最低ランク《鎮静》の俺、その正体は催眠能力者 ――勇者のヒロインを静かに奪う 作:催眠スキ
翌日。
俺は何もしなかった。
九条に暗示を入れることも。
わざと話しかけることも。
近づくことも。
ただ、いつも通り過ごした。
昨日沈めたものが、今日も残っているのか。
まずはそれを見たい。
◇
三限目。
「相良」
「……ん」
「相良」
「聞こえてる」
「なら起きなさい」
顔を上げる。
目の前に九条がいた。
授業は終わっている。
教室では次の授業の準備をする生徒たちが動き始めていた。
「終わった?」
「終わった? じゃないでしょう」
九条が眉を寄せる。
どうやら俺は寝ていたらしい。
「先生、最後の方あなたのこと見てたわよ」
「起こしてくれればよかったのに」
「先生が?」
「九条が」
「どうして私が」
「学級委員長だから」
「都合のいいときだけ委員長扱いしないで」
「頼りにしてる」
「絶対思ってないでしょう」
「思ってる」
「嘘」
即答。
でも。
昨日までとは少し違う。
「……まあいいわ」
九条が小さく息を吐く。
「次、移動教室よ。置いていかれても知らないから」
「ありがとう」
「別に」
九条は自分の席へ戻った。
俺はその背中を見る。
怒らなかった。
いや。
正確には、怒ってはいる。
眉も寄った。
呆れてもいる。
でも。
いつもなら、もう二言くらい小言が続いていた。
俺が授業中に寝ていた。
九条が嫌うには十分な理由だ。
その理由は何一つ変わっていない。
なのに。
反応だけが少し弱い。
残っている。
「何見てんの?」
横から火神が顔を出した。
「別に」
「澪?」
「違う」
「今めっちゃ見てたじゃん」
「移動教室だろ。行くぞ」
「あ、逃げた」
無視して立ち上がる。
今日はまだ。
これでいい。
◇
四限目は能力理論だった。
眠くなる授業ランキングがあるなら、上位に入る。
「相良」
「起きてる」
「まだ何も言ってないわよ」
隣から九条の声。
今日は席を移動して受ける授業で、偶然近くになった。
「寝そうな顔してたから」
「よく見てるな」
「見たくて見てるわけじゃない」
「そう?」
「そうよ」
教官が前で能力発動時の精神集中について説明している。
九条のノートは綺麗だ。
字まで性格が出るらしい。
俺のノートは白い。
「……書かないの?」
「あとで見る」
「何を」
「教科書」
「だったら今見なさいよ」
「眠い」
「あなたね……」
また来る。
そう思った。
けれど。
「……もういいわ」
九条は前を向いた。
「怒らないの?」
「は?」
こっちを向く。
「いつもなら、もう少し言うだろ」
「……何よそれ」
「いや」
「私がいつも怒ってるみたいじゃない」
「怒ってるだろ」
「あなたが怒らせるからでしょう!」
少し声が大きくなった。
前の席の生徒が振り返る。
九条が口を閉じた。
「ほら」
小声で言う。
「相良のせいよ」
「悪かった」
「……本当にそう思ってる?」
「少し」
「少しって何よ」
また眉が寄る。
でも。
しばらくして。
九条は小さく首を傾げた。
「……変ね」
「何が?」
「別に」
前を向く。
その横顔を少しだけ見る。
気づいたか。
いや。
違う。
気づいたとしても。
何に気づいたのかまでは分からないはずだ。
俺はそれ以上話しかけなかった。
◇
昼休み。
天城は教師に呼ばれていた。
能力測定について何か話があるらしい。
「腹減ったー」
火神が机に突っ伏す。
「食えば」
「今から食うんだよ」
そう言いながら弁当箱を出した。
今日は購買じゃないらしい。
「でかいな」
「母ちゃんが作った」
「三段?」
「二段半」
「半って何」
「果物」
「それ三段じゃない?」
「細けえなあ」
昨日も聞いた。
火神が弁当を開ける。
肉が多い。
「相良は?」
「パン」
「また?」
「楽だから」
「栄養偏るぞ」
「火神に言われたくない」
「野菜もある!」
弁当の隅を指差す。
ブロッコリーが二つあった。
「あるな」
「だろ?」
「少ないけど」
「あることが大事なんだよ」
「何の理屈だ」
「相良」
声がした。
九条だ。
「何?」
「これ」
ノートが差し出される。
「能力理論。次の小テスト範囲が書いてあるところ」
「何で?」
「さっき何も書いてなかったでしょう」
「貸してくれるの?」
「違う。見せるだけ」
「十分じゃない?」
「写真を撮ったら返して」
「ありがとう」
スマホを出す。
何ページか撮る。
九条は俺の机の横に立ったまま待っている。
「相良」
「ん?」
「一応言っておくけど」
「うん」
「次から自分で取りなさい」
「善処する」
「しなさい」
「はい」
ノートを返す。
九条が受け取った。
「じゃあ」
自分の席へ戻ろうとする。
火神がじっと見ていた。
「何?」
九条が気づく。
「いやあ」
「何よ」
「澪、優しいじゃん」
「は?」
「相良にノート見せてやるなんて」
「学級委員長としてよ」
「それ便利だな」
俺が言う。
「相良は黙って」
「はい」
火神がにやにやする。
「昨日も課題届けてやってたよな?」
「それも先生に頼まれたから」
「今日は頼まれてないだろ?」
「……何が言いたいの?」
「別に?」
「その顔やめなさい」
「でもさ」
火神が箸をくわえたまま首を傾げる。
「最近、相良と喋ってても前ほど怒らなくなったよな」
九条が止まった。
俺も黙る。
火神は何も知らない。
ただ感じたことを言っただけだ。
「……私が?」
「うん」
「そんなことないでしょう」
「そうか?」
「そうよ」
「前だったら、相良が寝てたらもっとキレてたじゃん」
「キレてないわよ!」
「ほら怒った」
「朱音!」
「あはは!」
火神が笑う。
九条は頬を少し赤くしている。
「もう知らない」
自分の席へ戻ろうとして。
足を止めた。
「……でも」
小さく呟く。
「何?」
火神が聞く。
「なんでもない」
「気になるじゃん」
「なんでもないって言ってるでしょう」
今度こそ行った。
「怒ったな」
「火神のせいだろ」
「でも相良には怒んなかったな」
「知らない」
「怪しい」
「何が」
「最近なんかあった?」
「プリ――」
「あ」
火神が食いついた。
「今また言った!」
「言ってない」
「プリって言った!」
「気のせい」
「絶対それだろ!」
「何の話?」
天城が戻ってきた。
「蓮!」
火神が獲物を見つけた顔をする。
「聞いてくれよ。相良と澪が――」
「火神」
「ん?」
「午後の課題やった?」
「…………」
「今日提出」
火神が固まった。
「嘘だろ?」
「本当」
「相良ぁ!」
「頑張れ」
「またかよ!」
天城が笑った。
俺もパンの残りを食べる。
視線だけ。
九条を見る。
自分の席で弁当を広げている。
少し考え込んでいるようにも見えた。
◇
午後。
廊下を歩いていると。
「相良」
後ろから呼ばれた。
九条。
一人だ。
「何?」
「ちょっといい?」
「うん」
廊下の端に寄る。
九条は少し言いにくそうな顔をしていた。
「昼の話なんだけど」
「火神?」
「そう」
「気にしてるの?」
「気にしてない」
「じゃあ何?」
「……確認」
「何を」
九条が腕を組む。
「私、最近あなたに怒らなくなった?」
直接聞いて来たか。
「どうだろ」
「真面目に答えて」
「少し?」
「少しって?」
「前より話が長く続くくらいかな」
「それだけ?」
「たぶん」
「……そう」
九条が考える。
ここで。
言葉を足すことはできる。
昨日と同じように。
気にするな。
自然なことだ。
俺と話すのは嫌じゃない。
そう沈めればいい。
でも。
やらない。
今は。
九条自身がどう説明するか見たい。
「何か変?」
聞くだけにする。
「……別に」
しばらくして、九条が答えた。
「昨日から少し疲れてるのよ」
「委員長の仕事で?」
「たぶん」
自分で理由を見つけた。
「いちいちあなたに腹を立てるのも疲れるし」
「ひどいな」
「事実でしょう」
「そうかも」
「それに」
「うん」
「私だって、一日中機嫌が悪いわけじゃないもの」
「今日は機嫌いいんだ」
「……たぶんね」
それで納得したらしい。
九条の顔から、少しだけ考え込んでいた色が消える。
「変なこと聞いたわね」
「別に」
「忘れて」
「また?」
「何よ」
「プリンも忘れろって言われた」
「それは絶対忘れて!」
「分かった分かった」
「本当に?」
「たぶん」
「相良!」
怒る。
けれど。
やっぱり。
昨日までとは違う。
九条自身も。
それに気づきかけた。
そして。
自分で理由をつけた。
疲れているから。
今日は機嫌がいいから。
いちいち腹を立てるのも面倒だから。
どれもおかしくない。
誰かに言われたわけでもない。
九条自身が考えた理由だ。
だから。
疑う必要がない。
「じゃあ私、行くから」
「ああ」
九条が歩いていく。
俺は追わない。
今日は何もしていない。
暗示も入れていない。
ただ観察しただけ。
それなのに。
昨日沈めた一滴は。
ちゃんと残っていた。
そして九条は。
その変化に気づきかけても。
自分で理由を見つけてくれる。
便利だ。
いや。
違うな。
人間は元々。
自分の感情に、理由があると思いたがる。
俺はそこへ。
ほんの少し。
きっかけを置いただけだ。
九条澪は今日。
俺にいつもほど腹が立たなかった。
理由は。
本人がもう決めている。
今日は機嫌がよかった。
ただ、それだけだ。