ダーズリー家で使っていたものは、ほとんど捨ててしまいました。長く手元に置いていたのは、叔母からもらったあのトランクくらいのものでしたが、それも、二年前に新しいものへ買い替えたとき、結局は捨ててしまいました。
意識して捨てたわけではありません。ただ、大切だと思えるものが、何ひとつなかっただけです。
その後、ダーズリー一家がどうなったのか、私は知りません。どこかで幸せに暮らしているのかもしれませんし、そうでないのかもしれません。
死んでしまえばいい、と思ったこともあります。和解できるものなら、したいとも思いました。向こうから私を探し出すのは、難しいでしょう。私ならば、彼らを見つけられるかもしれません。けれど、私から会いに行くきっかけも、思いつきません。
もしポンドを奪えるなら、殺す価値があるのかもしれない、と考えたこともあります。手段がないわけではありません。ただ、理由がないだけです。
そのことについて、何度も考えてみました。けれど、結局は堂々巡りになるだけでした。最後にはいつも、何もしないまま、ただ車を走らせている自分に戻ります。
物を大事にできないのは、ダーズリー家にまつわるものに限りません。ホグワーツへ行ってからも、あの家を出てからも、私が長く持ち続けたものは、ほとんどありませんでした。今、この車に積んであるトランクが、私のほとんど全財産です。少しの服と、本が数冊、それに杖が一本。それだけです。新しいトランクを買ったというのに、一番重みがあるのは、そのトランク自体だという有様でした。
昔、トランクの中身があまりに貧相で、「あら、それだけ?」と言われたことがあります。ホグワーツへ来て、最初の夜のことでした。グリフィンドール塔の寝室で、トランクを開けたときです。
言ったのは、ラベンダーでした。
彼女のことは、今は、あまり思い出したくありません。
そんなことを考えているうちに、空腹を覚えました。気がつけば、もう十三時を回っていました。朝食代わりに、コーヒーを一杯飲んだきり、何も口にしていなかったのです。
しばらく走ると、道の脇に小さな村が現れました。石造りの家が数軒、道路に沿って並んでいるだけの、地図にも載っていないような場所です。その一角に、平屋の建物がありました。トタン屋根で、壁は白く塗られていましたが、ところどころ剥げて灰色の下地が覗いていました。窓には「CAFFI」と「CAFÉ」の文字が並んで書かれており、その下に、裏返しにできる木の札で「AR AGOR」と「OPEN」の両方が示されていました。
駐車場と呼べるほどのものはなく、砂利の敷かれた空き地に、軽トラックが二台停まっているだけでした。私はその隣に車を寄せ、エンジンを切りました。
扉を開けると、上部に取り付けられたベルが鳴りました。中は暖かく、油と、焼けたベーコンと、煮出した紅茶の匂いが混ざり合っていました。
カウンター席には、老人が一人。ずいぶん長い間、そこに座り続けているような佇まいでした。奥のテーブル席には、帽子だけが見えました。誰かがいるのかもしれませんし、置かれているだけなのかもしれません。奥のカウンターには、年配の女性が立っていて、私を見ると、軽く顎を上げるようにして、好きな席へ座るよう示しました。
私はテーブル席に腰を下ろしました。テーブルには、赤いチェックの油布がかけられていて、端が少しめくれていました。中央には、ケチャップとブラウンソースの瓶、それに塩と胡椒の容器が並んでいます。壁には、羊の絵が描かれた古いカレンダーと、ラグビーの試合を告知するポスターが貼られていました。
メニューはラミネート加工された一枚の紙で、片面が朝食、もう片面が軽食でした。ずいぶんと良心的な値段でした。私はウェルシュ・ブレックファストを頼み、紅茶をポットで、と付け加えました。
待つ間、キッチンから、油の跳ねる音が聞こえていました。ラジオが小さな音で鳴っていて、司会者が地元の天気を伝えていました。明日は晴れ間があるかもしれない、ということでした。
しばらくして、湯気の立つ皿が運ばれてきました。
ベーコンは端がぱりぱりに焼かれ、脂の部分は半透明なほど火が通っていました。目玉焼きの黄身は半熟で、皿の上でわずかに震えていました。トーストされたトマトは切り口から果肉が崩れかけ、マッシュルームは黒く縮んで、バターの照りをまとっていました。皿の端には、黒く艶のあるラバーブレッドが添えられ、隣にコックルが小さな山を作っていました。厚切りのトーストにはバターが染み込み、端の方が半分透き通っていました。
私はまず、ベーコンにフォークを刺しました。噛むと、脂の甘さと塩気が、同時に広がりました。目玉焼きの黄身にトーストの端をひたし、口に運びます。ラバーブレッドの磯の匂いにも、もう戸惑うことはありません。紅茶はポットで運ばれてきて、注ぐと、湯気とともに渋みのある香りが立ちました。ミルクを落とすと、色がやわらかい茶色に変わりました。
昔から、空腹というものを感じたことがありません。お腹が空こうが空くまいが、自分が食べられるものは、あらかじめ決まっていました。好むと好まざるとにかかわらず、それを口に運ぶ以外の選択肢は、私にはなかったのです。だから、好きな食べ物を聞かれるたびに、答えに窮しました。
ホグワーツに入ってよかったと思うことの一つは、食事の楽しみを教えてくれたことだと思います。もっとも、今でも空腹を感じることは、ほとんどありません。意識していなければ、食事のことそのものを忘れてしまいます。それでも、忘れないように気をつけるくらいのことは、するようになりました。
そうなる前は、ルームメイトたちに、ずいぶんと言われたものです。無理なダイエットをするなと心配されたこともありますし、腹を立てられたこともありました。そうやって食事のことをあれこれ言ってくれる人が、誰もいなくなってから、私は自分で食事に気を配るようになりました。思えば、私はずいぶんと、彼女たちに甘えていたのだと思います。
湯気の立つ皿を前にして、ふと、あの最初の夕食を思い出しました。ホグワーツに来て、最初の夜のことです。
大広間の天井には星空が映し出され、四つの寮のテーブルには、金の皿が等間隔に並んでいました。最初、皿の上には何もありませんでした。それが、瞬きをする間に、パイやローストチキン、ソーセージ、ローストポテトで埋め尽くされていたのです。
私はしばらく、手をつけられずにいました。目の前の光景が、現実のものだとうまく信じられなかったからです。誰かが取り分けてくれるわけではありませんでした。自分で手を伸ばし、皿に取らなければ、いつまでも空のままなのです。選り好みをしなければ、何も食べられない。それは、私にとって初めての経験でした。
隣に座っていた生徒は、気にする様子もなく、何度も皿に手を伸ばしていました。私は、その様子を横目で見ながら、少しずつ、自分の皿にも料理を取るようになっていったのを覚えています。あの夜、私は生まれて初めて、食事というものを楽しんだのだと思います。
もっとも、こんなことを言うと、いかにも英国人らしくない、と自分でも思います。食に頓着しないというのは、この国ではむしろ普通のことのはずですから。あのときから、少しずつ、私は何かがずれてしまったのかもしれません。
食事をしながら、新入生同士で話をしました。話題は、たいてい私のことでした。何人もが、傷を見せてほしいと言いました。そのたびに、私は前髪をかき上げました。
もし、あの汽車のコンパートメントで、先にロンと出会っていなかったら、私はあの食事を味わうどころではなかったと思います。少なくとも、質問に答えることに気を取られて、皿の中身どころではなかったでしょう。
そう思うと、あの朝のことも、話しておきたくなります。
十一歳のあの夏の終わり、ロンドンのキングズ・クロス駅で降ろされた私は、お下がりのぼろぼろのトランクを引きずりながら、九と四分の三番線を探していました。切符には、たしかにそう書かれていたのです。
プラットフォームの前に立つ子供たちの多くは、もう少し洒落たトランクを持っていました。新しく買ってもらったのでしょう。親に見送られている子もいました。抱きしめられている子もいれば、細かい注意を受けている子もいました。私にはその光景が、少し不思議に見えました。羨ましいというより、自分とはずいぶん遠いもののように思えました。あの中に自分も入っていくのだということが、うまく飲み込めていなかったのだと思います。
駅員に尋ねたとき、相手は怪訝な顔をしました。存在しない番線を探しているのですから、無理もありません。からかわれたと思ったのでしょう。私を一瞥すると、何も言わずに、反対の方へ歩いていってしまいました。
そこで、私はようやく一人になりました。
幸い、すぐに助け舟が現れました。赤毛の一家が、トランクを積んだカートを押しながら、マグルがどうとか話しているのが聞こえたのです。先頭を歩いていた恰幅のいい女性は、目ざとく私を見つけると、すぐに事情を察したような顔をして、九と四分の三番線への入り方を教えてくれました。壁に向かって歩く、それだけのことでした。けれど、いざ足を踏み出す段になると、綱渡りをするような心地がしたものです。
もしあの一家に会っていなかったら、私は今もまだ、キングズ・クロス駅のどこかをうろついていたかもしれません。
その一家は、後になってウィーズリー家だと知りました。子供たちのトランクは、どれも私に劣らずぼろぼろでした。だからこそ、私は引け目を感じることなく、その親切に甘えることができたのだと思います。
汽車に乗り込んでからも、しばらくは一人でした。空いているコンパートメントを見つけ、トランクを棚に押し上げ、窓際に腰を下ろしました。
発車のベルが鳴り、プラットフォームが動き出すと、私は窓に顔を近づけました。汽車の窓というものにも、じきに夢中になりました。
控えめで、どこか遠慮がちなノックの音がして、それから扉が開きました。赤毛の少年が、顔を覗かせていました。
ここは空いているか、と尋ねられました。私が頷くと、少年は向かいの席に座り、それからすぐに窓の方へ顔を向けました。
私は最初、彼も景色に見とれているのだと思いました。けれど、少し様子が違いました。彼の目は窓の外を向いていましたが、何かを見ているというよりは、何も見ていないという方が近いように思えました。トランクを棚に上げるとき、少しだけ手間取っていたことも、私は覚えています。
どちらからともなく、少し言葉を交わしました。名前を聞かれたとき、私はポッターと名乗りました。
ダイアゴン横丁を歩いていたとき、ハグリッドに言われたとおりにしただけです。理由なんてどうでもいい、お前さんはポッターなんだから、と。私はただ、その言葉を忠実になぞっただけでした。
名乗った途端、少年の顔つきが変わりました。それからは、質問が続きました。
「本当に、キャシー・ポッターなのか」「両親のことは覚えているのか」「例のあの人と会ったとき、何が起きたのか」
立て続けの質問のひとつひとつに、私は覚えている範囲で答えました。つまり、名前以外はわからないということでした。
今となっては、あの出会いは幸運なものだったと思います。少なくとも、私にとっては都合の良いものでした。
一息ついた後で、赤毛の少年はロンと名乗りました。ロン・ウィーズリー。初対面から、なんとなく気安さを感じたのを覚えています。彼の持つ、どこか家庭的で穏やかな雰囲気のせいだったのかもしれませんし、お互いに赤毛だったからかもしれません。
実際、ロンは私の髪を褒めてくれました。君の赤毛、すごくいいね、と。マッチ棒みたいだと言われるより、よっぽどいい、と私は冗談で返しました。正直なところ、赤毛を褒められたのは、あのときが初めてでした。
マッチ棒、と最初に私を指さしたのは、ピアーズ・ポルキスという少年でした。学校でも家でも、私は居候として、あるいは物笑いの種として過ごすことに慣れていました。だから、逃げ場のない全寮制の学校と聞いて、楽しみよりも先に、身構える気持ちの方が強かったのです。
もっとも、その気持ちも、今ではずいぶん薄れてしまいましたが。
気づけば、皿はほとんど空になっていました。老人はまだ、カウンターに座ったままでした。奥の帽子も、動いた様子はありません。
勘定を済ませ、店を出ると、空は相変わらず低く曇っていました。車に乗り込み、エンジンをかけます。トランクは、後部座席の後ろに、変わらず置かれたままでした。
私はまた、車を走らせ始めました。