Good Luck, Mr. Magician   作:evejanjan

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第13話 糸の先

 五月八日の昼休み、ハーマイオニーは遙一を図書館の出口で捕まえた。

 

「少し時間ある?」

 

「昼食を諦めれば」

 

「そこまで長くならないわよ」

 

 そう言いながら、彼女は自分から大広間とは反対の廊下へ歩き出した。抱えている本は三冊。いずれも魔法生物に関するもので、いちばん上の本には細い紙片が何枚も挟まっている。

 

「ロンとハリーは?」

 

「ロンは昼食。ハリーは、そのロンを置いてくると面倒だから一緒」

 

「賢明ですね」

 

「あなたまでそう言うの?」

 

 角を曲がったところでハーマイオニーは立ち止まり、周囲に生徒が少ないことを確かめてから本を開いた。

 

「秘密の部屋の怪物について、たぶん分かった」

 

 遙一は本ではなく、彼女の顔を見た。

 

「聞いても?」

 

「バジリスク」

 

 ためらいはなかった。

 

 ハーマイオニーは頁をめくり、蛇の王について書かれた項目を示した。巨大な蛇。致死性の視線。蛇語を話す者に従う性質。

 

「最初は候補から外したの。だって、誰も死んでないでしょう? でも、それがおかしいと思った。ミセス・ノリスは水面、コリンはカメラ。ニックは幽霊だから普通の生き物と同じようには死ねない。ジャスティンはまだ分からないけど、ニックと一緒に倒れていたなら、何かを直接見なかった可能性はある」

 

「ええ」

 

「それに、ハリーが聞いた声。蛇語なら、私たちに聞こえても意味が分からないんじゃなくて、そもそもハリーだけが言葉として拾っていた可能性もある。決闘クラブでハリー自身、自分が別の言葉を喋ってるって気づいてなかったでしょう」

 

 そこまで一息に話してから、ハーマイオニーは目を細めた。

 

「……その顔、やめて」

 

「どの顔ですか?」

 

「知ってた顔」

 

「かなり近いところまでは」

 

「かなり?」

 

「同じ名前を考えていました」

 

 ハーマイオニーは一瞬だけ口を開き、それから本を閉じた。

 

「だったら言ってくれてもよかったでしょう」

 

「確証がありませんでしたから」

 

「今もないわよ」

 

「では、条件は同じですね」

 

「そういう問題じゃないの」

 

 怒ってはいるが、本気で腹を立てているわけではないらしい。ハーマイオニーは数歩歩き、また止まった。

 

「でも、まだ一つ変なのよ」

 

 遙一は答えず、その続きを待った。

 

「バジリスクがあれだけ大きいなら、どうやって城の中を動くの? あなたが壁の向こうで何かを見たっていう話は聞いた。でも、壁の中に空間があるだけじゃ足りないでしょう。毎回たまたま被害者の近くまで続いてるなんて――」

 

 そこで言葉が止まる。

 

 遙一は少しだけ笑った。

 

「残っているのは、移動経路ですね」

 

「……ええ」

 

「これだけ大きなものが、人のいる廊下を通らずに城中へ出られるなら、壁の中にあるものを全部同じ『空間』として考える必要はないかもしれません」

 

「壁の中にあるもの……」

 

 ハーマイオニーの視線が、遙一から石壁へ移った。

 

 その向こうに何があるかを見るように。

 

「待って」

 

 彼女は小さく呟いた。

 

「城の中を通っていて、どの階にもあって、人が歩くためのものじゃなくて……」

 

 遙一は何も言わなかった。

 

「水」

 

 今度は本を開かなかった。

 

「洗面所。水道。排水――配管よ」

 

 ハーマイオニーが顔を上げる。

 

「蛇なら、管の中を移動できる。普通の水道管じゃ無理でも、ここは千年前から継ぎ足されてきた城よ。古い水路や排水路が残ってたっておかしくない。ミセス・ノリスの時に床が濡れてたのも、嘆きのマートルの洗面所からだった」

 

「私も同じ可能性を考えています」

 

「やっぱり知ってたんじゃない!」

 

「今、あなたが自分で確かめたでしょう」

 

「そういうところが腹立つのよ!」

 

 声が少し大きくなり、近くを歩いていた三年生が振り返った。ハーマイオニーは咳払いを一つして声を落とす。

 

「でも、配管なら調べられる。設備の記録が図書館にあるかもしれないし、少なくとも洗面所の位置から――」

 

「ハーマイオニー」

 

「何?」

 

「答えが合っていることと、安全であることは別ですよ」

 

 彼女は一瞬だけ黙った。

 

「分かってるわ。一人で怪物を探しに行ったりしない。それに――」

 

 ハーマイオニーは鞄の脇から小さな手鏡を取り出した。

 

「もし本当に視線が原因なら、角を曲がる時に直接前を見る必要もないでしょう。図書館へ戻ったら、ペネロピーにも相談するつもり。監督生なら、先生に話を通す時も私一人より早いもの」

 

 危険を理解していないわけではない。それどころか、答えへ届いた直後から、できる範囲で対策まで考えている。

 

「そこまで考えているなら結構です」

 

「あなたに言われると、ものすごく信用されてない気がする」

 

「むしろ逆ですよ。あなたなら一人でも調べられるので、止めているんです」

 

「褒めてる?」

 

「ええ」

 

「全然嬉しくないわ」

 

 そう言いながらも、ハーマイオニーは鏡を丁寧に鞄へ戻した。

 

「図書館に戻る。配管について何かないか見るだけ。ハリーとロンにもすぐ話すわ」

 

「昼食は?」

 

「あとで何か食べる」

 

「その答えは予想していました」

 

「だったら聞かないで」

 

 ハーマイオニーは来た道を早足で戻っていった。

 

 遙一はその背中を見送った。同行者を選び、視線を避ける手段まで用意している。それなら、少なくとも自分一人で危険な場所へ踏み込むことはないだろう。

 

 そう判断して、遙一も大広間へ向かった。

 

 

 午後の授業は、普段と変わらなかった。

 

 少なくとも途中までは。

 

 フリットウィック教授が黒板へ呪文の軌道を書き、生徒たちがそれを羊皮紙へ写していた時、教室の扉が開いた。入ってきたのは別の教師で、短く何かを耳打ちする。

 

 フリットウィックの表情が変わった。

 

「皆さん、今日はここまでです。荷物をまとめて、寮へ戻りなさい。廊下では必ず複数で行動すること。寄り道をしてはいけません」

 

 教室の空気が一瞬で変わった。

 

 誰かが「また?」と呟き、別の誰かが椅子を鳴らして立ち上がる。遙一は杖をしまいながら、教壇へ近づいた監督生たちの声を拾った。

 

 教壇へ近づいた監督生たちの声から、図書館の近くで二人が石化したらしいことだけは拾えた。名前までは聞こえなかった。それでも胸の奥に、説明のつかない違和感が先に生まれた。

 

 

 廊下へ出ると、生徒たちは教師に急かされながら各寮へ向かっていた。噂はまだ形になっていない。ただ、形になっていない情報ほど速く広がる。

 

 階段を一つ下りたところで、遙一を見つけたハリーとロンが走ってきた。

 

「ヨーイチ!」

 

 ハリーの顔を見た瞬間、遙一は聞く前に分かった。

 

「ハーマイオニーですか」

 

 ロンが息を切らしながら頷く。

 

「ハーマイオニーと、レイブンクローの監督生。ペネロピー・クリアウォーター。二人とも石にされたって」

 

「どこで?」

 

「図書館の近くだ。先生たちが見つけたらしい。鏡を持ってたって……二人で角を見るのに使ってたみたいだ」

 

 昼休みの会話が、鏡という一語で戻ってくる。バジリスクの視線、配管、そしてハーマイオニーが自分で用意していた対策まで、順番に。

 

 彼女は答えに届いていた。危険も理解し、一人では動かず、監督生と同行し、角を曲がる前には鏡まで使った。

 

 それでも、石化した。

 

「ヨーイチ?」

 

 ハリーが名前を呼んだ。

 

「……すみません。少し考えていました」

 

 声はいつもと変わらなかった。ただ、杖をしまおうとした指が一度だけ留め具を外し損ねた。

 

「何か知ってるのか?」

 

 遙一は昼休みに何を話したか、その後ハーマイオニーが何をしようとしていたかを順に説明した。途中でロンが何度か口を挟み、ハリーは黙って聞いている。

 

「じゃあ、ハーマイオニーもバジリスクだと思ってたのか」

 

「ええ。ほとんど自分で辿り着いていました」

 

「ほとんど?」

 

 ロンが聞く。

 

「移動経路について一つ訊いただけです。配管に気づいたのは彼女ですよ」

 

 ロンは何か言おうとしたが、やめた。

 

 ハリーが低い声で聞いた。

 

「危ないって言った?」

 

「言いました」

 

「それでも行ったのか」

 

「図書館で記録を調べるだけだと」

 

 口にして、遙一はわずかに眉を寄せた。

 

 図書館へ行くだけで、一人でもなく、鏡も用意していた。ハーマイオニーの判断に、目立った無謀さはない。

 

 だからこそ気に障った。

 

 彼女が配管に気づけば、確認したくなることくらい分かっていた。実際、その行動までほとんど予想できていた。それなのに、同行者と鏡を用意していると知ったところで、遙一は計算を止めた。

 

 そこから先を読まなかったのは、ハーマイオニーではない。自分だった。

 

 

 その夜、スリザリンの談話室で、遙一は開いた本の同じ一行を二度読んだ。

 

 意味が入ってこなかったわけではない。三度目を読む必要がないことに気づき、本を閉じる。

 

 水の向こうで魚の影が一度横切り、消えていった。

 

 相手が自分で辿り着けるなら、その方がいい。自分で考えて得た答えは、他人から与えられた答えより深く残り、次の問題にも使える。その考え自体を、遙一は今も間違いだとは思わなかった。

 

 問題は、その後だった。

 

 問いを置けば、人は答えへ向かう。答えへ辿り着けば、今度はそれを確かめようとする。ハーマイオニーならなおさらだ。そこまで分かっていながら、彼女が十分な対策をしていることを確認しただけで、その先を計算から外した。

 

 糸を引いたなら、その先で人形がどこへ動くかまで見ていなければならない。

 

 今回、見落としたのは答えではなかった。

 

 その先だった。

 

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