最低ランク《鎮静》の俺、その正体は催眠能力者 ――勇者のヒロインを静かに奪う 作:催眠スキ
九条澪には弱点がある。
プリンだ。
本人がどう思っているかは知らないが。
少なくとも俺は、そう認識している。
◇
昼休み。
「今日食堂行かね?」
火神が俺の机に手をついた。
「なんで」
「肉」
「購買にもあるだろ」
「今日の日替わり、唐揚げ」
「そう」
「興味持てよ!」
「唐揚げだろ」
「唐揚げだぞ?」
同じ言葉なのに、火神が言うと妙に重い。
「蓮も行くだろ?」
「ああ」
天城が教科書を鞄へ入れながら頷く。
「九条は?」
「行くわ」
「よし、決まり!」
なぜか俺も人数に入っている。
「俺、購買でいいんだけど」
「付き合えよ」
「なんで」
「たまにはちゃんとした飯食え」
「母親?」
「相良の食生活見てると心配になるんだよ」
「余計なお世話だな」
「行こうぜ」
天城まで笑いながら言う。
三対一。
多数決は嫌いだ。
仕方なく立ち上がる。
◇
天陵学園の食堂は広い。
一学年だけでも百人以上いる上に、教員や研究棟の職員も利用する。
昼休みは当然混む。
「唐揚げ!」
火神が列へ向かっていく。
「走るなよ」
天城が言う。
「走ってない!」
「今走ってただろ」
「早歩き!」
元気だ。
「相良は何にする?」
天城に聞かれる。
「適当」
「適当ってメニューあるのか?」
「空いてるやつ」
「食事くらい選びなさいよ」
九条が横から言う。
「腹に入れば同じだろ」
「全然違うわよ」
「そう?」
「そう」
この二日で。
九条と話す回数が増えた。
俺から増やしたわけじゃない。
同じクラスだから。
火神が絡んでくるから。
学級委員長だから。
理由はいくらでもある。
それだけだ。
少なくとも。
今は。
「じゃあ俺、定食」
「何定食?」
「一番上の」
「本当に何でもいいのね……」
九条が呆れる。
怒ってはいない。
昨日と同じだ。
残っている。
「澪、早くしないと混むぞー!」
列の先から火神が手を振る。
「分かってるわよ」
九条がそちらへ向かう。
その途中。
足が止まった。
ほんの一瞬だった。
俺以外は気づいていない。
九条の視線の先。
食堂の端にある小さなデザートコーナー。
プリン。
今日もあった。
しかも普通のやつじゃない。
札が置かれている。
期間限定。
濃厚たまごプリン。
九条の目が。
僅かに変わった。
「……」
分かりやすい。
でも。
九条はすぐ前を向いた。
何事もなかったように列へ並ぶ。
見なかったことにしておく。
◇
「うまっ!」
火神が唐揚げを頬張る。
「食べながら喋るな」
「うまいもんは仕方ないだろ」
「何が仕方ないのよ」
四人用のテーブル。
俺の正面に火神。
隣が天城。
斜め前に九条。
「相良、それだけ?」
火神が俺のトレーを見る。
「定食だけど」
「ご飯少なくね?」
「普通だろ」
「大盛りにしろよ」
「なんで火神基準なんだ」
「午後動けないぞ」
「動かない」
「だから動けって!」
いつものやり取り。
天城が笑う。
「火神、相良には相良の適量があるだろ」
「蓮まで甘やかすなよ」
「飯の量で甘やかすって何だよ」
「だってこいつ細いじゃん」
「別に困ってない」
「お前そればっかだな」
九条が小さく笑った。
「本当ね」
「九条まで」
「事実でしょう」
楽しそうだ。
前より。
少しだけ。
「そういえばさ」
火神が箸を止める。
「今日デザートあるらしいぞ」
九条の動きが止まった。
本当に一瞬。
「へえ」
天城が反応する。
「何?」
「プリン」
火神が言った。
九条は水を飲んだ。
「期間限定だって。食おうかな」
「唐揚げ大盛り食べた後に?」
九条が平静な声で言う。
「甘いもんは別腹だろ」
「朱音の場合、全部別腹でしょう」
「失礼な」
「事実じゃない」
「澪はいらない?」
「私は別に」
即答だった。
「そう?」
「ええ」
「じゃあ蓮は?」
「俺も今日はいいかな」
「相良」
「いらない」
「なんだよ。じゃああたしだけか」
火神が残念そうに言う。
九条は何でもない顔で食事を続けている。
へえ。
そこまでして隠したいらしい。
俺が知っていること自体も。
九条にとっては相当恥ずかしいらしい。
理由はよく分からない。
でも。
本人が嫌がるなら。
言う必要もない。
「そういや澪って甘いもん――」
火神が言いかけた。
九条の箸が止まる。
「――食べそうにないよな」
火神が続ける。
「なんかブラックコーヒー飲んでそう」
「どういうイメージよ」
「だって澪だし」
「意味が分からないわ」
「相良もそう思わね?」
こっちに振るな。
九条の視線が向く。
少しだけいつもより鋭い。
言うな。
そう書いてある。
「そうだな」
俺は答えた。
「九条は甘いの苦手そう」
「……でしょう?」
九条が言う。
「ほら!」
火神が得意げになる。
「相良もそう言ってるじゃん」
「別に褒められてる気はしないけど」
「大人っぽいってことだよ」
「朱音に言われても説得力ないわね」
「なんでだよ!」
話題が逸れる。
九条が俺を見る。
一瞬だけ。
それから。
何も言わずに食事へ戻った。
◇
昼休みが終わる少し前。
俺は飲み物を買うために、もう一度食堂へ寄った。
自販機で水を買う。
戻ろうとしたところで。
デザートコーナーが目に入った。
残り一つ。
濃厚たまごプリン。
「……」
別に食べたいわけじゃない。
そのまま通り過ぎようとする。
「まだあった……」
後ろから。
小さな声。
振り返る。
九条。
目が合った。
「…………」
「…………」
九条が固まる。
「買えば?」
「な、何を?」
「プリン」
「違うわよ」
「何が」
「たまたま通りかかっただけ」
「そう」
「本当よ」
「うん」
「信じてないでしょう」
「信じてる」
「その言い方やめて」
面倒だ。
九条がデザートコーナーを見る。
そして。
俺を見る。
またプリンを見る。
「最後の一個だぞ」
「……見れば分かるわ」
「誰かに取られるんじゃない?」
「別に」
「いらない?」
「……」
沈黙。
「いらないなら俺が買うけど」
「え?」
「食ったことないし」
九条の目がプリンへ向く。
「……食べたいの?」
「別に」
「じゃあ買わなくていいでしょう」
「九条もいらないんだろ」
「私は……」
止まる。
「……少しだけ、興味があるだけ」
「じゃあどうぞ」
「え?」
俺はプリンの前から一歩退いた。
「興味あるんだろ」
「でも、あなたも――」
「別に食いたくない」
「さっき食べたことないって」
「食べたいとは言ってない」
「……そう」
九条が少し迷ってから。
プリンを手に取った。
顔は平静。
でも。
口元が僅かに緩んでいる。
本人は気づいていないだろう。
「よかったな」
「何が」
「最後の一個」
「だから、別にそこまで欲しかったわけじゃ――」
「はいはい」
「その反応、腹立つ」
「今日は怒るんだな」
「怒るわよ!」
安心した。
全部消えたわけじゃない。
俺は自販機の水を開ける。
九条が会計を済ませるのを待つ。
「相良」
「ん?」
「さっき」
「何?」
「朱音に聞かれたとき」
「ああ」
「……ありがとう」
珍しい。
「何が?」
「分かってるでしょう」
「甘いもの苦手そうって言ったこと?」
「そう」
「嘘ついたけど」
「言い方!」
九条が周囲を見る。
誰も近くにいないことを確認する。
「約束、守ってくれたから」
「約束したからな」
「……そう」
「それだけ?」
「それだけ」
九条はプリンの入った小さな袋を見る。
「あなたって」
「うん」
「思ってたより……」
止まった。
「何?」
「何でもない」
「気になるな」
「別にいいでしょう」
「人には聞くのに」
「うるさい」
また怒られた。
でも。
九条は少しだけ笑っていた。
◇
放課後。
俺が教室を出ようとすると。
「相良」
「何?」
九条が呼び止めた。
「今日、図書館に寄る?」
「なんで」
「寄らないならいい」
「用事?」
「……別に」
「なら帰るけど」
「待って」
九条が鞄の中を探る。
取り出したのは、小さな紙。
「これ」
渡される。
食堂のレシートだった。
「何これ」
「下」
見る。
期間限定デザート。
来週、新商品入荷。
そんな案内が印刷されている。
「来週は抹茶プリンだって」
「へえ」
「……それだけ?」
「何て言えばいい?」
「別に!」
「九条、抹茶も好きなの?」
「嫌いじゃないわ」
「好きなんだ」
「嫌いじゃないって言ったの」
「はいはい」
「その返事やめて」
「で、なんで俺に?」
聞くと。
九条が黙った。
「……あなた」
「うん」
「誰にも言わないでしょう?」
「ああ」
「だから」
「だから?」
「……見せただけ」
なるほど。
秘密を知っている人間。
それだけか。
「来週も買う?」
「まだ決めてない」
「絶対買うだろ」
「分からないでしょう!」
「今日も最後の一個見てたじゃん」
「相良!」
声が響く。
教室に残っていた何人かがこちらを見る。
九条が慌てて口を閉じた。
「……もう」
小声になる。
「あなたと話してると調子狂う」
「そう?」
「そうよ」
レシートを俺の手から取り返す。
「今のも忘れて」
「何個忘れればいいんだ」
「全部!」
「無理だな」
「でしょうね」
九条がため息をつく。
それから。
「でも」
「うん」
「本当に、他の人には言わないでね」
「言わないよ」
「……分かった」
今回は。
疑うような目をしなかった。
ただ。
普通に頷いた。
それだけ。
俺は今日は何もしていない。
昨日も。
暗示を入れていない。
九条が俺にプリンの話をしたのも。
レシートを見せたのも。
俺が命令したからじゃない。
約束を守った。
秘密を漏らさなかった。
最後の一個を譲った。
その結果。
九条自身が。
俺なら話してもいいと判断した。
小さい。
昨日沈めた一滴よりも。
ずっと小さな変化かもしれない。
でも。
これは俺が作った感情じゃない。
九条自身が。
自分で選んだ。
「じゃあ、また明日」
九条が言う。
「ああ。また明日」
教室を出ていく。
その後ろ姿を見送りながら。
少しだけ考える。
九条澪の弱点。
プリン。
そう思っていた。
どうやら。
少し違ったらしい。
甘いものが好きなのを知られること。
完璧に見られている自分の中に。
似合わない部分があること。
それを見られるのが恥ずかしい。
だから隠している。
なら。
プリンそのものより。
秘密を共有しているという事実の方が。
使えるかもしれない。
俺は鞄を持つ。
今日はこれでいい。
暗示を入れる必要すらなかった。
九条の方から。
少しだけ。
俺との距離を縮めたんだから。