最低ランク《鎮静》の俺、その正体は催眠能力者 ――勇者のヒロインを静かに奪う   作:催眠スキ

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第六話 二度目

 最初の一滴は残っている。

 

 それは確認できた。

 

 俺と話している間だけ、九条の警戒が少し緩む。

 

 以前ほど腹を立てない。

 

 その変化に気づいても。

 

 本人が勝手に理由をつけて納得する。

 

 さらに。

 

 俺が約束を守ったことで。

 

 催眠とは関係のない信頼まで、ほんの少し生まれた。

 

 なら。

 

 次へ進んでもいい。

 

 ◇

 

「九条!」

 

「分かってる!」

 

 放課後。

 

 第一訓練場。

 

 火神の声と同時に、炎が弾けた。

 

 爆音。

 

 赤い火の粉が散る。

 

 その中心を。

 

 白い光が駆け抜けた。

 

 一本。

 

 二本。

 

 三本。

 

 九条の【天剣】。

 

 飛んできた炎を光剣が切り裂く。

 

「まだまだ!」

 

 火神が笑う。

 

 右手を振り抜いた。

 

 今度は三方向。

 

 炎の塊が九条へ迫る。

 

 九条は動かない。

 

 視線だけ。

 

 六本の光剣が一斉に動いた。

 

 炎を迎撃。

 

 爆発。

 

 その煙を突き抜け。

 

 一本の剣が火神の首元で止まる。

 

「……あ」

 

 火神が固まった。

 

「私の勝ちね」

 

 九条が言う。

 

「今のなし!」

 

「なんでよ」

 

「煙で見えなかった!」

 

「あなたが出した煙でしょう」

 

「もう一本!」

 

「嫌よ」

 

「なんで!?」

 

「疲れたもの」

 

 九条が光剣を消す。

 

 火神はまだ不満そうだった。

 

「澪、もう一回だけ!」

 

「一回と言って三回やったでしょう」

 

「次で最後!」

 

「さっきも聞いた」

 

「今度こそ!」

 

「嫌」

 

 九条は訓練場の端へ歩いていった。

 

「冷たい!」

 

「朱音が元気すぎるのよ」

 

 そのままベンチへ座る。

 

 俺は少し離れた場所から見ていた。

 

「相良」

 

 隣から天城が声をかける。

 

「ん?」

 

「珍しいな。見に来るなんて」

 

「火神に引っ張ってこられた」

 

「ああ」

 

 納得された。

 

 実際その通りだ。

 

 帰ろうとしていたところを捕まった。

 

『一回くらい見ろ』

 

 と言われた。

 

 一回では終わらなかったが。

 

「九条、やっぱり強いな」

 

 天城が訓練場を見る。

 

「火神も強くなってるけど、相性が悪い」

 

「そうなの?」

 

「火神は出力で押すタイプだからな。九条みたいに細かく捌かれるとやりにくいんだ」

 

「へえ」

 

「相良、興味ないだろ」

 

「少しはある」

 

「本当か?」

 

「九条が勝つ方に百円」

 

「賭けるな」

 

 天城が笑う。

 

 俺も九条を見る。

 

 ベンチに座って。

 

 タオルで額の汗を拭いている。

 

 呼吸が少し速い。

 

 疲れている。

 

 前に暗示を入れたときと同じ。

 

 人間は疲れていると。

 

 余計な力を抜きたがる。

 

 そこに沿わせれば。

 

 入りやすい。

 

 条件としては悪くない。

 

 ただ。

 

 今は天城も。

 

 火神もいる。

 

 ここでやる意味はない。

 

「蓮!」

 

 火神が呼ぶ。

 

「次、お前!」

 

「まだやるのか?」

 

「澪が逃げた!」

 

「逃げてないわよ!」

 

 ベンチから九条が叫ぶ。

 

「蓮、一本だけ!」

 

「一本だけな」

 

「よっしゃ!」

 

 天城が訓練場へ向かう。

 

 九条が呆れた顔をした。

 

「天城も甘いわね」

 

「断ればいいのに」

 

「朱音、断ってもずっと言うもの」

 

「面倒だな」

 

「あなたが言う?」

 

「なんで」

 

 九条がこっちを見る。

 

「なんでもない」

 

 そう言って。

 

 少し笑った。

 

 俺は一瞬だけ黙った。

 

「何?」

 

「いや」

 

「変なの」

 

 以前なら。

 

 こんな顔を俺に向けることはなかった。

 

 まだ小さい。

 

 でも。

 

 確実に違う。

 

 ◇

 

 天城と火神の訓練は長引いた。

 

「一本だけ」とは何だったのか。

 

 九条は途中で帰った。

 

 俺も少しして訓練場を出た。

 

 寮へ戻る途中。

 

 自販機で水でも買おうと、渡り廊下の脇へ寄る。

 

 そこで。

 

「……あ」

 

 九条がいた。

 

 ベンチに座っている。

 

 ペットボトルを片手に。

 

 一人。

 

「また会ったな」

 

「相良」

 

「何してるの?」

 

「見れば分かるでしょう。休んでるの」

 

「寮までそんな遠くないぞ」

 

「分かってるわよ」

 

 少し疲れた声。

 

 訓練着のまま。

 

 黒に近い濃灰色の長袖の上衣に、同じ色のハーフパンツ。

 

 普段の制服姿よりも、身体の線が分かりやすい。

 

 黒髪は訓練用に低い位置でまとめていた。

 

 額にはまだ少し汗が残っている。

 

「座れば?」

 

 九条が言った。

 

「いいの?」

 

「立ったまま話されると落ち着かない」

 

「じゃあ」

 

 一人分ほど空けて座る。

 

 前なら。

 

 九条の方から俺を隣に座らせることなんて。

 

 まずなかった。

 

 本人は気づいていない。

 

「火神、まだやってる?」

 

「天城と」

 

「でしょうね」

 

「九条、逃げたって言ってたぞ」

 

「逃げてない」

 

「本人に言えば」

 

「明日言う」

 

「根に持つな」

 

「持ってないわよ」

 

 言いながら。

 

 ペットボトルの水を飲む。

 

 その手が少し震えていた。

 

 疲労。

 

 単純なものだろう。

 

「疲れてるな」

 

「……少しね」

 

「珍しく認めた」

 

「今日の朱音がしつこかったのよ」

 

「楽しそうだったけど」

 

「あの子はいつでも楽しそうでしょう」

 

「確かに」

 

 風が通る。

 

 訓練で熱を持った身体には気持ちいい。

 

 九条が目を細めた。

 

「……涼しい」

 

「眠そう」

 

「眠くない」

 

「目閉じてるけど」

 

「休んでるだけ」

 

「同じじゃない?」

 

「違う」

 

 声に力がない。

 

 俺は横顔を見る。

 

 今なら。

 

 入る。

 

 でも。

 

 前回と同じものを入れる意味はない。

 

 少しだけ。

 

 先へ進める。

 

「九条」

 

「何?」

 

 目は閉じたまま。

 

「そんな力入れなくていいぞ」

 

「入れてないわよ」

 

「肩」

 

「……?」

 

「まだ固い」

 

 九条が自分の肩を少し動かす。

 

「訓練のあとだからよ」

 

「じゃあ余計に」

 

「何が」

 

「俺と話してる間くらい、力抜けばいい」

 

 前にも。

 

 似た言葉を使った。

 

 だから。

 

 通り道がある。

 

「またそれ?」

 

 九条が薄く目を開ける。

 

「前にも言われた気がする」

 

「言ったな」

 

「あなたって、意外とそういうこと言うのね」

 

「そういうこと?」

 

「休めとか。力抜けとか」

 

「疲れてるからじゃない?」

 

「……そうね」

 

 否定しない。

 

 俺は声を少し落とす。

 

「九条」

 

「何?」

 

「別に何もしなくていい」

 

 一呼吸。

 

「俺の声聞いてる間くらい」

 

 ゆっくり。

 

「少し休めばいい」

 

 言葉を沈める。

 

 今ある疲れに。

 

 前回の暗示に。

 

 九条自身が俺へ持ち始めた小さな信頼に。

 

 重ねる。

 

 俺は危険じゃない。

 

 約束を守る。

 

 秘密を言わない。

 

 少しくらい。

 

 警戒を解いても問題ない。

 

 俺と話している時間は。

 

 力を抜いていい。

 

 声を聞いている間は。

 

 少し落ち着いていていい。

 

「…………」

 

 九条の呼吸が。

 

 ゆっくりになる。

 

 肩が下がる。

 

 ペットボトルを握っていた指から。

 

 力が抜ける。

 

「……ほんと」

 

「何?」

 

「あなたのそういうところ」

 

「どういうところ?」

 

「調子狂う」

 

「また?」

 

「また」

 

 目を閉じたまま。

 

 九条が小さく笑う。

 

「普段は腹が立つのに」

 

「ひどい」

 

「事実でしょう」

 

「うん」

 

「なのに……」

 

 止まる。

 

「何?」

 

「別に」

 

「気になる」

 

「言わない」

 

「なんで」

 

「言いたくないから」

 

 声は柔らかい。

 

 いつもの九条とは違う。

 

 でも。

 

 変えすぎてはいない。

 

 嫌い。

 

 腹が立つ。

 

 その認識は残っている。

 

 ただ。

 

 今。

 

 俺の声を聞いている間だけ。

 

 それよりも。

 

 疲れた身体を休ませる方が優先されている。

 

 十分だ。

 

 これ以上は必要ない。

 

 俺は話題を変えた。

 

「そういえば」

 

「何?」

 

「今日プリン買ってないな」

 

 九条の目が開いた。

 

「なんで知ってるのよ」

 

「食堂一緒だっただろ」

 

「見てたの?」

 

「デザートコーナーの方見てたから」

 

「見ないで」

 

「無理」

 

「相良」

 

 声に少し棘が戻る。

 

 いい。

 

 その方が自然だ。

 

「今日は食べなかったの?」

 

「毎日食べてるわけじゃないって言ったでしょう」

 

「来週は抹茶」

 

「……覚えてるの?」

 

「見せられたから」

 

「忘れてって言えばよかった」

 

「どうせ無理だぞ」

 

「でしょうね」

 

 九条がため息をつく。

 

 でも。

 

 すぐに。

 

 また肩の力が抜ける。

 

 早い。

 

 俺が何も言っていないのに。

 

 さっき沈めたものが。

 

 もう働いている。

 

「相良」

 

「ん?」

 

「一つ聞いていい?」

 

「何?」

 

「あなた」

 

 九条がこちらを見る。

 

「どうして私が甘いもの好きだって、誰にも言わないの?」

 

「約束したから」

 

「それは分かってる」

 

「じゃあ何?」

 

「……普通」

 

 言葉を探す。

 

「からかったりするでしょう」

 

「してるけど」

 

「そうじゃなくて」

 

「火神とかに言うってこと?」

 

「そう」

 

「九条が嫌がってるから」

 

「それだけ?」

 

「それ以外に何がある?」

 

 九条が黙る。

 

「……ないけど」

 

「じゃあそれだけ」

 

「そう」

 

 視線が前に戻る。

 

「変な人」

 

「九条に言われたくない」

 

「私は普通よ」

 

「プリン隠してるのに?」

 

「それは関係ない!」

 

「元気になったな」

 

「誰のせいよ!」

 

 九条が睨む。

 

 でも。

 

 その目は。

 

 以前ほど冷たくない。

 

「……もう帰る」

 

 九条が立ち上がる。

 

「休憩終わり?」

 

「あなたと話してたら長くなった」

 

「俺のせい?」

 

「半分くらい」

 

「残りは?」

 

「疲れてたから」

 

「そっか」

 

 九条が数歩進む。

 

 そして。

 

「相良」

 

「何?」

 

 振り返る。

 

「……ありがとう」

 

「何が?」

 

「少し休めたから」

 

「俺、何もしてないけど」

 

「話し相手にはなったでしょう」

 

「じゃあどういたしまして」

 

「そこは普通に受け取るのね」

 

「貰えるものは貰う」

 

「ほんと変」

 

 九条が歩き出す。

 

 俺は追わない。

 

 一人になったベンチで。

 

 少し考える。

 

 前回より。

 

 入り方が早かった。

 

 最初に警戒を緩めた。

 

 そのあと。

 

 九条自身が俺を少し信用した。

 

 だから。

 

 同じ方向への言葉が。

 

 前より自然に沈む。

 

 まだ。

 

 俺の声を聞けば無条件に安心する。

 

 そこまでじゃない。

 

 それでいい。

 

 今日。

 

 九条は。

 

 疲れたとき。

 

 俺と話していたら少し楽になった。

 

 そう思った。

 

 その記憶が残る。

 

 次に疲れたとき。

 

 俺の声を聞けば。

 

 今日の感覚を思い出す。

 

 そして。

 

 また少し。

 

 落ち着く。

 

 一回。

 

 二回。

 

 三回。

 

 それを重ねれば。

 

 いつか。

 

 理由なんて必要なくなる。

 

 俺と話すと。

 

 なんとなく落ち着く。

 

 本人が。

 

 そう思うようになる。

 

 今日は。

 

 二滴目。

 

 まだ。

 

 それだけだ。

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