怪談語 作:おしまい。
あなたは、映画館、というものを知っていますか?
ええ。当然、知っていますよね。
わたしは、行ったことはありませんが。なんでも、真っ暗で、画面と音に集中するため、周りで何が起こっても気がつけない空間だとか。
ふふっ。そうですね。些か、言いすぎな気はしますね。
ですが、考えてみてください。あなたは、真っ暗な中、目の前の画面に集中しています。周囲の音も、画面からの音に掻き消されて、よく聞こえません。
そのような状況で、あなたは、自身の身に何かが迫っていたとして、はたして、感知することはできるのでしょうか? 気がついた時には、時すでに遅し⋯⋯なんてことも、あるかも知れませんよ?
ふふっ。少し、意地悪が過ぎましたね。
ええ、ええ。そんなことは、ありませんよ。多分。
おや、言いきらないことに、不満があるご様子ですね。ええ。わかりますとも。ですが、世の中、何が起こるかわかりません故、言いきってしまうのは⋯⋯ねえ?
では。
ある男性のお話です。
彼は映画が好きでした。といっても、映画そのものが特別好きだったというより、映画館という場所が好きだったそうです。
照明が落ちる瞬間や、上映前のざわめきが静まっていく感覚。巨大なスクリーンに、身体の奥まで響く音。
映画を見るなら映画館。それが彼のちょっとしたこだわりでした。
ある金曜日の夜。仕事帰りに彼は、一人で映画館へ向かいました。
観るのは、公開されたばかりのホラー映画。
上映開始は二十二時四十分。
終了予定は日付を跨いで、零時五十分。
いわゆるレイトショーというやつです。
チケットを買うと、座席はほとんど埋まっていました。
彼が取ったのは、L列の十三番。
残念ながら、最上段の端の席です。
シアターへ入ると、薄暗い場内の中、予告編が流れていました。彼は自分の席を見つけて座ります。
間もなくして上映が開始し、照明が完全に落ちます。
暗闇の中、スクリーンだけがぼうっと、白く光っていました。
映画の内容自体は、それほど珍しいものではありません。田舎町へ引っ越してきた一家が、古い家で怪異に遭遇する。
そういう映画でした。
上映から三十分ほど経った頃です。
彼は後ろから音がすることに気がつきました。
ぎ。
何かが軋む、不快な音。
ぎ。ぎ。
誰かが体勢を変えているのでしょう。そう納得して、最初は気にしませんでした。ですが。
ぎ。ぎ。ぎ。
流石に、何度もそんな音がしては、気になります。
彼は一度だけ振り返ろうとしました。ですが、映画はよいところ。出来れば、画面から目を離したくはありません。彼は一旦、後ろの音など無視して、映画を楽しむ事にしました。
それから、更に五十分ほど経った頃。
ぎ。
不意に、先ほどまで無視していた音が、耳元で聞こえたのです。
これには、彼も驚きました。声を上げなかった自分を褒めたいくらいです。ですが、その驚きもつかの間、次第に怒りが湧いてきました。映画はもう佳境。その最中に、水を差されたのですから、無理もないことです。
一度、この不躾な輩の顔を見てやろうと、背後を振り向こうとして、ふと、あることに気がつきました。
彼の席は、L列の十三番。最上段の端の席。であるのならば、後ろにあるのは、劇場の壁。では、この音の下手人は、いったい?
ぎ。ぎ。ぎ。ぎ。ぎ。ぎ。ぎ。
音は、鳴り止みません。
むしろ、先ほどよりも大きくなっている気さえします。
そういえば、この音も何処か聞き覚えがありました。これは、そう。歯軋りの音です。
彼は冷や汗を流しながら、映画に集中します。耳元で歯軋りが聞こえていても。肩を何かに掴まれていても。何かの吐息が頬を撫でても。視界の端に、見るべきでないモノが映っても。それでも、彼は画面を見続けます。だって、今は上映中なのですから。
ええ。おしまいです。彼は、いったいどうなったのでしょうね。神のみぞ⋯⋯いいえ。映画館の、何かのみぞ知るといった所でしょうか。
ふふっ。最初に申し上げた通り、後味の良い怪談など、興醒めでしょう?
怪談の終わりとは、こういうものでよいのですよ。後味が悪ければ悪いほど、深みが増すというものです。色々と。
さて、それでは、今夜もお付き合いいただき、ありがとうございました。