Good Luck, Mr. Magician 作:evejanjan
魔法史の授業で眠らないことは、内容を覚えることより少し難しい。
ビンズ教授は今日も黒板の前をゆっくり漂いながら、何十年も前から同じ調子で読み上げているのだろうと思わせる声を続けていた。窓際では一人の生徒が羽根ペンを持ったまま完全に動かなくなり、その隣の生徒が肘で起こしている。ロンは羊皮紙の端に小さな蜘蛛のようなものを描き、ハリーに見せてから自分で首を傾げた。
「犬じゃないの?」
ハリーが小声で言う。
「蜘蛛だよ」
「脚が四本しかない」
「途中なんだ」
残りの四本を描く前に、ハーマイオニーが二人の方を見たので、ロンは何事もなかったように羽根ペンを本文へ戻した。
遙一は少し離れた席でそのやり取りを眺め、また前を向いた。
ミセス・ノリスの事件から数日が経っていた。
廊下の壁から文字は消えたが、城の中から「秘密の部屋」という言葉は消えていない。食卓でも談話室でも誰かが話し、上級生が一年生を脅かす冗談に使えば、一年生は本気で嫌そうな顔をした。
けれど、誰に聞いても中身は曖昧だった。
秘密の部屋が何なのか。
誰が作ったのか。
何が入っているのか。
そこで話が止まる。
「教授」
ハーマイオニーが手を上げた。
ビンズ教授の声が止まるまで、少し時間がかかった。授業中に生徒から呼び止められること自体が予定に入っていなかったように、眼鏡越しの目がゆっくり教室を見回す。
「何ですかな、ミス――」
「グレンジャーです。秘密の部屋について教えていただけませんか?」
教室のあちこちで、伏せていた顔が上がった。
ビンズ教授は露骨に気乗りしない様子を見せた。歴史と伝説は別物であり、魔法史が扱うのは記録された事実である、と前置きを始める。その前置きの間だけでも、普段より多くの生徒が起きていた。
やがて教授は、ホグワーツ創設者たちの話へ移った。
ゴドリック・グリフィンドール、ヘルガ・ハッフルパフ、ロウェナ・レイブンクロー、そしてサラザール・スリザリン。
四人の間には、誰を学校へ受け入れるかについて意見の違いがあったという。スリザリンは魔法族の家系を重んじ、やがて他の創設者たちと袂を分かった。
そこまでは歴史だった。
その先から、ビンズ教授の口調がわずかに変わった。
伝説によれば、スリザリンは去る前に城のどこかへ秘密の部屋を作り、自分以外には開けられないよう封じた。そしていつか真の継承者が現れた時、部屋を開き、その中に潜むものを解き放って、スリザリンが学校にふさわしくないと考えた者たちを排除する。
話が終わった時、教室は珍しいほど静かだった。
「だから伝説にすぎんのです」
ビンズ教授はそう締めくくり、城は幾度となく調査されてきたが、そのような部屋は発見されていないと続けた。
遙一はそこで初めて羽根ペンを止めた。
千年近く存在する城で、何世代もの教師と生徒が暮らし、改築も調査も行われてきた。それでも見つからないのなら、存在しないというのが一番簡単な答えではある。
けれど本当に存在するのなら、問うべきなのはどう隠したかではなく、なぜ千年もの間、発見されない状態を維持できたのかだった。
魔法で扉を見えなくするだけなら、偶然触れる者がいてもおかしくない。場所そのものが分からないのか、入口に条件があるのか。それとも、探している側が「部屋」と呼ばれるものの形を最初から決めてしまっているのか。
答えを出すには、まだ何も足りなかった。
「絶対マルフォイだって」
授業が終わって廊下へ出たところで、ロンの声が聞こえた。
本人に聞かれたら面倒になる程度には小声だったが、近くを歩いていた遙一には届いた。ハリーが「絶対とまでは言ってないよ」と返し、ハーマイオニーは教科書を抱え直している。
「でも、スリザリンだろ。あいつの家、こういう話が好きそうじゃないか」
「それだけじゃ決められないわ」
「分かってるよ。でも本人が何か知ってるなら――」
ロンはそこで口を閉じた。
向こうからドラコ本人が歩いてきたからだった。
ドラコは三人へ一度だけ視線を向け、そのまま遙一の隣へ来た。
「また僕のこと見てなかったか?」
「見ていましたね」
「何なんだよ、最近。ポッターまで」
「人気者になったんじゃないですか?」
「嬉しくない人気だな」
ドラコは鼻を鳴らし、次の授業の教室についてクラッブとゴイルに何か言いながら先へ行った。
後ろでは、三人の会話が再開している。
遙一は振り返らなかった。
本人から何か聞ければいい。
少なくとも、三人が今欲しがっているものはそれだった。
夕食前、ハリーたちは図書館から戻る途中だった。
角を曲がった先にドラコ・マルフォイがいて、ロンが足を止める。
「マルフォイ」
ドラコはわずかに顎を上げ、そのまま三人の前まで歩いてきた。
そして三人を一度見渡す。
「こそこそせずに、知りたいなら本人に訊けばいい。もっとも、素直に答えるとは限らないが」
それだけ言って横を通り過ぎた。
「何なんだ、あいつ」
ロンが振り返る。
ドラコは止まらず、そのまま廊下の角を曲がって見えなくなった。
三人はその場に残った。
「でも、言ってることは間違ってないよ」
ハリーが言った。
「本人に訊けって? あいつが素直に喋ると思うか?」
「だから、マルフォイ自身も『素直に答えるとは限らない』って言ったんでしょう」
ハーマイオニーは教科書を抱え直しながら考え込んだ。
「私たちには話さない。でも、誰にも話さないとは限らないわ」
「誰なら話すんだよ」
「クラッブとかゴイルじゃない?」
ハリーが言うと、ロンがすぐ顔をしかめた。
「あいつらに聞いてもらうのか? 僕たちのために?」
「協力してもらう必要はないわ」
ハーマイオニーの足が止まった。
「マルフォイが、いつも通りクラッブやゴイルに話していると思えばいいのよ」
ハリーが彼女を見る。
「でも僕たちはクラッブでもゴイルでもない」
「今はね」
ハーマイオニーは何かを思い出したように黙り込み、そのまま数秒動かなかった。
「ハーマイオニー?」
「方法なら、一つあるかもしれない」
「どんな?」
彼女は二人を見て、声を落とした。
「ポリジュース薬よ」
その頃、人気のない廊下へ入ったドラコ・マルフォイは、角を一つ曲がったところで杖を取り出した。
淡い金髪が根元から色を変え、黒に近い暗褐色へ戻っていく。
顎が下がる。肩の位置が戻り、歩幅が狭くなる。
遙一は杖をしまった。
魔法で借りたのは髪の色だけだった。それ以外は、どれも昔から使ってきた技術で足りる。
数十秒なら、それで十分だった。