最低ランク《鎮静》の俺、その正体は催眠能力者 ――勇者のヒロインを静かに奪う 作:催眠スキ
強いから。
相良はそう言った。
能力が。
火力が。
そういう意味だと思ったのに。
どうやら。
少し違ったらしい。
◇
第三訓練室を出たところで、澪に腕を掴まれた。
「医療棟へ行くわよ」
「何でだよ」
「まだ熱が引いてないでしょう」
「これくらい普通だって」
「普通なら、どうして壁に手をついてるの?」
「立ちやすいから」
「廊下は立つために壁を使わなくても歩けるのよ」
「細かいな」
能力を使ったあとの熱は、まだ腕と胸の奥に残っていた。
苦しいわけじゃない。
少し体が重くて、肩が張っているだけだ。
二回続けて全力で撃てば、いつもこのくらいにはなる。
「朱音」
蓮が、返却した記録端末のケースを持ち直す。
「競技の申請を出したばかりなんだ。念のため診てもらった方がいいよ」
「蓮まで澪みたいなこと言うなよ」
「心配してるんだろ」
「二人とも心配しすぎなんだよ」
「じゃあ、異常がないって確認してもらえば終わりでしょう」
澪が腕を離さない。
このまま抵抗したら、本当に引きずっていきそうだった。
「分かったよ。行けばいいんだろ」
「最初からそう言いなさい」
少し後ろでは、相良が眠そうな顔で立っていた。
「相良も何か言えよ」
「行った方が早そう」
「どっちの味方だよ」
「早く帰りたい方」
「お前な」
相良が小さく笑う。
さっき。
こいつの声を聞いている間は、呼吸が楽だった。
頭の中も、いつもより静かだった気がする。
でも、今はいつもの相良だ。
やる気があるのかないのか分からない顔で、あたしたちのあとを歩いてくる。
◇
医療棟。
受付の奥は、消毒薬の匂いがした。
放課後だからか、待っている生徒は少ない。
白い仕切りの向こうから、一人の女子生徒が出てきた。
肩に触れるくらいの栗色の髪。
琥珀色の目。
制服の上から医療補助用の白い上着を羽織っている。
笑うと、目元まで柔らかくなった。
白峰先輩とは全然違う。
あっちは立っているだけで背筋が伸びるけど、この人は近くにいるだけで力が抜けそうだった。
「いらっしゃい。怪我?」
「能力を使ったあとの熱が、少し残っているみたいで」
澪が答える。
「あたしは平気です」
「平気かどうかを見るのが、ここだからね」
女子生徒が笑う。
それから、蓮に気づいた。
「あれ。蓮も一緒だったの?」
「うん。美月姉さん、今日は当番?」
「そう。先生は奥で処置中だから、軽い診察なら私が見るよ」
美月姉さん。
名前は知っている。
三年の天城美月先輩。
支援系能力者の中でも、学園で一番に近い評価を受けている人だ。
蓮の幼馴染だという話も聞いたことがある。
「こっちへ座って。名前は?」
「火神朱音です」
「朱音ちゃんね。腕を見せてもらってもいい?」
「はい」
椅子へ座り、右腕を差し出す。
美月先輩の指が手首へ触れた。
淡い光が、腕から肩までゆっくり上がっていく。
熱の残っている場所だけ、少し温かくなった。
「痛いところは?」
「ないです」
「痺れは?」
「それもないです」
「胸が苦しいとか、息が吸いにくい感じは?」
「訓練の直後は少し。でも、今は平気です」
「うん。能力の使いすぎで熱が残ってるだけみたい。筋肉も少し張ってるけど、治療が必要なほどじゃないよ」
「ほら」
澪を見る。
「平気だっただろ」
「それを確認するために来たのよ」
「今日はもう強い能力を使わないでね。水分を取って、湯船も長く入りすぎないこと」
美月先輩が言う。
「明日の訓練は?」
「軽めなら」
「全力は?」
「駄目」
「一回だけ」
「駄目」
「半分くらいなら」
「朱音ちゃん」
笑顔のまま名前を呼ばれた。
声は優しいのに、これ以上は駄目だと分かる。
「……分かりました」
「よろしい」
美月先輩が満足そうに頷いた。
「蓮も、あとで手を見せて」
「俺?」
「右手。さっきから後ろに隠してるでしょう」
蓮が少しだけ目を逸らす。
「標的の破片で、少し擦っただけだよ」
「少しでも怪我は怪我。昔から、隠すときは右手を後ろへ回すんだから」
「よく覚えてるな」
「何年一緒にいると思ってるの?」
美月先輩が手招きする。
蓮は諦めたように、その前へ座った。
「本当に少しだよ」
「それは私が決めます」
「はい」
蓮が素直に右手を出す。
いつもなら、澪やあたしを止める側なのに。
美月先輩の前では、少しだけ年下に見えた。
「二人、姉弟みたいですね」
思ったままを口にする。
「みたいじゃなくて、昔からほとんどそうなの」
美月先輩が笑う。
「姉さんは心配しすぎなんだよ」
「蓮が心配させすぎるの」
「やっぱり姉弟じゃん」
「朱音まで言うのか」
蓮が困ったように笑った。
◇
診察が終わる。
異常なし。
明日は軽い訓練だけ。
それだけだったのに、澪はようやく安心した顔をした。
「委員会へ行かないと」
時計を見て、澪が言う。
「もうこんな時間」
「先に行っていいぞ」
「でも、朱音を寮まで送った方が」
「一人で帰れるって」
「相良くんが一緒なら大丈夫じゃない?」
美月先輩が相良を見る。
「相良くん、お願いしてもいい?」
「俺?」
「同じ寮へ戻るんでしょう?」
「まあ」
「じゃあ決まり」
美月先輩が笑う。
「蓮は残って。手当てがまだ終わってないから」
「もう痛くないけど」
「終わってないから」
「はい」
また、蓮が素直に返事をする。
「じゃあ、相良。朱音をお願い」
澪が鞄を持つ。
「分かった」
「朱音も、今日は大人しく帰るのよ」
「分かってるって」
「本当に?」
「たぶん」
「信用できない」
「相良みたいなこと言うなよ」
澪が呆れた顔をする。
相良は少しだけ笑っていた。
◇
医療棟を出る。
寮へ続く道を、相良と二人で歩く。
夕方の風が、能力を使ったあとの体に気持ちよかった。
「相良」
「ん?」
「お前は言わないんだな」
「何を?」
「無理するなとか。明日は休めとか」
「美月先輩が、軽い訓練ならいいって言ってた」
「そうだけど」
「俺が止める理由ないだろ」
「澪と蓮は止めようとしたぞ」
「二人は心配したから」
「相良は心配してないのかよ」
聞いてから、変な質問だったと思う。
別に。
相良に心配してほしかったわけじゃない。
たぶん。
「必要ならする」
相良は少し考えてから答えた。
「でも、火神なら自分で判断できるだろ」
「何でそう思うんだよ」
「強いから」
「能力が?」
「それもある」
「それ以外は?」
「負けたあと、すぐ記録を見てた」
相良が前を向いたまま言う。
「悔しがってたけど、言われたことは聞いてた。二回目は威力を抑えて、減点もなくした」
「……見てたんだな」
「見ろって言っただろ」
「そうだけど」
「本当に危ないなら止める。でも、今日は火神が自分で変えられると思った」
強い。
相良が言ったのは、火力のことだけではなかった。
負けたあと。
次に勝つために考えたこと。
威力を抑えたこと。
自分では当たり前だと思っていたところまで、相良は見ていた。
「何だよ」
「何が?」
「そういうの、先に言えよ」
「聞かれなかったから」
「聞かれなくても言え」
「難しいな」
相良が小さく笑う。
不思議と、腹は立たなかった。
◇
寮へ向かう道から少し外れたところに、小さな休憩所がある。
屋根と長椅子だけの場所で、今は誰もいなかった。
「少し座る?」
相良が聞く。
「あたしは平気だって」
「足、遅くなってる」
「相良が遅いから合わせてたんだよ」
「じゃあ休まなくていい?」
「……少しだけな」
長椅子へ座る。
相良も隣へ腰を下ろした。
人の気配はない。
遠くから、訓練室の音がかすかに聞こえるだけだった。
「競技」
相良が言う。
「ん?」
「絶対勝つって言ってただろ」
「勝つよ」
「不安はない?」
「あるわけないだろ」
すぐに答える。
相良は何も言わなかった。
疑うでもなく。
信じるでもなく。
ただ、続きを待っているように見えた。
「……少しはある」
口から出た。
「選考もあるし。強い奴も出るし」
「うん」
「速いだけじゃ駄目で、威力が強すぎても減点だろ。あたしが今まで勝ってきたやり方だけじゃ、負けるかもしれない」
「うん」
「笑わないのかよ」
「何を?」
「絶対勝つって騒いでたのに、負けるのが怖いって言ってる」
「それだけ勝ちたいんだろ」
相良は、いつもと同じ声で言った。
「怖いならやめれば、とは思わない?」
「火神はやめないだろ」
「当たり前だ」
「なら、どう勝つか考えればいい」
「簡単に言うなよ」
「一人で考える必要もないし」
「相良も考えるのか?」
「見てるって約束したから」
「それだけ?」
「応援もする」
「軽いな」
「重い方がいい?」
「そういう意味じゃねえよ」
でも。
少しだけ、肩の力が抜けた。
怖いと言っても。
相良は心配しすぎなかった。
無理だとも言わなかった。
あたしが勝つつもりでいることを、最初から疑っていなかった。
「相良」
「ん?」
「さっきの、もう一回できる?」
「鎮静?」
「ああ。まだ少し熱いから」
「いいよ」
相良がこちらを見る。
「ゆっくり息を吸って、吐いて」
言われたとおりに呼吸する。
一度。
もう一度。
相良の声を聞いていると、遠くの音が薄くなった。
風の音。
葉が揺れる音。
必要のないものだけが遠くなる。
「俺の声が聞こえると、見るべき場所と、必要な情報へ意識が向く」
「見るべき場所と……必要な情報」
「俺の声を聞いて、迷わず動いて、狙ったとおりにできたとき。成功したって、自分で分かる」
「成功したって……分かる」
「その瞬間、嬉しさと達成感が、今までより大きく広がる」
胸の奥に、言葉が落ちてくる。
「頑張った分だけ、強く広がる」
「頑張った分だけ……強く広がる」
「俺の声で集中できたあとも同じ。成功した瞬間の嬉しさを、もっとはっきり感じられる」
「もっと……はっきり感じられる」
相良の声が近い。
その声だけが、まっすぐ頭へ入ってくる。
「痛みも、疲れも消えない。危ないことも分かる」
「うん」
「ただ、俺の声を聞いて、うまくできたときの達成感だけが、大きくなる」
「達成感だけが……大きくなる」
「次に俺の声を聞いて成功したとき、自然に分かる」
「自然に分かる」
「もう一度、息を吐いて」
長く息を吐く。
「終わり」
遠くなっていた音が戻ってくる。
体の熱は、さっきより少し落ち着いていた。
「どう?」
「楽になった」
「ならよかった」
相良が立ち上がる。
「帰る?」
「ああ」
あたしも立ち上がる。
足には、まだ少し重さが残っていた。
次に成功したとき。
どんな感じがするのか。
少しだけ楽しみだった。
◇
寮の前。
「相良」
「ん?」
「明日の練習も来いよ」
「軽いやつだろ」
「分かってる」
「全力出しそう」
「出さねえよ」
「本当に?」
「たぶん」
「信用ないな」
「誰の真似だよ」
相良が小さく笑う。
「じゃあ、明日」
「おう」
相良が男子寮の方へ歩いていく。
その背中を、少しだけ見送った。
強いから。
相良が見ていたのは、あたしの火力だけではなかった。
そう思うと。
さっきよりも。
明日の練習が楽しみになった。