最低ランク《鎮静》の俺、その正体は催眠能力者 ――勇者のヒロインを静かに奪う 作:催眠スキ
もう一回。
昨日から。
何度も同じ言葉が、頭に浮かんでいた。
もう一度。
あの感覚を味わいたい。
◇
朝。
教室へ入る。
「おはよう」
返事をしながら、自分の席へ向かう。
鞄を置く。
斜め後ろを見る。
相良は、まだ来ていなかった。
「澪」
「何?」
澪が教科書を出しながら顔を上げる。
「相良は?」
「まだ来てないわよ」
「珍しいな」
「そう?」
「いつも眠そうなくせに、来るのは早いだろ」
「教室で寝るためでしょう」
「寮で寝てくればいいのに」
「私に言われても知らないわよ」
澪が少し笑う。
昨日。
相良に言われたとおりに撃った。
外殻へ触れず、核だけを壊した。
音が澄んで。
炎の熱も。
身体の疲れも。
全部が、成功したという感覚へつながった。
最高だった。
今まで、訓練で何度も成功してきた。
蓮に勝ったこともある。
それでも。
昨日ほど気持ちよかったことはなかった。
「朱音」
「ん?」
「相良に何か用?」
「今日の訓練、見てもらおうと思って」
「昨日も見てもらったでしょう」
「昨日できたなら、今日もできるか確かめたいんだよ」
「肩は?」
「もう平気」
「本当に?」
「動くし、痛くねえよ」
腕を回してみせる。
澪は疑うように見ていたけど、何も言わなかった。
教室の扉が開く。
相良が入ってきた。
「おはよう」
「相良!」
声をかけると、相良がこちらを見る。
「何?」
「今日の放課後、空いてる?」
「たぶん」
「訓練、付き合えよ」
「天城と九条は?」
「蓮は生徒会の手伝い。澪は委員会だろ?」
「ええ」
澪が答える。
「だから相良だけ」
「俺だけ?」
「昨日みたいに、見てればいいから」
言ってから。
少し違うと思った。
見ているだけではない。
相良の声があると、見るべき場所が分かる。
撃つ瞬間に迷わなくなる。
「指示も出せよ」
「分かった」
「第三訓練室、取ってあるから」
「もう取ったの?」
「昨日のうちに」
相良が少しだけ目を細める。
「楽しみにしてた?」
「練習熱心って言えよ」
「火神らしいな」
「どういう意味だよ」
「褒めてる」
「ならいいけど」
相良が自分の席へ座る。
澪が、あたしを見る。
「何だよ」
「別に」
「その顔、何かあるだろ」
「無理はしないでね」
「分かってるって」
◇
放課後。
第二訓練区画の第三訓練室。
扉の使用中表示が点灯している。
予約したのは、最後の時間だった。
終了まで、他の生徒は入ってこない。
訓練区域には、五つの小さな標的が並んでいた。
昨日の回転標的より小さい。
一つずつ、中心の色が違う。
「これ、どうするんだ?」
操作台の前にいる相良へ聞く。
「指定した色に光った標的だけ撃つ」
「他は?」
「撃ったら失敗」
「面倒だな」
「火神向け」
「澪と同じこと言うなよ」
相良が小さく笑う。
「最初は二つのうち、一つ」
「簡単すぎない?」
「成功したら、標的も当てる数も増やす」
「最初から五つでいい」
「昨日、最初に失敗したけど」
「あれは狙いが少しずれただけだろ」
「だから、今日は二つから」
「分かったよ」
開始位置へ立つ。
相良は操作台から出て、訓練区域の外側へ移動した。
「火神」
「ん?」
「始める前に、呼吸を合わせるよ」
「また鎮静?」
「少しだけ」
「じゃあ頼む」
前にも、それで呼吸が楽になった。
断る理由はなかった。
「ゆっくり吸って」
相良の声に合わせて息を吸う。
「吐いて」
長く吐く。
肩から余計な力が抜けた。
「俺の声が聞こえたら、見るべきものが自然に分かる」
「うん」
「成功した感覚は、すぐには消えない」
相良の声だけが、近くに聞こえる。
「俺が『良い』と言えば、その感覚ははっきり残る」
「良いって言えば、残る」
「俺が『次』と言えば、その感覚を残したまま次へ進める」
「残ったまま、次へ」
「次も成功すれば、前の達成感と重なって、もっと大きくなる」
「もっと大きくなる」
「疲れも痛みも分かる。危ないと思ったら止まれる」
「分かる。止まれる」
「終わり」
一度、瞬きをする。
訓練室は、何も変わっていなかった。
「どう?」
「ちょっと落ち着いた」
「なら始めよう」
「おう」
◇
一回目。
二つの標的が、交互に光る。
青。
赤。
撃つのは赤だけ。
「右」
相良の声。
右側の標的が赤く光る。
小さく炎を撃つ。
命中。
標的が止まった。
〈成功〉
機械の音声が流れる。
「良いね」
相良が言った。
胸の奥が、ふっと軽くなる。
昨日の感覚よりは小さい。
それでも。
狙った場所へ当てた手応えが、いつもよりはっきり残った。
「次」
相良が標的を一つ増やす。
「今度は三つ?」
「順番も変わる」
「いいぜ」
二回目。
三つの標的が動き出す。
上下左右へ滑りながら、色が変わる。
撃つのは青。
一つ目。
中心。
二つ目。
少し遅れる。
「上」
相良の声に、視線が引かれる。
上へ移動した標的が青く変わった。
撃つ。
中心。
最後の一つが、他の標的の後ろへ隠れる。
「後ろから出る」
炎を集める。
標的が見えた。
撃つ。
青い中心だけが砕ける。
〈成功〉
「良い」
相良の声が聞こえた瞬間。
さっき残っていた手応えが、もう一度大きくなった。
胸が熱い。
もっと難しいものへ挑みたくなる。
「次」
「早くしろ」
自分から言っていた。
相良は何も言わず、標的を四つへ増やした。
◇
三回目。
指定されたのは、黄色。
四つの標的が、不規則に上下する。
色が変わる間隔も短い。
一つ目。
二つ目。
続けて当てる。
三つ目を撃とうとした瞬間。
「違う」
相良の声。
指を止める。
標的は、撃つ直前に緑へ変わっていた。
「危ねえ」
「左奥から来る」
見る。
左奥の標的が、黄色へ変わる。
炎を撃つ。
中心に当たる。
最後。
二つが、ほとんど同時に黄色へ変わった。
「手前」
迷わず撃つ。
手前の標的だけが砕けた。
直後、奥の標的は赤へ変わった。
〈成功〉
「良いね」
身体の奥で、何かが跳ねた。
一回目の手応え。
二回目の熱。
今の成功。
三つが消えずに残っている。
重なって。
大きくなっていく。
「ははっ」
笑いが漏れた。
呼吸は少し速い。
右腕にも、能力を続けて使った重さがある。
分かっている。
それでも。
止まりたくなかった。
「次!」
「少し休む?」
「いらねえ。まだいける」
「肩は?」
「重いだけ。痛くはない」
相良がこちらを見る。
顔ではなく、呼吸と右腕を見ている。
「次。あと一回」
「五つだな」
「最後は難しくする」
「その方がいい」
◇
五つの標的が並ぶ。
今度は色だけではない。
中心に出る数字と、周囲の色。
指定された組み合わせだけを撃つ。
「赤の三」
相良が言う。
「分かった」
「制限時間は十秒、一つでも外したら失敗」
「外さねえよ」
開始位置へ立つ。
胸の奥に、これまでの達成感が残っている。
次に成功すれば。
もっと大きくなる。
そう思うだけで。
身体の内側が熱くなった。
「始めるよ」
「来い」
標的が動き出す。
色が変わる。
数字も変わる。
赤の一。
青の三。
違う。
撃たない。
残り七秒。
標的が交差する。
「右奥見といて」
相良の声。
視線を移す。
右奥。
赤。
数字は二。
まだ違う。
残り五秒。
二つの標的が重なる。
「後ろから出る」
炎を集める。
手前の標的が下へ動く。
その後ろ。
赤の三。
「今」
撃つ。
炎が、二つの標的の隙間を抜ける。
中心の数字へ当たった。
数字が砕ける。
他の標的は、どれも傷ついていない。
〈成功〉
機械の声。
その直後。
「良い」
相良の声が聞こえた。
◇
胸の奥で重なっていたものが、一気に弾けた。
「……っ!」
息を呑む。
砕けた数字が、床へ落ちる音。
炎の残った匂い。
速くなった自分の鼓動。
全部が、成功したという感覚へ変わっていく。
一回目。
二回目。
三回目。
それまでの成功まで、今の一撃へ集まってくる。
昨日より。
ずっと大きい。
「ははっ……!」
笑いが止まらない。
腕は重い。
呼吸も苦しい。
額から汗が落ちる。
それなのに。
頭の中だけは、何もかもが軽かった。
じっとしていられなかった。
走り出したい。
叫びたい。
次の標的を壊したい。
今なら。
もっと難しいものでも当てられる。
そんな気がした。
「火神」
相良が呼ぶ。
振り返る。
「できたな」
「ああ!」
声が勝手に大きくなる。
「見たか? 二つの間、抜いたぞ!」
「見てた」
「一個も触ってない!」
「うん。出力も合ってた」
「だろ!」
相良が見ていた。
全部。
最初から最後まで。
自分でも気づかなかった出力まで。
胸の奥の高揚が、また少し強くなる。
「最高だ……」
口に出すと。
昨日と同じ言葉なのに、意味が違って聞こえた。
「相良」
「何?」
「もう一回」
「終わり」
「まだ時間あるだろ」
「火神の右腕が限界」
「まだ動く」
「動くのと、続けていいのは別」
「あと一回だけ」
相良が首を振る。
「今日は終わり」
「何だよ。今ならもっといける」
「今だから止める」
言われて。
自分の右手を見る。
指先が少し震えていた。
握ろうとすると、前腕に鈍い痛みが走る。
痛い。
疲れている。
それは、ちゃんと分かる。
続ければ、次は出力を抑えきれないかもしれない。
それも分かった。
でも。
やめたくなかった。
「……分かったよ」
長椅子へ座る。
相良が水を持ってくる。
「飲んで」
「分かってる」
受け取って、一気に半分ほど飲む。
高揚は、まだ胸の奥に残っていた。
少しずつ薄くなっている。
それが。
もったいないと思った。
「相良」
「ん?」
「次、いつ空いてる?」
「またやるの?」
「当たり前だろ」
「競技のため?」
「それ以外に何があるんだよ」
すぐに答えた。
もっと正確に撃つため。
もっと強くなるため。
今日より難しい課題を成功させるため。
だから。
もう一度、相良に見てほしい。
「じゃあ、また今度」
「絶対だからな」
「うん」
相良が小さく笑う。
帰り道でも。
砕けた標的を思い出した。
炎が隙間を抜けた瞬間を。
成功の音を。
何度も。
でも。
一番はっきり残っていたのは。
標的の色でも。
炎の熱でもなかった。
成功した直後に聞こえた。
相良の。
短い声だった。
良い。
その一言を思い出すたび。
薄くなったはずの熱が。
胸の奥で。
ほんの少しだけ戻ってきた。