最低ランク《鎮静》の俺、その正体は催眠能力者 ――勇者のヒロインを静かに奪う 作:催眠スキ
火神の一撃は、間違いなく本物だった。
標的を見て、力を抑え、正しい瞬間に撃った。
一撃そのものは、全部、火神自身のものだ。
俺が今日、新しく変えたのは。
そのあとに広がる感情だけだった。
◇
医療棟へ行った日から、数日が過ぎた。
その間、火神は美月先輩に言われたとおり、軽い訓練だけで済ませたらしい。
少なくとも。
澪が見ているところでは。
放課後。
第二訓練区画の第三訓練室。
俺たちの前には、新しい標的が置かれていた。
円形の外殻。
その内側に、赤い核がある。
外殻は一定の速さで回転し、核が見えるのは一周のうち、ほんの一瞬だけ。
核を破壊すれば成功。
外殻を壊せば失敗。
攻撃が弱すぎても、核は壊れない。
「面倒な標的だな」
火神が楽しそうに笑う。
「あなた向けでしょう」
澪が記録端末を起動する。
「どこがだよ」
「壊していい部分があるもの」
「一部分だけじゃねえか」
「だから練習になるんでしょう」
「全部吹き飛ばした方が早い」
「競技では失格よ」
「分かってるって」
天城が標的の前へ立つ。
右手には、訓練用の剣。
「先に俺がやっていいか?」
「いいぜ」
火神が腕を組む。
「手本にしてやるよ」
「俺が先なんだけど」
「失敗の手本」
「始まる前から決めるなよ」
天城が苦笑する。
澪が端末へ手を置いた。
「始めるわよ」
「いつでも」
「開始」
標的が動き出す。
外殻の隙間から、赤い核が見える。
消える。
また見える。
天城は剣を構えたまま、二周待った。
三周目。
剣を振る。
風の刃が、外殻の隙間を通り抜けた。
赤い核へ当たる。
小さな破裂音。
外殻が止まった。
「成功。外殻への接触なし」
澪が結果を読む。
「さすが蓮ね」
「よし」
天城が剣を下ろす。
火神は、もう次の標的を見ていた。
「三周目だな」
「毎回同じ速さとは限らないぞ」
「分かってる」
「本当に?」
「見れば分かる!」
火神が前へ出る。
肩を回す。
能力使用後の痛みは、もうないらしい。
動きにも迷いはなかった。
「火神」
「ん?」
「全力は禁止よ」
澪が念を押す。
「核を壊すんだろ?」
「外殻は壊さないで」
「分かってるって」
「前にも聞いたわ」
「今日はできる!」
火神が開始位置へ立つ。
「相良」
こちらを振り返る。
「ちゃんと見てろよ」
「見てる」
「始まってからもだぞ」
「分かった」
火神が笑う。
澪の合図で、標的が動き出した。
◇
一周目。
火神は撃たなかった。
二周目。
右腕を上げる。
核が見えるより先に、火が集まった。
「まだ」
俺が言う。
火神の指が止まる。
核が一瞬だけ見え、外殻の向こうへ消えた。
「今のじゃねえの?」
「早い」
「見えてただろ」
「さっきのは外殻に当たる」
「次!」
三周目。
火神が呼吸を整える。
俺の声を聞いたからか。
周りの音が少し遠くなったように、表情から余計な力が抜けた。
見るべき場所。
必要な情報。
火神の視線が、回転する外殻の一点を追う。
「まだ」
火が腕へ集まる。
核が見える。
「今!」
火神が撃った。
爆ぜる音。
火球は外殻の縁へ触れ、そのまま弾けた。
核には届かない。
標的が停止する。
「失敗。外殻へ接触」
澪が告げる。
「くそっ!」
火神が拳を握る。
「今って言っただろ!」
「言った」
「遅かったのか?」
「違う。狙いが少し下だった」
「方向かよ」
火神が記録端末を覗き込む。
火球の軌道が、赤い線で表示されていた。
外殻の縁。
中心から、ほんの少し下。
「もう一回」
「朱音」
澪が止める。
「一度、記録を見なさい」
「見てる」
「見るだけじゃなくて、考えて」
「考えてるって」
火神は端末から目を離さない。
「相良」
「ん?」
「次はどこを見ればいい?」
「核じゃなくて、外殻の上」
「上?」
「小さい傷がある」
外殻の上側を指す。
一周するたび、細い傷が同じ位置へ戻ってくる。
「あれが来たあとに核が見える」
「先に傷を見るのか」
「核を見てからだと遅い」
「なるほど」
火神が笑う。
諦めた顔ではなかった。
「次は当てる」
「威力も少し抑えて」
「核が壊れなかったら?」
「今の七割で十分だと思う」
「七割か」
火神が自分の右手を見る。
少しだけ指を動かす。
「分かった」
◇
二回目。
新しい標的が設置される。
火神は開始位置へ立った。
さっきまでの笑顔は消えている。
怒っているわけではない。
集中している。
「準備は?」
澪が聞く。
「いつでも」
「開始」
外殻が回り始める。
火神の視線は、核を追わない。
上側の傷だけを見ている。
一周目。
傷の位置を確かめる。
二周目。
呼吸を合わせる。
火神の右腕に、炎が集まる。
大きすぎない。
さっきより、ずっと小さい。
「火神」
声をかける。
火神の目が、一度だけこちらへ動いた。
すぐに標的へ戻る。
「傷」
外殻の上。
細い線が近づく。
火神の呼吸が止まる。
「次に来たら、やれ」
傷が正面を通る。
その直後。
赤い核が見えた。
「今」
炎が走る。
外殻の隙間を抜けた。
核の中心へ当たる。
一瞬。
音が消えたように感じた。
次の瞬間。
赤い核が内側から砕けた。
外殻は回転したまま。
傷一つ増えていない。
「成功!」
澪の声。
「核を完全破壊。外殻への接触なし!」
火神の一撃は成功した。
俺の声を聞いて。
迷わず動いて。
狙ったとおりに。
その条件が、全部揃った。
◇
火神の目が、大きく見開かれる。
息を呑む。
それから。
笑った。
「……っ」
声にならない息が漏れる。
右手で胸元を押さえる。
肩が大きく上下していた。
能力を使った疲れは消えていない。
呼吸も苦しい。
右肩には、炎を撃ったあとの鈍い痛みが残っているはずだ。
それでも。
火神は笑っていた。
止めようとしても、止まらないように。
「はは……」
火神が自分の手を見る。
「何だ、これ」
「朱音?」
澪が近づこうとする。
「大丈夫!」
火神がすぐに答える。
「大丈夫。違う。すげえ……」
言葉がまとまらない。
視線が、砕けた核と自分の右手を何度も行き来する。
火神の反応は、置いておいた言葉どおりだった。
成功した瞬間の音。
砕けた核の赤。
炎の残光。
自分の呼吸。
その全部が、成功という感覚へつながっている。
視線と笑い方を見る限り、暗示は狙いどおりに働いていた。
身体は疲れている。
肩も痛い。
なのに。
胸の奥から、浮き上がるような高揚が溢れてくる。
能力を使ったあとの熱まで。
今だけは、成功の余韻として心地よく感じる。
痛みを快感へ変えたわけではない。
疲れを消したわけでもない。
成功したという本物の達成感だけを。
普通なら届かないところまで、大きくした。
「火神」
呼ぶ。
火神がこちらを向いた。
頬が赤い。
目が輝いている。
「当たったな」
「ああ!」
返事が大きい。
「当たった。見たか? 外殻、触ってない!」
「見てた」
「七割で足りた! 傷を見たら、全部分かった!」
「うん」
「音が、すげえ綺麗に聞こえて。身体はきついのに、頭の中が一気に軽くなって。成功したって感じが、全部吹き飛ばすくらい気持ちよくて」
火神が笑う。
「最高だった」
一度。
息を吸う。
「本当に、最高だった!」
天城が砕けた標的を見る。
「きれいに中心だ。すごいな、火神」
「だろ!」
「でも、少し座った方がいい。息が上がってる」
「分かってる。でも、ちょっと待って」
火神はまだ立っていた。
今の感覚を、少しでも長く残そうとしているようだった。
澪が記録端末を確認する。
「出力は前回の七十二パーセント。外殻への接触は本当にゼロよ」
「七割って言っただろ」
「二パーセント多いわよ」
「誤差だ!」
「あなたの場合、その誤差が壁を壊すの!」
火神が声を上げて笑った。
いつもの笑い方より、ずっと大きい。
澪も天城も。
難しい課題に成功したから、興奮しているのだと思っている。
間違ってはいない。
成功したのは事実だ。
喜ぶ理由もある。
違うのは。
その強さだけだった。
◇
火神がようやく長椅子へ座る。
水を飲む。
それでも、笑顔は消えなかった。
「相良」
「ん?」
「今の指示、よかった」
「傷?」
「それも。声が聞こえたら、本当にそこしか見えなくなった」
「周りは見えてた?」
「見えてたよ。危ない音も分かった」
「ならいい」
「でも、余計なものだけ消えた。撃つ瞬間も迷わなかった」
火神が右手を握る。
「あれなら、もっと難しいのもいける」
「今日は終わり」
澪が先に言う。
「分かってるって」
「本当に?」
「今日はな」
「今日は?」
「明日ならいいだろ」
「肩の状態を見てからよ」
「大丈夫だって」
「今、自分で痛いって言ってたでしょう」
「痛いけど動く!」
「駄目!」
火神と澪が言い合う。
天城が間に入る。
いつもの三人。
いつもの訓練後に見える。
火神自身も。
今日の調子がよかっただけだと思っているように見える。
俺の指示と、自分の集中がうまく噛み合った。
最高の一撃を出したから。
今までで一番強く喜んだ。
それだけだと。
◇
標的は本物。
火神の一撃も本物。
成功も本物。
今回、新しく手を加えたのは。
そのあとに生まれた感情の大きさだけだった。
何もないところに作るより。
すでにあるものを広げる方が、ずっと深く届く。
「相良!」
火神が長椅子から呼ぶ。
「何?」
「次も見ろよ!」
「まだやるの?」
「今日はやらねえよ。次だよ」
「分かった」
「絶対だからな」
「うん」
火神が満足そうに笑う。
さっきの高揚は、少しずつ薄れている。
痛みと疲れは、そのまま残っている。
それでも。
火神の中には、もう記憶が残った。
今までで一番気持ちよく勝てた瞬間。
その直前に。
何が聞こえていたのかも。
次に同じ感覚を求めたとき。
火神が探すものは。
勝てる相手だけではなくなる。