最低ランク《鎮静》の俺、その正体は催眠能力者 ――勇者のヒロインを静かに奪う   作:催眠スキ

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第二話 鎮静

 翌朝。

 

 教室へ入ると、九条はもう席に着いていた。

 

 窓から差し込む朝日を受けながら、何かの参考書を読んでいる。

 

 昨日と同じ。

 

 いつもの九条澪だ。

 

 俺は自分の席へ向かう。

 

 その途中。

 

「おはよう、蓮」

 

「おはよう、九条」

 

 ちょうど教室へ入ってきた天城に気づいて、九条が顔を上げた。

 

 昨日、校舎の下で見たのと同じ。

 

 少し柔らかい表情。

 

 天城も自然に笑い返す。

 

「昨日、帰ってからも訓練した?」

 

「少しだけ。あなたは?」

 

「火神と一本やって終わり。あいつ、また火力上がってたよ」

 

「制御は?」

 

「……まあ」

 

「その反応で分かったわ」

 

 九条が小さく笑う。

 

 なるほど。

 

 朝から仲がいい。

 

 俺は二人の横を通り過ぎた。

 

「おはよう」

 

 一応、九条にも言っておく。

 

「……おはよう」

 

 返事はあった。

 

 ただし、天城に向けていたものとは温度が違う。

 

 分かりやすい。

 

 席に着く。

 

 鞄を机の横へ掛けていると、九条がこちらを振り返った。

 

「相良」

 

「ん?」

 

「昨日のこと」

 

「プリン?」

 

「声が大きい!」

 

 小声なのに怒られた。

 

「誰も聞いてないだろ」

 

「そういう問題じゃないの」

 

 昨日も同じことを言っていた気がする。

 

「言わないって約束しただろ」

 

「……ならいいけど」

 

 九条はまだ少し疑わしそうだった。

 

「別に甘いものが好きでもいいだろ」

 

「嫌なのよ」

 

「何が」

 

「イメージに合わないでしょう」

 

 自分で言うのか。

 

「そうか?」

 

「そうよ」

 

「九条が何食ってようが、誰も気にしないと思うけど」

 

「あなたは気にしたじゃない」

 

「面白かったから」

 

「やっぱり忘れて」

 

「無理」

 

「相良!」

 

「朝から仲いいじゃん」

 

 横から声が飛んできた。

 

 火神だ。

 

 いつの間に来たのか、俺たちのやり取りをにやにやしながら見ている。

 

「どこがよ!」

 

 九条が即答した。

 

「何の話してたんだ?」

 

「何でもないわ」

 

「プリ――」

 

「相良」

 

 九条が笑った。

 

 笑っている。

 

 でも目が笑っていない。

 

「なんだ」

 

「少し黙ってくれる?」

 

「はい」

 

 火神が吹き出した。

 

「珍し。相良が澪に負けてる」

 

「勝負なんかしてない」

 

「で、何の話?」

 

「何でもないって言ってるでしょう」

 

「怪しいなあ」

 

「朱音」

 

「はいはい」

 

 火神は楽しそうに自分の席へ向かった。

 

 九条は俺を一度だけ睨んでから、前を向く。

 

 昨日までなら、これで終わりだった。

 

 九条澪は、俺のことが嫌い。

 

 俺も特に関心がない。

 

 同じクラスというだけ。

 

 それで何の問題もなかった。

 

 でも。

 

 昨日。

 

 プリンを食べながら幸せそうにしていた顔を見た。

 

 天城へ向ける笑顔も見た。

 

 そして、欲しいと思った。

 

 なら。

 

 方法を考えればいい。

 

 ◇

 

「席につけ」

 

 教室の前扉が開いた。

 

 入ってきたのは黒瀬静香。

 

 二年A組の担任だ。

 

 肩に触れる程度の黒髪。

 

 細身の黒いスーツ。

 

 銀縁の眼鏡。

 

 姿勢がいいせいか、実際の身長以上に背が高く見える。

 

 年齢は知らない。

 

 聞いたら怒られそうなので、知ろうとも思わない。

 

「朝から元気なのは結構だが、私が来てからも喋っている奴は廊下に出す」

 

 教室が静かになる。

 

「よろしい」

 

 黒瀬先生は教卓へ端末を置いた。

 

「昨日の年度能力測定、ご苦労だった。正式な評価結果は今週中に各自の端末へ送られる」

 

 周囲から小さな声が上がる。

 

「なお、能力登録内容に大幅な変化が確認された生徒については、追加測定を行う場合がある」

 

 黒瀬先生の視線が教室を流れる。

 

 一瞬。

 

 俺のところで止まったような気がした。

 

 気のせいかもしれない。

 

「それから」

 

 画面を切り替える。

 

 黒板へ文字が投影された。

 

 能力使用規定。

 

 見慣れた言葉だ。

 

「新年度なので、今年も言っておく」

 

 先生が眼鏡の位置を直す。

 

「能力は便利な道具ではあるが、万能の免罪符ではない」

 

 教室が静かになる。

 

「特に他者の身体、感覚、精神状態へ直接影響する能力については、本人の意思に反した使用を厳しく禁じる」

 

 黒板の文字が切り替わった。

 

 特別監督対象能力。

 

 精神干渉。

 

 記憶干渉。

 

 認識干渉。

 

 感情干渉。

 

「過去に何があったかは、能力倫理の授業で嫌というほど聞いているな」

 

 誰も答えない。

 

 答える必要もない。

 

 この国で能力者として育った人間なら、知らない方がおかしい。

 

 精神干渉系能力。

 

 それは、能力の中でも特に嫌われている。

 

 理由は単純だ。

 

 殴られれば、殴られたと分かる。

 

 燃やされれば、燃やされたと分かる。

 

 だが。

 

 心を変えられた人間は。

 

 自分が変えられたことにすら気づかないかもしれない。

 

「無許可での使用が確認された場合、停学や退学だけで済まない可能性もある。能力によっては刑事案件だ」

 

 何人かが真面目な顔で頷いた。

 

 俺も適当に頷く。

 

「以上。ホームルームを始める」

 

 黒板の文字が消える。

 

 俺は頬杖をついた。

 

 正しい話だと思う。

 

 俺も、精神干渉能力なんてものを持った奴が近くにいたら警戒する。

 

 だから。

 

 誰にも知られていない。

 

 俺の登録能力は【鎮静】。

 

 対象者の緊張を少しだけ和らげる。

 

 Eランク。

 

 昨日の測定でも、それ以上の結果は出ていない。

 

 当然だ。

 

 そう見えるように使ったんだから。

 

 俺の能力は。

 

 人を落ち着かせるだけのものではない。

 

 正確に言えば、相手の意識へ暗示を沈める。

 

 たとえば。

 

 緊張している人間に、

 

 ――力を抜け。

 

 そう暗示する。

 

 すると、少しだけ肩の力が抜ける。

 

 呼吸が深くなる。

 

 心拍が落ちる。

 

 そこだけを測れば、ただの【鎮静】だ。

 

 だが。

 

 沈められるのは、それだけじゃない。

 

 俺の声を聞くと落ち着く。

 

 俺と話すのは嫌じゃない。

 

 この場所は安心できる。

 

 今の出来事は気にするほどのことじゃない。

 

 何度も。

 

 少しずつ。

 

 同じ方向へ沈めていけば。

 

 最初は俺が与えた考えだったものを。

 

 いつか本人が、自分で考えたことだと思い始める。

 

 便利な能力だ。

 

 ただし。

 

 何でもできるわけじゃない。

 

 むしろ、できないことの方が多い。

 

 人間の頭は、そこまで単純じゃない。

 

 白いものを見せて、いきなり黒だと思えと言っても無理がある。

 

 嫌いな相手を見せて、今すぐ愛せと言っても通らない。

 

 本人の中にあるものと大きく矛盾する暗示は弾かれる。

 

 無理に押し込めば、違和感が残る。

 

 違和感が残れば、疑われる。

 

 疑われれば終わりだ。

 

 だから。

 

 一度で変える必要はない。

 

 白を黒にしたいなら。

 

 まず灰色にすればいい。

 

 九条が俺を見る。

 

 昨日と同じように。

 

 少し不機嫌そうな目。

 

 俺を見るだけで腹が立つ。

 

 今の九条に、

 

 ――俺を好きになれ。

 

 そんなものが通るわけがない。

 

 仮に通ったところで、面白くもない。

 

 俺が欲しいのは。

 

 命令された九条澪じゃない。

 

 俺を選ぶ九条澪だ。

 

 なら。

 

 最初に消すべきものは決まっている。

 

 好意じゃない。

 

 嫌悪だ。

 

 ◇

 

 昼休み。

 

「相良、購買行く?」

 

「行く」

 

「じゃ、一緒に行こうぜ」

 

 火神が立ち上がる。

 

 朝のことなど忘れたらしい。

 

 切り替えが早い。

 

「蓮は?」

 

「今日は九条と食堂」

 

「おー」

 

 火神がにやっとする。

 

「デート?」

 

「違う」

 

「違うわよ」

 

 二人同時だった。

 

 火神が笑う。

 

「息ぴったりじゃん」

 

「火神」

 

「はいはい。邪魔者は退散しますよ」

 

 九条が呆れた顔をする。

 

 その頬が、少しだけ赤い。

 

 天城は気づいていないのか、気づいていて触れないのか。

 

 どちらでもいい。

 

「行こうぜ、相良」

 

「ああ」

 

 教室を出る。

 

 火神が俺の横を歩く。

 

「なあ」

 

「何」

 

「澪と何かあった?」

 

「昨日?」

 

「いや、知らねえけど」

 

「じゃあ何もない」

 

「じゃあって何だよ。朝、妙に喋ってたじゃん」

 

「プリ――」

 

「プリ?」

 

 まずい。

 

 約束した。

 

「何でもない」

 

「お前、今絶対なんか隠しただろ」

 

「気のせい」

 

「怪しい」

 

 火神が顔を覗き込んでくる。

 

「まあいいけど」

 

「いいのか」

 

「澪に聞いた方が面白そうだし」

 

「やめとけ」

 

「なんで?」

 

「怒られるぞ」

 

「余計気になるじゃん!」

 

 余計なことを言った。

 

 購買へ着く。

 

 昼休みの購買は混んでいる。

 

 パンを適当に二つ取る。

 

 火神は隣で焼きそばパンを三つ取っていた。

 

「食いすぎじゃない?」

 

「午後訓練あるんだから、こんくらいいるって」

 

「そう」

 

「相良は少なすぎ」

 

「動かないから」

 

「だから動けって」

 

 どこかで聞いた話だ。

 

 会計を終えて、教室へ戻る。

 

 その途中。

 

 食堂の大きな窓が見えた。

 

 九条と天城が向かい合って座っている。

 

 九条が何か話す。

 

 天城が笑う。

 

 九条も笑う。

 

「ほんとお似合いだよな、あの二人」

 

 火神も気づいたらしい。

 

「そうだな」

 

「去年からずっとあんな感じだし。さっさと付き合えばいいのに」

 

「本人たちに言えば」

 

「言ってる」

 

「言ってるのか」

 

「澪は怒るし、蓮は笑って誤魔化す」

 

 想像できる。

 

「相良はどう思う?」

 

「何が」

 

「あの二人」

 

「似合ってる」

 

「だよな」

 

 火神は何も疑わず歩いていく。

 

 俺はもう一度、窓の向こうを見る。

 

 九条は楽しそうだ。

 

 昨日と同じ。

 

 天城の前にいるときだけ、少し肩の力が抜けている。

 

 たぶん。

 

 積み重ねた時間があるんだろう。

 

 信頼も。

 

 思い出も。

 

 好意も。

 

 そこへ正面から割り込むのは効率が悪い。

 

 別に。

 

 天城への好意を消す必要もない。

 

 九条に天城を嫌わせる必要もない。

 

 もっと簡単だ。

 

 天城といるのが心地いいなら。

 

 俺といる時間も心地よくすればいい。

 

 天城と話すのが楽しいなら。

 

 俺との会話も嫌じゃなくすればいい。

 

 それを何度も繰り返す。

 

 それだけでいい。

 

「相良?」

 

「ん?」

 

「置いてくぞ」

 

「今行く」

 

 火神の後を追う。

 

 急ぐ必要はない。

 

 ◇

 

 午後の授業が終わった。

 

 今日は能力実技もない。

 

 天城と火神は予定通り訓練へ行った。

 

 九条は図書館へ寄るらしい。

 

 俺は寮へ戻る。

 

 そのつもりだった。

 

「相良」

 

 教室を出たところで呼び止められた。

 

「何?」

 

 九条だった。

 

 手には数冊のノートを抱えている。

 

「これ」

 

 一冊差し出された。

 

「昨日の能力倫理の課題」

 

「何で九条が持ってるんだ」

 

「あなた、提出箱に入れ忘れたでしょう。机の上に置きっぱなしだったわよ」

 

 見る。

 

 俺の名前。

 

 確かに俺のだ。

 

「黒瀬先生から相良に渡しておいてって頼まれたの」

 

「先生から?」

 

「私、学級委員長でしょう」

 

「そうだったか」

 

「そうだったか、じゃないでしょう。四月からずっとそうよ」

 

「まだ四月だぞ」

 

「そういう問題じゃないわ」

 

 またそれだ。

 

 受け取る。

 

「ありがと」

 

「次から自分で確認して」

 

「気をつける」

 

「本当に?」

 

「たぶん」

 

「……あなたね」

 

 九条が呆れたように息を吐いた。

 

「昨日も思ったけど、どうしてそんなにやる気がないの?」

 

「困ってないから」

 

「そうじゃなくて」

 

「じゃあ何」

 

「もっと上を目指したいとか。強くなりたいとか。将来やりたいこととかないの?」

 

「特に」

 

「……信じられない」

 

「九条は?」

 

「私は――」

 

 即答すると思っていた。

 

 少しだけ止まった。

 

「もっと強くなりたい」

 

「なんで」

 

「なんでって……」

 

 九条が眉を寄せる。

 

「強くなれるなら、強い方がいいでしょう」

 

「そういうもの?」

 

「そういうものよ」

 

 俺にはよく分からない。

 

 九条にも、俺が分からないんだろう。

 

「じゃあ、私は行くから」

 

「ああ」

 

 九条が歩き出す。

 

 数歩。

 

 そこで止まった。

 

「相良」

 

「まだ何か?」

 

「……プリン」

 

「言ってないぞ」

 

「分かってる」

 

 一瞬だけ視線を逸らす。

 

「昨日の、本当に誰にも言わないでね」

 

「言わないって」

 

「ならいい」

 

 今度こそ歩いていった。

 

 長い黒髪が背中で揺れる。

 

 俺はその後ろ姿を見る。

 

 昨日までなら。

 

 面倒な奴だと思って、それで終わっていた。

 

 今日も面倒な奴ではある。

 

 ただ。

 

 少し違う。

 

 俺は声をかけなかった。

 

 まだ早い。

 

 九条は警戒心が強い。

 

 特に俺に対しては。

 

 無理に触れば。

 

 かえって意識される。

 

 今日は使わない。

 

 明日でも。

 

 来週でもいい。

 

 時間はある。

 

 少しずつ。

 

 九条澪の中にある、

 

 相良透という人間の位置を変える。

 

 嫌い。

 

 腹が立つ。

 

 関わりたくない。

 

 まずは。

 

 そこから一つだけ。

 

 消せばいい。

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