十二月十六日、土曜日。
時刻は朝の八時を回った頃。黒川家で一晩を過ごしたあかねとハルトは気怠い朝を迎えていた。
窓を開けて空気を入れ替え、寝具の処理などをしてから入浴(何故かすでにお湯が沸いていた)する。それから、母の用意してくれた朝食を両親の生暖かい視線に晒されながら、半ば掻き込むようにして食事を済ませた。
「うう……恥ずかしいよぉ……」
「ま、そりゃあバレバレだわな」
恥ずかしさに消え入りそうなあかねと、ケロッとした様子のハルトは再びあかねの自室へと戻ってきた。
気を取り直したあかねは、棚にしまってあるソフトケースから『劇団ララライ設立十年目記念パーティ』のDVDを取り出す。
「それが例のDVDか」
「うん、ちょっと待っててね」
「ああ」
デスクチェアに座ったあかねは、立ち上がったデスクトップPCのディスクドライブにDVDを挿入し、マウスを操作して映像を再生する。ハルトはあかねの背後から、モニターを覗き込むような格好で傍らに立った。
「……」
ハルトは、じっと画面に食い入るようにして映像――そこに映る金髪の少年を見ていた。極めて整った、甘いマスクを持つ少年だ。
あの星野アイと同等か、それ以上に視線を惹きつける印象的な瞳、あかねをして天才と言わざるを得ないほどの表現力と華――まるでハルトのようだと、黒川あかねの明晰で合理的な知性が客観的な視点で分析し、同時に一人の男を心から愛する女の部分が、感情から卑劣な殺人教唆の容疑者と大切な人を同一視することを強く拒む。
ふとあかねが見上げると、山吹色の瞳にこれまで見たことのないほど強烈な、昏い感情が迸るのを見た。徐々に眉間に皺がより、目尻が吊り上がる。
「……ッチ」吐き捨てるような舌打ち。歯を食いしばるような鈍い音。ハルトが今度こそ、明確な不快感と嫌悪を露わにした。常日頃から朗らかな彼には似つかわしくない憎悪に満ちた表情。あかねは部屋の空気が重くなったように感じた。
「ハルトくん……?」
あかねが不安げに見上げる。
「! どうした、あかね」
「ハルトくん、今怖い顔してる」
ハルトは自分の顔を手で撫で回し、「そうかぁ?」と惚けた感想を述べる。あかねは普段の様子に戻った恋人に、そっと安堵のため息をこぼした。
「あかねの見立てはドンピシャだ。俺もコイツ――『カミキヒカル』がアクアとルビーちゃんの父親で間違いないと思うぞ」
停止した画面に映る『カミキヒカル』から視線を外し、ハルトはあかねを見る。
「アイが惹かれてもおかしくない抜群のカリスマ性と演技力。星野兄妹の、特にアクアに似た面影――」
一旦言葉を切り、ハルトがニヤリとする。
「そして何よりツラがいい、俺ほどじゃあないが」
「うん、それはそう」
ハルトのナルシスト発言にあかねは全面的に同意した。なぜならあかねも「ハルトくんの方が、ずっとずっとかっこいい」と本気で思っているからだ。今のあかねはハルトに日々散々に愛されたため、優男系のイケメンよりも頼りがいのあるハンサムがタイプなのである。
「さて、とりあえずコイツの映像をスマホにでも落としとくかね。あかね、代わってくれるか」
「うん」
デスクチェアからあかねが降り、ハルトが代わりに座ろうとしたその時、ハルトのスマートフォンが『アイドル』のインスト曲を流し始める。
「着信……アクアか?」
ハルトは訝しげながら、通話を開始した。
少し時を巻き戻す。
『苺プロダクション』の社屋を兼ねる斎藤家、アクアに与えられた部屋。ドアに鍵をかけ、アクアは一枚の封筒を手にしたまま立ち尽くしていた。
内容は、稽古の合間にコツコツと劇場ララライの関係者から採取していたDNAサンプルの検査結果。昨日の内に届いていたらしいそれを今朝ポストから発見し、ルビーやミヤコの手に渡らぬように直ぐ様取って返してきた。
その後、動揺を押し隠して食べた朝食の味は覚えていない。
(正直なところ、忘れていた。……いや、俺は忘れていたかったのか)
母、アイが死んだあの日から始まった人生のすべてをかけた復讐の日々、最近のアクアはそれを忘れかけていた。ここ一ヶ月の芝居のことだけに没頭し、仲間と切磋琢磨する充実した毎日によって。意図して考えないようにしていたとも言える。
ひとときの平穏と、心地よい情熱の日々から、薄暗い現実に無理矢理引き戻されたかのように感じられた。
(……いや、待て。まだ一致する人間がいたとは限らない。先走るな)
そう自分に言い聞かせて、アクアは震える手で封筒を開く。封筒には、十数枚の報告書が入っていた。
それを一枚ずつ確認していく。結果が空振りに終わる度に、アクアは自分が落胆と安心を覚えるのを自覚していた。
そして、アクアの瞳がそれを捉えた。捉えてしまった。
「これ、は……!」
一枚の検査結果に記された内容に、アクアは絶句した。
しばし呆然とした後、アクアはスマートフォンを手に取る。連絡先アプリを開き、電話を掛けようとして手が止まる。その時、アクアの脳裏に以前ハルトにかけられた言葉が蘇っていた。
『お前と周りが破滅しない方法でなら、俺はなんだって協力してやる。お前の背負ってる重荷は、俺が一緒に背負ってやるよ』
『友達だろ? 俺たちはさ』
「ハルト……そうだ、アイツらに意見を聞こう。まずはそれからだ……」
アクアは一先ず、この件を友人達に相談することに決めた。
自分だけで抱え込まず、突っ走らず、コミュニケーションを拒絶せず、事情を知る誰かに相談すること――それは歪な構造をした彼の精神が、母を失った日から時を止めていた心が成長を始めていた証しだった。
☆ ★ ☆
通話口から聞こえるアクアの抑え込んだ声は、どこか切羽詰まっているようでありながら、どこか救いを求めるような微かな揺れを孕んでいた。ハルトは電話を切り、あかねと視線を交わす。二人の間に言葉は必要なかった。
「……あかね、準備しよう。アクアが劇場近くのテラスで会いたいそうだ」
「うん。アクアくん、DNA検査だなんて……そこまで思い詰めて……」
あかねは固く唇を結び、深く頷いた。二人はすぐにあかねの実家を後にし、初冬の冷たい空気が満ちる街へと飛び出した。
十二月半ばの午前中。冬の陽光はどこまでも澄み渡り、雲ひとつない青空から降り注ぐ光が都心の街並みを白く眩しく照らし出していた。冬特有の突き抜けるような高い空と、肌を刺す冷たい風。東京の狂騒から少し離れた劇場近くの屋外テラスガーデンは、開演前の静寂に包まれていた。ウッドデッキで出来たテラスの周囲には観葉植物が配置され、冬の光を受けて葉がキラキラと光を跳ね返している。
その光の真っ只中、日当たりの良いテーブル席に星野アクアは座っていた。
ハルトがあかねを伴ってテラスに姿を現した時、アクアの指先がかすかに震えているのをハルトの鋭い視線は見逃さなかった。アクアの目の前には、白地に印刷された何枚かの書類――私的DNA型鑑定書が、テーブルの木目を覆うように置かれている。
「待たせたな、アクア」
ハルトが声をかけると、アクアは弾かれたように顔を上げた。その顔色は蒼白で、目の下には深いクマが刻まれている。しかし、かつての彼のように周囲を拒絶し、一人で暗闇に落ちていくような目ではなかった。ハルトとあかねという「頼れる存在」を眼前に捉えた瞬間、アクアの瞳に微かな安堵の色が差し込んだ。
「ハルト……あかね……来てくれたか」
「当然だろ。大事な相談があるって言われたら、どんな用事だって蹴飛ばして来るさ。……で、それが例の『結果』か?」
ハルトはアクアの向かいの椅子を引き、あかねを隣に座らせてから自らも腰を下ろした。冬の日差しがテーブルを暖かく照らしているが、テーブルの上の空気だけは凍りついたようにピンと張り詰めている。
「……ああ」
アクアは喉を鳴らし、ゆっくりと指先で一枚の報告書をハルトとあかねの方へ押し出した。
「お前たちには以前、俺が芸能界にいるはずの『実の父親』を探していると話したな。ハルトもあかねも、俺のその無茶な調査に黙って協力してくれた……まずは、勝手に他人の髪の毛や吸い殻を採取して鑑定に回したことを謝らせてくれ」
「気にするな。お前がそこまでして探し続けてきた理由は、俺もあかねも痛いほど分かってる」
ハルトは力強くそう言い、出された書類に目を落とした。そこには、二つのアレル番号の列と、最下部に刻まれた『血縁判定確率 99.9%』という非情な数字が並んでいた。
あかねが横からその書類を覗き込み、息を呑む。そこに記された〝被験者B〟の欄にある名前に、あかねは指先を震わせた。
「これ……姫川、大輝……さん……?」
「ああ。劇団ララライの看板役者、姫川大輝だ。俺と彼のアレル番号は、同じ父親を持つ異母兄弟であることを証明している」
アクアは掠れた声で呟き、自分の頭を抱えるようにして俯いた。冬の太陽が彼の金髪を眩しく照らし出しているが、その影はあまりにも濃く、黒くテーブルに落ちていた。
「俺は……正直、どうすればいいか分からなかった。昨日までの俺は、この『東京ブレイド』の稽古や本番が楽しくて、仲間と芝居をする毎日に夢中で……アイの復讐なんて、頭の隅に追いやってしまっていた。だけど、今朝この結果を見て、引き戻された。俺の血には、あの男の毒が流れてるんだって……」
震えるアクアの手の上に、温かい手が重なった。ハルトの手だった。
ハルトはアクアの大きな手を力強く握りしめ、山吹色の瞳でまっすぐにアクアを見つめた。
「落ち着け、アクア。お前が一人で抱え込む必要はない。俺たちがいる。お前がこうして俺たちを呼び出してくれたこと、それが何よりの進歩だ。……よし、じゃあ次はどうする? 姫川さんに直接確かめるか?」
「……ああ。姫川さんに話を聞くしかない。彼なら、俺たちの父親が誰なのかを知っているはずだ」
アクアが意を決して顔を上げると、ハルトは頼もしく笑ってみせた。
「分かった。じゃあ今から姫川さんをここに呼ぼう。口実は『アクアがずっと生き別れの父親を探していて、俺たちもそれに協力していた』……これで通す。他人のDNAを無断で調べた非礼は俺も一緒に頭を下げてやるから、堂々と聞け」
「ハルト……ありがとう」
あかねも隣で静かに微笑み、アクアの肩を優しく叩いた。
「アクアくん、大丈夫だよ。私とハルトくんが、ずっとそばにいるから」
アクアは何度も深く頷き、スマートフォンを取り出すと姫川大輝へメッセージを送った。
☆ ★ ☆
数分後。ウッドデッキを踏み鳴らす足音が近づき、長い前髪の隙間から怠惰な光を覗かせた青年――姫川大輝がテラスに姿を現した。冬の冷気の中でも薄手のジャージ羽織っただけのラフな格好で、ポケットに手を突っ込みながらこちらへ歩いてくる。
「なんだい、朝から揃いも揃って深刻な顔して。日野に黒川、星野……ん? なんの集まりだ?」
姫川は不思議そうに眉をひそめつつ、空いていたテーブルの端に腰掛けた。胸ポケットから慣れた手つきで煙草とライターを取り出し、カチリと小さな火花を散らす。紫煙が冬の澄んだ空気の中にゆらりと立ち上り、太陽の光を受けて青白く透けた。
「姫川さん、急に呼び出してすみません」
ハルトがまず口を開き、姫川に向かって静かに深く頭を下げる。
「実は、アクアの個人的な事情に関わる大切な話があって呼んでもらいました。俺とあかねは、アクアの相談に乗っていた協力者として同席させてもらっています」
「ふーん……? 重たい空気だな。で、俺に何のご用だ、星野?」
姫川は煙草をくゆらせながら、視線をアクアに向けた。
アクアはゴクリと唾を呑み込み、テーブルの上のDNA鑑定書を指先で姫川の方へ滑らせた。
「勝手な真似をして本当にすみません、姫川さん。俺は……ずっと、自分の実の父親を探していました。芸能界のどこかにいるはずの、俺と双子の妹を捨てた男を。その過程で、劇団ララライの関係者からサンプルを採取させてもらい、私的にDNA鑑定を行いました」
アクアは深々と頭を下げた。
「あなたの髪の毛を無断で採取し、鑑定に回した無礼をお許しください。ですが……この結果を見てほしいんです」
姫川は煙草を咥えたまま、面倒くさそうに書類を手に取った。前髪を少し掻き揚げ、怠惰な瞳でそこに並ぶ数字の羅列を眺める。
ハルトもあかねも、息を殺して姫川の反応を見つめていた。一秒が永遠のように長く感じられる緊張感。しかし、姫川の顔に激しい動揺や怒りの色は浮かばなかった。ただ「あー……」と短く感心したような声を漏らしただけだった。
「へえ……血縁判定確率99.9%ねぇ。つまり何だ、俺と星野は『腹違い』か『種違い』の兄弟ってことか」
「……おそらく、同じ父親を持つ異母兄弟です」
アクアの言葉に、姫川は煙草の煙をふぅと空へ吐き出した。冬の太陽の下、煙は儚く散っていく。
「なるほどな。君が探してた父親ってのが、俺の親父と同じ奴だったわけだ。……まあ、無断で髪の毛取られたのは感心しないが、怒る気にもなれないよ。だってさ」
姫川は書類をテーブルに戻し、自嘲気味な笑みを浮かべた。その瞳の奥には、どこか冷め切った絶望の影が宿っている。
「俺たちの『父親』は、もうこの世にいないからな」
――ドクン、とアクアの心臓が大きく跳ね跳ねた。
「え……? いない……って、どういうことですか……!?」
身を乗り出すアクアに対し、姫川は他人事のように淡々と語り始めた。
「俺の公式上の父親は、上原清十郎。昔、落ちぶれた大劇団で役者をやってた男だ。母親は姫川愛梨、朝ドラの主演も張ったことのある女優だよ。二人とも売れなくなって、金に困って、酒と薬に溺れて……俺が五歳とかの時に、軽井沢のコテージで二人揃って心中した」
姫川の言葉一つひとつが、冷たい氷の針となってアクアの耳を刺す。
「ハルトくん、これ……」腕を組み、じっとその話を聞いていたハルトに、あかねがスマートフォンの画面を見せる。「! ……そうかよ」
「両親が死んで、俺は施設に引き取られた。だから俺たちの親父は、もう何年も前に墓の下だよ。ろくでもない男だった。死んで当然の奴さ。……君がどんな理由で父親を探してたのかは知らないが、残念だったな。復讐だろうが親孝行だろうが、相手はもう骨も残ってねぇよ」
姫川はそう言うと、長くなった煙草の灰を携帯灰皿に落とし、軽やかに立ち上がった。
「話はそれだけか? そろそろウォーミングアップの時間だ。じゃあな、
姫川はそれ以上何も追及せず、ヒラヒラと手を振りながらテラスを去っていった。その背中が劇場の扉の奥へと消えていく。
後には、冬の太陽の光と、静寂だけが残された。
「……死んだ……?」
アクアの唇から、力のない声が漏れ出た。
彼は両手で自分の顔を覆い、ガタガタと体を震わせ始めた。
「上原清十郎……心中……もう、この世にはいない……?」
アイを刺殺させた黒幕。自分が人生のすべてを捧げて探し続けてきた、呪うべき実の父親。それが何年も前に、すでに惨めな最後を迎えて死んでいたという事実。
アクアの脳内で、これまで積み上げてきた復讐の情念がガラガラと崩れ落ちていく。
(終わった……のか……? 俺の復讐は……もう、終わっていたのか……?)
殺す相手はもういない。自分は誰も殺さなくていい。これ以上、手を汚さなくていい。
冬の眩しい日差しがアクアの全身を包み込む。まるで長年閉じ込められていた暗い洞窟から、急に光の溢れる世界へと放り出されたような錯覚。
アクアの顔に、憑き物が落ちたような、しかしいどこか生気を失った空虚な安堵が浮かび上がりかけた――その時だった。
「早まるなよ、アクア」
低い、凛とした声がテラスに響いた。
アクアがハッと顔を上げると、そこにはハルトが立っていた。
ハルトは立ち上がり、アクアへ降り注ぐ太陽の光を背中で遮るようにして、アクアの真前に立ち塞がっていた。ハルトの影がアクアをすっぽりと覆い隠す。
「ハ……ルト……?」
「浮かれた顔してんじゃねえよ、アクア。お前、大きな勘違いをしてるぞ」
ハルトの山吹色の瞳は、冷徹なまでの冴えを見せていた。その隣で、あかねもまた静かに、しかし悲痛な決意を込めた目でアクアを見つめている。
「勘違い……? だって、姫川さんの父親は上原清十郎で、その上原は心中して……!」
「上原清十郎が心中したのは、姫川さんが五歳の時――つまり、今から約十五年前だ」
ハルトの代わりに、あかねが静かに時系列を口にした。
「アクアくん……あなたとルビーちゃんは、今何歳……?」
「十六歳……あ……」
アクアの思考が、ピタリと止まった。
「そうだ」
ハルトがアクアの肩をガシリと掴み、強く揺さぶった。その手に込められた圧倒的な力強さが、アクアの錯乱しかけた意識を無理やり現実へと引き戻す。
「姫川さんの言う上原清十郎が死んだのは約十五年前。今さっき、あかねがネット記事を調べてくれたから間違いない。そして、お前とルビーちゃんが生まれたのは十六年前だ。……ここまではいい。上原が生きている間にアイとお前たちを作ったと考えれば筋は通る」
ハルトは言葉を区切り、より一層低い声で、アクアの胸の奥底へ叩きつけるように言い放った。
「けどな、アイが殺されたのは今から
――閃光がアクアの脳裏を駆け抜けた。
「死人に口なしとは言うが、死人に殺人はできねえよ。時系列が狂ってるんだ。姫川大輝とお前が兄弟なのは遺伝子が示している通りだ。だが――お前とルビーちゃんの『本当の父親』は、上原清十郎なんかじゃない」
「な……ッ……! じゃあ……じゃあ俺の……俺たちの父親は……アイを殺した真犯人は……!」
アクアの瞳に、再び漆黒の闇が渦巻き始めた。せっかく手に入りかけた平穏が崩れ去り、絶望と狂気が彼を飲み込もうとする。呼吸が荒くなり、過呼吸を起こしそうになるアクア。
だが、ハルトはアクアの肩を掴んだ手にさらに力を込め、彼の視線を自分に固定させた。
「取り乱すな! 聞け、アクア!」
ハルトの喝が、テラスの澄んだ空気を切り裂く。
「お前たちの本当の父親……アイを死に追いやった真犯人の名は――『カミキヒカル』だ」
カミキヒカル。
その名を聞いた瞬間、アクアの全身が雷に打たれたように硬直した。
「劇団ララライの元団員で、圧倒的なカリスマ性を持った男。あかねがプロファイリングで見つけ出し、俺が確認した。アイが殺された時期、ララライの過去映像、そしてお前に瓜二つの顔立ち……間違いない。アイを殺した影の主は、今も生きてどこかで笑っている」
「カミキ……ヒカル……生きている……! 親父は……生きている……!」
アクアの瞳から溢れ出しかけた光が消え、完全な漆黒の闇へと塗りつぶされようとした。復讐の刃を再び研ぎ澄まし、あの男を殺しに行こうと、アクアが立ち上がろうとしたその瞬間――。
バンッ! とハルトがアクアの両肩を強くテーブルへ押し戻した。
「突っ走るなと言っただろ、馬鹿野郎!!」
ハルトの怒声に、アクアは目を見開いた。
「ハルト……離せ! 生きてるなら……殺さなきゃ……俺が、俺の手でアイの仇を……!」
「今の焦りきったお前が行って、何ができる!!」
ハルトはアクアの顔の数センチ先まで顔を近づけ、その山吹色の瞳でアクアの闇を真っ向から突き破るように見つめ返した。
「相手は十二年前にアイを殺し、警察の捜査すら完璧にかわし続けているサイコパスだぞ!? 今のお前が感情に任せて突っ込んでみろ、返り討ちにあって犬死にするのが目に見えてる!」
「でも……! でも俺は……!」
「言ったはずだぞ、アクア!」
ハルトの温かく、しかし絶対的な拒否を許さない声が、アクアの荒んだ心に染み渡っていく。
「お前の背負ってる重荷は、俺が一緒に背負ってやるって! お前と周りが破滅しない方法でなきゃ、俺は協力しないってな! 一人で背負い込んで自滅しようとするな!!」
あかねもまた、アクアの震える手に自分の手を重ねた。
「そうだよ、アクアくん……。私だって、ハルトくんと同じ気持ちだよ。あなたを一人で暗闇に行かせないために……! お願い、自分を傷つけないで……」
「ハルト……あかね……」
アクアの身体から、すーっと力が抜けていった。
ハルトはアクアの肩から手を離し、立ち尽くすアクアを見下ろしながら、静かに、しかし決定的な引導を渡した。
「カミキヒカルの件は、一旦俺とあかねに預けろ。お前は今、この『東京ブレイド』の舞台に集中するんだ」
「な……舞台に……? こんな時に、芝居なんて……!」
「できるさ。お前は昨日、最高の『刀鬼』を演じたんだ。俺たちとぶつかり合って、苦しんで、それでも掴み取った役者・星野アクアを、こんなところで手放すな」
ハルトは手を伸ばし、アクアのボサボサの金髪を乱暴に、しかし優しく撫で回した。
「この公演期間中、いやその後もだが、お前は自分の頭で冷酷に考え抜け。自分は本当はどう生きたいのか。復讐の末に死にたいのか、それとも仲間やルビーちゃんと一緒に、陽の当たる場所で役者として、あるいは別の道を生きたいのか……それを決めるんだ。他ならぬお前自身がな」
ビルとビルの間から、太陽の光がハルトの背後から差し込み、彼のシルエットを黄金に輝かせていた。まさに、暗闇に落ちようとするアクアを引き引き戻す「太陽」そのものの姿だった。
「お前は一人じゃない。
アクアは、光の中で仁王立ちするハルトと、隣で優しく微笑むあかねの姿を呆然と見つめていた。
目元から零れ落ちそうになっていた黒い情念が音を立てて引いていく。一人、暗闇の中を走っていた孤独な少年の心に、ハルトという温かい光が、確かに届いていた。
「……どうして、俺にそこまでしてくれるんだ」
呆然としたようにアクアが言う。笑みを浮かべたハルトが、その太陽のような山吹色の眼差しに真剣さを映して見返した。
「何度も言わせんなよ。それは俺たちが、友達だからだ」
確信に満ち溢れた言葉は、アクアのささくれだった心に染み渡るようにして響いていく。
「それに――」
「それに?」
区切られた言葉をあかねが繰り返す。ハルトは一転して朗らかな笑顔を消し、嶮しげに眉を顰める。遠くを見据えた視線は、まるで
「これはアクア、
冬の冷たく澄み切った青空の下。
太陽の光が降り注ぐ屋外テラスで、三人は静かに立ち上がった。
アクアの心に刻まれた闇はまだ消えてはいない。しかし、その手はもう一人きりではなく、確かに信頼できる仲間と繋がれていた。
――太陽と月と、星の子供たちを巡る運命は、新たな局面を迎えようとしていた。
これで第三章はおしまいです。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
次回更新は9月26日土曜日を予定しています。
なお、今の時点では完成していない模様(;´∀`)
そろそろ書き溜めが切れる頃合いです。3章完結後の連載形式はどうしたらいいですか?
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書き溜めてから連載再開
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週一回の更新で連載を維持