最低ランク《鎮静》の俺、その正体は催眠能力者 ――勇者のヒロインを静かに奪う 作:催眠スキ
昨日。
触れなかった髪に。
今日は。
触れていた。
考えるより。
先に。
◇
朝。
教室へ入る。
「おはよう」
いつもの返事。
いつもの席。
隣には。
相良がいた。
「おはよう」
「……おはよう」
昨日と同じ。
眠そうな顔。
そして。
昨日と同じ場所で。
髪が跳ねている。
「相良」
「ん?」
「じっとして」
「何?」
手を伸ばす。
指先で。
跳ねている髪を押さえる。
「……」
柔らかい。
そう思ってから。
自分が何をしているのか。
気づいた。
「九条?」
「動かないで」
「動いてないけど」
「なら喋らないで」
「それ関係ある?」
「あるわよ」
もう一度。
髪を撫でる。
今度は。
少しだけ整った。
「はい」
手を離す。
「直ったわよ」
「何が?」
「髪」
「ああ」
相良が。
自分の頭へ手をやる。
「触ったらまた跳ねるでしょう!」
「どこ直したのかと思って」
「右」
「右?」
「反対」
「昨日も聞いた気がする」
「昨日直さなかったからでしょう」
言ってから。
止まる。
相良が。
こちらを見る。
「昨日は自分で直せって言ってなかった?」
「昨日よりひどかったのよ」
「そう?」
「そうよ」
「九条が気になるなら、別にいいけど」
「私が気になるんじゃなくて!」
声が。
少し大きくなる。
「だらしないでしょう。隣にいる人まで同じように見られるのよ」
「そういうもの?」
「そういうものよ」
「大変だな」
「誰のせいだと思ってるの?」
「俺?」
「他に誰がいるのよ!」
相良が。
小さく笑う。
私は。
鞄から教科書を出す。
指先に。
さっきの感触が残っている。
でも。
髪を直しただけ。
昨日と同じところが。
跳ねていたから。
見ていられなかっただけだ。
別に。
触れたかったわけではない。
◇
三限目。
合同演習。
第二班は。
模擬市街地の前に集まっていた。
「よし!」
朱音が。
腕を回す。
「今日は壊さない!」
「目標が低いな」
蓮が笑う。
「壊さなきゃいいんだろ?」
「救助もしてよ」
私が言う。
「分かってるって!」
相良は。
配られた地図を見ている。
昨日決めた通り。
蓮が前方の確認。
朱音が障害物の撤去。
私は中央から全体を見る。
相良は後ろで。
進路と救助対象の確認。
「相良」
「ん?」
「地図、上下逆よ」
「見やすい方で見てる」
「どう見たら逆が見やすいのよ」
「向こうから入るから」
相良が。
地図をこちらへ向ける。
「あ」
「合ってるだろ」
「……そうね」
「九条」
「何?」
「今、疑った?」
「普段の行いでしょう」
「信用ないな」
「自分でなくしたのよ」
開始まで。
あと少し。
相良が。
地図を畳む。
◇
演習が始まる。
模擬市街地の中は。
薄い煙で。
先が見えにくくなっていた。
「右、通れる!」
前を歩く蓮が言う。
「待って」
相良が。
地図を見る。
「そっちは途中で塞がってる」
「本当?」
「印をつけてた」
蓮が戻る。
「じゃあ左か」
「左は瓦礫があるけど、火神なら動かせる」
「任せろ!」
朱音が。
先へ進む。
「壊さないでよ」
「分かってる!」
「さっきも聞いた」
「信用しろよ!」
朱音が。
倒れた板を持ち上げる。
大きな音。
でも。
壊れてはいない。
「ほら!」
「できるじゃない」
「褒めろ!」
「演習が終わったらね」
「今褒めて!」
「先に進むよ」
蓮が笑いながら。
奥へ向かう。
私も続く。
その後ろを。
相良が歩く。
角を曲がったところで。
上から。
大きめの破片が落ちてきた。
「相良!」
考えるより先に。
相良の袖を掴む。
こちらへ引く。
破片が。
相良のいた場所へ落ちた。
「……」
「危ないでしょう!」
「軽い素材だけど」
「当たったら減点かもしれないでしょ」
「そっち?」
「それ以外に何があるのよ」
「別に」
相良が。
私の手を見る。
「九条」
「何?」
「袖」
「あ」
まだ。
掴んでいた。
すぐに離す。
「危なかったからよ」
「分かってる」
「なら、その顔やめて」
「どの顔?」
「今の顔」
「普通だけど」
「絶対違う」
「二人とも、遅れてるぞー!」
前から。
朱音の声。
「今行く!」
すぐに言い返す。
煙の向こうから。
朱音の笑い声が聞こえた。
「まったく……」
歩き出す。
相良も。
隣へ並ぶ。
「九条」
「何?」
「ありがとう」
「……演習中なんだから、当然でしょう」
「うん」
それだけ言って。
相良が前を見る。
◇
演習は。
予定より少し早く終わった。
救助対象。
三名。
経路選択。
問題なし。
破損。
ゼロ。
「やった!」
朱音が。
両手を上げる。
「壊さなかった!」
「そこを一番喜ぶのか?」
蓮が笑う。
「大事だろ!」
「救助もできてたよ」
「だろ?」
「相良の道案内もよかったな」
蓮が言う。
「地図が分かりやすかったから」
「最初から逆に持ってたけどな」
「あれが正しい」
「まだ言ってる」
四人で。
模擬市街地脇の待機室へ戻る。
朱音と蓮は。
黒瀬先生へ記録票を届けるため。
監督室へ向かった。
私と相良は。
待機室に残る。
「疲れた」
相良が。
長机の前に座る。
「ほとんど地図を見ていただけでしょう」
「歩いた」
「全員歩いてるわよ」
「煙で目が痛い」
「それは私も」
相良が。
長机へ伏せようとする。
「寝ないで」
「少しだけ」
「訓練服が汚れるでしょう」
「もう汚れてる」
「え?」
見ると。
相良の肩に。
白い埃がついていた。
「本当ね」
「だから平気」
「平気じゃないでしょう」
手を伸ばす。
肩を払う。
一度。
二度。
埃が落ちる。
そのまま。
背中にもついているものを払う。
「九条」
「何?」
「今日はよく触るな」
手が。
止まった。
「……汚れてたからでしょう」
「うん」
「何よ」
「別に」
「その返事やめて」
「でも本当に別に」
「なら黙ってなさい」
最後の埃を払う。
手を離す。
相良が。
こちらを見る。
「取れた?」
「取れたわよ」
「ありがとう」
「これくらい普通でしょう」
「普通?」
「普通よ」
「そっか」
相良が。
また長机へ伏せようとする。
「寝るなら着替えてからにしなさい」
「あとで」
「今」
「厳しい」
私は。
向かいの椅子へ座る。
今日は。
何度。
相良に触れただろう。
髪。
袖。
肩。
どれも。
考えるより先に。
手が動いていた。
でも。
全部。
理由がある。
相良が。
だらしないから。
演習中だったから。
汚れていたから。
だから。
おかしくない。
たぶん。
「九条」
「何?」
「この前言ってた小説」
顔を上げる。
「小説?」
「好きだって言ってただろ」
「ああ……」
雨宿りをした日。
東屋で。
そんな話をした。
「それが何?」
「何か読もうかと思って」
「あなたが?」
「そんなに驚く?」
「だって、冊子も半分しか読まないでしょう」
「小説は説明書じゃない」
「説明書より長いわよ」
「面白いなら読めるかも」
「そうね……」
相良が。
小説を読む。
少し。
想像できない。
「何がいい?」
「私に聞くの?」
「他に詳しい人知らないし」
「……そう」
少しだけ。
嬉しい。
でも。
相良に合いそうなものを。
すぐには思いつかなかった。
今日はこのあと。
委員会がある。
「明日」
「明日?」
「放課後、図書館に行きましょう」
「一緒に?」
「私が選んだ方が早いでしょう」
「それは助かる」
「ただし、ちゃんと読むのよ」
「面白かったら」
「読む前から逃げ道を作らないで」
「分かった」
「本当に?」
「たぶん」
「信用できない」
相良が。
小さく笑う。
「じゃあ、明日の放課後」
「ええ。忘れないでよ」
「九条こそ」
「私は忘れないわよ」
明日の放課後。
図書館。
ただ。
本を選ぶだけ。
それだけの。
小さな約束。
なのに。
さっきまで落ち着かなかった指先が。
今度は。
少しだけ。
軽くなった。