最低ランク《鎮静》の俺、その正体は催眠能力者 ――勇者のヒロインを静かに奪う 作:催眠スキ
数字は。
嘘をつかない。
あたしがどれくらい早く動いたか。
どれくらい正確に撃ったか。
そのとき、心臓がどれくらい早く動いていたかも。
◇
放課後。
第二訓練区画の測定ホールで、夏季能力競技の予備測定が始まっていた。
ホール内は透明な壁でいくつかの区画に分けられ、別の区画から能力がぶつかる音と機械の判定音が絶えず聞こえている。
あたしの腕と胸元にも、測定用の小さな端子が付けられていた。
「動きにくい」
腕を回すと、端子から伸びた細い線が少し揺れた。
「可動範囲に影響はありません」
操作台の前に座っている女子が、画面から目を離さずに答えた。
一年の制服の上に、薄い灰色のカーディガン。青みのある黒髪は、顎の近くでそろったボブ。
小柄で華奢なのに、灰青色の目は強く印象に残った。あたしの腕も、付けた端子も、画面へ流れる数字も、全部を同じ温度で見ている目だった。
操作台の脇に置かれた表示に、名前と能力情報が出ている。
一ノ瀬玲奈。一年。Aランク。《解析眼》。解析補助。
「本当に邪魔にならないのか?」
「はい」
「ならいいけど」
もう一度腕を回す。線は邪魔だけど、射撃には問題なさそうだった。
「一ノ瀬さん」
澪が記録用の端末を持って、操作台へ近づく。
「この後の手順は?」
「基準試行を一回。その後、音声支援試行を支援者ごとに一回ずつ行います。異常値があれば、休息後に順番を入れ替えて再測定します」
「音声支援?」
蓮が聞き返す。
「班競技用の測定です。支援者にだけ、標的の位置と色が画面に表示されます」
「攻撃する側には?」
「五つの標的と、それぞれに並んだ三色の命中範囲だけが見えます。支援者の声を聞いて、指定された位置の色へ攻撃してください」
女子が、そこで初めて画面から顔を上げた。
「一ノ瀬玲奈。一年です。今日は解析補助を担当します」
「あたしは火神朱音」
「名簿で確認済みです」
「そうかよ」
「はい」
それだけ言うと、玲奈は画面へ視線を戻した。
「愛想ないな」
小声で言う。
「朱音」
澪に睨まれた。
「聞こえています」
玲奈が言う。
「聞こえてんじゃん!」
「この距離ですから」
蓮が笑う。
相良も、いつもの眠そうな顔でこちらを見ていた。
◇
最初は、基準試行。
五つの標的が半円状に並び、それぞれの中心が三色に分かれている。
基準試行では、機械が位置と色を直接光らせる。光った範囲の中心へ、一定の出力で炎を当てればいい。
「準備はいいですか」
「いつでも!」
「開始します」
機械の音が鳴る。
左から二番目の標的。青く光った範囲へ腕を向け、炎を小さく絞って撃つ。
中心。
次は右端の赤。三つ目は中央の黄。
五つ全てを、指定された範囲へ当てた。
〈測定終了〉
右腕を下ろす。呼吸はほとんど乱れていない。
「どうだ?」
「初動反応、平均零・四二秒。出力偏差、三・一パーセント。最大脈拍、一三七です」
「いい方?」
「基準値の範囲内です」
「そうじゃなくて」
「測定に良いも悪いもありません。選考用の資料です」
「つまんねえな」
「朱音、記録係を困らせないの」
「聞いただけだろ」
玲奈は、あたしと澪のやり取りに興味がないらしい。淡々と測定結果を保存した。
◇
三分間の休息後、音声支援試行が始まった。
最初の支援者は蓮。
蓮が操作台の横に立つ。あたしからは、支援用の画面が見えない。
「始めるよ」
「おう!」
音が鳴る。
「左、青!」
蓮の声に従い、左端の標的にある青い範囲へ炎を撃つ。
「右二番、赤!」
二つ目。
「中央、黄!」
三つ目。
蓮の声はよく聞こえるし、指定も分かりやすい。でも、別の区画から聞こえる音も、機械が動く音も、全部同じように耳へ入った。
それでも、五つ全てへ正確に当てる。
〈測定終了〉
「全部命中」
蓮が笑う。
「当たり前だろ」
ちゃんと嬉しい。勝ったわけではないけど、決められた通りに全部当てた。胸の奥に、普通の熱が残った。
「初動反応、平均零・四〇秒。出力偏差、二・九パーセント。最大脈拍、一三八です」
「さっきとあんまり変わらないな」
「支援者による大きな変化は、今のところありません」
玲奈が記録を保存し、次の測定画面へ移った。
◇
さらに三分間休んでから、相良が蓮と入れ替わった。
「相良」
「何?」
「ちゃんとやれよ」
「読むだけだろ」
「それが大事なんだよ」
「分かった」
相良の顔は、いつもと同じ。目だけが、標的も、あたしも、操作台に並んだ数字も、測定区画の全体を見ていた。
「準備はいいですか」
玲奈が聞く。
「いいぜ」
「相良先輩も、合図は画面の表示どおりにお願いします」
「分かった」
「始めます」
機械の音。
「左、青」
相良の声が聞こえた瞬間、周りの音が一歩遠くなった。
左端。青。見るべきものが自然に分かる。
撃った炎は、青い範囲の中心へ当たった。
「右二番、赤」
言葉がそのまま視線を引いていく。次の炎も命中した。
「中央、黄」
迷わない。腕を向ける前から、正しい場所が分かっていた。
その後も、五つ全てを中心へ当てる。
〈測定終了〉
「良いぞ」
相良の声。
胸の奥が跳ねた。
命中した手応えが一気に広がる。熱くて、軽くて、じっとしていられない。
「ははっ」
笑いが漏れた。
基準試行も、蓮の声でも、全部当たった。それなのに、今は同じ成功がまったく違うものに感じる。
相良は、あたしの呼吸も、腕も、最後の炎も見ていた。
「次行こうか」
残った熱が、そのまま次の成功を待つ形になる。
「火神先輩」
玲奈が呼ぶ。
「何だ?」
「そのまま、動かないでください」
「次じゃねえの?」
「測定値を確認します」
玲奈は画面を見ている。さっきまでとまったく同じ顔なのに、灰青色の目だけが一つの数字から動かない。
「初動反応、平均零・二七秒。出力偏差、二・八パーセント。最大脈拍、一六一」
「速くなっただろ?」
「はい」
「じゃあ、何が問題なんだ?」
「まだ、問題とは言っていません」
玲奈が画面へ三つの条件を並べる。
基準。蓮。相良。
「出力差は小さいです。ただし、蓮先輩の試行と比べて、初動反応は平均零・一三秒短縮。最大脈拍は二十三上昇しています」
「相良の指示が分かりやすいからだろ」
「可能性はあります」
玲奈は相良の方を見ないまま、測定ファイルを開いた。
「五分間休息後、支援者の順番を入れ替えて再測定します」
「もう一回、相良の声で撃てるのか?」
「はい」
胸の奥に残っていた熱が、少しだけ強くなった。
◇
五分後。
呼吸と脈拍が測定前の値の近くまで戻ったことを確認して、再測定が始まった。
今度は相良が先だった。
「いくよ」
「おう」
機械の音。
「中央、青」
声が聞こえる。周りの音が遠くなり、標的がはっきり見えた。
一つ目。
「左端、赤」
二つ目。
「右、黄」
腕も、炎も、あたしが望んだ通りに動く。最後の標的へも、迷わず当てた。
〈測定終了〉
「良いね」
胸の奥が強く跳ね、また笑いが漏れた。右腕の重さも、速くなった呼吸も分かっているのに、相良の声が聞こえたあとだけ成功の感覚が身体の中まで広がった。
「どうだ!」
玲奈は答えない。
画面に、零・二八秒、二・九パーセント、一六〇と並ぶ。
ほとんど、さっきと同じだった。
五分の休息後、今度は蓮が音声支援を行う。
測定自体は、さっきと変わらない。蓮の声を聞き、位置と色を確認して、五つ全てへ炎を当てた。
〈測定終了〉
「今回も全部命中」
蓮に言われて、普通に嬉しくなる。
画面に出たのは、零・四一秒、三・零パーセント、一三九。
順番を入れ替えても、同じだった。
相良の声が入った試行だけ、反応が早く、脈拍が高い。
◇
「機器の誤差?」
澪が聞く。
「同じ機器で、同じ方向の誤差が再現する可能性は低いです」
「じゃあ、朱音の調子がよかったのね」
「その可能性も否定できません」
玲奈の指が画面の上を動き、五回分の記録を三つの条件へまとめた。
基準。
蓮の音声支援。
相良の音声支援。
「音声支援者別。再測定対象として保存します」
「まだやるのか?」
「今日の測定は終了です。記録は、次回も比較します」
「そういうことか」
分かったような、分からないような感じだった。
でも、どちらでもよかった。
今日も、相良の声でいい感じに撃てた。
そのことの方が、数字よりずっと大事だった。
◇
端子を外す。
澪と蓮は片付けを手伝っている。あたしも荷物を持った。
相良は、まだ操作台の前に立っていた。
画面には、三つの条件が表示されている。相良の名前がついた二回だけ、反応時間が短く、脈拍が高い。
相良はその数字を見ていた。気づいていない顔ではなかった。
「相良先輩」
玲奈が呼ぶ。
「何?」
「何か、思い当たる理由はありますか」
相良が、あたしを見た。
「火神は、俺の指示に慣れてるから」
「そうですか」
「うん」
「分かりました」
玲奈は、納得したとも疑っているとも言わなかった。
相良も、別の説明を足さなかった。次回も比較される記録を前にして、何も聞かず、ただ画面から目を離した。
玲奈が、保存を押す。
記録は残った。