白兎の兄が規格外なのは間違っているだろうか 作:ディーノpc35
シンから弱体化の呪いを受けたベル達は、再びそれぞれの相手と向き合った。
魔力による身体強化はすでに完全に解除している。そのうえで純粋な身体能力そのものを、およそ半分まで制限されていた。
さらにシンからは、オッタル、アレン、ヘディン、ヘグニのような最高幹部を相手にする時だけ全力を許可され、それ以外の団員には最大でも八割までに抑えるよう指示されている。
先ほどまでとは、条件そのものが大きく違っていた。
そして、その変化を最も強く実感したのはベルだった。
オッタルが地面を蹴る。
「――ッ!」
ベルの目が僅かに見開かれた。
速い。
身体強化を解除しただけの時よりも、さらに明確に速く感じる。
オッタルの巨体が一気に目前まで迫り、振り上げられた大剣がベルへ叩きつけられた。
ベルは反射的に横へ跳ぶ。
直後、轟音と共に大剣が大地へ食い込み、周囲の地面を大きく砕いた。
そこからオッタルは間髪入れずに大剣を切り返す。
ベルもすぐに踏み込んだ。
真正面から刃を受けるようなことはせず、拳を大剣の腹へ叩き込み、その軌道を横へ逸らす。
しかし、今度はベルの身体にもはっきりと衝撃が返ってきた。
「重い……!」
ベルが思わず呟く。
先ほどまでなら、オッタルの大剣を弾くことに苦労などしなかった。
だが、現在は違う。
身体能力をさらに半分まで制限されたことで、オッタルの膂力を正面から受け止めればベル側も無視できない負担を受ける。
オッタルがさらに一歩踏み込んだ。
ベルも退かない。
拳を振るう。
オッタルは大剣を盾のように構え、その一撃を真正面から受け止めた。
凄まじい衝撃音が響く。
今度はオッタルだけが一方的に吹き飛ばされることはなかった。
ベルとオッタルの双方が後ろへ滑り、それぞれ数歩下がって体勢を立て直す。
ベルは着地すると、自分の拳を一度見た。
そして。
初めて、楽しそうに笑った。
「……これだ」
オッタルが大剣を構え直す。
「何だ」
「ようやく、ちゃんと戦ってるって感じがします」
オッタルの目が僅かに細くなる。
先ほどまでなら、その言葉を挑発と受け取っていたかもしれない。
だが、今は違った。
ベルの表情を見れば分かる。
相手を侮っているわけではない。
純粋に嬉しいのだ。
攻撃を避けなければ危険になる。
相手の防御を突破するために工夫が必要になる。
こちらの攻撃も簡単には通らない。
一つの判断を誤れば、自分も攻撃を受ける可能性がある。
ベルにとって、戦争遊戯が始まってから初めて、攻防として成立する戦いになった。
「ならば来い、ベル・クラネル」
「はい!」
二人が同時に地面を蹴った。
大剣と拳が再び激しく交差する。
先ほどまでの一方的な蹂躙ではない。
ようやく。
ベルとオッタルの間に、戦闘と呼べるものが成立していた。
同じ頃。
ヴェルフもアレンを相手に、ようやく戦闘らしい緊張感を味わっていた。
アレンが地面を蹴った瞬間、その姿が一気に加速する。
「っ!」
ヴェルフは首を傾けて槍の穂先を避けた。
しかし、先ほどまでのような余裕はない。
刃が頬のすぐ横を通り過ぎる。
「速ぇ!」
思わず声が出た。
「今更気づいたか!」
アレンが槍を素早く切り返す。
ヴェルフは腕で受けようとしたが、直前で危険だと判断して身体を反らした。
槍が胸元を僅かに掠める。
ヴェルフはその瞬間、思わず笑った。
「おおっ!」
アレンの顔が引きつる。
「何がおかしい!」
「いや、やっと避けねえと危ない速さになったと思ってな!」
「貴様ァッ!」
アレンがさらに加速する。
ヴェルフも今度は真剣に構えた。
五年間。
シンを相手に戦い続けた。
少しでも反応が遅れれば、その場で死んだ。
判断を一瞬間違えれば、身体を両断された。
それに比べればアレンはまだ遅い。
それでも、ようやく集中しなければ攻撃を受ける速度になっていた。
アレンの槍がヴェルフの喉を狙う。
ヴェルフは寸前で身を捻って避け、そのまま懐へ踏み込んだ。
拳を振るう。
アレンは槍の柄を使って受け止めた。
衝撃が響く。
今度は槍が壊れることもなく、アレンもその場から大きく吹き飛ばされなかった。
数歩後退しただけで踏み止まる。
ヴェルフの笑みが深くなった。
「これなら全力で殴っても大丈夫そうだな!」
「舐めるな!」
「今度は本当に舐めてねえよ!」
今回は本心だった。
ヴェルフもようやくアレンを、力加減の確認相手ではなく、真正面から戦える相手として認識していた。
命と春姫の方でも、同じように戦闘らしい攻防が始まっていた。
ヘグニの剣が命へ迫る。
命はその軌道を見切りながら、素手のまま身体をずらしてかわす。
だが、先ほどまでとは違う。
ただ避けるだけでは次の一撃へ繋げられてしまう。
命はヘグニの剣を持つ手首へ狙いを定めた。
拳を打ち込もうとする。
ヘグニもすぐに察知し、剣を引き戻した。
命が追う。
ヘグニが斬る。
命がかわす。
そのまま命の蹴りが飛ぶ。
ヘグニは腕を交差させて防御した。
「ぐっ……!」
衝撃で数歩後退する。
それでも倒れない。
命はその様子を見て、嬉しそうに頷いた。
「なるほど。これならようやく、まともに技を交わせるでござる」
ヘグニの眉が動いた。
「今までの我との戦いは何だったのだ」
命は少し考えた。
「力加減を確かめる時間でしょうか?」
「貴様……!」
「し、仕方ないではありませんか! 本当にそうだったのです!」
ヘグニが再び斬りかかる。
今度は命も余計なことを言わず、真剣な表情で迎え撃った。
その少し離れた場所では、春姫がヘディンと対峙していた。
ヘディンが手にしているのは、彼が普段から扱う杖剣だった。
魔法を行使するための杖としての機能と、接近戦で用いる剣としての性質を併せ持った武器。
その杖剣の切っ先が、鋭く春姫へ向けられる。
「――来ます!」
ヘディンが一気に間合いを詰めた。
杖剣が鋭く突き出される。
春姫は身体を僅かに捻って避けた。
しかし、完全には余裕を持てない。
刃先が衣服を僅かに掠める。
春姫の目が見開かれた。
「危なかった……!」
「戦場で感想を口にする余裕があるのか!」
ヘディンが杖剣を切り返す。
春姫は後退して避ける。
さらに追撃。
杖剣が横薙ぎに迫る。
春姫は身体を沈める。
そのままヘディンが踏み込んできた。
だが。
今度は春姫も逃げるだけではなかった。
ヘディンの懐へ自分から踏み込む。
「はっ!」
掌底を放つ。
ヘディンは杖剣の腹を使い、その一撃を受け止めた。
猛烈な衝撃が響く。
ヘディンの身体が数歩後ろへ滑る。
しかし、今回はそれだけだった。
大きく吹き飛ばされることもない。
杖剣も破壊されていない。
春姫は自分の掌を見る。
「防がれました……」
そして。
少しだけ嬉しそうに笑った。
「これなら大丈夫そうです」
ヘディンの眼鏡の奥で目が鋭くなる。
「何がだ」
「全力で攻撃しても、一撃では死ななそうです」
「…………」
「ヘディン様?」
「もう何も言うな」
「なぜですか!?」
春姫には本当に分からなかった。
そして。
他の四人とはまるで違う状況になっていたのが、リリだった。
本来の相手であるガリバー兄弟は、既に四人全員が戦闘不能となっている。
治療班によって戦場から運び出され、戦争遊戯へ戻ることはできない。
そのため。
リリの前には最高幹部が残っていなかった。
代わりに。
多数のフレイヤ・ファミリア団員達がいる。
団員達はリリを見ていた。
リリも彼らを見る。
しばらく奇妙な沈黙が続いた。
先ほど。
ガリバー兄弟を死の寸前まで追い込んだ少女。
同じ小人族でありながら、四兄弟が誇る連携を真正面から見切り、その武器を拳で破壊しながら四人を叩き潰した。
そのリリが。
今度は自分達へ視線を向けている。
リリはシンから言われた内容を思い出した。
最高幹部相手には、弱体化された状態で全力まで使用してよい。
それ以外には最大でも八割。
つまり。
目の前にいる団員達が相手なら八割まで使える。
「皆さんが相手なら、最大八割までですね」
その言葉を聞いた瞬間。
団員達の顔が一斉に引きつった。
「来るぞ!」
誰かが叫ぶ。
一斉に武器を構える。
リリも腰を落とした。
そして。
少し離れた場所にいるシンを見る。
シンは何も言わない。
ならば。
指示の範囲内。
「では、行きます!」
リリが地面を蹴った。
次の瞬間。
フレイヤ・ファミリアの団員達にとって、戦争遊戯が災害へ変わった。
最初の一人が剣を振るう。
リリは身体を僅かに横へずらしただけで回避した。
そのまま腹部へ拳を叩き込む。
ただし。
最初から八割は出していない。
まずは五割程度。
「ぐっ!?」
団員の身体が後方へ吹き飛んだ。
その先にいた二人へ激突し、三人まとめて地面へ転がる。
リリが目を瞬かせた。
「……五割でも強いですね」
残った団員達の表情が険しくなる。
先ほどまでなら挑発だと怒ったかもしれない。
しかし今は。
リリが本気で力加減を確認していると理解してしまっている。
だから余計に恐ろしかった。
「囲め!」
複数の団員が同時に襲いかかる。
前方。
左右。
さらに背後。
リリは周囲の動きを一度見ただけで位置関係を把握した。
「囲み方が甘いです!」
右側から突き出された槍をかわし、その柄を掴む。
強く引いた。
「うわっ!?」
槍を持っていた団員の体勢が崩れる。
リリはその団員自身を盾にする位置へ身体を移し、左側から振るわれた剣を妨害させた。
続いて正面から来た相手の懐へ踏み込む。
掌底。
「がっ!」
一人が吹き飛ぶ。
振り返る。
背後から来た団員へ蹴りを入れる。
別の一人が横から斬りかかる。
リリは足を払って転倒させ、その身体が地面へ落ちる前に胸元を掴んだ。
そのまま。
別の団員へ向けて投げる。
「うわっ!」
二人まとめて地面へ転がった。
十秒も経っていない。
それだけで、リリの周囲にいた団員達の多くが地面へ倒れていた。
リリは少し困ったように自分の拳を見る。
「……これ、八割まで使う必要ありませんね」
その言葉を聞いた周囲の団員達の顔から、さらに血の気が引いた。
「一斉に行け!」
別の団員が叫ぶ。
今度は十人以上が同時に動いた。
リリは小さく息を吐く。
「ですから」
最初の剣を避ける。
腹部へ拳を当てる。
一人が倒れる。
「同じタイミングで近づいてくるだけでは」
二人目の腕を取り、そのまま投げる。
投げられた身体が三人目へぶつかる。
「連携とは」
四人目の槍を身体を沈めてかわし、その懐へ踏み込む。
掌底を入れる。
「言わないんですよ!」
五人目の攻撃を避けながら蹴りを入れる。
六人目には肘を当てる。
七人目の足を払う。
八人目を掴んで投げる。
その身体が九人目と十人目へまとめて激突する。
リリの動きには無駄がなかった。
一人を倒すためだけに攻撃しているのではない。
倒した相手の身体。
持っている武器。
周囲の地形。
味方同士の進路。
全てを利用して、次の相手の動きを制限している。
五年間。
シンを相手に。
何度も死にながら身につけた集団戦闘の技術。
多数を相手にする状況そのものが、リリにとっては特別なものではなくなっていた。
むしろ。
シン一人を相手にする方が。
遥かに難しかった。
「シン様一人を相手にするより簡単です!」
思わず本音が漏れる。
フレイヤ・ファミリアの団員達は。
もう何も言い返さなかった。
言い返す余裕がある者から、順番に倒されていた。
遠く離れたオラリオ。
バベル内部に用意された観戦室では、神鏡に複数の戦場が映し出されていた。
ベルとオッタル。
ヴェルフとアレン。
命とヘグニ。
春姫と杖剣を操るヘディン。
そして。
リリと多数のフレイヤ・ファミリア団員達。
ロキが神鏡を見ながら呟いた。
「……一か所だけ、戦争遊戯になっとらんやろ」
誰も否定しなかった。
フィンはベル達四人の戦闘を注意深く観察している。
「シンがさらに弱体化を加えた判断は正しかったようだね」
リヴェリアも頷いた。
「身体強化を完全に解除したうえで、そこから身体能力をさらに半分まで落として、ようやく最高幹部達との攻防が成立している」
神鏡では。
ベルがオッタルの大剣をかわし。
反撃する。
オッタルが防ぐ。
そこからさらに攻撃を返す。
ヴェルフはアレンの速度へ対応しながら、槍の間合いへ入り込む機会を探している。
命とヘグニも、一方が攻め続けるのではなく互いに攻撃と防御を切り替えている。
春姫もヘディンの杖剣をただ避けるだけではなく、隙を見つければ積極的に反撃していた。
ガレスが髭を撫でながら頷く。
「ようやく互いの攻撃と防御が噛み合い始めたのう」
タケミカヅチも命の戦いから目を離さない。
「少なくとも先ほどのように、片方が一方的に攻撃を見切って吹き飛ばすだけではない」
ヘファイストスはヴェルフを見ながら僅かに笑った。
「ヴェルフも随分楽しそうね」
アイズもベルから目を離さず、小さく頷く。
「ベルも楽しそう」
実際。
ベル達四人は。
僅かに笑っていた。
相手を馬鹿にしているからではない。
自分の攻撃が防がれる。
相手の攻撃を避けなければならない。
防御を崩すために考える必要がある。
一手を間違えれば攻撃を受ける可能性がある。
五年間シンを相手にし続けてきた彼らにとって、その当たり前の戦闘そのものが久しぶりだった。
リヴェリアが静かに言う。
「今の条件であれば、オッタル達ともようやく勝負になる」
フィンが頷く。
「ああ。少なくとも、先ほどまでの一方的な状態ではないね」
そこでロキが別の神鏡を指差した。
「ほんなら、あれは何や」
全員の視線がそちらへ向く。
リリが。
フレイヤ・ファミリアの団員達を次々と地面へ沈めていた。
右から来た相手を投げる。
左から来れば殴る。
背後から来れば足を払う。
複数人で一斉に襲いかかれば、互いの身体が邪魔になるよう位置をずらす。
しかも。
どう見ても八割など出していない。
リリの周囲だけ、次々と団員達が倒れていく。
ティオナが呆然と呟いた。
「……リリだけ完全に無双してる」
ティオネが少し考えてから訂正する。
「無双というより、蹂躙に近いわね」
ベートが鼻を鳴らした。
「相手が悪すぎる」
リヴェリアも、その評価を否定できなかった。
「本来リリルカを相手にするはずだったガリバー兄弟が戦闘不能になった以上、残った者達では戦力差が大きすぎる」
だが。
フィンは別の部分へ注目していた。
「それだけではないよ」
ロキが振り向く。
「何がや?」
「リリは一対多数の戦いに慣れすぎている」
フィンは神鏡の中のリリを指す。
「普通なら、あれだけの人数に囲まれれば完全に死角を消すことは難しい。だがリリは、相手の配置そのものを自分で動かしている」
リヴェリアもその意図に気づく。
「一人を倒す位置まで計算しているのか」
「ああ」
フィンが頷く。
「一人を吹き飛ばして別の敵の進路を塞ぐ。倒した者の身体を障害物にして後続を止める。敵が攻撃しようとした時には、別の敵が邪魔になる位置へ自分から移動している」
ガレスが感心したように笑う。
「一対多数の戦い方が完全に身体へ染みついておるわけじゃな」
「おそらく、五年間の修行でシンを相手にした経験が大きいだろうね」
その言葉には、全員が納得した。
一方。
実際の戦場にいるシンも、リリの様子を見ていた。
また一人。
リリに殴られた団員が地面を転がる。
さらに二人。
三人。
シンは眉を寄せると、戦場全体へ届く声で叫んだ。
「リリ!」
「はい!?」
戦闘の最中にもかかわらず、リリは反射的に返事をした。
「八割までと言ったが、八割出せとは言っていないぞ!」
「分かっています!」
リリは攻撃をかわしながら答える。
「今は五割くらいです!」
シンは倒れている団員達を見た。
「まだ高い! 三割まで落とせ!」
「三割ですか!?」
「周りを見ろ!」
リリは一瞬だけ周囲を見る。
既にかなりの人数が地面へ倒れている。
「…………」
リリも少し気まずそうな顔になった。
「分かりました!」
すぐに出力をさらに落とす。
だが。
結果そのものは、ほとんど変わらなかった。
「えいっ!」
「ぐあっ!」
一人が倒れる。
「そこです!」
「がっ!」
二人目。
「後ろから来ても分かります!」
「うわぁっ!」
三人目。
バベルの観戦室で、ロキが頭を抱える。
「三割に落としても変わらへんやん……」
フィンが苦笑した。
「シンが制限したのは身体能力だけだからね」
五年間で身につけた経験。
戦闘技術。
判断力。
相手の視線や身体の動きから行動を読む力。
多数を効率よく処理する技術。
それらまで半分になったわけではない。
だから。
最高幹部を相手にするベル、ヴェルフ、命、春姫の四人は。
ようやく戦闘をしている。
しかし。
最高幹部ではない団員達を相手にするリリだけは。
いくら身体能力を落としても。
未だに戦闘と呼べる状態にすらなっていなかった。
リリは次の団員の攻撃を避ける。
その腕を取り、投げる。
「もう!」
さらに一人の足を払う。
「さっきから!」
別の相手へ掌底を入れる。
「何人来るんですか!」
その問いに答える者はいなかった。
答えられる状態の者から順番に。
リリの周囲で地面へ沈められていたからだ。
そして戦場の別の場所では。
ベルとオッタル。
ヴェルフとアレン。
命とヘグニ。
春姫と杖剣を操るヘディン。
四つの戦いが。
ようやく。
互いに攻め。
防ぎ。
かわし。
反撃する。
そんな「戦闘」と呼べる形へ変わっていた。
身体強化を完全に捨て。
さらに純粋な身体能力まで半分に封じられて。
それでようやく。
フレイヤ・ファミリア最高戦力とベル達の間に、まともな戦いが成立していた。