Good Luck, Mr. Magician 作:evejanjan
五月に入った最初の週、遙一は図書館から三冊の本を借りた。
一冊は危険な魔法生物について。もう一冊は、呪いや魔力が視覚を介して作用する場合について。最後の一冊だけは随分古く、表紙には『ホグワーツ城内設備補修記録 抜粋』と書かれていた。
貸出机の向こうでマダム・ピンスが三冊を順番に見て、最後の一冊だけでもう一度遙一を見る。
「それは面白くないわよ」
「そうでしょうね」
「だったら、どうして借りるの」
「面白くない本にしか書いていないこともありますから」
マダム・ピンスは何か言いたそうな顔をしたが、結局は貸出印を押した。
図書館を出ると、ちょうど向こうからハリーたちが歩いてくる。ロンは遙一の抱えた本の背表紙を読み、一冊目で顔をしかめ、三冊目で完全に理解を諦めたらしい。
「危険な魔法生物までは分かるけど、配管の本なんて何に使うんだ?」
「城の中を調べるなら、城の中身も知っておいた方がいいでしょう」
「僕は二年住んでるけど、配管を知りたいと思ったことないぞ」
「あなたは二年住んでるんじゃなくて、二年迷ってるだけでしょう」
ハーマイオニーに言われ、ロンが「階段の方が勝手に動くんだ」と抗議する。ハリーは笑いかけたものの、遙一の一冊目の本へ視線を落としたところで少し表情を変えた。
「まだ調べてるの?」
「ええ。少し気になることが増えました」
「この前の、壁の中のやつ?」
ロンの声が少し低くなる。
遙一は三人へ、鏡越しに見たものについて詳しく話してはいなかった。ただ、城壁の内側に大きな何かが通れる空間があるらしいことだけは伝えている。
「それもあります。それよりハリー、一つ確認していいですか」
「何?」
「以前、誰にも聞こえない声が聞こえると言っていましたね。ミセス・ノリスが見つかった時だけですか?」
ハリーはすぐに答えず、ロンとハーマイオニーを見た。
「いや。ジャスティンとニックが見つかる前にも聞いた。言葉だったと思う。『殺す』とか……そういうことを言ってた」
「僕らには何も聞こえなかったけどな」
ロンが付け加える。
「声のする方向は?」
「壁の中を動いてた。僕も追いかけたんだけど、廊下を曲がるとまた別のところから聞こえて……正直、どこにいるのか分からなかった」
遙一はそこで初めて少し考え込んだ。
壁の中を移動する巨大で細長いもの。壁の中から聞こえ、ハリーにだけ意味のある言葉。
「ヨーイチ?」
「もう一つだけ。決闘クラブで蛇に話しかけた時、あなたには自分が英語を話しているように聞こえていたんですよね」
「うん。あとからロンたちに言われるまで、違う言葉だと思ってなかった」
ハーマイオニーの目が遙一へ向いた。
「何か分かったの?」
「まだ、材料が同じ場所へ集まり始めただけです」
「それ、分かり始めた人の言い方じゃない?」
「では、そうかもしれません」
「どっちなんだよ」
ロンが言ったが、遙一は本を抱え直しただけだった。
その日の夜、遙一は空き教室の机へ四枚の紙を並べた。
一枚目にはミセス・ノリス。二枚目にはコリン・クリービー。三枚目にはジャスティン・フィンチ=フレッチリー。四枚目には、ほとんど首なしニック。事件の順番ではなく、被害者が何を見た可能性があり、その間に何があったのかを書く。
ミセス・ノリスが倒れていた廊下では、床に水が広がっていた。嘆きのマートルの洗面所から流れ出したものだった。コリンはカメラを構えたまま石化している。ジャスティンとニックは同じ場所で見つかったが、こちらはまだ位置関係が分からない。ニックだけは幽霊であり、生者と同じ条件で考えていい保証もなかった。
四つの事例を並べると、反射や透過という言葉がどうしても浮かぶ。ただし、それをそのまま魔法へ当てはめるのは早い。鏡が光を返すからといって、呪文まで同じように跳ね返るとは限らないし、透明なものを通して見えるからといって、魔法的な作用まで同じ割合で通過するとも限らない。
確かめられる部分だけは、確かめておくことにした。
遙一が古い姿見を教室の中央へ移動させたところで、天井近くから笑い声が落ちてきた。
「夜中に鏡を見るスリザリン! とうとう自分の顔に恋をした!」
逆さまになったピーブズが、シャンデリアの向こうから顔を出した。
「ちょうどよかった。少し手伝ってもらえますか」
「いやだね!」
「面白いものが見られますよ」
ピーブズは止まった。
「どれくらい?」
「あなたが途中で邪魔をしなければ、最後まで」
「それは面白いのか?」
「途中で邪魔をすると、何をしているのか分からないまま終わります」
しばらく考えた末、ピーブズは「ずるいぞ」と言いながら降りてきた。
最初に使ったのは《エクスペリアームス》だった。教室の端に置いた古い甲冑へ木の棒を握らせ、直接当てれば棒が弾き飛ばされることを確認する。次に姿見の角度を変え、同じ呪文を鏡面へ撃った。
鏡は呪文を返さなかった。
表面に火花が散り、古い鏡が大きく揺れただけで、反射した光のように別方向へ《エクスペリアームス》が飛ぶことはない。
「今の、何が面白いんだ?」
「反射しなかったことです」
「つまらないぞ!」
「結果が予想通りであることと、結果が無価値であることは別ですよ」
「やっぱりつまらないぞ!」
次はピーブズだった。遙一は彼が抱えていた花瓶を指した。
「それ、少し借ります」
「やだ」
「では、そのままで」
遙一が杖を向けると、ピーブズは一瞬だけ警戒した。
「《エクスペリアームス》」
花瓶が彼の腕から弾かれ、遙一がすぐに浮遊呪文で受け止める。ピーブズは目を丸くしたあと、「返せ!」と飛びついた。
「はい」
「なんだったんだ今の!」
「あなたにも、持っている物にも、少なくとも呪文は作用する」
「ピーブズ様を実験に使ったな!」
「手伝ってくれたので」
「そういう意味じゃない!」
花瓶を抱えたまま教室を飛び出していく背中を見送り、遙一は杖を下ろした。
もちろん、ピーブズはニックの代わりにはならない。ポルターガイストと幽霊は同じ存在ではなく、ピーブズは物を持ち、投げ、こちらからも干渉できる。分かったのは、生身ではない存在にも魔法が作用する場合があることと、呪文そのものを光学現象として扱うべきではないという程度だった。
それで十分だった。
遙一は危険な魔法生物の本を開く。視線や眼そのものに危険な性質を持つ生物は一種類ではない。見た者を眠らせるもの、幻覚を起こすもの、一定時間身体を動かなくするもの。頁を進めるたび候補は増えたが、城の中で見たものの大きさと形を加えると、その多くは消えていった。
やがて、一つの項目で指が止まる。
バジリスク。
蛇の王とも呼ばれる巨大な蛇。極めて長命で、牙には強力な毒を持ち、その眼を直接見た者を死に至らせる。
そこだけなら、むしろ合わない。死んだ者はいないからだ。ミセス・ノリスも、コリンも、ジャスティンも石化しただけであり、最初に候補から外してもおかしくなかった。
けれど、実際の被害だけをもう一度見る。
ミセス・ノリスの前には水があり、コリンはカメラを構えていた。ジャスティンについては断定できないが、同じ場所で倒れていたニックが彼と何かの間にいたのなら説明はつく。そしてニックだけは、何も介さずに見た可能性がある代わりに、最初から死者だった。
「なるほど」
少なくとも、呪文そのものを光と同じものとして扱うことはできない。鏡が光を返すからといって魔法まで同じように返すわけではない以上、バジリスクの視線についても物理法則だけから結果を決めるべきではなかった。ここで重要なのは、実際に四件がそういう結果になっていることだった。
もし本来なら死をもたらす視線が、直接ではない見方によって完全には届かなかったのなら、生者が死なずに石化したことへ説明がつく。ニックが直接見ていたとしても、すでに死者である以上、同じ意味でもう一度殺すことはできない。
まだ仮説でしかない。それでも、これなら「なぜ全員が同じ状態になったのか」ではなく、「なぜ誰も死ななかったのか」という問いに答えられる。
翌日の放課後、遙一は前に糸が切れていた踊り場へ戻った。
今回は糸を持っていない。必要なのは、壁の向こうへ視線と光を届かせることだけだった。
古い鉄格子の前に立ち、杖を向ける。
「ウィンガーディアム・レヴィオーサ」
錆びた格子が軋みながら少し浮いた。完全に外す必要はない。人の手なら届かない程度の隙間ができれば十分だった。
遙一はポケットから、薄く磨いた金属片を二枚取り出した。一枚を杖の動きに合わせて格子の向こうへ浮かせ、角度を変えながら奥へ進める。もう一枚は手前へ残した。
「ルーモス」
杖先の光が手前の金属へ当たり、奥の金属へ反射して、曲がった空間の先をわずかに照らした。
奇術なら、観客から見えない場所へ仕掛けを置くために糸や棒を使う。魔法なら、その必要がない。手の届かないところへ鏡を置けるなら、覗ける角度そのものを後から作ればいい。
光を少しずつ送ると、濡れた石の奥に丸い金属の縁が見えた。
管だった。
人間の家にある細い水道管とは比べものにならない。古い城の排水や給水のために設けられた太い設備が、壁と床の間を縫うように続いている。補修記録にあった図と位置も合う。
昨夜読んだ記録では、ホグワーツの配管は一度に造られたものではない。古い水路や排水路へ、時代ごとに新しい設備が接続されている。今使われていない経路も多く、図面そのものが完全ではなかった。
つまり、廊下の地図だけを見ても意味がない。
壁の向こうには、別の地図がある。
遙一は格子を元へ戻し、廊下を歩きながら材料を並べ直した。
巨大で細長い身体。足音を立てず、壁の内側を移動する。被害者の多くは何かを介して相手を見ており、直接見た可能性が高い一人はすでに死者だった。怪物の接近前にはハリーだけが言葉を聞き、そのハリーは蛇の言葉を、自分では別の言語と気づかないまま理解できる。
さらに、秘密の部屋を作ったのはサラザール・スリザリンである。
バジリスクの項目を思い返す。巨大な蛇。致死性の視線。そして、蛇語を話す者によって制御される可能性。
個々なら、まだ偶然と呼べる材料もある。巨大なものが蛇とは限らず、壁の中から聞こえる声がその生物のものとも限らない。水やカメラが被害を弱めたという考えにも、直接の証明はない。
けれど、別々だった疑問へ一つの仮説を置いた時、説明できるものが多すぎた。
秘密の部屋にいる怪物がバジリスクである可能性は、かなり高い。
それでも、事件はまだ終わらない。
何がいるかと、誰が動かしているかは別の問題だった。五十年前のリドルの日記が今年になって現れたことも、ジニーの様子も、怪物を城内へ出し入れする方法も、秘密の部屋そのものの入口も繋がっていない。
そしてもう一つ。
これほど巨大な蛇が城の中を移動しているのなら、壁の向こうに空間があるというだけでは足りない。どの経路を使い、どこから廊下へ出ているのか。その答えがなければ、バジリスクという名前もまだ完成した答えにはならない。
遙一は足を止め、壁の向こうを見た。
石しか見えない。
その向こうには、もう一つのホグワーツがある。
次に探すべきものは、怪物の名前ではなく、その道だった。