Good Luck, Mr. Magician 作:evejanjan
ジニー・ウィーズリーが秘密の部屋へ連れていかれた。
その知らせがスリザリンの談話室まで届いた時、誰も大きな声を出さなかった。
石化事件についてなら、これまでいくらでも噂が飛び交った。犯人は誰だ、次は誰だ、学校は閉鎖されるらしい。輪郭のない恐怖には、好きなだけ言葉を足せる。
今度は、ジニー・ウィーズリーという名前があった。
遙一は椅子に座ったまま、壁の時計へ目を向けた。
ハーマイオニーが石化してから、胸の奥に残っているものがある。自分は問いを置き、彼女なら答えへ届くと判断した。実際に彼女はバジリスクと配管へ辿り着いたのだから、そこまでは間違っていない。間違えたのは、その後を読まなかったことだった。
糸を引いたなら、人形がどこへ動くかまで見ていなければならない。自分が進路へ手を入れた以上、その先へ別の手が伸びる可能性まで計算に入れるべきだった。
五十年前にハグリッドへ罪を被せたトム・リドルの日記が、今の事件と無関係だとは考えにくい。あれが単に過去を見せる記録なら、それで話は終わる。そうでないのなら、五十年前の少年の意思が、どこかで現在へ続いている。
どんな方法で、どこまで介入しているのかは分からない。
ただ、自分が糸を引いた先へ何者かが手を伸ばし、ハーマイオニーを石にしたことだけは、ひどく気に入らなかった。罪悪感とは違う。だからこそ、日記の先に何があるのかを確かめないまま幕を下ろす気にもなれなかった。
遙一は立ち上がった。
「どこへ行くんだ?」
近くにいたドラコが顔を上げた。
「少し、続きを見てきます」
「何の続きだよ」
「こちらの話です」
ドラコは眉を寄せたが、それ以上は訊かなかった。教師からは寮を出ないよう言われている。遙一が談話室を出ようとしている以上、止めても無駄だと分かっているらしい。
「だったら見つかるなよ。僕まで何を知ってたか聞かれるのは面倒だ」
「努力します」
「そこは約束しろって言ってるんだ」
遙一は小さく笑い、そのまま談話室を出た。
城内は普段より人が少なかった。
教師が生徒を各寮へ戻したため、廊下が妙に広く見える。数日前までは恐怖で人が寄り集まり、同じ場所が狭く見えていたことを思えば、随分勝手なものだった。
曲がり角の向こうから二人分の足音が近づいてきた。
遙一は壁際へ寄り、少し離れた場所に立つ甲冑へ杖を向けた。籠手の留め金だけを浮かせて外すと、金属の手が石床へ落ち、乾いた音が廊下の反対側まで走った。
足音が止まる。
二人とも、音のした方へ向かった。
遙一はその間に階段を下りた。
視線を奪ったわけではない。
向こうが、自分から見に行く方を選んだだけだった。
嘆きのマートルのトイレには、生きた人間の姿はなかった。
「また男の子」
便器の上から顔を出したマートルが、いかにも迷惑そうに言った。
「最近ここを何だと思ってるの? 薬は作るし、勝手に入ってくるし、私が泣いてても誰も気にしないし。生きてる人って本当に自分勝手」
「今日はあなたに用があります」
その一言で、マートルの顔が変わった。
「私に?」
「ええ。あなたが死んだ日の話を聞きたいんです」
彼女は目を丸くしたあと、ゆっくりと便器から浮かび上がった。
「死んだ日のことを?」
「覚えているところからで構いません」
「まあ……誰もそんなこと聞いてくれないのよ。オリーブ・ホーンビーなんて、私が死んだあとまで――」
話はしばらくオリーブ・ホーンビーへの恨みに逸れた。
遙一は急かさなかった。話したいことを遮って本題だけを取ろうとすれば、人は途端に質問へ答えている顔になる。好きに喋らせた方が、記憶は余計なものまで連れてくる。
やがてマートルは、五十年前のある日の話へ戻ってきた。
「オリーブに眼鏡のことをからかわれて、ここへ逃げ込んだの。個室で泣いてたら、外から男の子の声が聞こえてきてね。でも英語じゃなかったわ。何を言ってるのか全然分からないし、ここは女子トイレなのに男の子がいるなんて腹が立つでしょう? だから出ていって文句を言ってやろうと思ったの」
そこでマートルは、自分の目を指差した。
「扉を開けたら、大きな黄色い目があった。それだけ。次に気づいた時には、私は死んでたわ」
あの黄色い目だけで、バジリスクという推測はほぼ確信へ変わった。
「声は、どの辺りから聞こえました?」
「そこよ。たしか、その洗面台の辺り」
マートルが何気なく指した先へ、遙一は歩いた。
並んだ洗面台を端から調べていく。蛇口や排水口、陶器の継ぎ目、壁との接続。魔法で隠された入口なら、普段は何の異常も見えない可能性がある。それでも、使う者自身が場所を識別できない仕掛けにはしないはずだった。
やがて、一つの蛇口の側面にごく小さな蛇の意匠を見つけた。
遙一は少し距離を取って杖を抜いた。
蛇口そのものを動かし、次に解錠呪文を試す。どちらにも反応しない。外から壊す方法はいくらでも考えられたが、その先に何があるのか分からない以上、構造ごと壊すのは下策だった。
サラザール・スリザリンが後継者のために残した入口に蛇の印があり、マートルには理解できなかった男の声がここから聞こえた。必要なものはかなり絞れる。
「鍵穴は見つけましたが……」
「何それ?」
マートルが肩越しに覗き込む。
「鍵を持っていないようです」
その時、トイレの扉が勢いよく開いた。
「ヨーイチ?」
ハリーとロンが立っていた。その後ろにはロックハートまでいる。ただし普段の彼とは違い、髪は乱れ、顔色も悪く、何より二人から離れようとするたびにロンから睨まれていた。
「先に来てたのか」
「ええ。あなたたちもマートルに?」
「五十年前に死んだ女の子が女子トイレで見つかったって話をしてたら、もしかしてって思って。それで、その前にロックハート先生のところへ行ったんだけど――」
「その話は長いぞ」
ロンが疲れた顔で割り込んだ。
「先生は怪物退治に行くどころか逃げる支度をしてたし、本に書いた冒険は全部ほかの魔法使いがやったことで、本人が得意なのは忘却呪文だけだったらしい。僕としては今日だけで驚く量をもう使い切ったつもりなんだけど、まだ何かある?」
「入口らしきものなら」
遙一が答えると、ロンの表情から疲れが一瞬消えた。
蛇の印を見せ、マートルから聞いたことを伝える。
ハリーは蛇口を覗き込んだ。
「パーセルタング?」
「私もそう考えています。普通の魔法には反応しませんでした。蛇の形が鍵穴なら、鍵も蛇に関係するのでしょう」
「でも、僕、蛇がいないと話せるか分からない」
「なら、それを蛇だと思ってみては?」
遙一は蛇の印を指した。
ハリーが何度か試し、やがて口から人間の言葉とは違う鋭い音が漏れた。
蛇の印が動いた。
続いて蛇口が回り、洗面台そのものがゆっくり沈んでいく。その下から現れたのは、大人一人が十分に通れそうな暗い管だった。
ロンが穴を覗き込んだまま呟いた。
「……ハーマイオニー、本当に配管まで当ててたんだな」
「ええ」
遙一は暗闇から目を逸らさなかった。
自分が置いた問いの先で、彼女はここまで来ていた。
そして、日記の先もこの暗闇へ続いているのかもしれない。
「降ります」
ハリーが言った。
「ジニーが下にいるなら、ほかにない」
「僕も行くよ。今さら一人で戻って待ってろって言われても無理だからな」
ロンはそう言ってから遙一を見た。
「ヨーイチは?」
「行きます」
即答すると、ロンが少し意外そうな顔をした。
「珍しいな。こういう時、いつも僕らに行かせるのに」
「今回は、日記の先を見ておきたいので」
「日記の先?」
ハリーが振り返った。
「五十年前の記憶を見せただけなら、あの日記の役目はそこで終わっています。ですが、今の事件にも関わっているなら、トム・リドルの意思がどこまで残っているのか確かめたい」
ロンが暗い管と遙一を見比べた。
「怪物の方は?」
「そちらは、できれば会いたくありません」
「そこは普通なんだな……」
二人の後ろで、ロックハートだけが青ざめていた。
「待ちたまえ。入口を発見したのなら、ここは教師を呼ぶべきだ。専門家に任せるというのも勇気ある判断で――」
「先生が専門家なんじゃないんですか?」
ロンの声は妙に冷静だった。
「さっきまで自分でそう書いてた本を荷造りしてたでしょう」
「いや、それは――」
「先にどうぞ」
遙一が管を示すと、ロックハートは黙った。
管の中は、滑るというより落ちるに近かった。
湿った石の感触がローブ越しに伝わり、何度も方向が変わる。どれほど下ったのか分からなくなった頃、ようやく傾斜が緩み、四人は暗い地下道へ投げ出された。
遙一はすぐに立ち上がって杖先へ灯りを点した。周囲には小動物の骨が散らばっている。湿った地下道をしばらく進んだところで、先頭のハリーが急に足を止めた。
その先に、巨大な蛇が横たわっていた。
ロンが息を呑み、ロックハートは声も出さずに後ずさる。遙一は杖の光を少しずらし、乾いた表面と、ところどころ薄く透けた皮を見た。
「抜け殻です」
「分かってる。今、僕もそう思ったところだ」
「三歩ほど下がりましたが」
「数えるなよ」
巨大な抜け殻は、遙一の想像よりはるかに太かった。これほどのものが城の壁の内側を動き回り、ハーマイオニーは鏡一枚を手にその正体へ近づこうとしていたのだ。
そこで、胸の奥に残っていた不快感の向きがはっきりした。怪物そのものではない。これを使い、彼女の行く先へ手を伸ばした相手に対してだった。
「進みましょう」
そう言った直後、背後で鈍い音がした。
ロックハートがロンへ体当たりするように身を寄せ、壊れた杖を奪っていた。
距離が近い。
遙一が杖を上げた時には、ロックハートの腕がすでにロンの首へ回り、折れかけた杖先がこちらを向いている。
「動くな!」
さっきまでの怯えた顔ではなかった。
「まったく、とんでもない一日だ。君たちはここで怪物を見た。私は残念ながら間に合わなかった。三人ともショックで記憶が混乱している。ウィーズリー嬢のことは悲劇だが、私が戻れば十分説明できる」
「その杖、壊れてますよ」
遙一が言った。
ロックハートの目が一瞬だけ杖へ落ちる。
「オブリビエイト!」
白い光が弾けた。
呪文は前へ飛ばなかった。
杖の中で膨れ上がったような衝撃がロックハート自身を吹き飛ばし、轟音とともに地下道全体が揺れた。
「伏せて!」
遙一は身を沈めた。
天井から石が落ちる。
視界が灰色に埋まり、何か巨大なものが地面へ落ちる音が何度も続いた。
静かになった時、地下道は二つに分断されていた。
「ロン!」
ハリーが叫ぶ。
向こう側から咳き込む声が返った。
「ハリー! ヨーイチもそっちか?」
「います」
遙一は瓦礫の壁を見上げた。
こちら側にいるのはハリーと自分。
向こう側にはロンとロックハート。
大きな石が何段にも噛み合い、天井近くまで塞いでいる。
「僕は先へ行く」
ハリーが言った。
「ジニーを探す」
遙一は瓦礫へ一度手を触れた。
荷重の掛かり方が分からない。強引に壊せば、向こう側のロンまで巻き込む。
「ロン」
「何だ?」
「こちら側から大きな石は動かしません。そちらも、上から抜かないでください。崩れます」
「分かった。ロックハート先生が役に立つかは知らないけど、こっちで道を開ける」
「誰がロックハートだね?」
少し間があった。
「……もう駄目だ、この人」
ロンの声が遠ざかる。
遙一はハリーへ向き直った。
「行きましょう」
「来るの?」
「ええ。帰り道はロンが作るでしょう」
「それだけ?」
遙一は少し考えた。
「日記の先を見に来たので。ここで戻る方が落ち着きません」
ハリーは何とも言えない顔をしたが、先へ歩き出した。
石造りの扉には、絡み合う二匹の蛇が刻まれていた。
ここでも鍵を持っていたのはハリーだった。
パーセルタングが響く。
蛇が離れ、扉が開いた。
その先は、長い石室だった。
巨大な蛇の彫刻が並び、最奥にはサラザール・スリザリンの巨大な顔がある。
そして、その手前にジニーが倒れていた。