのことを知りませんでした。彼らが知っていたのは、ポッターという古い家の名前と、そこから生き残った女の子が一人いるということだけでした。私がポッター家とは縁もゆかりもない叔母夫婦と暮らしていることも、私がエバンズという姓で登録されていたことも、彼らには関係のないことでした。彼らにとっては、ポッターという名前のほうが先にあったのです。
だから、私が「エバンズです」と訂正すると、相手は少し困った顔をしました。それから、たいていこう言いました。
「ええ、もちろん。ポッターさん」
私は、それ以上訂正しませんでした。何度説明しても、同じことになるからです。
魔法界にとって、私が誰であるかは、私がどんな名前で生きてきたかよりも先に決まっていました。キャシー・ポッター。生き残った女の子。ポッター家の娘。そういうものが、私より先にそこにいたのです。
そして、私を見た人たちは、もうひとつ別のものを見ていました。私の顔です。
母に似ている、と言われました。私の母、リリー・エバンズに。母を知っている人は、もっと長く私を見ました。知らない人でさえ、どこかで見たことがあるような顔をすることがありました。私はその理由を知りませんでした。ただ、そういう顔をされるたびに、自分の顔が自分だけのものではないような気がしました。
キャシー・エバンズとして生きてきた私は、そこで初めて、自分が誰かの娘として見られていることを知りました。
そのことに気づいたのは、十一歳になったばかりの夏でした。
その日のことは、よく覚えています。
七月の末、朝から蒸し暑い日でした。プリベット通り四番地の郵便受けに、いつもと違う手紙が届いたのです。
叔父がそれを見つけました。玄関先で新聞と一緒に拾い上げ、宛名を見て、顔色を変えました。私の名前が書いてあったからです。羊皮紙のような、分厚い紙でした。宛名には「プリベット通り四番地、階段下の物置、キャシー・ポッター様」と書かれていました。
物置というのは、私が寝起きしていた場所のことです。ベッドの下に住んでいたわけではありません。ベッドが、階段下の狭い物置の中にあったのです。蜘蛛の巣と、古い掃除道具と一緒に。
叔父も叔母も、私にその手紙を見せませんでした。すぐに封筒ごと暖炉にくべようとしました。けれど、その夜のうちに次の手紙が届きました。翌朝にはさらに何通も届き、数日のうちには、家の郵便受けだけでなく、煙突からも、窓の隙間からも、手紙が入り込んでくるようになりました。
叔父は最初、これを悪ふざけだと考えていたようです。近所の誰かの嫌がらせだろう、と。けれど手紙の数が増えるにつれて、叔父の顔から余裕が消えていきました。私は、叔父が本当は何かを知っているのだと気づきました。知っていて、それを長い間、隠していたのだと。
最終的に、叔父は家族を連れて車で逃げました。行き先も告げずに、あちこちのモーテルを転々とし、最後にはどこかの岩礁に立つ、灯台のような小屋に辿り着きました。海が荒れていて、窓の外は白い波しぶきで何も見えませんでした。
私は、あのとき自分が何を思っていたか、はっきりと覚えています。
怖くはありませんでした。悲しくもありませんでした。ただ、この人たちがこれほどまでに何かから私を遠ざけようとしているのなら、その何かは、この人たちよりはましなものかもしれない、と思っていました。
その考えは、間違っていませんでした。
真夜中に、扉を叩く音がしました。叔父は猟銃を構えましたが、扉は蝶番ごと吹き飛び、大男が入ってきました。名前をハグリッドといいました。
ハグリッドは、私を見るなり泣きました。大きな体を折り曲げるようにして、私を抱きしめました。最後にリリーの娘に会ったのは赤ん坊のときだった、と言いました。あんたはお母さんによく似ている、と何度も繰り返しました。
私は、その涙の意味を、正確には理解できませんでした。ただ、この大男が、初めて会った私のために泣くほど、私という存在を大切に思っているらしいということはわかりました。十一年間、誰も私のために泣いたことはありませんでした。
ハグリッドは私に、両親のことを話してくれました。魔法使いだったこと。私を守るために死んだこと。私が「生き残った子」として、魔法界の誰もが知る存在だということ。それから、私が今まで聞かされてきた話──両親が交通事故で死んだという話──が、嘘だったことを教えてくれました。
叔母は、その話を聞いて青ざめました。けれど、隠していたことを詫びはしませんでした。ただ、「あの子には知られたくなかった」というようなことを、小さな声で言っただけでした。
私はそのとき、叔母の言葉の意味を考えていました。知られたくなかったのは、私にとって都合が悪いからではなく、叔母たちにとって都合が悪いからだったのだと。
魔法。両親。栄誉ある家系の生き残り。そういうものが、実は最初から私のものだったのだと知ったとき、私は喜びよりも先に、ひとつのことをはっきりと理解しました。
それは、この十一年間、自分が惨めな思いをして生きてきたことに、正当な理由などなかったということです。
物置で眠らされてきたのも、ダドリーのお下がりの、袖の長すぎる服を着せられてきたのも、誕生日を祝われたことがなかったのも、運命でも、仕方のないことでもなかったのです。それは、単に、この人たちがそうすることを選んだからでした。
赤ん坊だった私を引き取ったとき、この人たちには選択肢があったはずです。私を家族として迎え入れることもできたし、少なくとも、人並みの世話をすることもできたはずです。彼らはそのどちらも選びませんでした。魔法使いの血を引く子どもを疎み、押しつけられた重荷として扱うことを選んだのです。
それは悪意でした。名前のつけようがないほど、ありふれた悪意です。特別に劇的なわけではなく、ただ日常に溶け込んだ、地味な悪意でした。
私は、そのことを理解してから、二度と自分の境遇を「そういうものだ」とは思わなくなりました。
多くの子供は、自分の育てられ方を、当たり前のものとして受け入れると聞きます。他に比べるものがないからです。自分の家がどんな家であっても、それが世界の標準だと思い込んでしまう。私も、そう思い込みかけていた時期はありました。物置で眠ることも、名前を呼ばれないことも、世界の仕組みの一部なのだと。
けれどハグリッドが涙を流したあの夜、私はその思い込みから抜け出しました。世界には、子供を大切にする大人がいるのだと知ったからです。少なくとも、そういう大人が存在しうるのだと。だとすれば、それをしなかった大人たちには、それをしない理由があったということです。彼らにとって都合の良い理由が。
私はそれから、あの家での日々を振り返るとき、「辛かった」「悲しかった」というような感傷的な言葉を、あまり使わないようにしています。ただ、事実として、こう言うようにしています。
あの人たちは、私に対して悪いことをした。理由もなく、あるいは自分たちに都合のいい理由だけで、十一年間、私を粗末に扱った。それは彼らの選択であって、私の運命ではなかった。
そう考えると、少しだけ気が楽になります。少なくとも、自分を憐れむ必要はなくなります。
ハグリッドに連れられて、初めてダイアゴン横丁を歩いたとき、私は自分のための金貨が、両親の遺した金庫の中に、山のように積まれているのを見ました。それを見て、私が最初に思ったのは、豊かさへの驚きではありませんでした。
もし両親が生きていたなら、あるいは、この財産の存在をあの叔母夫婦が正直に伝えていたなら、私の十一年間は、まったく違うものになっていたはずだ。そう思っただけでした。けれど、それは起こらなかった過去です。今さら数えても仕方のないことだと、私は自分に言い聞かせました。
車はまだ、ウェールズの田舎道を走っています。
雲は相変わらず低く、羊の姿はやはり見当たりません。ラジオの雑音は少しひどくなってきました。
十一歳になったあの夏の日から、もう八年近く経ちます。ホグワーツでの七年間に、私に何が起きたのか。それについては、また別に話すべきことがたくさんあります。
けれど、あの夏に理解したことだけは、今も変わっていません。
自分の境遇を、当たり前のものとして受け入れてはいけない。それがどんなに長く続いていたとしても、それがどんなに「普通」に見えたとしても。
そこに誰かの意思が働いていたなら、それは運命ではなく、選択の結果です。そして選択には、選んだ人間の責任が伴います。
私は、そのことを忘れないようにしています。