翌日、爽やかな朝の光が首都高速を走り抜ける車のウィンドウを優しく叩いていた。
二日間の完全休養を経て、見違えるように顔色の良くなった日野ハルトは、隣に寄り添う黒川あかねを伴い、朝早くから『東京ブレイド』の稽古場へと足を踏み入れた。体調不良で周りに心配をかけた自覚があるハルトは、稽古着に着替えるよりも真っ先に演出家の金田一のもとへと向かう。
「金田一監督、この度は大変ご迷惑をおかけしました! すっかり元気になりましたので、本日の稽古からまたよろしくお願いします!」
深々と頭を下げるハルトの姿に、金田一は煙草の煙を燻らせながら、どこか安心したようにフッと破顔した。
「おう、顔色は悪くないな。……だが無理は禁物だぞ、日野。お前に倒れられたらこの舞台の屋台骨が折れる。自分の体も演出の一部だと思って管理しろ」
「はい、肝に銘じます!」
金田一への挨拶を終えたハルトは、稽古着へと着替え、静かな稽古場の中央でストレッチを始めた。隣ではあかねが柔軟運動を手伝い、ハルトの背中を優しく押し込んでいる。
やがて時間が経つにつれ、キャストやスタッフたちがパラパラと現場に入り始め、稽古場が少しずつ賑やかさを帯びていく。しかし、ストレッチをしながら周囲の様子を観察していたハルトは、ふと違和感を覚えて動きを止めた。
「……? なんか現場の雰囲気、違わないか?」
昨日のどこか冷え冷えとして浮足立っていた空気は跡形もなく消え去っていた。キャスト陣の立ち姿には一本芯が通り、スタッフたちの動きもどこか機敏で誇らしげだ。ハルトは眉をひそめ、背中に乗っているあかねへと顔を向けた。
「ふふっ、そうかもね」
あかねは楠色の髪を揺らし、何か全てを知っているかのような悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「あかね、お前なんか知ってるな?」
「さぁ、何のことかな?」
目敏く変化を感じ取ったハルトが問い詰めるも、あかねはのらりくらりと下手な誤魔化しでかわしていく。ハルトが首を傾げていると、タイミングを見計らったかのように、稽古場の入口からアクアと有馬かなが連れ添って入ってきた。
ハルトは二人の姿を認めると、病み上がり特有の軽快な調子でニヤニヤと茶化そうと近づいていった。
「よお、二人そろって登校か? 仲が良いこ……」
「お前、あんまり皆を心配させんなよ」
ハルトの冗談を遮り、アクアがまっすぐな真剣な眼差しでハルトの眼光を射抜いた。その声音には、普段の冷静さの裏にある本心の安堵と、かすかな怒りが混ざっていた。
不意を突かれたハルトが言葉に詰まると、さらにその横から有馬かなが両手で腰を叩き、マウントを取るように詰め寄ってきた。
「そうよ! アンタが崩れたら、私たち全体に迷惑がかかるでしょうが! プロなら自分の体調管理くらいしっかりやりなさい! き・ほ・ん、基本よ!」
人差し指をハルトの鼻先に突きつけ、ドヤ顔で言い放つかな。
普段、何かとメンタルやプレッシャーが原因でパフォーマンスを激しく乱しがちな彼女が、どの口でそれを言うのか――。
((……どの口が言ってんだ、こいつ))
ハルトとアクアの視線が空間で交差し、完全に同じツッコミを心の中で炸裂させた。二人の無言の呆れ顔を気にも留めず、かなはフンと鼻を鳴らして自分の荷物を置きに向かっていく。
しかし、ハルトはかなの背中を見送りながら、改めてキャスト陣全体の空気を肌で感じ取り、感嘆の息を漏らした。
明らかに役者たちのモチベーションが次元を一つ上げている。違いは一目瞭然――“眼”だ。
ハルトを見る視線、台本に落とされる目線、互いに言葉を交わす際の眼差し。そのすべてに、迷いを振り払った圧倒的な熱量と、静かな闘志が宿っていた。
(へえ……俺がいない間に、誰かが火をつけたか)
ハルトは満足そうに口元を緩め、山吹色の瞳をギラリと光らせた。
☆ ★ ☆
午前中の舞台上での場当たり稽古。
金田一の指示のもと、この日はハルトが離脱していた二日間に進められなかった『波旬』の登場シーンが重点的に詰められることとなった。
巨大なLEDビジョンに禍々しい闇のグラフィックが投射され、重低音の劇伴が稽古場を揺らす。
物語序盤の山場、『新宿クラスタ』への襲撃シーン。ハルト演じる邪悪な絶対者『波旬』と、彼に身も心も支配されたあかね演じる『鞘姫』が、姫川の『ブレイド』とかなの『つるぎ』を相手に壮絶な剣戟を繰り広げる。
今回の稽古は演出効果や殺陣のタイミングを合わせるための場当たりだが、舞台上に立つ役者たちの気迫は本番さながらだった。
シャキン、と木刀が交差し、乾いた音が空間に響き渡る。
あかねの動きには迷いがなかった。完全なる『反射と思考』の演技法を体得した彼女は、ハルトへの個人的な深い愛情や執着を完璧に演技の裏へと隠し、ただ過酷な運命に翻弄され、波旬に支配された儚くも苛烈な『鞘姫』としての芝居を全うしていた。
自分の演技の軸を完全に固めた今のあかねだからこそ、刃を交える目の前の存在――有馬かな演じる『つるぎ』に対して、一つの強烈な違和感と歯がゆさを抱かざるを得なかった。
(……かなちゃん、やっぱり弾けてない)
優雅かつ鋭利な軌道で木刀を振り下ろし、かなの攻撃を受け止めながら、あかねは心の中で叫ぶ。
(『有馬かな』はもっともっと輝いているはずなのに。輝けるはずだし、輝いていいはずなのに……!)
あかねの優れた洞察力で見立てるならば、現在のかなが展開している演技法は『マイズナー・テクニック』に分類されるものだ。相手の言葉や動きから受ける今ここでのリアルな空気に集中し、徹底的にリアクションに徹する洗練された技術。
だが、これはかなが意図的に選択した表現手法というよりは、子役時代に大人たちの顔色を窺い、現場の調和を保つために身体に染み付いてしまった〝悪癖〟に近いものだった。助演として周りを立て、作品の穴を埋めるための演技。
しかし、あかねがかつて幼少期に憧れ、圧倒され、人生を変えられたあの太陽のように眩しい『有馬かな』の芝居は、そんな慎ましやかなものではなかった。
スランプに陥っていた時期、あかねが惨めなほど痛感させられたかなの圧倒的な表現力と舞台上の華。それらは、有馬かなが本来の自我を全開にし、己のエゴを爆発させてこそ発揮されるものなのだ。
(『つるぎ』はただの引き立て役じゃない……! 私の『鞘姫』がこの舞台のもう一つのヒロインなら、『つるぎ』は原作の正ヒロイン。共に『波旬』の圧倒的な力と悪堕ちという絶望に立ち向かう、表裏一体の存在なんだよ)
あかねは木刀を滑らせ、かなの身構えを大きく崩す。
(もっとヒロインとして……役者としてのワガママを出していいのに! あの時、ハルトくんたちの壮絶な演技に触発された私たちは、確かにあの瞬間『鞘姫』と『つるぎ』として舞台の上で生きていた。……かなちゃん、どうしてあの演技を自分から再現しようとしないの……?)
舞うような美しさで殺陣をこなすあかね。対するかなの演技も、昨日の姫川の言葉による刺激を受けて十分にキレがあり、乗っている。だが、それはあかねが求める自分を脅かすほどの『有馬かな』ではない。
本番の観客の前なら、輝くようなもっとすごい演技ができる? 本当に? そんな保証がどこにあるというのか。
少なくとも今の受動的なスタンスの有馬かなでは、自分やハルト、姫川たちが作り出す熱量の渦に飲み込まれて消えてしまう。
(……私が、かなちゃんの敵愾心を強烈に煽って……〝悪役〟として踏み台になってあげれば? 私に食らいつくために、昔みたいにエゴを剥き出しにしてくれる……?)
一瞬、あかねの頭の中に暗い思考が過る。木刀を力任せに払い除け、かなの視界を揺さぶる。
だが、あかねはすぐさま自らのその独善的な考えを振り払った。
(ダメ……! そんなの『鞘姫』のキャラクター性を壊しちゃうし、なにより『つるぎ』に求められている物語上の役割とも違う。『鞘姫』は救われる存在で、『つるぎ』は救う側の光なんだから。でも……一体どうすれば……!)
演出のタイミングが重なり、『ブレイド』と『波旬』の熾烈な打ち合いが幕を閉じる。
退く『つるぎ』を横目に、あかね演じる『鞘姫』は、悠々と立ち去ろうとするハルト演じる『波旬』の背中にすがりつくようにして、その胸の中に身を預けた。
ハルトの力強い腕があかねの腰を抱き寄せる。あかねはそっと瞼を閉じ、ハルトの体温を感じながら、役柄の悲痛な運命に寄り添うようにして一筋の涙を頬に伝わせた。
☆ ★ ☆
昼食を知らせるブザーが鳴り、稽古場は一時解散となった。
キャストたちがそれぞれ仕出し弁当を受け取り、思い思いの場所で休憩を取る中、あかねは舞台袖のパイプ椅子に腰掛け、膝の上に台本を広げていた。
そこへ、鳴りもしない肩を大げさにグルグルと回しながら、疲労困憊といった様子でハルトが近づいてくる。
「ふぃ〜……! さすがに病み上がりの初日からこの密度は堪えるぜ……」
「お疲れ様、ハルトくん」
あかねは愛おしそうに微笑むと、足元に置いてあった大きめのボストンバッグから、重箱に入った手作りの豪華なお弁当と、冷えたレモン水が入ったクリアボトルを取り出した。
「はい、水分補給して」
「助かる!」
ハルトはボトルを受け取ると、ストローに口をつけ、ゴクゴクと勢いよく喉を鳴らした。ボトルの中身が半分ほど減ったところで、ハルトがあかねにボトルを差し出す。
「あかねも飲むか?」
「うん」
自然な動作でボトルを受け取ったあかねは、ハルトが咥えていたストローにそのまま口をつけ、クピクピと控えめに喉を潤した。ハルトは一切気にすることなく、重箱の蓋を開ける。
中には、彩り鮮やかな玉子焼き、甘辛く煮絡められた肉巻き、タコさんウインナー、そしてバランスの取れた野菜炒めがぎっしりと詰まっていた。
「うお、美味そう! いただきまーす」
ハルトは箸を伸ばし、あかねの手料理を実に幸せそうに口へと運んでいく。激しい稽古でカロリーを消費した体に、あかねの愛情がこもった優しい味が染み渡っていくようだった。あかねはそんなハルトの食べっぷりをニコニコと満足そうに見つめながら、自分も動きの邪魔にならない程度に控えめに箸を進めた。
食事が一段落し、ハルトが満足そうにお腹を叩いたタイミングで、あかねが意を決したように静かに切り出した。
「あのね、ハルトくん。ちょっと相談したいことがあるんだけど……」
「ん? 何だ? 演技のことか?」
「うん……」
あかねの真剣な雰囲気を察し、ハルトは即座に居住まいを正した。山吹色の瞳が、あかねの言葉を待つようにじっと注がれる。
「かなちゃん……有馬さんのことなんだけど」
「有馬の演技? 俺の目から見れば、今日のあいつはかなり気合が入ってて乗ってるように見えたけどな」
ハルトが視線をチラリと巡らせると、あかねもそれに釣られて目を向けた。
視線の先では、アクアの隣にちゃっかり陣取ったかなが、仕出し弁当のハンバーグを嬉しそうに突きながら、ご機嫌な様子でアクアに話しかけていた。
「そうなんだけど……そうじゃないっていうか……」
「うーん……つまりあかねは、今の有馬の演技に全然満足してなくて、もっとあいつの演技の
「そう! まさにそうなの!」
自分のうまく言語化できないモヤモヤとした焦燥感を、見事に汲み取って整理してくれたハルトに、あかねはパッと目を輝かせた。
「なるほどねぇ……」
ハルトは腕を組み、うーんと唸りながら長考に入った。そして、膝を折ってパイプ椅子に座るあかねの顔をじっと見つめると、意地悪そうに目を細めた。
「とりあえずさ、あいつと直接話してみたらどうだ?」
「えっ!?」
「だって演技プランのすり合わせだろ? 当事者同士でディスカッションして詰めるのが一番手っ取り早いじゃん。あかねの意図から言えば、中盤の山場である『鞘姫』と『つるぎ』の直接対決シーンが一番いいだろ。あそこは『つるぎ』にとって最大の魅せ場だしな」
「で、でもぉ……」
途端にあかねは両手の指先を突き合わせ、モジモジと躊躇し始めた。ハルトは机に肘をつき、手で頬杖をつきながら深いため息をついた。
「はぁ……お前、有馬のことになると本当に途端にへっぽこになるのな。……ちょっと妬けるわ」
「へぇっ!?」
ハルトの瞳にドロリとした濃密な甘い嫉妬の光が宿る。ハルトはそのまま身を乗り出すと、あかねの唇に細い指先をそっと添えた。そして、吐息がかかるほどの距離まで顔を近づけ、低い声で耳元に囁いた。
「お前の『特別』は、俺だけでいいのに……」
「ふぇぇっ!? ハ、ハルトくん……っ!?」
あかねの顔が一瞬で真っ赤に沸騰する。ハルトはそんなあかねの反応を心底楽しむように、ニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべて身を引いた。
「……なんてな」
「むーっ! ハルトくんたら、からかわないでよー!」
弄ばれたあかねはぷくーっと頬を膨らませて抗議する。ハルトは「悪い悪い」と笑いながら、真面目な顔に戻った。
「まあ冗談は置いといて、まずはあいつとしっかり話せ。話はそれからだ」
「うん……」
「あと、くれぐれも言っておくけど、本番の舞台の上で突発的なアドリブを仕掛けて強引に引き出そうとか考えるなよ? たとえそれで一時的に上手くいったとしても、そんなの独り善がりで身勝手なやり方だ。下手をすれば有馬を深く傷つけることになる」
ハルトの釘を刺すような鋭い言葉に、あかねは視線を落とし、小さく頷いた。
「……うん、それは分かってるの。私が、かなちゃんに自分の理想の『有馬かな』を勝手に押し付けてるってことも。でも、かなちゃんと正面から向かい合うと、どうしてもいろんな感情が渦巻いて、自分でもうまくコントロールできなくなっちゃって……」
「やっぱりタイマンで話すのはハードルが高いか。……そうだな、皆にも心配かけたことだし、ちょうどいいや」
ポン、とハルトが手を叩いた。
「よし! 有馬とアクア、ついでにメルトと姫川さんも誘って、今夜みんなで焼肉にでも行こうぜ。美味い肉食いながらなら腹割って話しやすいだろ。そこで切り出せ、な?」
「う、うう……が、がんばってみる……」
あかねが気圧されながらも頷くのを見て、ハルトは表面上は爽やかな笑顔を保ちつつ、(まあ、頼りないのは変わらんか……あとでアクアにも裏で根回ししとくか)と心の中で苦笑するのだった。
☆ ★ ☆
その日の稽古終わり、都内にある隠れ家風の高級焼肉店。
芳ばしい肉の焦げる香りとタレの甘い匂いが充満する座敷の個室にて、あかね、ハルト、アクア、かな、メルト、姫川の六人が賑やかに大きなテーブルを囲んでいた。
網の上では、発起人であるハルトと、かいがいしいあかねの手によって、上質なカルビやタン、色とりどりの野菜が次々と手際よく焼かれていく。
「ん〜〜〜っ!! おいひぃ〜〜〜っ!!」
案の定、かなは遠慮という言葉をどこかに置き忘れたかのように、怒涛の勢いで肉を口へと放り込んでいた。
「お前、本当に肉好きだよな……」
隣で呆れたように呟くアクアに、かなはもぐもぐと頬を膨らませながら間髪入れずに返答した。
「大好きよ! 文句ある!?」
「少しは奢り手に遠慮しろよ……」
「ハルトの奢りなんだからいいじゃない! 文句なら財布に言いなさい!」
「おう! 食え食え、欠食児!」
「誰が欠食児よ! 失礼ね!!」
ハルトの煽りに、かながキーキーと叫びながらまた肉をタレに潜らせる。
かなだけでなく、他のメンバーも連日の過酷な稽古で疲弊した体を癒すように、次々と肉や白米を平らげていく。ハイティーンの旺盛な食欲は留まることを知らず、網の上は常にフル稼働状態だった。
「なあハルト、やっぱ個人配信者って相当儲かるのか?」
メルトがカルビを突きながら、男として興味津々といった様子で下世話な質問を投げかけた。
「いや、配信の広告収入自体は最近は落ち着いてるよ。主な収入源は企業案件とかオリジナルグッズ、あとは俺の場合、楽曲の印税だな」
「あー……そっか、ハルトってあのメガヒット連発してる『ソレイユ』の中の人だもんな。そりゃ金持ってるわ……」
「つっても、事務所の人間も食わせないといけないからなぁ。金持ってるったってたかが知れてるぜ?」
「いやいや! むしろ個人で事務所持ってるってある意味夢みたいなもんじゃん? 一国一城の主って感じで」
メルトが羨望の眼差しを向ける中、姫川が静かにグラスを傾けた。
「奢ってもらって悪いな、日野」
「いえいえ、姫川さんにも稽古場をまとめてもらって迷惑かけちゃいましたから。お礼です」
「気にするな。俺にとっても、自分という役者を見つめ直すいい機会になったからな」
「……? まあ、お役に立ったなら良かったですけど」
ハルトが首を傾げつつ笑うなど、個室の中は終始和気藹々とした温かい雰囲気に包まれていた。
しかし、あかねだけは肉を裏返しつつも、ちらちらと何度も向かいに座るかなの様子を伺っていた。いつ話を切り出すべきか、タイミングを完全に計りあぐねているのは誰の目から見ても明白だった。
見かねたハルトは小さく溜め息をつくと、あかねの手からトングを優しく取り上げた。
「あかね、肉焼きは俺がやるから、お前もちゃんと食べな」
「う、うん……」
そしてハルトは、テーブルの下で自分の足をあかねの足にトンと軽くぶつけ、「行け」と目線で促した。
あかねはハルトの顔を一度見つめ、深く意を決して息を吸い込むと、ついに口を開いた。
「あの……有馬さん」
「何よ?」
サンチュに肉を巻こうとしていたかなが手を止める。
「演技のことで、話があるの」
「……ふぅん?」
あかねの真剣な表情にタダ事ではない気配を感じ取ったのか、かなは手にしていた食器をそっとテーブルの上に置いた。
「有馬さん……自分を抑えて演技してない?」
「……は? そんなことないわよ。何、私が稽古で手を抜いてるとでも言いたいの?」
一瞬でかなの雰囲気がトゲトゲしいものへと変化する。あかねは首を振った。
「そうじゃないの! 手を抜いてるんじゃなくて……『有馬かな』なら、もっともっと輝けるはずだって思って……!」
「アンタに私の何が分かるっていうのよ!?」
かながバンとテーブルを叩いて立ち上がり、感情を露わにして声を荒げる。
完全に売り言葉に買い言葉の衝突モードに入りかけた二人の様子に、ハルトは「あちゃー……」と額を押さえて頭を抱え、すかさず隣のアアクアへと目配せを送った。
アクアは静かに頷くと、お冷のグラスを置いて静かに口を開いた。
「俺も、黒川の見立てに賛成だ」
「えっ……!?」
一番気にしている男の子からの突然の横槍に、ヒートアップしていたかなは冷や水を浴びせられたように一気に固まり、ストンとその場に座り直した。
「有馬のポテンシャルは、あんなもんじゃないだろ。もっと輝けるはずだっていうのは、俺も同感だ。……少なくても、JIFのステージの上にいたお前は、誰よりも輝いてた」
「あっ……」
アクアからまっすぐな賞賛を贈られ、かなの瞳が揺れ、みるみるうちに頬が真っ赤に染まっていく。
「そ、それは……ライブと舞台じゃ、勝手が違うっていうか……っ」
「観客の心を〝魅せる〟って意味じゃ同じだろ。それとも何か、お前はもう役者としての高みを目指すのを諦めたのか? ……アイドルの道に引きずり込んだ俺が言えた義理じゃないがな」
「違う!! 違うわよ!! 諦めたつもりなんて、一回だってないわよ!!」
「じゃあ、あかねの話を最後まで聞いてやれ。……な?」
アクアの完璧な論理と正論によって逃げ道を完全に塞がれ、かなは小さく「うぐ……」と唸って頷くしかなかった。
アクアはハルトに(これでいいか)と視線で告げ、ハルトは(サンキュー、完璧だ)と苦笑しながらあかねの背中を優しく叩いた。
あかねはゴクリと唾を飲み込み、かなの目を見据えて言葉を紡ぐ。
「えっと……その、中盤での『鞘姫』と『つるぎ』の対決シーン。今の有馬さんの演技のままだと、私や他のキャストが出す熱量に負けちゃうんじゃないかって心配なの」
「……っ! それは……それは、自分でもちょっとは思ってたわよ! あそこは『
かなは自分の膝をぎゅっと抱え込むようにして、視線を落とした。
「でも……どうすればいいのか、自分でもずっと迷ってて……」
沈黙が流れる中、姫川が肉を噛み締めながら静かに助け船を出した。
「有馬の思う『つるぎ』のままでぶつかればいいと、俺は思うがな」
「うーん、俺には難しいことはよく分かんねぇけど、有馬は今でも十分すげー演技してると思うけどなぁ」
メルトも素直な感想を述べる。ハルトとアクアはあえて口を出さず、二人のやり取りを静かに見守っていた。
あかねは身を乗り出し、核心に触れる問いを投げかけた。
「有馬さんは……役者として、もう一度世間に再評価されたいんだよね?」
「……そうよ」
「なら、周りに合わせた無難な演技じゃ絶対にダメ。観客席にいる全ての人を惹きつけるような、圧倒的にキラキラした演技じゃなきゃ、『有馬かな』の本当の評価は覆らない!」
「……っ! そんなことしたら……アンタのこと食い殺して、アンタが負けるかもしれないのよ!?」
かなが強い視線であかねを射抜く。だが、あかねは怯むことなく、柔らかく、しかし強固な意志を込めて微笑んだ。
「勝ち負けじゃないよ。……ううん、負けるのはすっごく悔しいけど。でも私、ハルトくんに教えてもらったの」
あかねはハルトの方を一度温かい目で見つめ、再びかなへと視線を戻した。
「互いに高め合うこと、理解し合うこと。独り善がりの演技じゃなく、目の前の相手をリスペクトして、力を合わせてより良いものを創り上げていく……。それが巡り巡って、自分自身を高めることにつながるんだって」
「……あかね、アンタ……」
「だから、かなちゃん……我慢しなくていいんだよ。私も絶対に負けないから。かなちゃんの光に負けないくらい、私もしっかり輝いてみせるから!」
ジュー……ッ。
感動的な沈黙の中、網の上で肉の脂が炭に落ち、間抜けた旨そうな音が響き渡った。
その絶妙すぎる音のタイミングに、かなはフッと緊張の糸が切れ、耐えかねたように吹き出した。
「……ッ、プッ……ハハッ! ちょっとアンタ、エモいセリフ言うシチュエーションじゃないでしょ、ここ! 焼肉屋よ!?」
「っ〜〜〜!? も、もうっ! 人がせっかく真面目に言ってるのに〜〜っ!」
かなのツッコミにあかねが顔を真っ赤にして地擦りを踏み、男性陣からも一斉に爆笑が巻き起こった。個室を包んでいた張り詰めた空気が、一気に温かい和やかさへと変わっていく。
かなは可笑しそうに涙を拭うと、ニヤリと不敵で、かつて子役時代に見せていたような生意気で魅力的な笑みを浮かべた。
「……まあ、いいわ。アンタがそこまで言うなら、やってやろうじゃないの! 本番で私に置いていかれても、絶対に泣き言言わないでよね、あかね!」
「うんっ!!」
あかねは弾けるような笑顔で強く頷いた。
憧れの人でありライバルである有馬かなの瞳に、ついに本物の〝光”〟が戻ったことを確信しながら。
そろそろ書き溜めが切れる頃合いです。3章完結後の連載形式はどうしたらいいですか?
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書き溜めてから連載再開
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週一回の更新で連載を維持