最低ランク《鎮静》の俺、その正体は催眠能力者 ――勇者のヒロインを静かに奪う   作:催眠スキ

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第四話 今日は腹が立たない

 翌日。

 

 俺は何もしなかった。

 

 九条に暗示を入れることも。

 

 わざと話しかけることも。

 

 近づくことも。

 

 ただ、いつも通り過ごした。

 

 昨日沈めたものが、今日も残っているのか。

 

 まずはそれを見たい。

 

 ◇

 

 三限目。

 

「相良」

 

「……ん」

 

「相良」

 

「聞こえてる」

 

「なら起きなさい」

 

 顔を上げる。

 

 目の前に九条がいた。

 

 授業は終わっている。

 

 教室では次の授業の準備をする生徒たちが動き始めていた。

 

「終わった?」

 

「終わった? じゃないでしょう」

 

 九条が眉を寄せる。

 

 どうやら俺は寝ていたらしい。

 

「先生、最後の方あなたのこと見てたわよ」

 

「起こしてくれればよかったのに」

 

「先生が?」

 

「九条が」

 

「どうして私が」

 

「学級委員長だから」

 

「都合のいいときだけ委員長扱いしないで」

 

「頼りにしてる」

 

「絶対思ってないでしょう」

 

「思ってる」

 

「嘘」

 

 即答。

 

 でも。

 

 昨日までとは少し違う。

 

「……まあいいわ」

 

 九条が小さく息を吐く。

 

「次、移動教室よ。置いていかれても知らないから」

 

「ありがとう」

 

「別に」

 

 九条は自分の席へ戻った。

 

 俺はその背中を見る。

 

 怒らなかった。

 

 いや。

 

 正確には、怒ってはいる。

 

 眉も寄った。

 

 呆れてもいる。

 

 でも。

 

 いつもなら、もう二言くらい小言が続いていた。

 

 俺が授業中に寝ていた。

 

 九条が嫌うには十分な理由だ。

 

 その理由は何一つ変わっていない。

 

 なのに。

 

 反応だけが少し弱い。

 

 残っている。

 

「何見てんの?」

 

 横から火神が顔を出した。

 

「別に」

 

「澪?」

 

「違う」

 

「今めっちゃ見てたじゃん」

 

「移動教室だろ。行くぞ」

 

「あ、逃げた」

 

 無視して立ち上がる。

 

 今日はまだ。

 

 これでいい。

 

 ◇

 

 四限目は能力理論だった。

 

 眠くなる授業ランキングがあるなら、上位に入る。

 

「相良」

 

「起きてる」

 

「まだ何も言ってないわよ」

 

 隣から九条の声。

 

 今日は席を移動して受ける授業で、偶然近くになった。

 

「寝そうな顔してたから」

 

「よく見てるな」

 

「見たくて見てるわけじゃない」

 

「そう?」

 

「そうよ」

 

 教官が前で能力発動時の精神集中について説明している。

 

 九条のノートは綺麗だ。

 

 字まで性格が出るらしい。

 

 俺のノートは白い。

 

「……書かないの?」

 

「あとで見る」

 

「何を」

 

「教科書」

 

「だったら今見なさいよ」

 

「眠い」

 

「あなたね……」

 

 また来る。

 

 そう思った。

 

 けれど。

 

「……もういいわ」

 

 九条は前を向いた。

 

「怒らないの?」

 

「は?」

 

 こっちを向く。

 

「いつもなら、もう少し言うだろ」

 

「……何よそれ」

 

「いや」

 

「私がいつも怒ってるみたいじゃない」

 

「怒ってるだろ」

 

「あなたが怒らせるからでしょう!」

 

 少し声が大きくなった。

 

 前の席の生徒が振り返る。

 

 九条が口を閉じた。

 

「ほら」

 

 小声で言う。

 

「相良のせいよ」

 

「悪かった」

 

「……本当にそう思ってる?」

 

「少し」

 

「少しって何よ」

 

 また眉が寄る。

 

 でも。

 

 しばらくして。

 

 九条は小さく首を傾げた。

 

「……変ね」

 

「何が?」

 

「別に」

 

 前を向く。

 

 その横顔を少しだけ見る。

 

 気づいたか。

 

 いや。

 

 違う。

 

 気づいたとしても。

 

 何に気づいたのかまでは分からないはずだ。

 

 俺はそれ以上話しかけなかった。

 

 ◇

 

 昼休み。

 

 天城は教師に呼ばれていた。

 

 能力測定について何か話があるらしい。

 

「腹減ったー」

 

 火神が机に突っ伏す。

 

「食えば」

 

「今から食うんだよ」

 

 そう言いながら弁当箱を出した。

 

 今日は購買じゃないらしい。

 

「でかいな」

 

「母ちゃんが作った」

 

「三段?」

 

「二段半」

 

「半って何」

 

「果物」

 

「それ三段じゃない?」

 

「細けえなあ」

 

 昨日も聞いた。

 

 火神が弁当を開ける。

 

 肉が多い。

 

「相良は?」

 

「パン」

 

「また?」

 

「楽だから」

 

「栄養偏るぞ」

 

「火神に言われたくない」

 

「野菜もある!」

 

 弁当の隅を指差す。

 

 ブロッコリーが二つあった。

 

「あるな」

 

「だろ?」

 

「少ないけど」

 

「あることが大事なんだよ」

 

「何の理屈だ」

 

「相良」

 

 声がした。

 

 九条だ。

 

「何?」

 

「これ」

 

 ノートが差し出される。

 

「能力理論。次の小テスト範囲が書いてあるところ」

 

「何で?」

 

「さっき何も書いてなかったでしょう」

 

「貸してくれるの?」

 

「違う。見せるだけ」

 

「十分じゃない?」

 

「写真を撮ったら返して」

 

「ありがとう」

 

 スマホを出す。

 

 何ページか撮る。

 

 九条は俺の机の横に立ったまま待っている。

 

「相良」

 

「ん?」

 

「一応言っておくけど」

 

「うん」

 

「次から自分で取りなさい」

 

「善処する」

 

「しなさい」

 

「はい」

 

 ノートを返す。

 

 九条が受け取った。

 

「じゃあ」

 

 自分の席へ戻ろうとする。

 

 火神がじっと見ていた。

 

「何?」

 

 九条が気づく。

 

「いやあ」

 

「何よ」

 

「澪、優しいじゃん」

 

「は?」

 

「相良にノート見せてやるなんて」

 

「学級委員長としてよ」

 

「それ便利だな」

 

 俺が言う。

 

「相良は黙って」

 

「はい」

 

 火神がにやにやする。

 

「昨日も課題届けてやってたよな?」

 

「それも先生に頼まれたから」

 

「今日は頼まれてないだろ?」

 

「……何が言いたいの?」

 

「別に?」

 

「その顔やめなさい」

 

「でもさ」

 

 火神が箸をくわえたまま首を傾げる。

 

「最近、相良と喋ってても前ほど怒らなくなったよな」

 

 九条が止まった。

 

 俺も黙る。

 

 火神は何も知らない。

 

 ただ感じたことを言っただけだ。

 

「……私が?」

 

「うん」

 

「そんなことないでしょう」

 

「そうか?」

 

「そうよ」

 

「前だったら、相良が寝てたらもっとキレてたじゃん」

 

「キレてないわよ!」

 

「ほら怒った」

 

「朱音!」

 

「あはは!」

 

 火神が笑う。

 

 九条は頬を少し赤くしている。

 

「もう知らない」

 

 自分の席へ戻ろうとして。

 

 足を止めた。

 

「……でも」

 

 小さく呟く。

 

「何?」

 

 火神が聞く。

 

「なんでもない」

 

「気になるじゃん」

 

「なんでもないって言ってるでしょう」

 

 今度こそ行った。

 

「怒ったな」

 

「火神のせいだろ」

 

「でも相良には怒んなかったな」

 

「知らない」

 

「怪しい」

 

「何が」

 

「最近なんかあった?」

 

「プリ――」

 

「あ」

 

 火神が食いついた。

 

「今また言った!」

 

「言ってない」

 

「プリって言った!」

 

「気のせい」

 

「絶対それだろ!」

 

「何の話?」

 

 天城が戻ってきた。

 

「蓮!」

 

 火神が獲物を見つけた顔をする。

 

「聞いてくれよ。相良と澪が――」

 

「火神」

 

「ん?」

 

「午後の課題やった?」

 

「…………」

 

「今日提出」

 

 火神が固まった。

 

「嘘だろ?」

 

「本当」

 

「相良ぁ!」

 

「頑張れ」

 

「またかよ!」

 

 天城が笑った。

 

 俺もパンの残りを食べる。

 

 視線だけ。

 

 九条を見る。

 

 自分の席で弁当を広げている。

 

 少し考え込んでいるようにも見えた。

 

 ◇

 

 午後。

 

 廊下を歩いていると。

 

「相良」

 

 後ろから呼ばれた。

 

 九条。

 

 一人だ。

 

「何?」

 

「ちょっといい?」

 

「うん」

 

 廊下の端に寄る。

 

 九条は少し言いにくそうな顔をしていた。

 

「昼の話なんだけど」

 

「火神?」

 

「そう」

 

「気にしてるの?」

 

「気にしてない」

 

「じゃあ何?」

 

「……確認」

 

「何を」

 

 九条が腕を組む。

 

「私、最近あなたに怒らなくなった?」

 

 直接聞いて来たか。

 

「どうだろ」

 

「真面目に答えて」

 

「少し?」

 

「少しって?」

 

「前より話が長く続くくらいかな」

 

「それだけ?」

 

「たぶん」

 

「……そう」

 

 九条が考える。

 

 ここで。

 

 言葉を足すことはできる。

 

 昨日と同じように。

 

 気にするな。

 

 自然なことだ。

 

 俺と話すのは嫌じゃない。

 

 そう沈めればいい。

 

 でも。

 

 やらない。

 

 今は。

 

 九条自身がどう説明するか見たい。

 

「何か変?」

 

 聞くだけにする。

 

「……別に」

 

 しばらくして、九条が答えた。

 

「昨日から少し疲れてるのよ」

 

「委員長の仕事で?」

 

「たぶん」

 

 自分で理由を見つけた。

 

「いちいちあなたに腹を立てるのも疲れるし」

 

「ひどいな」

 

「事実でしょう」

 

「そうかも」

 

「それに」

 

「うん」

 

「私だって、一日中機嫌が悪いわけじゃないもの」

 

「今日は機嫌いいんだ」

 

「……たぶんね」

 

 それで納得したらしい。

 

 九条の顔から、少しだけ考え込んでいた色が消える。

 

「変なこと聞いたわね」

 

「別に」

 

「忘れて」

 

「また?」

 

「何よ」

 

「プリンも忘れろって言われた」

 

「それは絶対忘れて!」

 

「分かった分かった」

 

「本当に?」

 

「たぶん」

 

「相良!」

 

 怒る。

 

 けれど。

 

 やっぱり。

 

 昨日までとは違う。

 

 九条自身も。

 

 それに気づきかけた。

 

 そして。

 

 自分で理由をつけた。

 

 疲れているから。

 

 今日は機嫌がいいから。

 

 いちいち腹を立てるのも面倒だから。

 

 どれもおかしくない。

 

 誰かに言われたわけでもない。

 

 九条自身が考えた理由だ。

 

 だから。

 

 疑う必要がない。

 

「じゃあ私、行くから」

 

「ああ」

 

 九条が歩いていく。

 

 俺は追わない。

 

 今日は何もしていない。

 

 暗示も入れていない。

 

 ただ観察しただけ。

 

 それなのに。

 

 昨日沈めた一滴は。

 

 ちゃんと残っていた。

 

 そして九条は。

 

 その変化に気づきかけても。

 

 自分で理由を見つけてくれる。

 

 便利だ。

 

 いや。

 

 違うな。

 

 人間は元々。

 

 自分の感情に、理由があると思いたがる。

 

 俺はそこへ。

 

 ほんの少し。

 

 きっかけを置いただけだ。

 

 九条澪は今日。

 

 俺にいつもほど腹が立たなかった。

 

 理由は。

 

 本人がもう決めている。

 

 今日は機嫌がよかった。

 

 ただ、それだけだ。

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