最低ランク《鎮静》の俺、その正体は催眠能力者 ――勇者のヒロインを静かに奪う   作:催眠スキ

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第二十七話 足りない

 勝った。

 

 楽しかった。

 

 嬉しかった。

 

 それなのに。

 

 何かが。

 

 足りなかった。

 

 ◇

 

 土曜日。

 

 朝食を終えて、寮を出る。

 

 学園へ向かう道の途中で、澪と相良を見つけた。

 

 二人とも私服だった。

 

 澪は小さな鞄を持ち、相良はいつもの眠そうな顔で、その隣を歩いている。

 

「おはよう」

 

 声をかけると、二人が振り返った。

 

「おはよう、朱音」

 

「おはよう」

 

「二人で出かけるのか?」

 

「ええ」

 

 澪が答える。

 

「デート?」

 

「……そうよ」

 

「へえ」

 

「何よ」

 

「別に」

 

 澪の顔が、少しだけ赤い。

 

 付き合っていると聞いてからも、教室では二人とも前とあまり変わらなかった。

 

 でも。

 

 こうして並んでいると、やっぱり恋人に見える。

 

「どこ行くんだ?」

 

「まだ決めてない」

 

 相良が言う。

 

「決めてるわよ」

 

「そうなの?」

 

「昨日話したでしょう!」

 

「覚えてる」

 

「本当に?」

 

「たぶん」

 

「信用できない」

 

 いつもの二人だった。

 

 少し笑う。

 

「朱音は訓練?」

 

 澪が、あたしの持っている鞄を見る。

 

「蓮と模擬戦」

 

「肩は大丈夫なの?」

 

「昨日の訓練のあと、ちゃんと休んだし、もう平気だって」

 

「無理しないでね」

 

「分かってる」

 

 相良を見る。

 

「相良」

 

「何?」

 

「今日の訓練、来ない?」

 

 聞いてから。

 

 二人がデートへ行くところだったと思い出す。

 

「朱音」

 

 澪が少し呆れた顔をする。

 

「分かってるよ。聞いただけだろ」

 

「今日は行かない」

 

 相良が答える。

 

「澪と約束してるから」

 

「そうだよな」

 

 当たり前の答え。

 

 二人は恋人で。

 

 今日はデートだ。

 

 あたしと蓮の訓練へ来る理由なんてない。

 

「じゃあ、また今度な」

 

「うん」

 

「朱音」

 

 澪が呼ぶ。

 

「今度は、前の日までに誘いなさい」

 

「そうする」

 

 二人と別れる。

 

 振り返らずに学園へ向かう。

 

 今日は蓮と模擬戦をする。

 

 前までは、それで十分だった。

 

 ◇

 

 第二訓練区画。

 

 蓮は、先に準備を終えていた。

 

 訓練区域の中央で、剣を振っている。

 

 風が短く鳴る。

 

 剣先から飛んだ刃が、離れた標的の中心へ当たった。

 

「遅いぞ、朱音」

 

「時間前だろ」

 

「火神なら、もっと早く来ると思ってた」

 

「何だよ、それ」

 

「昨日、楽しみにしてたから」

 

「してたけど」

 

 鞄を長椅子へ置く。

 

 訓練服の袖を肩までまくる。

 

「相良は?」

 

 蓮が入口を見る。

 

「来ねえよ」

 

「誘ってなかったのか?」

 

「誘ったけど、澪とデート」

 

「ああ」

 

 蓮が納得したように頷く。

 

「なら、今日は二人だな」

 

「前からそうだろ」

 

「最近は相良もいたから」

 

「見てただけじゃん」

 

「指示も出してたけど」

 

「あれは分かりやすいから言ってもらっただけだ」

 

「そうか」

 

 蓮が剣を構える。

 

「条件は昨日決めたとおりでいいな」

 

「身体強化と障壁なし。炎と剣と風だけ。先に有効打を取った方が勝ち」

 

「それでいい。言い訳するなよ」

 

「そっちこそ」

 

「今日は俺が勝つよ」

 

「前も負けただろ」

 

「〇・三点だけな」

 

「勝ちは勝ちだ」

 

「模擬戦は別だろ」

 

「同じだよ」

 

 訓練区域へ入る。

 

 胸の奥が、少し熱くなる。

 

 蓮は強い。

 

 正面から戦える。

 

 相良がいなくても、勝負は楽しい。

 

 ◇

 

 開始の合図が鳴る。

 

 蓮が先に動いた。

 

 床を蹴る。

 

 一瞬で距離が縮まる。

 

 剣が横から来る。

 

 腕へ炎を集め、受け止める。

 

 風と火がぶつかる。

 

 熱い。

 

 楽しい。

 

「前より速いな!」

 

「朱音こそ!」

 

 蓮が剣を引く。

 

 そのまま身体を回し、二撃目。

 

 後ろへ跳ぶ。

 

 剣先が訓練服の胸元をかすめる。

 

 着地と同時に、炎を撃つ。

 

 蓮が横から風をぶつけ、炎を受け流す。

 

 炎が左右へ割れた。

 

「今の危なかった!」

 

「当てるつもりだったからな!」

 

 もう一発。

 

 蓮が横へ避ける。

 

 追う。

 

 剣の届く距離へ入る。

 

 蓮の方が有利な距離。

 

 でも。

 

 近い方が、動きを読める。

 

 肩。

 

 腰。

 

 足の向き。

 

 次は、右から来る。

 

 そう思った瞬間。

 

 蓮の剣が左へ流れた。

 

 違う。

 

 逆だ。

 

 反応が遅れる。

 

 剣が腕へ触れる直前。

 

 炎を足元へ撃った。

 

 爆風で身体を横へ飛ばす。

 

 床を転がる。

 

 すぐに立ち上がる。

 

「無茶するな!」

 

「避けただろ!」

 

「そういう問題じゃない!」

 

 蓮が追ってくる。

 

 息を整える。

 

 周りの音は、全部聞こえていた。

 

 蓮の足音。

 

 剣が風を切る音。

 

 自分の呼吸。

 

 でも。

 

 昨日みたいに。

 

 必要なものだけが、はっきり浮かぶことはなかった。

 

 相良の声がない。

 

 そう思った。

 

 すぐに打ち消す。

 

 今は蓮との勝負だ。

 

 目の前を見ろ。

 

 蓮が剣を振り下ろす。

 

 一歩だけ前へ出る。

 

 剣が勢いをつける前に、腕を押さえる。

 

 蓮の体勢が崩れた。

 

 空いた胴へ、炎をまとった拳を止める。

 

 訓練用の判定音が鳴った。

 

〈有効打〉

 

 続けて。

 

〈模擬戦終了〉

 

 ◇

 

「勝った!」

 

 拳を上げる。

 

 息が上がっている。

 

 身体も熱い。

 

 蓮は自分の腹を見て、それから剣を下ろした。

 

「最後、よく入ってきたな」

 

「近い方が読めるからな」

 

「途中で逆を取ったんだけど」

 

「あれは危なかった」

 

「爆風で避けるとは思わなかったよ」

 

「避けたからいいだろ」

 

「次は禁止な」

 

「何でだよ」

 

「床へ頭を打ったらどうするんだ」

 

「打ってねえよ」

 

「今回はな」

 

 蓮が苦笑する。

 

 あたしも笑った。

 

 勝った。

 

 蓮に。

 

 正面から。

 

 最後は、自分で動きを読んだ。

 

 嬉しい。

 

 ちゃんと楽しい。

 

 なのに。

 

 胸の奥で。

 

 何かを待っていた。

 

 少し待つ。

 

 何も起きない。

 

 昨日みたいに、成功した感覚が重なることも。

 

 頭の中が一気に軽くなることも。

 

 なかった。

 

「朱音?」

 

「何?」

 

「どうした?」

 

「別に」

 

「勝ったのに、嬉しくなさそうだけど」

 

「嬉しいよ」

 

「本当?」

 

「本当だって」

 

 嘘ではない。

 

 嬉しい。

 

 でも。

 

 これだけだっただろうか。

 

「もう一回やるぞ」

 

「休んでからにしよう」

 

「今できる」

 

「息、上がってるだろ」

 

「すぐ戻る」

 

「昨日も無理したんじゃないのか?」

 

「無理してねえよ」

 

 少しだけ声が強くなる。

 

 蓮がこちらを見る。

 

「……分かった。五分休んだら、もう一回な」

 

「おう」

 

 長椅子へ座る。

 

 水を飲む。

 

 身体は疲れていた。

 

 それでも。

 

 次なら。

 

 もっときれいに勝てば。

 

 昨日の感覚が戻るかもしれない。

 

 ◇

 

 二回目。

 

 今度は。

 

 最初から全力で動いた。

 

 蓮の風の刃を避ける。

 

 距離を詰める。

 

 剣を炎で弾く。

 

 蓮が体勢を戻す前に。

 

 胸元へ手を向けた。

 

 火を撃つ直前で止める。

 

〈有効打〉

 

〈模擬戦終了〉

 

 一回目より。

 

 ずっと早い。

 

「また負けた」

 

 蓮が息を吐く。

 

「今のは完璧だったよ」

 

「ああ」

 

「反応も速かった。出力も抑えてた」

 

「分かってる」

 

「……朱音?」

 

 蓮の言葉は。

 

 ちゃんと嬉しかった。

 

 仲間に褒められた。

 

 勝った相手に認められた。

 

 それなのに。

 

 胸の奥に残るのは。

 

 小さな熱だけだった。

 

 昨日みたいに重ならない。

 

 広がらない。

 

 何かが足りない。

 

「もう一回」

 

「今日は終わりにしよう」

 

「まだ二回だぞ」

 

「二回とも朱音が勝った」

 

「だから何だよ」

 

「これ以上は、確認することがないだろ」

 

「ある」

 

「何を?」

 

 答えようとして。

 

 止まる。

 

 何を確かめたいのか。

 

 自分でも分からなかった。

 

 蓮に勝てることは分かった。

 

 身体も動いている。

 

 能力の出力も抑えられた。

 

 それなのに。

 

「……今の、相良が見てたら何て言うと思う?」

 

 口から出ていた。

 

 蓮が少し目を見開く。

 

「相良?」

 

「いつも細かいところ見てるだろ」

 

「そうだな」

 

「だから、何か気づくかもしれねえし」

 

 理由を足す。

 

 蓮は少し考えた。

 

「出力を抑えたところを褒めるんじゃないか?」

 

「……そうかな」

 

「前も、そこを見てただろ」

 

「ああ」

 

 相良なら。

 

 何と言うのか。

 

 あの平らな声で、何を見つけるのか。

 

 聞きたいと思った。

 

「今日は終わろう」

 

 蓮が言う。

 

「朱音、少し変だぞ」

 

「変じゃねえよ」

 

「ならいいけど」

 

 蓮が剣を片付け始める。

 

 あたしも炎を消した。

 

 勝ったのに。

 

 二回も。

 

 楽しかったのに。

 

 足りなかった。

 

 ◇

 

 寮の自室。

 

 風呂を終えて、ベッドへ座る。

 

 机の上に置いた端末を見る。

 

 まだ。

 

 相良からの連絡はない。

 

 連絡する約束もしていない。

 

 だから。

 

 来ないのが普通だ。

 

 端末を取る。

 

 相良との画面を開く。

 

 昨日、訓練室の予約時間を送った履歴が残っている。

 

 入力欄を押す。

 

 『蓮に二回勝った。』

 

 そこまで書く。

 

 少し考える。

 

 『今日の方が、昨日より動けた。』

 

 続けて書く。

 

 違う気がした。

 

 全部消す。

 

 今度は。

 

 『今日の訓練、見せたかった。』

 

 そう書く。

 

 すぐに消した。

 

 何で見せたかったんだ。

 

 相良がいなくても勝てた。

 

 指示がなくても。

 

 蓮の動きを読んで。

 

 出力を抑えて。

 

 自分で勝った。

 

 なら。

 

 報告する必要なんてない。

 

 端末を置く。

 

 少しして。

 

 また取る。

 

 短く打つ。

 

 『蓮に勝った。』

 

 それだけを送った。

 

 既読はつかない。

 

 端末を伏せる。

 

 ベッドへ横になる。

 

 きっと、まだ澪と一緒にいる。

 

 今日はデートだと言っていた。

 

 返事がなくても普通だ。

 

 それなのに。

 

 何度も端末を見た。

 

 ◇

 

 短い音が鳴る。

 

 すぐに端末を取った。

 

 相良から。

 

 『おめでとう。』

 

 たった一言。

 

 昨日の高揚は戻らない。

 

 胸の奥が弾けることもなかった。

 

 それでも。

 

 さっきまで残っていた苛立ちが。

 

 少しだけ軽くなった。

 

 もう一度。

 

 画面を見る。

 

 『おめでとう。』

 

 それだけ。

 

 足りないはずだった。

 

 なのに。

 

 少し笑っている自分に気づいた。

 

 返事を打つ。

 

 『次は見に来い。』

 

 送ろうとして。

 

 止める。

 

 今日は澪と一緒だ。

 

 今すぐ言うことではない。

 

 全部消して。

 

 代わりに。

 

 短く返した。

 

 『当然だ。』

 

 送信する。

 

 画面を閉じる。

 

 勝ったのは。

 

 あたしだ。

 

 相良がいなくても。

 

 ちゃんと勝てた。

 

 それでも。

 

 次の訓練では。

 

 あの声を聞きたいと思っていた。

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