Good Luck, Mr. Magician 作:evejanjan
ハロウィーンの大広間では、天井近くまで浮かんだ南瓜が去年と同じように橙色の光を落としていた。
料理が消えたあとも席を立たない生徒は多く、スリザリンのテーブルでは上級生が幽霊の仮装をした一年生をからかっている。ドラコは今年の飾りつけについて去年の方がましだったと言い、クラッブは比較するより先に残っていた菓子を皿から集めていた。
「ポッターたちはいないな」
ドラコがグリフィンドールのテーブルを見て言った。
「首なしニックの何とかに行ったんじゃなかったか?」
近くの生徒が答えると、別の生徒が「死んだ日の祝いだろ」と口を挟んだ。そこから幽霊が食事をできるのかという話になり、誰かが腐った料理なら匂いを感じられるらしいと言い出したせいで、クラッブが手にしていた菓子を一度皿へ戻した。
「今さら気にすることか?」
ドラコが呆れると、クラッブは少し考えてからまた取った。
遙一はそのやり取りを聞きながら紅茶を飲んだ。ハリーたちが別の場所にいること自体は珍しくない。寮が違えば、夕食のあとにどこへ行くかまで毎回知っている方がおかしかった。
宴が終わり、生徒たちがそれぞれの寮へ戻り始めた頃だった。
地下へ向かう階段の手前で、上の階から何人もの足音が重なって聞こえた。
走ってくる者もいれば、逆に廊下の先を覗こうとして立ち止まる者もいる。最初は誰かが悪戯でもしたのかと思ったが、階段を下りてきたレイブンクローの生徒が友人に何かを耳打ちした途端、二人とも顔色を変えた。
「何があったんだ?」
ドラコが呼び止めると、その生徒は一度周囲を見た。
「猫だよ。フィルチの猫が――壁に吊られてる」
「死んでるのか?」
「分からない。動かないって」
それだけ言って、二人は先へ行った。
ドラコはすぐに階段へ向かった。クラッブとゴイルも続き、遙一も少し遅れて後を追った。
現場へ近づくほど、人の流れは遅くなった。
狭い廊下に生徒が集まり、前へ進めない者が背伸びをしている。教師の声がして、後ろから来た生徒には戻るよう指示が飛んだ。遙一が着いた時には、最初に何が起きたのかを見るには遅すぎた。
人の肩越しに見えたのは、壁に赤い文字があることと、その下に教師たちが集まっていることだった。
ミセス・ノリスの姿は、ほんの一部しか見えなかった。身体が不自然に硬く、普段の猫ならしない形で動かない。フィルチの声だけは人垣の向こうからよく聞こえた。
「ポッターだ! あいつがやったんだ!」
周囲がざわめいた。
そこで初めて、遙一は人垣の中央近くにハリー、ロン、ハーマイオニーがいることへ気づいた。
壁の文字は全部を読めなかった。ただ、「秘密の部屋」と「継承者」という二つの言葉だけは、前にいる生徒たちの隙間から拾えた。
「秘密の部屋?」
隣でゴイルが聞き返した。
ドラコは答えなかった。少し離れた場所では、同じ言葉が既に何度も囁かれている。誰が最初に言ったのか分からないまま、「継承者が戻った」「誰かが部屋を開けたらしい」と話が増えていった。
教師が生徒を下がらせ始めたので、遙一もその場に残らなかった。
見えていないものを、人垣の後ろから見たつもりになる必要はない。
翌朝、大広間では昨夜の話が朝食より先に広がっていた。
ミセス・ノリスは死んだという者もいれば、呪われただけだという者もいる。秘密の部屋について知っていると主張する生徒もいたが、話を聞いてみると兄から聞いた、従兄から聞いた、上級生が言っていた、というところで終わるものが多かった。
スリザリンのテーブルでは、昨夜までほとんど聞かなかった「継承者」という言葉が普通に飛び交っていた。
「サラザール・スリザリンの継承者なんだろ?」
「誰なんだよ」
「知るわけないだろ。知ってたら秘密じゃない」
一年生同士が真顔で話している横で、上級生が面白がって候補の名前をいくつか挙げる。それを聞いた別の生徒が否定し、さらに理由を付け足した。
事件を見ていない者ほど、猫がどうなったかより「秘密の部屋」と「継承者」という言葉を口にしていた。
遙一は昔読んだ新聞記事を少しだけ思い出した。第一次ヴォルデモート暗黒期にも、名前や印だけで人を黙らせる場面は記録に残っていた。
もっとも、今の段階で同じものとして扱う理由はない。
遙一は朝食を終えると、グリフィンドールのテーブルへ向かった。
三人ともいた。
ロンは昨夜から同じ説明を何度も求められたらしく、遙一を見るなり先に言った。
「先に言っとくけど、僕たちじゃないぞ」
「そこは疑っていませんよ」
「じゃあ何?」
「最初に見た時のことを聞きたいんです。三人とも同じ場所にいたなら、少しずつ違うところもあるでしょうから」
ロンは嫌そうな顔をしたが、ハーマイオニーは意味を理解したらしい。
「相談しながらじゃなくて、それぞれが覚えてることを聞きたいのね?」
「できれば」
「尋問みたいだな」
ハリーが苦笑した。
「嫌ならやめますよ」
「いや、別にいいよ。昨日よりはましだし」
フィルチに何度も犯人扱いされたことを言っているらしい。
遙一は三人を別々の部屋へ連れていくようなことはしなかった。他の二人が先に答えを口にしないよう頼み、昨夜最初に何が見えたかだけを順番に聞いた。
ハリーは最初に壁と猫を見たと言った。廊下には水があり、ミセス・ノリスは松明の金具から尾を吊られるような形で動かず、周囲に他の生徒はいなかった。
ロンは猫の硬さをよく覚えていた。死んでいるように見えたが、血や外傷は見なかったという。壁の文字については、最初に全部を読んだというより、猫を見たあとで気づいたらしい。
ハーマイオニーは床の水を一番はっきり覚えていた。三人が来る前から濡れており、猫の近くまで広がっていた。壁の文字についても内容だけでなく、どの高さに書かれていたかを手で示した。
「水は踏みました?」
「私は避けたわ。ロンは踏んだと思う」
「踏んだよ。靴が濡れたから覚えてる」
「僕は……たぶん踏んでない」
ハリーが考えながら答えると、ロンが「たぶんかよ」と笑った。
「猫を見た直後に床なんか見てないって」
「僕だって見てないよ。踏んだから分かっただけだ」
そのまま二人が昨夜のフィルチの怒鳴り方について話し始め、ハーマイオニーまで途中から加わったので、遙一は必要なところまで聞いてから口を挟むのをやめた。
三人の話は大筋では一致していた。
ただ、同じ場所に立っていても、最初に見たものも、強く残ったものも違う。
それで十分だった。
二日後、例の廊下を通れるようになってから、遙一は一人で現場へ戻った。その頃には、ミセス・ノリスが死んではおらず、身体を動かせない状態だということも生徒たちへ伝わっていた。
壁の文字は既に消されていたが、石床の継ぎ目までは変わっていない。ハーマイオニーが示した位置と、三人が覚えていたミセス・ノリスの場所を順に確かめる。
遙一はポケットから小さな手鏡を取り出した。
舞台で使うような大きなものではない。掌に収まる程度の鏡で、角度を見るために普段から持ち歩いているものだった。
三人の証言からミセス・ノリスの頭があった高さを見積もり、その位置へ鏡面を合わせた。角度を変えながら、映り込む範囲を確かめる。
正面。
斜め上。
廊下の奥。
床。
鏡を少し傾けるだけで、同じ場所から見える範囲は変わった。石床に水が残っていたなら、その表面にも周囲の像は映ったはずだ。
もちろん、二日後の廊下で角度を合わせただけでは、昨夜そこに何がいたのかまでは分からない。
分かるのは、見るという行為にも経路があることだけだった。
「何してるの?」
背後から声がして、遙一は鏡を上げた。
通りかかった二年生の女子生徒が、不思議そうにこちらを見ている。
「少し、見え方を確かめています」
「猫になったつもりで?」
「視界だけなら、似たようなものです」
女子生徒は鏡と壁を見比べ、しばらく考えてから「やっぱり変なことしてる」と言って去っていった。
遙一は否定せず、もう一度鏡を床へ向けた。
ミセス・ノリスには目立った傷がなく、死んでもいない。それなのに、身体だけが完全に動かなくなった。
ならば最初に分けるべきなのは犯人ではなく、結果の方だろう。
石化が最初から狙われた結果だったのか。
それとも、本来ならもっと強い何かが起きるはずで、途中の条件によって弱まったのか。
今は、どちらとも決められない。
遙一は鏡を閉じ、ポケットへ戻した。
廊下の向こうから生徒の声が聞こえた。「秘密の部屋」という言葉が混じり、それに続いて誰かが「継承者」と小さく言った。
壁の文字はもう消えている。
それでも、そこに書かれていた言葉だけは、城の中を歩き始めていた。