十二月一日。
斉藤家の夕食時。リビングのあたたかな照明の下、アクアの目の前ではテンションが完全に振り切れたルビーが、興奮した様子で身乗り出してまくし立てていた。
「凄かった! 舞台のPV凄かったよミヤコさん! 観た!? ねえ観た!?」
「あら〜、そうなの〜。ルビー、凄かったのねぇ」
「ルビー、行儀。箸を持ったまま腕を振るな」
静かに嗜めるアクアの言葉を完全にスルーし、ルビーは目をキラキラと輝かせながらミヤコへ向けて怒濤の勢いで感想を語り続けている。出演者当人である双子の兄に語っても面白くないと思っているのか、あるいは単純に画面の衝撃を誰かと共有したくて溜まらないのだろう。アクアとしては、妹が養母であるミヤコに心から甘え、感情を爆発させている姿を見るのは決して悪い気分ではないため、特に追及することもなく放っておくことにした。
つい先程、舞台『東京ブレイド 天魔覆滅編』のティザームービーが公式ウェブサイト、公式X(旧Twitter)、そして各種動画配信プラットフォームにおいて全世界同時配信されたばかりだった。
さすがは単行本累計五千万部を誇る超人気コンテンツ『東京ブレイド』の公式展開というべきか、動画の公開直後からSNSのトレンドには関連ワードがズラリと並び、瞬く間に世界トレンド一位を獲得。世界中のアニメ・マンガファンコミュニティは、突如投下された極上の映像美と衝撃の展開に沸き立っていた。そして今、アクアの目の前にも、その熱波に当てられた一人の熱狂的なファンガールが存在していた。
「『鞘姫』ちょーキレイだったし~! 『つるぎ』もめっちゃかわいかったし~! 『ブレイド』なんて原作からそのまんま飛び出してきたみたいでマジでカッコよかったし~!!」
アクアは心の中で(おい、『刀鬼』はどうした『刀鬼』は)と小さくツッコミを入れたくなったが、グッとその言葉を飲み込んだ。妹に向かって「俺の演技はどうだった」と自分から自意識過剰に訊ねるほど、彼のプライドと羞恥心は崩壊していなかった。
もともとルビーは、代表曲『アイドル』を皮切りに、さまざまなアーティストへの楽曲提供だけでなくアニメの劇中歌も手掛け、若者世代から絶大な支持を集める天才コンポーザー『ソレイユ』の大ファンであった。アニメ版『東京ブレイド』のOP・EDテーマや劇場版のメインテーマをソレイユが担当した流れから原作本にもハマった、生粋のアニメ派である。ちなみに、アクアのかなが事前に予習していた原作の単行本全巻も、もとはといえばルビーが自腹で買い揃えた私物であった。
「あと、最後のあれ!! 何なのあれ!? ヤバすぎるんだけど!!」
興奮のあまり急激に語彙力を消失させていくルビーの様子を見ながら、アクアは先ほど全世界に向けて公開されたあのティザームービーの構成を脳内で反芻した。
重厚なストリングスの音色とともに、緻密に作り込まれた衣装を纏ったキャスト陣のビジュアルカットが次々と画面を彩る。美しく、力強い映像の連続。そして鞘姫、刀鬼、つるぎ、ブレイドの主要キャスト四人が揃い踏みした圧倒的な画力のバストアップカットの後に映し出される『渋谷抗争編』というタイトルテロップ。
だが、その直後――画面が突如としてノイズとともに激しく歪み、暗転する。
次の瞬間、画面を切り裂くようにして塗られた血のような鮮烈な赤文字によって、『改め――天魔覆滅編』とタイトルが禍々しく上書きされるのだ。
腹に響くような重低音の劇伴が鳴り響く中、深い紅の照明が焚かれたスモークの向こう側に、真っ白な髪と漆黒の衣装を身に纏った『波旬』の背中が浮かび上がる。
そして映像の最後、その男がゆっくりと振り返りざま、画面いっぱいにアップで映し出されるのは――妖しい光を放つ、縦長瞳孔の黄金の瞳。そこで動画はぶつりと唐突にカットアウトする。
当初発表されていた『渋谷抗争編』から、突如としての『天魔覆滅編』へのシフト変更という、ドラマチックかつインパクト絶大なプロモーション。
内部事情を知るアクアたちキャスト陣からしてみれば、これは原作者である鮫島アビ子と脚本家GOAとのすれ違い、そして大幅な改訂という劇場の泥沼劇が生み出した大惨事の産物に過ぎない。しかし、そこは百戦錬磨のやり手プロデューサーである雷田Pの手腕である。「これぞ最初から仕組まれていた超大型サプライズプロモーションです!」と言わんばかりに完璧なストーリー付けを行い、見事に怪我の功名を世界規模のバズへと昇華させてみせたのだ。
映像制作の現場を知るアクアの視点から見ても、五反田監督の元で映像編集や演出の基礎を叩き込まれた身として、あのムービーは観客の心理を極限まで煽る素晴らしい出来栄えだったと認めざるを得なかった。
事実、動画が公開された瞬間、自室にいたアクアの耳には、リビングの方からルビーの「なんじゃあこりゃああ〜!!?」という野太い悲鳴のような叫び声が壁を透過して聞こえてきたほどなのだから。
「最後のあれってどう考えても『波旬』でしょ!? 劇場版のオリキャラの!! ていうか『天魔覆滅編』って劇場版のサブタイトルそのまんまじゃん!! つまりそういうことでしょ!? 舞台にあの『波旬』が出るってことでしょ!!?」
「はいはい、そうなのね〜。はいルビー、冷めないうちに早くおご飯食べなさいね〜」
早口でマシンガンのように喋り倒すルビーを、ミヤコは熟練の手つきで笑顔のままあしらっていく。アクアはその横で黙々と箸を動かし、鰤の照り焼きの身を口へと運んだ。
「『波旬』はアニオリキャラだけど、ファン投票でも常に上位の超絶人気キャラだしなぁ!! アニメ版の低音ボイスのイケボも本当にスゴイんだから!! あーっ、一体誰が『波旬』を演じるんだろう!? 私の知ってる有名な役者さんかなぁ!!?」
「それは……」
「あっ、ダメッ! お兄ちゃんは黙ってて! 絶対言っちゃダメ! 私、劇場で観るまで自分で予想したいんだから!!」
「いや、仮にお前が訊いてきたとしても関係者としてのコンプライアンス違反になるから言わないが。……というかお前、こないだ稽古場に来てたんだろ。メルトから聞いたぞ」
アクアは、連日の過密な稽古で帰宅が遅い自分を心配したルビーが、陽東高校のクラスメイトである寿みなみを連れて稽古場の見学にやってきた件に触れた。
生憎、その時のアクアはハルトや姫川とともに別室の稽古室に篭もり切りで大殺陣の特訓をしており、完全にすれ違いになってしまっていたのだ。
「えっ? あ、うん、そうだよ。見学に行った時、鴨志田さんって役者の人とLINEの連絡先交換したよ」
「マジか。メルトの奴、そんなこと一言も言ってなかったぞ……。有馬から聞いたんだが、あの人業界内でも相当女遊びが激しくてタチが悪いらしいからな。軽々しく連絡取ったりするなよ」
「ええっ!? チャラい人だとは思ってたけどマジ!? ……うわ、あとですぐLINEブロックしとこ」
業界の裏事情に詳しいかなからの忠告を伝えると、ルビーは一瞬で引きつった顔になり、現実的な防衛反応を見せた。
「まあ、そんな男のことはどーでもよくて!」
しかし、気を取り直すのも一瞬だった。ルビーは再び身を乗り出す。
「今回、『ソレイユ』様が舞台のBGMも担当してるんでしょ!? ってことは、もしかして『波旬』を演じるのって……ハルトさんが……!? ……いやいやまさか、役者辞めてるハルトさんがいきなり復帰して『波旬』なんて、そんな神展開あるわけないかぁ! あー、ほんと誰なんだろう!? 気になって夜も眠れないよ~っ!」
(……正解だ)
偶然とはいえ、寸分違わず真相の核心を突き抜けてみせた妹の直感に対し、アクアは内心で静かな称賛を送った。普段は後先考えずに動くアホな妹だが、こういう直感的な局面においてだけは、時に恐ろしいほど物事の本質を鋭く言い当てるのがルビーという少女だった。
その後も、ご飯が冷めるのも構わずに一人で興奮冷めやらぬトークを繰り広げるルビーを放置し、アクアは黙々と夕食を平らげていった。
彼の脳内はすでに、食事の味すら感じなくなるほど、佳境に入りつつある舞台の構成と演技の設計で埋め尽くされていた。
(俺が『刀鬼』という少年の情念に感情移入できたことで、劇中のほとんどのシーンは問題なく演じられるようになった。……ハルトとあの深夜の稽古場で演じた、激しい殺陣の場面における『刀鬼』の圧倒的な無力感……あの感情も、アイの死のことではなく、演技力の不足から役者の道を半ば諦めたという俺自身の過去の挫折感を元にすれば、十分に成立させられる)
しかし――。
アクアの胸の奥底で、冷たい重圧がふっと持ち上がる。
(だが……どうしても、あの日の惨劇に直接触れなければならないシーンが一つだけ存在する。……舞台のクライマックス、『鞘姫』を『隷属』の呪縛から救い出す、あの場面だ)
『波旬』に完全に心を支配され、禍々しい漆黒のドレスを身に纏って妖刀『他化自在天』の〝影打〟を振るう『鞘姫』。
彼女を正気に戻し、呪縛から解放するため、『刀鬼』は止むなく、彼女の心を封じ込めている〝影打〟そのものを刀で砕く。それにより、結果として『鞘姫』を一度殺してしまうのだ。
その後、二人の間に存在する深き絆と親愛の情によって奇跡的に『鞘姫』は息を吹き返すことになるのだが――敬愛する大切な存在を自らの手で殺めてしまうという、激越な『刀鬼』の絶望と血を吐くような悲痛を表現するためには、アクアはどうしても、目の前でアイの命が消えていったトラウマを深く掘り返さざるを得ない。
脳裏をかすめる、激しい過呼吸と目眩、そして全身を苛むPTSDの過酷な記憶。
意識的に考えないよう蓋をしているが、あの深い闇を意図的に掘り起こせば、再び発作を起こして倒れ、稽古を完全にストップさせてしまうリスクがあった。ましてや本番で発症させたなどと、想像すらしたくない。
(……このシーンだけ、表面上のテクニックだけでなぞって誤魔化す、という手もないわけじゃない。……だが)
以前の自分であれば、迷わずその効率的な選択肢を選んでいただろう。
なぜなら、アクアにとって演技とはどこまでも「復讐のツール」であり「情報を探るための手段」に過ぎなかったからだ。それなりの演技をして、それなりの評価を得て、現場でのポジションを確保し、目的である『父親』への復讐へと繋げていけばそれで良かったはずなのだ。
にもかかわらず――現在のアクアの心は、命の危険すら伴うそのリスクを理解しながらも、一切の妥協を排し、全身全霊でそのシーンを演じ切りたいと強く激しく欲していた。
(ハルトが言っていたな……『あかねの仕上がり次第でどうにかできるかもしれない』、と)
食事を終え、食器を下げて「ごちそうさま」と告げると、アクアは自分の部屋へと続く階段を上りながら思考を続けた。
(俺は……この舞台『東京ブレイド』を、成功させたいんだ。……復讐のことだとか、芸能界でのし上がることだとか、そんなのは今はどうでもいい。あいつと……ハルトと、姫川さんや有馬、あかね、メルト――みんなで創り上げたこの『作品』を、完璧な形で完成させたい。……俺が、そう思えるようになったのは……)
廊下の静けさの中、稽古場でハルトから掛けられた言葉が、あたたかな熱を持ってアクアの脳裏に鮮やかに蘇ってくる。
『お前に演技の才能がない? 馬鹿言うなよ、お前がないんだったら世の中の役者の大半がナシ判定だろ』
『上を見過ぎだ。お前の基準は星野アイとか有馬とかになるんだろうが……それに比べたって十分だろ、主役向きじゃないってだけで。何せ、俺と姫川さんについてこれるんだからな』
『泥臭く努力もせず、適性を模索することもなく早々に自分に見切りをつけちまったのが悪い。
『……アクア、お前は〝復讐〟って言葉を重く受け止め過ぎなんだよ』
『
『目の前でおふくろさんを死なせてしまったお前の深い自責の念が、〝復讐〟って言葉の負のイメージを増幅させて、お前自身の心を傷つけてる。自分なんかが幸せになっちゃいけないんだってな』
『お前だって幸せに生きていいんだ。人生を楽しんだっていい。誰かを好きになったっていいんだよ』
『もし……それでも自分が許せなくて苦しいなら、こう考えてみろ。
『お前と周りが破滅しない方法でなら、俺はなんだって協力してやる。お前の背負ってる重荷は、俺が一緒に背負ってやるよ』
『友達だろ? 俺たちはさ』
部屋のドアノブに手をかけたアクアは、そこで足を止めた。
「……友達、か」
口の中で小さく呟いてみる。
かつて自分には縁がないと思っていたその響きが、不思議なほどにしっくりと胸に馴染んだ。言葉にしようとすると説明のつかない、けれど決して不快ではない、温かな感情が胸の奥で穏やかに波打っていた。
「……本当、お節介な奴だ」
アクアの口元に、自然と小さな苦笑が浮かぶ。
現在、アクアはハルト、そして姫川の二人とともに、舞台のクライマックスを飾る大トリの殺陣シーンの猛稽古を重ねていた。
姫川とハルトの二人が発案し、原作者のアビ子と脚本家のGOA、演出の金田一の承認を得て大幅に変更された、『ブレイド』と『刀鬼』のライバルタッグによる『波旬』討滅戦。
脚本の原案に残されたわずかなセリフのやり取り以外、殺陣の構成も、間合いの取り方も、視線の交わし合いも、金田一のアドバイスを受けつつ基本的には三人だけでゼロから組み上げた完全なオリジナル演出だった。
同世代において間違いなくトップの領域に君臨する二人の天才役者が放つ、皮膚が灼けるような情熱と芝居への圧倒的な熱量。それに突き動かされ、アクアもまた、柄にもなく子供のように芝居へと没頭していたのだった。かつて五反田監督の元で血の滲むような思いをして学んだ映像編集や演出の知識が、舞台上での効果的な「魅せ方」として役立ち、二人から称賛された時の高揚感は、今でも手に残っていた。
姫川からは「俺一人じゃ『日野ハルト』には勝てないから、お前を巻き込んだんだ」と言われ、ハルトからは「このまま負けっぱなしじゃ、お前の中の『刀鬼』だって納得しねーだろ」と言われ、その場では納得してみせたアクアだったが――ハルトの内に秘められた真の意図を、アクアは正確に読み取っていた。
ハルトは『波旬』という絶対的な悪役を演じることを通して、アクアに対し、役柄の上で〝父親〟という存在をその手で討ち果たす機会を与えようとしてくれているのだ。
ハルトが舞台の上で、意図的に〝父親〟の影を撒き散らしながら演じているのをアクアは理解していた。そして確かに、アクア自身の中に棲む『刀鬼』は、あの圧倒的な悪である『波旬』に負けたまま物語を終えることなど、口が裂けても納得できるはずがなかったのだ。
公演本番まで、すでに一ヶ月を切っている。
明日からは、いよいよ実際の舞台装置や照明、音響を組み込んだ本格的な集中稽古のフェーズへと突入する。プロデューサーの雷田、演出の金田一、脚本のGOA、そして原作者の鮫島アビ子が一堂に介するその場で、三人で極秘裏に作り上げたこのクライマックスの殺陣を披露することになっていた。
「やってやるさ……」
自室の闇の中、アクアは静かに、しかし揺るぎない決意を込めて拳を強く握りしめた。
用語集や人物紹介の類いがほしい?参考までに
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いる
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あれば嬉しい
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いらない