最低ランク《鎮静》の俺、その正体は催眠能力者 ――勇者のヒロインを静かに奪う 作:催眠スキ
昔は相良のことが嫌いだった。
それは覚えている。
なのに。
嫌っていたときの。
あの気持ちだけが。
うまく。
思い出せなかった。
◇
朝。
教室へ入る。
「おはよう」
いつもの返事。
自分の席へ向かう。
隣には。
相良がいた。
珍しく。
机へ伏せていない。
手元には。
一冊の本。
「……相良」
「ん?」
顔を上げる。
「おはよう」
「おはよう」
「読んでるの?」
「見れば分かるだろ」
「あなたの場合、開いたまま寝ている可能性があるでしょう」
「起きてる」
「それも見れば分かるわよ」
鞄を置く。
相良の手元を見る。
昨日。
図書館で。
私が選んだ本。
栞は。
半分より。
少し先に挟まっていた。
「そこまで読んだの?」
「昨日の夜に」
「寝なかったのね」
「途中で少し」
「寝たんじゃない!」
「起きてから続き読んだ」
「本に跡をつけてないでしょうね」
「たぶん」
「確認させなさい」
本を受け取る。
表紙。
背表紙。
開いていた辺り。
変な折り目はない。
「大丈夫そうね」
「信用ないな」
「図書館の本なんだから、丁寧に扱いなさいよ」
「扱ってる」
本を返す。
相良が。
栞を挟んで閉じる。
「どう?」
「何が?」
「読んだ感想」
「まだ途中」
「途中まででいいわよ」
相良が。
少し考える。
「最初の話の男」
「ええ」
「たぶん、最後にもう一回出てくる」
「どうして?」
「三つ目の話に、同じ傷の人がいたから」
「……よく気づいたわね」
「違う?」
「まだ言わない」
「当たってる顔」
「してないわよ」
「してる」
「最後まで読みなさい」
「はい」
相良が。
本を鞄へしまう。
その顔は。
少しだけ。
楽しそうだった。
ちゃんと。
読んでいる。
私が好きだと言った本を。
「澪」
近くから。
朱音の声。
「何?」
「相良、もう読んでんの?」
朱音が。
相良の机へ近づく。
「途中」
「寝なかった?」
「九条にも聞かれた」
「やっぱ寝ると思うよな」
「寝たけど起きた」
「寝てんじゃねえか!」
朱音が笑う。
私も。
少し笑った。
◇
二限目の前。
黒瀬先生から、席替えのあとに書いたクラス生活の観察票が返された。
班分けや座席調整の参考にするため。
担任に頼まれた学級委員が、席の近い生徒について短い所見を書いたものだ。
「九条」
「何?」
「これ、九条が書いた?」
相良が。
一枚の紙を見せる。
「そうだけど」
「厳しい」
「どこが?」
紙を見る。
席替えをした直後に。
私が書いたものだった。
授業中の居眠りが多い。
提出物が遅い。
能力訓練への取り組みに消極的。
「……事実でしょう」
「最後の一行」
「学園生活に対する姿勢の改善が必要」
「俺、そんなにひどかった?」
「ひどかったわよ」
「九条」
「何?」
「今なら、同じこと書く?」
「え?」
「もう一回頼まれたら」
紙を見る。
書いてあることは。
間違っていない。
今も。
授業中に寝ることはある。
提出物も。
早い方ではない。
でも。
「……分からない」
「分からない?」
「急に聞かれても困るわよ」
「九条が書いたのに」
「書いたのは前でしょう」
「今は違う?」
「だから、考えてるの」
「そっか」
相良が。
観察票を机へしまう。
それ以上は。
何も言わなかった。
私も。
教科書を開く。
でも。
文字が。
頭に入ってこない。
今なら。
同じことを書くのか。
答えは。
すぐに出なかった。
◇
昼休み。
食堂へ向かう廊下。
「相良、来ないのか?」
蓮が。
教室の方を見る。
「本の続き読むって」
朱音が言う。
「珍しいな」
「昨日、九条が選んだ本か」
「ええ」
蓮が。
私を見る。
「面白そうに読んでた?」
「ええ。思ったよりは」
「よかったな」
「どうして蓮が喜ぶのよ」
「九条が選んだんだろ?」
「そうだけど」
「ちゃんと読んでくれた方が嬉しいだろ」
「……まあね」
三人で。
階段を下りる。
朱音が。
私の隣へ並ぶ。
「でも、変わったよな」
「何が?」
「澪と相良」
「またその話?」
「だって前は、相良が寝てるだけで怒ってたじゃん」
「今も怒ってるわよ」
「そうだけど」
朱音が。
少し考える。
「前はもっと、本気で嫌そうだった」
「……」
「朱音」
蓮が。
困ったように笑う。
「そういう言い方するなよ」
「悪い意味じゃねえって」
「分かってるけど」
「仲良くなったなら、いいことだろ?」
「俺もそう思うけどさ」
朱音が。
こちらを見る。
「仲良くなったっていうほどじゃないわよ」
「ふうん」
「何よ、その顔」
「別に」
「相良みたいな返事しないで」
朱音が。
少し笑う。
でも。
朱音の言葉が。
少しだけ。
残っていた。
前はもっと。
本気で嫌そうだった。
なら。
今は。
◇
放課後。
教室には。
まだ何人か残っている。
私は。
委員会へ出す書類を。
机の上でまとめていた。
隣では。
相良が。
本を読んでいる。
朝より。
また少し。
先へ進んでいた。
「……」
昔なら。
どう思っただろう。
相良が。
私の隣で。
黙って本を読んでいる。
珍しいと思って。
それで。
終わっただろうか。
分からない。
あの頃の自分が。
少し遠い。
授業中に寝る。
だらしない。
それは。
今も変わらない。
でも。
私が選んだ本を。
一晩で半分以上読んだ。
図書館の本も。
丁寧に扱っている。
能力訓練に消極的。
そう思っていた。
でも。
演習では。
誰よりも周りを見ていた。
私が中央にいた方がいいと。
理由まで考えていた。
人の話を聞かない。
そう思っていた。
でも。
私が小説を好きだということも。
図書館へ行く約束も。
覚えていた。
一つずつ。
嫌いだった理由を。
思い出す。
そのたびに。
今の相良の姿が。
重なる。
昔の理由を。
消すわけではない。
全部。
本当だったはずだ。
ただ。
それだけではないと。
今は知っている。
だから。
あの頃と。
同じ見方は。
もうできない。
「九条」
「え?」
相良が。
本から顔を上げていた。
「何?」
「見てた?」
「見てないわよ」
「さっきからずっと」
「考え事をしてただけ」
「俺を見ながら?」
「たまたま視界にいただけよ」
「隣だから?」
「そうよ」
「大変だな」
「何が?」
「隣にいるだけで観察される」
「観察してない!」
相良が。
小さく笑う。
その笑い方も。
前なら。
腹が立ったはずだった。
人の話を。
まともに聞いていないようで。
馬鹿にされている気がして。
嫌だった。
今は。
少しも。
腹が立たない。
「相良」
「ん?」
「朝の観察票」
「ああ」
「今なら、同じことは書かないと思う」
相良が。
本から顔を上げる。
「どうして?」
「前より」
一度。
言葉を止める。
「前より、あなたのことを知っているから」
「俺のこと?」
「少しだけよ」
「少し」
「何よ」
「厳しいなと思って」
「まだ知らないことの方が多いでしょう」
「でも、同じことは書かない?」
「書かないわ」
「居眠りが多い」
「それは書く」
「提出物が遅い」
「それも書く」
「ほとんど同じじゃない?」
「最後まで聞きなさいよ!」
相良が。
小さく笑う。
「何て書く?」
「自分で考えなさい」
「九条の観察票なのに」
「もう頼まれてないでしょう」
「じゃあ分からないままか」
「そうね」
相良が。
本へ視線を戻す。
私も。
書類へ目を戻した。
今の相良を。
一行で書くなら。
何と書くのか。
それは。
まだ。
相良には教えたくなかった。
◇
書類をまとめ終える。
教室には。
もう。
私と相良しかいなかった。
「終わった?」
「ええ」
「じゃあ帰る?」
「本は?」
「あと少し」
「歩きながら読まないでよ」
「読まない」
相良が。
栞を挟む。
本を。
大事そうに。
鞄へしまった。
昔。
相良を嫌っていた。
その記憶は。
ちゃんと残っている。
怒ったことも。
呆れたことも。
覚えている。
でも。
そのときの気持ちだけが。
薄い。
自分で書いたはずの。
昔の所見みたいに。
文字は読めるのに。
書いたときの重さを。
思い出せない。
「九条?」
「何でもない」
「帰らないの?」
「帰るわよ」
鞄を持つ。
相良と。
二人で。
教室を出る。
嫌いだった理由は。
まだ。
いくつも言える。
なのに。
相良を嫌っていた自分の方が。
今は。
うまく分からなかった。