Good Luck, Mr. Magician 作:evejanjan
闇の魔術に対する防衛術の教室から、今年はニンニクの匂いがしなかった。
代わりに目についたのは、教壇の後ろに並べられた何冊もの本だった。どれも表紙には同じ金髪の男がいて、雪山では毛皮をまとい、古城では銀色の外套を翻し、森では杖を構えている。その本人はまだ教室へ来ていなかったが、壁際には笑顔の肖像まで掛かっていたので、誰の授業を受けるのか忘れる方が難しかった。
「これ全部、授業で使うのか?」
ロンが机の上へ重ねた本を見て嫌そうに言うと、ハーマイオニーは「指定図書なんだから当然でしょう」と返した。ただ、その声は去年まで教科書について話す時より少しだけ弾んでいる。
「全部同じ人が書いてるんだぞ。教科書っていうより、自分の話じゃないか」
「実際に経験した人が書いてるんだから参考になるわよ。少なくとも、あなたよりは狼人間について知ってるでしょうね」
「僕より知ってても比較にならないだろ」
ハリーが横で笑い、少し離れた席ではドラコが本の山を一冊ずつ指で押していた。
「父上は、あれだけ自分の顔を表紙に並べられるのは才能だって言ってたよ。褒めてるのかどうかは知らないけど」
「少なくとも、覚えてはもらえますね」
遙一が答えると、ドラコは壁の肖像と教壇の本を見比べた。
「君もああいうの好きそうだけど」
「自分の顔を?」
「目立つやり方を考える方」
「それなら、少し」
話している間にも生徒は増え、教室のざわめきは大きくなっていった。誰かがロックハートの新刊について話し、別の場所では母親が彼のファンだという生徒がからかわれている。前の席では一人の女子生徒が、授業が終わったら本へサインをもらえるだろうかと友人へ相談していた。
扉が開いたのは、ちょうど教室中の話題がほとんど同じ名前へ集まった頃だった。
ギルデロイ・ロックハートは、急いで入ってきたようには見えなかった。教壇へ向かう途中で二度立ち止まり、生徒の挨拶に笑顔で応え、前の席から声を掛けられると、その場で本を受け取ってさらさらと名前を書いた。サインを返す時には、後ろの席からも見えるよう少し高く掲げている。
それだけで、教室は静かになった。
遙一はロックハート本人より、周囲の生徒を見た。
注意を求める必要がない。待っているだけで、先に観客がこちらを見る。
「さて。皆さんが私の本をどれほど熱心に読んできたか、まずは確かめてみましょう」
配られた羊皮紙には、闇の魔術への対処法より先に、ロックハート本人についての質問が並んでいた。好きな色、誕生日、理想とする贈り物、過去の著作で本人が最も気に入っている一節。隣でロンが最初の数問を読んだところで露骨に顔をしかめた。
「これ、防衛術の試験じゃないだろ」
「本当に読んだかどうかは分かるわ」
「先生の好きな色を覚えたら狼人間が逃げるのか?」
ハーマイオニーは返事をせず、羽根ペンを動かし始めた。
遙一も問題を埋めていった。指定された本には一通り目を通している。著者の好みまで覚える必要は感じなかったが、文章のどこに何が書かれていたかは記憶に残っていた。
試験が終わると、ロックハートは何枚かを手早く確認し、正答の多い生徒を褒めた。間違いを一つずつ解説する代わりに、その質問に対応する自分の著書の場面を話し始める。誕生日の問題からはサイン会の話へ、好きな色からは旅先で贈られたローブへ、それがいつの間にか吸血鬼を相手にした武勇談へ変わっていた。
話題はよく動くが、不思議と途切れない。質問から外れていると生徒が気づくより早く、次に笑う場所か驚く場所が置かれる。教室の後ろで誰かが小声で喋り始めると、ロックハートは教壇の中央から一歩だけそちらへ寄り、声量を変えないまま全員の視線を戻した。
それが防衛術の腕を示すかは、まだ分からない。ただ、人前で観客の注意を扱うことには慣れている。
「教授」
話が一段落したところで、遙一は手を上げた。
「どうぞ。ミスター・グリンデルバルドですね」
「『狼人間との放浪』について、一つ伺っても?」
「もちろん。あの一冊は特に質問が多いんですよ。狼人間というものは、読者の想像力を刺激するらしい」
遙一は本の中の一場面を思い出した。山中で負傷したロックハートが、右肩をほとんど動かせないまま翌朝の追跡を続け、杖を左手へ持ち替えたと書かれていた箇所だった。
「左肩を痛めた翌朝、右手だけで杖を扱った場面がありましたよね。あれだけ強い痛みが残っていても、精度は落ちなかったんですか?」
近くでハーマイオニーがわずかに顔を上げた。
ロックハートは迷わなかった。
「良いところに気づきましたね。危険な状況では、痛みに気を取られないことが何より大切です。私もあの時は、自分の状態より村人たちを守ることを優先しました。もっとも、利き手だけに頼らない訓練は若いうちからしていましたからね。サインだって、必要なら左右どちらでもできますよ」
最後の一言で何人かが笑った。
本に書かれていたのは右肩で、杖を持ち替えたのは左手だった。遙一は訂正しなかった。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。こういう具体的な質問は大歓迎ですよ」
ロックハートはそのまま、旅先で腕を負傷した時にどれだけ多くの見舞いの手紙が届いたかという話へ移った。話題が変わる速度は、先ほどまでとほとんど同じだった。
記憶違いは誰にでもあり、一冊の本の細部を間違えただけで何かが確定するわけでもない。ただ、自分の身体に起きた負傷の左右を質問の中で入れ替えられても訂正しなかったことは、一つ覚えておいてよかった。
「では、そろそろ本物を相手にしてみましょう」
ロックハートが教壇の脇に掛けられていた布を取ると、その下から大きな籠が現れた。中では青い小さな生き物が何匹も飛び回り、金網へぶつかって甲高い声を上げている。
コーンウォール産ピクシーだった。
前列の生徒が身を引き、後ろの方では面白そうに立ち上がる者もいた。ロックハートは全員の反応を確かめるように笑うと、これくらいの相手なら恐れる必要はないと説明し、籠の留め金を外した。
その判断が正しかったかどうかは、数秒で分かった。
ピクシーは一斉に教室へ飛び出した。羽根ペンが奪われ、本が宙へ放られ、天井近くまで持ち上げられた鞄から中身が雨のように落ちる。誰かが椅子ごと倒れ、別の生徒は頭を抱えて机の下へ潜った。
「僕のインク!」
「インクより杖を出せ!」
「取られたんだよ!」
ドラコが飛んできた一匹を振り払い、その横でクラッブが教科書を盾にしている。遙一は頬の横を抜けようとした一匹を避け、後ろの生徒へ向かう前に杖を振った。短い衝撃で進路だけを逸らすと、ピクシーは壁際のカーテンへ突っ込んだ。
教壇では、ロックハートが杖を振っていた。
呪文は発動したように見えたが、ピクシーたちは止まらなかった。それどころか一匹が杖へ飛びつき、もう一匹が袖を引いたので、教授は一歩後ろへ下がる。
教室の空気が変わった。
さっきまでならロックハートが何かするたび、次に何が起きるのかを待つ視線が集まっていた。今は違う。生徒たちは自分の頭上と手元を見ていて、教師を見ている者は少ない。
ロックハートは、一度だけ教室全体を見回した。
「よろしい。ではここからは、皆さん自身で対処してみなさい。実地でなければ学べないこともありますからね」
声は、さきほどまでと同じだった。
失敗した実演を止めるのではなく、最初から生徒へ任せる予定だったかのように意味を変えた。
「先生、ちょっと――」
ロンが呼び止めるより先に、ロックハートは扉の近くへ移動していた。最後に「協力することも防衛術の基本ですよ」と言い残し、そのまま廊下へ出ていく。
「逃げたぞ!」
「実地訓練だそうですよ」
「どう見ても逃げただろ!」
ロンが怒鳴っている間にも、ピクシーは増えたわけでもないのに騒ぎだけは大きくなっていった。
結局、教室を落ち着かせたのはハーマイオニーだった。
何匹かをまとめて動けなくすると、残った生徒たちもようやく役割を分け始めた。ハリーとロンが落ちた物を片づけ、ドラコたちは籠を起こし、遙一も壁際へ追い込まれた個体を一匹ずつ戻していく。最初の混乱が嘘のように収まるまで、それほど長くはかからなかった。
「これでもまだ、実際に経験した人が書いた本だから参考になるって言う?」
床に散った紙を拾いながらロンが言うと、ハーマイオニーは少しだけ迷った。
「本の内容と、今の授業は別でしょう」
「便利だな、その分け方」
「でも、今のはひどかったわ」
「そこは認めるんだ」
ハリーが笑い、ハーマイオニーは返事の代わりに曲がった羽根ペンを机へ置いた。
「ヨーイチはどう思う?」
ハリーに聞かれ、遙一は倒れた椅子を元へ戻した。
「少なくとも、失敗した後に全員から失敗だと思われないよう話を変えるのは上手ですね」
「それ褒めてる?」
「その部分については」
ロンが嫌そうな顔をし、ハーマイオニーは何か言いかけてやめた。
魔法の実力について結論を出すには、まだ材料が少ない。ただ、観客が何を期待しているかを把握し、その期待に合う人物を見せ続ける技術については、偶然で片づけるには少し上手すぎた。
その授業の話は、その後もしばらく食卓や談話室の笑い話になった。ロックハートを庇う者もいれば、ピクシーから逃げたのだと笑う者もいた。
そんなある日、遙一は校庭の方から聞こえた騒ぎで足を止めた。
クィディッチ競技場の入口近くに、グリフィンドールとスリザリンの生徒が集まっている。新しい箒を持ったスリザリンの選手たちの中央にはドラコがいて、その向かいではロンが壊れた杖を握り、ハーマイオニーが何か言っていた。
近づいた時には、ちょうどドラコが笑ったところだった。
「君には関係ないだろ、穢れた血のくせに」
それまで続いていた言い争いが、一瞬だけ止まった。
ハーマイオニー本人は眉を寄せたものの、言葉の意味より先にドラコの悪意を受け取ったようだった。ハリーもすぐには反応しない。
ロンだけが違った。
「今のを取り消せ、マルフォイ!」
顔色を変え、ほとんど考える間もなく杖を向ける。
次の瞬間、呪文はドラコではなくロン自身へ返った。
鈍い音とともにロンが身体を折り、口元を押さえる。何が起きたのか分からず周囲がざわめいた直後、彼の口から大きなナメクジが一匹落ちた。
「ロン!」
ハリーとハーマイオニーが駆け寄る。ロンは返事をしようとして、二匹目を吐いた。
さすがに笑う者と引く者が半々になり、ドラコも一瞬だけ言葉を失った。ハリーたちがロンを連れて競技場を離れると、騒ぎは少しずつ別の話へ変わっていった。
遙一はその場に残ったドラコを見た。
「何だよ」
「今の言葉、普段から使うんですか?」
「穢れた血? ああ。マグル生まれに使う言葉だろ。家じゃ別に珍しくないよ。ウィーズリーがあんなに怒るのは、あいつらがマグル贔屓だからだろ」
ドラコは、なぜそんなことを聞くのか分からない顔をしていた。
それで説明は終わったらしい。ドラコは自分の新しい箒を持ち直し、チームメイトに呼ばれて競技場へ戻っていった。
同じ言葉を、ドラコは家庭で耳にする侮辱の一つとして口にし、ロンは壊れた杖で即座に呪文を撃った。遙一自身にとっては古い家系図や戦争史の資料で何度も見た言葉だったが、文字として知っていることと、人がそれを口にした時に何が起こるかを知っていることは、やはり少し違う。
競技場から、練習を再開する笛の音が聞こえた。
遙一はそれ以上そこに残らず、城へ戻った。