Good Luck, Mr. Magician 作:evejanjan
翌朝の大広間は、いつもより静かだった。もちろん、本当に静かなわけではない。皿やカップの触れ合う音はするし、梟が飛び込んでくれば何人かが顔を上げる。スリザリンのテーブルでは三年生が昨夜の決闘クラブについて話していて、クラッブはロックハートが吹き飛ばされた場面を身振りまでつけて再現していた。
「もっと飛んでた」
ドラコがパンをちぎりながら言う。
「これくらい?」
クラッブが椅子ごと後ろへ反った。
「落ちるぞ」
ゴイルが言った直後、本当に椅子の脚が滑ったので、近くで笑いが起きた。
普段と変わらない朝食だった。ただし、話題がハリー・ポッターへ移った瞬間だけ、声の大きさが変わる。
「蛇と喋ったんだろ?」
「あれ、本当に言葉だったのか?」
「マルフォイは分かったのか?」
「分かるわけないだろ」
昨夜その場にいた者まで、既に自分が見たものと誰かから聞いた説明を混ぜ始めていた。蛇がハリーの命令に従った、ジャスティンを襲わせようとした、いや止めたのだと言っていた――同じ場面について、朝までにいくつもの形ができている。
遙一は紅茶を飲みながらグリフィンドールのテーブルへ目を向けた。ハリーはロンとハーマイオニーの間に座っており、その三人だけなら昨日までと変わらない。変わったのは、その周囲だった。
いつもなら近くに座っている生徒が今朝は一つ先の席にいて、後から来た一年生が空いている場所を見つけて座ろうとすると、隣の友人に袖を引かれて別のところへ移る。その一方で、何も気にせずハリーへジャムを渡している生徒もいた。
「見すぎだろ」
ドラコの声で、遙一は視線を戻した。
「そうですか?」
「昨日からずっとポッターの方見てるじゃないか」
「昨日は皆さん見ていましたよ」
「そりゃ蛇と喋り始めたら見るだろ」
ドラコは当然のように言い、少し離れたグリフィンドール席へ目を向けた。
「やっぱり変な奴だったな」
「昨日までは違ったんですか?」
「昨日までも変だったよ。種類が増えた」
遙一は少し笑った。ドラコの反応は恐怖というより面白がっている方に近い。もっとも、彼が蛇語とスリザリンの継承者をどう結びつけているかまでは、その一言だけでは分からなかった。
カップを置いて立ち上がると、ドラコが「どこ行くんだ?」と訊いた。
「少し向こうへ」
「向こうって――」
最後まで聞かず、遙一はグリフィンドールのテーブルへ向かった。
空いていたのは、ハリーの正面だった。
「おはようございます」
遙一が普通に腰を下ろすと、ロンが口に入れていたトーストを慌てて飲み込んだ。
「おはよう。……そっちで食べてたんじゃないの?」
「食べ終わりました」
「じゃあ何しに来たのよ」
ハーマイオニーが訊く。
「朝の挨拶をしに」
「それだけ?」
「今のところは」
ロンが「相変わらずだな」と呟いた。
ハリーは少し遅れて笑ったが、その目はすぐ周囲へ動いた。向かい側に遙一が座ったことで、近くの生徒がこちらを見ている。
「……僕のそばにいて平気なの?」
その声だけは、さっきまでより小さかった。
遙一はハリーを見た。
「昨日まで平気だったので、今日から変える理由がありません」
「でも、昨日のあれ――」
「蛇と話したことですか?」
隣でロンが顔を上げた。
「やっぱり知ってたのか?」
「何をです?」
「蛇語だよ。パーセルタング」
昨夜、遙一には意味の分からなかった擦れるような音。その名前を、ロンはひどく嫌そうな顔で口にした。
「蛇と話せる魔法使いは、昔からあまりいい印象を持たれないの。サラザール・スリザリンもそうだったと言われているから」
ハーマイオニーが説明すると、ハリーが力なく続けた。
「しかも僕、今まで自分がやってるって知らなかったんだ」
「蛇に話しかける機会なんて、普通そんなにないだろ」
「去年、動物園で一回あった」
「それを先に言えよ!」
ロンが声を上げ、近くの生徒が振り返ったので、今度は自分から声を落とした。
「いや、それでも普通は気づかないか……?」
「僕には英語に聞こえてたんだよ」
「それ、もっと早く知りたかったわね」
ハーマイオニーは額へ手を当てた。
話している内容だけなら、昨夜の続きを三人で整理しているにすぎない。ロンは驚き、ハーマイオニーは考え、ハリーは自分でも分からないことに困っている。
その反応に、遙一が昨日まで知っていた三人との大きな違いはない。それでも周囲から見れば、ハリーには「蛇語を話す」という新しい意味が一つ増えていた。それだけなら能力の事実にすぎないが、秘密の部屋が開いた直後で、その部屋を作ったとされるサラザール・スリザリンも蛇語を話した。その二つが並べば、人が次に置きたがる言葉は予想できる。
「継承者」
少し離れた席から聞こえた囁きに、ハリーの肩がわずかに動いた。
ロンも聞こえたらしく振り返ったが、ハーマイオニーが袖を引いた。
「放っておきなさい」
「聞こえるように言ってるだろ」
「だからよ」
遙一は周囲を見回さなかった。人が一人を疑い始めても、それまでの評価がすべて消えるわけではない。ハリーを一年以上知る者も、話したことのある者も、助けられた者も、一緒に授業を受け、クィディッチで応援してきた者もいる。そうした積み重ねが一晩でなくなるなら、人望というものはずいぶん軽い。
けれど、なくならないことと、恐怖に負けないことは同じではない。昨日までのハリーについて知っていることと、「スリザリンの継承者かもしれない」という疑いが並んだ時にどちらを重く扱うか、その答えが一つではないことだけは、今朝の大広間を見れば十分だった。
午前の授業へ向かう廊下でも、変化は続いた。
ハリーたちと別れて階段を下りていた遙一は、向こうから来たアーニー・マクミランに気づいた。昨日の決闘で飛ばされた杖を拾った友人も一緒にいる。
「グリンデルバルド」
アーニーの方から声をかけてきた。
「昨日はどうも」
「こっちこそ。次はあんなに簡単に取られないからな」
「楽しみにしています」
そこまでは普通だったが、アーニーは少し歩きかけてから足を止めた。
「君、ポッターと仲がいいんだよな?」
「ええ」
返事をすると、隣の生徒がアーニーを見た。
「じゃあ、前から知ってたのか?」
「蛇語を話せることなら、昨日初めて知りました」
「そうか」
アーニーはそれ以上追及しなかったが、何か考えている顔のまま友人と歩いていった。階段を曲がる直前、二人の声が小さく聞こえる。
「だからってグリンデルバルドまで――」
「分かってる。ただ聞いただけだよ」
遙一は足を止めなかった。疑いは本人だけに留まらないが、だからといって触れた相手まで同じ色に染まるわけでもないらしい。
昼には、別の形も見えた。
中庭へ出る途中でネビルとすれ違った時、彼はいつも通り遙一へ挨拶し、その後ろにいたハリーにも同じように「やあ」と言った。ただ、隣にいた一年生はハリーを見た途端に口を閉じた。
反対側から来た二人組は少し早めに壁際へ寄った。ハリーが通り過ぎてから、そのうち一人が小声で何かを言い、もう一人は「でも昨日は蛇を止めたんじゃないの?」と返している。
階段の踊り場では、知らない生徒が遙一を見て囁いた。
「グリンデルバルドってスリザリンだよな」
「ポッターとよく話してる」
それだけで終わった。声に悪意があったのか、単に材料を並べただけなのかは分からない。
「ごめん」
隣を歩いていたハリーが突然言った。
「何がです?」
「僕のせいで、君まで変なこと言われてる」
遙一は少し考えた。
「今のは、まだ何も言われていませんよ」
「聞こえてただろ」
「聞こえました。でも、スリザリンで、あなたと話しているのは事実です」
「そういう問題じゃなくて」
ハリーは困ったように眉を寄せた。
遙一には、その違いも分かっていた。事実だけを並べても、そこへどんな意味を与えるかは聞いた側に残る。昨年、自分自身が何度も間違えたのと同じことを、今は城中の人間がハリーを相手に行っている。けれど、それを説明しても、ハリーが言いたいことへの返事にはならない。
「では、何か言われたら、その時に考えます」
「それでいいの?」
「ええ。あなたが蛇と話せることと、私があなたの友人であることは別ですから」
ハリーが黙った。
少しして、後ろを歩いていたロンが追いついてくる。
「僕も友人なんだけど」
「知ってるよ」
「今の言い方だとグリンデルバルドだけみたいだっただろ」
「ロン、そこで張り合うの?」
さらに後ろからハーマイオニーの呆れた声が飛んできた。
ハリーはようやく笑い、遙一もそのまま歩き出した。
周囲の反応を見ていたことは事実だったし、そこに興味を持っていたことも否定する必要はない。それでも、今朝ハリーの前へ座った理由を観察だけで説明する気にはならなかった。友人が避けられていた。だから、その正面へ座った。遙一にとっては、その事実もまた、観察していたことと同じように本当だった。