Good Luck, Mr. Magician 作:evejanjan
五月八日の昼休み、ハーマイオニーは遙一を図書館の出口で捕まえた。
「少し時間ある?」
「昼食を諦めれば」
「そこまで長くならないわよ」
そう言いながら、彼女は自分から大広間とは反対の廊下へ歩き出した。抱えている本は三冊。いずれも魔法生物に関するもので、いちばん上の本には細い紙片が何枚も挟まっている。
「ロンとハリーは?」
「ロンは昼食。ハリーは、そのロンを置いてくると面倒だから一緒」
「賢明ですね」
「あなたまでそう言うの?」
角を曲がったところでハーマイオニーは立ち止まり、周囲に生徒が少ないことを確かめてから本を開いた。
「秘密の部屋の怪物について、たぶん分かった」
遙一は本ではなく、彼女の顔を見た。
「聞いても?」
「バジリスク」
ためらいはなかった。
ハーマイオニーは頁をめくり、蛇の王について書かれた項目を示した。巨大な蛇。致死性の視線。蛇語を話す者に従う性質。
「最初は候補から外したの。だって、誰も死んでないでしょう? でも、それがおかしいと思った。ミセス・ノリスは水面、コリンはカメラ。ニックは幽霊だから普通の生き物と同じようには死ねない。ジャスティンはまだ分からないけど、ニックと一緒に倒れていたなら、何かを直接見なかった可能性はある」
「ええ」
「それに、ハリーが聞いた声。蛇語なら、私たちに聞こえても意味が分からないんじゃなくて、そもそもハリーだけが言葉として拾っていた可能性もある。決闘クラブでハリー自身、自分が別の言葉を喋ってるって気づいてなかったでしょう」
そこまで一息に話してから、ハーマイオニーは目を細めた。
「……その顔、やめて」
「どの顔ですか?」
「知ってた顔」
「かなり近いところまでは」
「かなり?」
「同じ名前を考えていました」
ハーマイオニーは一瞬だけ口を開き、それから本を閉じた。
「だったら言ってくれてもよかったでしょう」
「確証がありませんでしたから」
「今もないわよ」
「では、条件は同じですね」
「そういう問題じゃないの」
怒ってはいるが、本気で腹を立てているわけではないらしい。ハーマイオニーは数歩歩き、また止まった。
「でも、まだ一つ変なのよ」
遙一は答えず、その続きを待った。
「バジリスクがあれだけ大きいなら、どうやって城の中を動くの? あなたが壁の向こうで何かを見たっていう話は聞いた。でも、壁の中に空間があるだけじゃ足りないでしょう。毎回たまたま被害者の近くまで続いてるなんて――」
そこで言葉が止まる。
遙一は少しだけ笑った。
「残っているのは、移動経路ですね」
「……ええ」
「これだけ大きなものが、人のいる廊下を通らずに城中へ出られるなら、壁の中にあるものを全部同じ『空間』として考える必要はないかもしれません」
「壁の中にあるもの……」
ハーマイオニーの視線が、遙一から石壁へ移った。
その向こうに何があるかを見るように。
「待って」
彼女は小さく呟いた。
「城の中を通っていて、どの階にもあって、人が歩くためのものじゃなくて……」
遙一は何も言わなかった。
「水」
今度は本を開かなかった。
「洗面所。水道。排水――配管よ」
ハーマイオニーが顔を上げる。
「蛇なら、管の中を移動できる。普通の水道管じゃ無理でも、ここは千年前から継ぎ足されてきた城よ。古い水路や排水路が残ってたっておかしくない。ミセス・ノリスの時に床が濡れてたのも、嘆きのマートルの洗面所からだった」
「私も同じ可能性を考えています」
「やっぱり知ってたんじゃない!」
「今、あなたが自分で確かめたでしょう」
「そういうところが腹立つのよ!」
声が少し大きくなり、近くを歩いていた三年生が振り返った。ハーマイオニーは咳払いを一つして声を落とす。
「でも、配管なら調べられる。設備の記録が図書館にあるかもしれないし、少なくとも洗面所の位置から――」
「ハーマイオニー」
「何?」
「答えが合っていることと、安全であることは別ですよ」
彼女は一瞬だけ黙った。
「分かってるわ。一人で怪物を探しに行ったりしない。それに――」
ハーマイオニーは鞄の脇から小さな手鏡を取り出した。
「もし本当に視線が原因なら、角を曲がる時に直接前を見る必要もないでしょう。図書館へ戻ったら、ペネロピーにも相談するつもり。監督生なら、先生に話を通す時も私一人より早いもの」
危険を理解していないわけではない。それどころか、答えへ届いた直後から、できる範囲で対策まで考えている。
「そこまで考えているなら結構です」
「あなたに言われると、ものすごく信用されてない気がする」
「むしろ逆ですよ。あなたなら一人でも調べられるので、止めているんです」
「褒めてる?」
「ええ」
「全然嬉しくないわ」
そう言いながらも、ハーマイオニーは鏡を丁寧に鞄へ戻した。
「図書館に戻る。配管について何かないか見るだけ。ハリーとロンにもすぐ話すわ」
「昼食は?」
「あとで何か食べる」
「その答えは予想していました」
「だったら聞かないで」
ハーマイオニーは来た道を早足で戻っていった。
遙一はその背中を見送った。同行者を選び、視線を避ける手段まで用意している。それなら、少なくとも自分一人で危険な場所へ踏み込むことはないだろう。
そう判断して、遙一も大広間へ向かった。
午後の授業は、普段と変わらなかった。
少なくとも途中までは。
フリットウィック教授が黒板へ呪文の軌道を書き、生徒たちがそれを羊皮紙へ写していた時、教室の扉が開いた。入ってきたのは別の教師で、短く何かを耳打ちする。
フリットウィックの表情が変わった。
「皆さん、今日はここまでです。荷物をまとめて、寮へ戻りなさい。廊下では必ず複数で行動すること。寄り道をしてはいけません」
教室の空気が一瞬で変わった。
誰かが「また?」と呟き、別の誰かが椅子を鳴らして立ち上がる。遙一は杖をしまいながら、教壇へ近づいた監督生たちの声を拾った。
教壇へ近づいた監督生たちの声から、図書館の近くで二人が石化したらしいことだけは拾えた。名前までは聞こえなかった。それでも胸の奥に、説明のつかない違和感が先に生まれた。
廊下へ出ると、生徒たちは教師に急かされながら各寮へ向かっていた。噂はまだ形になっていない。ただ、形になっていない情報ほど速く広がる。
階段を一つ下りたところで、遙一を見つけたハリーとロンが走ってきた。
「ヨーイチ!」
ハリーの顔を見た瞬間、遙一は聞く前に分かった。
「ハーマイオニーですか」
ロンが息を切らしながら頷く。
「ハーマイオニーと、レイブンクローの監督生。ペネロピー・クリアウォーター。二人とも石にされたって」
「どこで?」
「図書館の近くだ。先生たちが見つけたらしい。鏡を持ってたって……二人で角を見るのに使ってたみたいだ」
昼休みの会話が、鏡という一語で戻ってくる。バジリスクの視線、配管、そしてハーマイオニーが自分で用意していた対策まで、順番に。
彼女は答えに届いていた。危険も理解し、一人では動かず、監督生と同行し、角を曲がる前には鏡まで使った。
それでも、石化した。
「ヨーイチ?」
ハリーが名前を呼んだ。
「……すみません。少し考えていました」
声はいつもと変わらなかった。ただ、杖をしまおうとした指が一度だけ留め具を外し損ねた。
「何か知ってるのか?」
遙一は昼休みに何を話したか、その後ハーマイオニーが何をしようとしていたかを順に説明した。途中でロンが何度か口を挟み、ハリーは黙って聞いている。
「じゃあ、ハーマイオニーもバジリスクだと思ってたのか」
「ええ。ほとんど自分で辿り着いていました」
「ほとんど?」
ロンが聞く。
「移動経路について一つ訊いただけです。配管に気づいたのは彼女ですよ」
ロンは何か言おうとしたが、やめた。
ハリーが低い声で聞いた。
「危ないって言った?」
「言いました」
「それでも行ったのか」
「図書館で記録を調べるだけだと」
口にして、遙一はわずかに眉を寄せた。
図書館へ行くだけで、一人でもなく、鏡も用意していた。ハーマイオニーの判断に、目立った無謀さはない。
だからこそ気に障った。
彼女が配管に気づけば、確認したくなることくらい分かっていた。実際、その行動までほとんど予想できていた。それなのに、同行者と鏡を用意していると知ったところで、遙一は計算を止めた。
そこから先を読まなかったのは、ハーマイオニーではない。自分だった。
その夜、スリザリンの談話室で、遙一は開いた本の同じ一行を二度読んだ。
意味が入ってこなかったわけではない。三度目を読む必要がないことに気づき、本を閉じる。
水の向こうで魚の影が一度横切り、消えていった。
相手が自分で辿り着けるなら、その方がいい。自分で考えて得た答えは、他人から与えられた答えより深く残り、次の問題にも使える。その考え自体を、遙一は今も間違いだとは思わなかった。
問題は、その後だった。
問いを置けば、人は答えへ向かう。答えへ辿り着けば、今度はそれを確かめようとする。ハーマイオニーならなおさらだ。そこまで分かっていながら、彼女が十分な対策をしていることを確認しただけで、その先を計算から外した。
糸を引いたなら、その先で人形がどこへ動くかまで見ていなければならない。
今回、見落としたのは答えではなかった。
その先だった。