彼女はそう言って、話を始めた。
怖い話をしましょう。
そう。怖い話、怪談です。
おや、なぜ唐突に、といった感じですね。
ええ。わかりますよ。わかりますとも。
まあ、理由はこれと言ってないのですが。⋯⋯敢えて言うなら、夏、だからでしょうか。
ふふっ。ええ、適当です。この適当は、適切な、という意味ではなく、いい加減という方の意味です。
言われなくても、わかっている。といった感じですね。
ええわかりますとも。なぜかと問われたら⋯⋯さて、なぜでしょう。
簡単に教えてしまっては、面白くないでしょう?
ふふっ。それでは、始めましょうか。
近頃、生成ええあい、と言う物が流行っているそうですね。
聞く所によると、この生成ええあいとは、嘘をつくらしいじゃないですか。正確には、嘘ではない。とのことですが。
例えば、存在しない本を紹介したりだとか。
実在しない論文を引用したりだとか。
あるいは⋯⋯居ないはずのものを、居るかのように語ったりだとか。
そのような間違いを、専門用語で「はるしねえしょん」と呼ぶらしいですね。
なんとも、可愛らしい語感ですね。ちなみに、この「はるしねえしょん」とは、元々は、「幻覚」という意味だとのこと。
実に、言い得て妙ですね。
これは、その「生成AI」と「ハルシネーション」のお話です。
では。
ある所に、大学2年生の男がおりました。
彼はレポートを書くために、深夜までパソコンに向かっていたそうです。
レポートのテーマは「生成AIにおける誤情報の発生と、その社会的影響」
皮肉な話で、そのレポートを書くために、彼自身も生成AIを使っていたんですね。
『生成AIのハルシネーションについて、代表的な事例を挙げて』
彼はAIにそう入力しました。すると、数秒で回答が返ってき、いくつかの実例が並んだのです。
裁判、医療、論文、ニュース記事。
出て来た例は、当たり障りのない、ごく普通のモノでした。しかし、最後に付け加えられた言葉が、少しおかしかったのです。
『身近な例としては、存在しない人物について、あたかも実在するかのような情報を生成するケースもあります』と。
彼は気になったのでしょう。何気なく、本当に何気なく尋ねました。
『例えば?』
返答はすぐに用意されました。
『例えば、「あなたの部屋にいる女性」について質問された場合、私は実際にはその女性を見ることができないため、存在を断定することはできません』
それを見た彼は手を止めて、画面を凝視しました。
なんだこれと、呟きます。
彼は一人暮らしで、部屋には彼1人。
後ろを振り返りました。見えるのは、六畳ほどのワンルーム。何の変哲もない、ごく普通の、いつも通りの自分の部屋。当然、そこには誰もいません。
彼は笑いました。
レポートのテーマがテーマだったので、それにつられて妙な文章を出力したのだろう。彼は1人、そう納得しました。
『今のはハルシネーション?』
彼はAIにそう入力しました。
これもまた、返答はすぐに用意されます。
『はい。文脈上、不適切な例示でした。申し訳ありません』
望んだ答えを得た彼は、作業を続けました。
それから、十五分ほどしてからでしょうか。
今度は文章の校正を頼みました。
AIは、誤字や冗長な表現を指摘してくれました。そして最後に、こうも付け加えたのです。
『なお、「後ろに立つ女性」という記述は、本稿の論旨と無関係であるため削除を推奨します』と。
勿論、彼はそんな文章を書いた覚えはありません。
試しに検索をかけてみるも、やはり見つかりません。
『そんな記述ないけど』
AIに打ち込みます。
少しの間。そして、返答。
『失礼しました。私の誤りです』
『またハルシネーション?』
打ち込む。
すぐに返答。
『はい』
彼はなんだか、面白くなってきました。
『今日調子悪いな』
『申し訳ありません』
『後ろに女なんかいないよ』
『はい』
そこで、返答は終わりました。
カーソルだけ点滅しているのが、彼は妙に気になります。
『はい、って何』
『ご指摘のとおり、私はあなたの部屋を直接確認することができません。そのため、「女性がいない」と断定することもできません』
もっともな返答でした。
またもや望む答えを得た彼は、レポートの執筆に戻ります。
そして、午前二時を過ぎた頃。
彼は眠気覚ましにコーヒーを淹れ、席に戻ると、AIの画面に文章が表示されていました。
当然、質問した覚えはありません。
『後ろを見ないでください』
彼はぞくりと身震いしました。
入力欄を見るも、そこには当然、何もありません。
『何これ』
『申し訳ありません。誤った回答が生成されました』
『何に対する回答?』
『確認できません』
さすがに、少し気味が悪くなりました。
ですが、理由はいくらでも考えられます。
バグ、通信エラー、先の会話の文脈が妙な形で残った。
そう。そういうものなのです。
何故なら、生成AIは間違えるのですから。
レポートにだって、そう書いたばかりです。
彼は少し身体を伸ばし、気晴らしに何か別の事でもするかと、後ろを向こうとしました。
すると、どうしたことでしょうか。視界の端に、赤い影がチラついたのです。
彼は、さっと顔を正面に戻しました。そこに在るのは、無機質なパソコンの画面。
見間違い? 何を? だって、彼の部屋には、見間違えるような、赤いモノなどないのですから。
かち。と音がしました。そう、ちょうど、歯を噛み鳴らしたような、そんな音です。
かち。かち。かち。かち。
かちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかち。
その音は、絶え間なく、雨の様に部屋に響きました。彼はもう、気が気ではありません。
その音の雨の中、パソコンから通知音がしました。
『後ろを見ないでください』
『何g居rのか分かりmすか?』
藁にも縋る思いとはこの事でしょうか。彼は、パソコンに齧りついて、AIに返答を求めます。
『いいえ。私はカメラへアクセスできません』
『そnな返答は求mてない』
『申し訳ありません』
『後ろ何がいr』
『回答できません』
『いいkらkたえろ』
『推測による不安を与える可能性があるため、断定は避けます』
『じゃあkれはnんなんd』
『申し訳ありません。わかりません』
『たsけて』
『申し訳ありません。不可能です』
『いtい』
『申し訳ありません。理解出来ません』
はい?
ええ。はい。これで、このお話は終わりです。
彼がその後どうなったのかは、あなたの想像次第⋯⋯でしょうか。
ええ。そうですね。ですが、後味の良い怪談など、それこそ興醒めと言うものではないでしょうか。
そうですか。ええ、ええ。そういう考えも、ありだと思いますよ。やはり、お互い尊重し合ってこそ、ですからね。