――海軍本部・食堂
昼を知らせる鐘が鳴った。訓練場に響いていた怒声が少しずつ消えていき、海兵たちは一斉に食堂へ向かい始める。長い廊下には、汗を拭いながら歩く海兵たちの姿が並び、その中には訓練で腹を空かせた新人たちもいた。ヒグマも、その流れに混じって歩いていた。ただし──手には酒瓶がある。隣を歩くセンゴクが呆れた顔をする。
「…お前はいつも酒を持って飲んでるのか?」
「念のためだ。人生、何があるか分からねぇだろ?」
「酒が必要になるような人生を送るな。」
そんなやり取りをしながら食堂へ入る。広い。海兵たちが一度に何百人も食事を取れるほどの大きな空間。その中央には長いテーブルがいくつも並び、厨房からは焼いた肉やスープの香りが漂っている。昼食時ということもあり、食堂はすでにかなりの賑わいだった。
「……おお。これ、好きに食っていいんだよな?」
「そう言っただろう。」
「じゃあ三人前くらい──」
「一人前にしろ。」
「ケチだな。」
ヒグマが料理を受け取っていると、少し離れたところから声が聞こえた。
「ゼファーさん!こっち空いてます!」
「おう。今行く。」
振り返る。そこにいたのは、先ほど訓練場で新人たちを鍛えていた男だった。ゼファー。数人の新人海兵を連れ、食堂へ入ってくる。その姿を見つけたヒグマが、肉を頬張りながら口元だけで笑った。
「お、来たな。教官のお出ましだ。」
センゴクも気づく。その時、ゼファーもヒグマの姿に気づいた。ゼファーは、足を止める。新人たちが不思議そうに振り返った。
「教官?」
「先に座って食べてろ。俺もすぐ行く。」
「はい!」
新人たちが席へ向かう。ゼファーはそのままヒグマたちのところへ歩いてきた。
「センゴク。」
「ゼファー。今日も新人の面倒か?」
「ああ。休みだったんだが、どうにも家でじっとしていられなくてな。」
「お前らしいよ。」
センゴクが苦笑する。軽いやり取りをした後、ゼファーはセンゴクから視線を外し、食事をしているヒグマへ視線を移した。
「……おれはゼファーだ。よろしく。お前の名前は?」
「ヒグマだ、噂通り真面目そうだな。」
「お前は噂通り酒臭いな。」
「ハハッ! こりゃ一本取られた。」
ヒグマが笑う。
センゴクは二人を見比べながら、嫌な予感がするという顔をしていた。
「……お前たち、妙に話が合うな。」
「そうか?」
ゼファーが椅子を引く。
「少し、ここで話してもいいか?」
「構わねぇぞ。座れよ。」
ゼファーがヒグマの向かいへ腰を下ろした。テーブルを挟んで、二人が向かい合う。その距離は数メートルもない。だが、ただ飯を食べているだけの空気ではなかった。ゼファーは料理を口に運びながら、ヒグマの姿を観察していた。酒瓶、無造作な座り方、気の抜けた表情。全てを観察する。
海軍本部に来たばかりだというのに、まるで何年もここにいるような態度。それだけなら、ただの変わり者に見える。
だが、ゼファーには分かっていた。この男に隙がないことを。
「ヒグマ、お前は何者だ?」
ゼファーの問いに、ヒグマは肉を一切れ口に放り込んだ。
「何者って言われてもなぁ。海賊じゃねぇし、まだ海兵でもねぇ。」
「じゃあ、なぜ海軍にいる?」
「ガープに誘われた。」
ゼファーはしばらく黙った。
「……変な奴だな。」
「よく言われる。」
「自分が強いという自覚はあるのか?」
「ある。」
即答だった。ゼファーの手が止まる。ヒグマは何でもないように酒を飲んでいる。
「随分あっさり認めるんだな。」
「事実だからな。謙遜して弱くなるわけでもねぇだろ?」
「確かにそうだ。」
ゼファーが小さく笑う。
「では、一つ聞かせてくれ。」
「なんだ?」
「お前は、どれほど強い?」
食堂の喧騒が、ほんの一瞬だけ遠くなったように感じられた。ヒグマは酒瓶を置く。
「さあな。」
「分からないのか?」
「違う。」
ヒグマは笑った。
「測る相手がいねぇんだよ。」
ゼファーの目が変わった。その言葉に、冗談の匂いがなかった。
「……俺では?」
「ん?」
「俺では、お前の強さを測る相手にならないか?」
ヒグマはゼファーを見た。数秒、そして、ニヤリと笑う。
「お前、面白ぇこと言うな。──よし、飯食った後だ。いっちょ手合わせといこうじゃねえか。」
「あぁ。」
ゼファーが立ち上がる。センゴクが二人を見て、頭を抱えた。
「……待て。お前たち、本当にやるつもりか?」
「俺は今まで新人たちを見てきた。拳の握り方、足の運び、視線、呼吸……そういうものを見れば、ある程度は分かる。こいつは伸びる、こいつは今のままじゃ危ない。そういうのを毎日見てきた」
ゼファーはそこで一度言葉を切る。そして、真正面からヒグマを見据えた。
「だが、お前は分からない。」
「……。」
「強いことは分かる。異常なほどにな。だが、どこまで強いのかが見えない。まるで、俺が今まで見てきた強者とは立っている場所そのものが違うように感じる。」
ヒグマは黙っていた。いつもの軽い笑みも、ほんの少しだけ薄れている。
その様子を気にせず、ゼファーは続けた。
「だから気になるんだ。お前がどれほどの強さを持っているのか。そして、俺が今まで新人たちに教えてきたことが、お前を前にしてどこまで通用するのか。それを、自分の目で確かめたい。」
「お前は本当に……。」
センゴクが深いため息を吐く。その横でゼファーは笑っていた。
「センゴク。心配するな。無茶はしない。」
「お前はそう言うが、こいつは──」
「大丈夫だって。死にゃしねぇよ。」
「そういう問題ではない!」
食堂にセンゴクの怒声が響く。周囲の海兵たちが一斉にこちらを見る。
ヒグマとゼファーは顔を見合わせ、同時に笑った。
「じゃあ、食い終わったら訓練場だ。」
「分かった。」
「楽しみにしてるぜ、ゼファー。」
「ああ。俺もだ。」
その時のゼファーには、まだ分からなかった。自分が今、どれほど巨大な壁を前にしているのか。
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