Good Luck, Mr. Magician 作:evejanjan
飛行授業のある朝、ドラコ・マルフォイは普段より少しだけ機嫌がよかった。
大広間へ着いた時から箒の話をしていて、トーストを一枚食べ終える頃には、子供用の箒は学校に置いてある古い練習用とはまるで違う、という話になっていた。クラッブは聞きながらソーセージを切り、ゴイルは途中からどちらの箒の話をしているのか分からなくなったらしく、黙ってオートミールを食べている。
「乗ったことある?」
話の途中で、ようやくドラコが遙一へ尋ねた。
「何度か」
それを聞いた瞬間、これから始めるつもりだったらしい自慢話の勢いが、ほんの少しだけ落ちた。
「ちゃんと飛べる?」
「落ちない程度には」
「それならまあ、見れば分かるか」
何が分かるのかまでは言わなかった。
ドラコはそれから、自分はもっと小さい頃から乗っている、と話を続けた。どれくらい速く飛べたかという話になる頃には、さっき少し失った勢いもすっかり戻っていた。
午後になると、グリフィンドールとスリザリンの一年生は城の外へ連れ出された。
芝生には古い箒が一列に並べられていた。柄には細かな傷があり、枝が好き勝手な方向へ飛び出しているものもある。家で見た練習用より随分使い込まれていて、何人もの一年生を無事に、あるいは無事でない形で運んできたことが外見だけでも分かった。
マダム・フーチは短い灰色の髪をしていて、話し始めると風のある屋外でも声がよく通った。まず箒の横に立たされ、手を伸ばして呼び上げる。
遙一も右手を差し出した。
「上がれ」
箒は一度芝の上で跳ね、柄を半回転させてから手の中へ収まった。隣のドラコの箒はほとんど迷わず跳ね上がり、少し離れたところではロン・ウィーズリーの箒が地面に貼りついたように動かない。
そのさらに向こうで、ハリー・ポッターが同じ言葉を口にした。
箒は真っ直ぐ彼の手へ飛び込んだ。
何人かがそちらを見たが、遙一はすぐ自分の箒へ視線を戻した。一本の箒が素直に上がったくらいで、まだ何かを決めるには早い。
乗り方の説明が始まると、ドラコは慣れた顔をしていたものの、マダム・フーチに肘の位置を直されると、何事もなかったように姿勢を変えた。
合図に合わせて地面を蹴る。
遙一の箒は数フィートほど浮き、わずかに右へ流れた。左手の力を緩め、腰を少し戻すと今度は真っ直ぐ止まる。高さも速度も大したものではなかったが、身体の下から地面が離れ、杖とは違う仕方で魔法の道具が意思へ反応する感覚は面白かった。
ただ、それ以上ではなかった。
空へ上がった瞬間に胸が軽くなるようなことも、もっと高くまで行ってみたいと思うこともない。操作するものとしては興味深いが、飛ぶこと自体に心を奪われるほどではなかった。
少し向こうで地面へ降りたハリーは、明らかに違った。
一度浮いただけなのに、もう一度乗りたい人間の顔をしていた。
次の練習へ移る前に、ネビル・ロングボトムの箒が突然跳ね上がった。
マダム・フーチの合図より早かった。驚いたネビルが柄へしがみつき、その力でさらに箒が不安定になる。高度は見る間に上がり、地上からいくつもの悲鳴が飛んだ。
マダム・フーチが下りるよう叫んだが、ネビルにはそれどころではなかった。箒が傾き、次の瞬間には身体だけが空中へ置き去りにされる。
遙一は箒を握ったまま、その落下を目で追った。今から追っても間に合わない。下手に飛び出せば、落ちる人間が一人増えるだけだ。
ネビルは芝生へ叩きつけられた。
マダム・フーチが真っ先に駆け寄り、しばらくして彼は起き上がったものの、片腕を押さえて顔を青くしていた。そのまま医務室へ連れていかれ、残された生徒たちには、教師が戻るまで箒へ触れないよう厳しく言い渡された。
事故を見た後の沈黙は、しばらく芝生の上に残った。
やがて誰かが、ネビルの落ちた辺りに小さなガラス玉が転がっているのを見つけた。
ドラコが拾い上げる。
思い出し玉だった。
ネビルが祖母から送られたものだという話は、食事の席でも聞いたことがある。
ハリーが返すよう言った。
それだけなら、ドラコもすぐに飽きたかもしれない。だが返せと言われたことで、かえって手放したくなくなったらしい。
彼は思い出し玉を片手に持ったまま、古い箒へまたがった。
「先生が戻るまで――」
誰かが止めかけた頃には、もう地面を蹴っている。
空中で大きく回ったところを見る限り、朝から話していたことは大げさではなかったようだ。少なくとも、初めて箒に乗った人間の動きではない。
ハリーがもう一度、返せと言った。
ドラコは笑い、さらに少し高度を上げた。
その時、ハリーも箒を拾った。
ロンが何か言い、ハーマイオニーも止めようとしたが、ハリーは二人の方をほとんど見なかった。
芝を蹴った途端、箒は勢いよく上がった。
遙一はそこで、初めて完全にハリーへ目を向けた。
教えられた姿勢を一つずつ確かめている飛び方ではなかった。箒が傾くより先に身体が傾き、速度が出れば自然に重心が変わる。どこまで意識しているのかは分からない。ただ、迷っていないことだけは、地上からでもよく分かった。
ドラコがそれを見て、何かを叫んだ。
次の瞬間、思い出し玉が空へ放られた。
小さな赤い球が弧を描く。
ハリーはほとんど同時に箒の向きを変えていた。
落ちていく球を追いかけてから進路を決めたのではない。投げられた瞬間には、もうそこへ向かっている。
急降下した箒と地面の距離が急速に縮まり、見ていた生徒たちから悲鳴が上がった。それでもハリーは速度を落とさず、片手を伸ばして思い出し玉を掴むと、芝生すれすれのところで箒の先を引き上げた。
着地した時には、球がしっかりその手に収まっていた。
一拍遅れて歓声が起こった。
遙一は、成功そのものよりも、その前の動きを思い返していた。
手順を積み上げて正解へ近づくのではなく、最初から正しい場所へ身体を置く。
自分とは、かなり違う。
「ポッター!」
マクゴナガル教授の声が芝生を切った。
ハリーの顔から血の気が引く。教授はほとんど事情を聞かないまま彼を連れて城へ戻り、残された一年生の間では、さっきまでの歓声が一転して「退学じゃないか」という囁きに変わった。
ドラコも地面へ降りてきた。
「終わったな」
飛んでいた時より機嫌がよさそうだった。
その後、マダム・フーチが戻ってくるまで、ドラコはハリーがどんな罰を受けるかを勝手に予想した。減点、居残り、箒禁止。最後には退学へ戻ったので、どうやらそこへ着地させたいだけらしい。
思い出し玉を放り投げた本人であることには、ほとんど触れなかった。
夕食までには、別の噂が城を回っていた。
ハリー・ポッターがグリフィンドールのクィディッチ・チームに入るらしい。
しかもシーカーだという。
最初にその話を持ってきた二年生のスリザリン自身が半信半疑で、「一年生だぞ」と二度も言った。ところが別の上級生まで同じ話をすると、ドラコはフォークで刺していたじゃがいもを皿の上へ戻した。
「一年生は普通、チームに入れないんだろ?」
「普通はね」
「じゃあ、なんでポッターだけ」
二年生は肩をすくめた。
「飛ぶのが上手かったからじゃない?」
「僕だって飛べる」
「知ってるよ」
慰めにも反論にもなっていなかった。
ドラコはしばらく黙って食事をしていたが、やがて父親の話を始めた。自分はもっと小さい頃から箒に乗っていたこと。家にはもっといい箒があること。今日の学校用の箒は反応が鈍かったこと。話しているうちに、機嫌は少し戻った。
遙一はその話を聞きながら、昼間の急降下を思い出していた。
少なくとも、あれは箒の質だけで説明できるものではなかった。
その夜、談話室ではハリーの話もだんだん別の話題へ埋もれていった。
宿題を広げる者が増え、暖炉の近くでは上級生が次のクィディッチの試合について話している。遙一も呪文学の課題を片づけ、本を一冊持ってソファへ移った。
ドラコは途中でクラッブとゴイルを連れて談話室を出ていった。
どこへ行くのかは言わなかった。
しばらくして戻ってきた時には、出ていった時より少し機嫌がよかった。
「何かありました?」
遙一が一度だけ尋ねると、ドラコはソファへ沈み込みながら「別に」と答えた。
それならそれでいい。
遙一はページをめくった。
翌朝、大広間へ入ったところで、遙一はグリフィンドールのテーブルに座る四人へ目をやった。
ハリー、ロン、ハーマイオニー、それにネビル。
全員、妙に眠そうだった。
ロンは欠伸を噛み殺し、ハーマイオニーは本を開いているのに同じ辺りばかり見ている。ネビルは痛む腕をかばいながら食べ、ハリーは普段通りに見せようとしているものの、時折ほかの三人を気にしていた。
昨日までの四人なら、それぞれ別の理由で同じ場所にいただけに見えた。
今朝は、何か一つを共有している。
何があったのかまでは分からなかった。
遙一は足を止めず、そのままスリザリンのテーブルへ向かった。
知らないことが一つ増えたところで、朝食の味が変わるわけではない。
席に着き、いつものように紅茶へ手を伸ばした。