最低ランク《鎮静》の俺、その正体は催眠能力者 ――勇者のヒロインを静かに奪う 作:催眠スキ
変化は。
大きいほど気づかれやすい。
だから。
小さい方がいい。
本人が。
自分で選んだと思える程度に。
◇
朝。
「席、移動するぞ」
黒瀬先生の一言で。
教室が少しざわついた。
「え、今日?」
火神が嫌そうな声を出す。
「前から言っていただろう」
「聞いてない!」
「お前が聞いてなかっただけだ」
「先生、今の席気に入ってるんだけど」
「知らん」
黒瀬先生は容赦がない。
教卓の上に紙の箱を置く。
「四月の仮配置は今日まで。新しい席はくじ引きだ」
さらにざわつく。
俺は今の席を見る。
窓側。
後ろから二番目。
悪くない位置だった。
「相良」
「何」
火神がこっちを見る。
「後ろ引けよ」
「なんで」
「近かったら話しやすい」
「授業中?」
「休み時間!」
「ならどこでもよくない?」
「細けえなあ」
火神が先にくじを引きに行く。
「よっしゃ!」
紙を開いて笑った。
「後ろ!」
「静かにしろ」
「はい!」
次々に席が決まっていく。
天城は中央寄り。
前から三列目。
どこにいても目立つ男には関係ないだろう。
「九条」
「はい」
九条が前へ出る。
箱から一枚取る。
開く。
「……」
少しだけ。
視線が教室の後ろへ向いた。
俺の方ではない。
たぶん席を確認しただけ。
「どこだった?」
天城が聞く。
「後ろから二番目。廊下側」
「結構後ろだな」
「たまにはいいわ」
九条が答える。
俺の今の席とは反対側。
次。
「相良」
「はい」
引く。
紙を開く。
後ろから二番目。
廊下側から二列目。
「……」
九条の隣だった。
「お」
火神が覗き込む。
「相良、澪の隣じゃん」
「そうだな」
「うわー」
「何」
「澪、大丈夫?」
「何がよ」
九条が眉を寄せる。
「毎日相良が隣だぞ」
「別に」
即答だった。
火神が止まる。
俺も少しだけ見る。
「……何?」
九条がこっちを見る。
「いや」
「席なんだから仕方ないでしょう」
「そうだけど」
火神が首を傾げる。
「前ならもっと嫌そうな顔してなかった?」
「しないわよ」
「するだろ」
「しない」
「絶対してたって」
「朱音」
「はいはい」
九条が小さくため息をつく。
それだけ。
嫌がらない。
それ自体が。
少し前ならなかった反応だ。
俺は新しい席へ鞄を移した。
隣。
九条も座る。
机と机の間。
腕一本分もない。
「よろしく」
「何よ急に」
「隣だから」
「……よろしく」
返ってきた。
それだけで。
少し面白い。
◇
一限目。
数学。
俺はノートを開いた。
九条が横を見る。
「今日は書くの?」
「席近いから監視されそうだし」
「誰が監視するのよ」
「委員長」
「そんな暇ないわ」
「じゃあ寝ようかな」
「起きなさい」
「まだ寝てない」
「寝るって言ったでしょう」
「言っただけ」
「本当に面倒ね……」
小声。
でも。
怒ってはいない。
教師が黒板に式を書く。
俺も一応書く。
「……字、汚いわね」
「読めればいい」
「読めないじゃない」
「俺は読める」
「それは文字として成立してるの?」
「たぶん」
九条が呆れた顔をする。
そして。
自分のノートを少しこちらへ寄せた。
「分からなくなったら見れば」
「いいの?」
「また、ノートを貸す方が嫌」
「優しいな」
「違う」
すぐ否定。
でも。
ノートは戻さない。
そのまま。
俺との間に少し置かれている。
前なら。
わざわざ見せることはなかった。
昨日。
俺と話していると。
少し落ち着く。
そう感じた。
今日は。
隣にいる。
それだけ。
まだ。
何もしていない。
◇
二限目。
国語。
「相良」
「ん」
「教科書は?」
「ある」
「出てない」
「今出す」
「早く」
出す。
「遅い」
「厳しいな」
「普通よ」
数分後。
教師が本文の音読を指名する。
「相良」
「はい」
読む。
終わる。
九条が少し意外そうに見る。
「何」
「普通に読めるのね」
「馬鹿にしてる?」
「少し」
「ひどい」
「普段が普段だから」
俺は教科書を閉じる。
「まだ授業中よ」
「読むとこ終わった」
「閉じるな」
「はい」
また開く。
九条が小さく笑った。
「素直ね」
「九条がうるさいから」
「誰のせいよ」
声は。
やっぱり柔らかい。
◇
昼休み。
「おー」
火神がこっちへ来た。
「どう?」
「何が」
「隣生活」
「まだ半日だけど」
「澪は?」
「何が?」
「相良うざくない?」
「うざいわよ」
「即答」
「でも?」
火神がにやにやする。
「でも何よ」
「前より平気そう」
「またそれ?」
「だってそうじゃん」
九条が俺を見る。
「相良が前より静かなだけよ」
「俺?」
「そう」
「何も変えてないけど」
「……そう?」
「うん」
九条が少し考える。
そのまま。
俺の机の横に置いてあるパンを見る。
「……それだけ?」
「昼飯のこと?」
「他に何があるのよ」
「パン二つ」
「また少ない」
「足りてる」
「昨日も言われてたでしょう」
「火神にも」
「私も言うわ」
「二人とも母親?」
「違う!」
「違う!」
火神と九条が同時に言う。
火神が笑う。
「また息合ってる」
「朱音!」
「あはは!」
九条が火神を追い払う。
俺はパンを開ける。
「九条」
「何?」
「今日プリンは?」
「食べない!」
「聞いただけ」
「毎日食べると思わないで」
「抹茶は来週だっけ」
「覚えてるのね……」
「秘密だから」
「それ関係ある?」
「ない」
「もう」
九条はため息をついた。
でも。
口元は少し緩んでいる。
「相良」
「ん?」
「それ」
「何」
九条が自分の弁当箱を見る。
小さな卵焼き。
一つ。
「食べる?」
「なんで」
「パンだけじゃ足りないでしょう」
「足りるけど」
「いいから」
九条が卵焼きに刺さっていた小さなピックごと、俺の方へ差し出す。
「じゃあ貰う」
受け取って口に入れる。
「うまい」
「……そう」
「九条が作った?」
「母が」
「そう」
「何、その反応」
「別に」
「母の方が上手よ」
「そういう比較?」
「あなたが聞いたんでしょう」
「聞いただけ」
九条がまた呆れる。
でも。
俺に食べ物を分けた。
たったそれだけ。
それでも。
前なら。
絶対なかった。
◇
午後。
授業が進む。
隣に九条がいる。
それだけで。
普段より話す。
消しゴムを落とした。
拾ってくれた。
教科書のページを聞いた。
わからない所を教えてくれた。
教師が板書を消すのが早かった。
九条のノートを見せてもらった。
特別なことはない。
だからこそ。
意味がある。
催眠を使わなくても。
隣にいるだけで。
会話が増える。
会話が増えれば。
俺と話すことが日常になる。
日常になれば。
警戒する理由が減る。
俺は何もしなくてもいい。
今は。
◇
放課後。
黒瀬先生が教室を出ていく。
生徒たちも帰り始める。
「蓮!」
火神が呼ぶ。
「今日も訓練!」
「昨日やっただろ」
「今日も!」
「元気だな……」
天城が苦笑する。
「九条も来る?」
「今日はやめておくわ」
「逃げた!」
「逃げてない!」
昨日と同じ。
火神が笑いながら天城を連れていく。
教室が静かになる。
俺は鞄を持つ。
九条も片づけていた。
「帰る?」
「図書館」
「また?」
「またって何よ」
「よく行くなって」
「静かだから好きなの」
「へえ」
「相良は?」
「寮」
「でしょうね」
「分かるんだ」
「あなたが放課後に勉強するとは思えないもの」
「失礼だな」
「違う?」
「違わない」
「ほら」
九条が笑う。
鞄を肩にかける。
「じゃあ」
「ああ」
二人で教室を出る。
図書館と寮。
途中までは同じ方向だ。
歩く。
隣。
特に話すこともない。
でも。
九条は先へ行かない。
俺も合わせていない。
自然に同じ速さ。
「相良」
「何?」
「今日から」
「うん」
「隣の席になったでしょう」
「知ってる」
「そうじゃなくて」
「何?」
九条が少し言葉を探す。
「……思ったより」
「うん」
「平気だった」
俺は横を見る。
「何が?」
「あなたが隣なの」
「ひどい感想だな」
「だって」
九条が少し笑う。
「最初は、もっと面倒だと思ってたから」
「実際どうだった?」
「面倒ではあった」
「じゃあ同じじゃん」
「でも」
少しだけ。
間が空く。
「……そこまで嫌じゃなかった」
九条自身が。
口にした。
「へえ」
「何よ」
「別に」
「その反応やめて」
「どの反応」
「なんか……勝ったみたいな顔」
「してない」
「してる」
「気のせい」
「絶対してる」
九条が少し怒る。
でも。
すぐに笑った。
図書館へ向かう分かれ道。
「じゃあ、私こっちだから」
「ああ」
「また明日」
「また明日」
九条が歩いていく。
俺は寮へ向かう。
今日は。
本当に何もしていない。
暗示も。
誘導も。
何も。
席を決めたのはくじだ。
俺の隣になったのも偶然。
九条がノートを見せたのも。
卵焼きをくれたのも。
帰り道を一緒に歩いたのも。
全部。
九条自身が選んだ。
そのうえで。
最後に言った。
そこまで嫌じゃなかった。
俺は少しだけ笑う。
催眠は。
人を好きにさせる力じゃない。
そんなものは。
必要ない。
俺がするのは。
邪魔なものを。
少しずつ退かすだけ。
その先で。
誰を選ぶかは。
本人が決めればいい。
今のところ。
九条澪は。
俺の隣を。
そこまで嫌ってはいない。