「あぁ?」
やけに神妙な面持ちで何を言い出すかと思えば。
「んなもん、液化エーテルだって同じ──」
「違う」
食い気味な否定。別に違わないだろ。
実際、液化エーテルに全身浸かって人間やめたバケモノが、ここにも居るワケだし。
軽く肩をすくめつつ、分かりやすく示すべく異形因子を活性化。
パキパキと音を立てて変異し、耳元まで裂けた顎を大きく開け、長く伸びた舌と乱雑に並んだ三層の牙を晒す。
「ほォれ見ろ。俺たち異形因子保持者も、広義的に見ればクリーチャーの一種だぞ」
「ッ、違う!」
びっくりした。いきなりムキになりやがって。
耳元でデカい声出すなよ。こちとら数十メートル圏内なら集中すれば心音も聞き取れるくらいには聴覚が良いってのに。
「……少なくとも、これは液化エーテルとは似て非なるものだ」
活性化を解き、元の貌に戻る。
甲型は鼓膜も丈夫で助かった。前に裁縫針を刺してみようと試したら、刺さるどころか針の方が折れたくらいには頑丈。
「相違点は大きく二つ。まず、この液体は確かにエーテル由来ではある。しかし混ぜ物が多く含まれていて直接体内に投与しなければ反応を起こさず、何より幹細胞にまでは浸透しない」
「つまり効果は一時的ってワケか」
異形因子保持者は細胞の大元とでも呼ぶべき各種幹細胞に異形因子を植え付け、その活性化率を操作することで肉体を作り替える。
ただしこれは人体の根を弄くり回す所業でもあるため、異形因子保持者の基本的な仕様であると同時に移植手術の成功率を著しく低める最大の要因ともなっている。
「肉体の変異も表面的で、真性の異形因子保持者と比べればスペックも低い。代わりに十二時間以上全身を浸からせなければならない通常の液化エーテルと違って即効性があり、加えて服用後の副作用も重篤ではあるが進行は遅い」
「どのくらいだよ」
「計算では日に一本打ってもエーテル中毒の末期症状まで三年は保つ」
早い話、簡単にチカラを欲しがる考えなしにとっては最高のドラッグか。
どこのどいつだ、こんなもん作ったのは。
「……問題なのはここからだ」
肩へと添えられた胡桃の手に、ぎゅっと力が入る。
「この液体に含まれるエーテルからは、空間を汚染する毒素が取り除かれていない」
「マジかよ」
てことは、つまり。
「これを打った人間が暴れ回れば周辺はエーテルで汚染され、やがて異界化を引き起こす」
人間をクリーチャーに変える薬。
先程の言葉に篭められた本当の意味を理解する。
「見方を変えれば、これは極めて小規模ながらもスタンピードを誘発する代物とも言える」
「名前を付けるなら差し詰め『スタンピーダー』ってところか?」
同時に、出所を聞いてきた理由にも合点がいった。
「どう考えても地上のチンピラが自販機で買えるようなドリンクじゃねぇな」
「そもそもトーキョーでエーテルの精製技術を持っているのはトヨモト社だけだ」
あらやだ、なんだかドス黒い陰謀の香りがしてきたザマス。
「二大企業が地上を完全に異界化させる気だとでも言いてぇのかよ」
「あくまで技術的な可否の話だ、そんな真似をする理由は思いつかん。サイボーグ兵の導入によって企業内での職を失った輩の腹いせとも考えられる。あの時は人も物も八方に流出した」
「どっちみちロクなもんじゃねーなオイ」
ただでさえトーキョーを囲う防壁の向こうは余さず異界に呑まれてるってのに、更に輪をかけて人類の領土を削ってどうする気だよ。
ヒマな奴等の考えることは分からん……でもない。
「いっそ何もかもブッ壊したい。今の御時世、そう考える奴が出て来てもおかしくねぇか」
深々と溜息を吐き、目の前のアンプルを受け取ってポケットに仕舞う。
昔、映像記録で見せられた自分自身の製造過程をなんとなく思い出した。最初の方は、ちょうどこのくらいの容器に入ってたし。
「……俺もお前も試験管で培養されたフラスコチャイルドだ。遺伝子の元になった男女こそ居るが、親と呼べるような存在はない」
MコードT・T。WコードR・S。
トヨモト社が保管する中でも、カップリング率九九.九九九八パーセントという馬鹿げた相性値を弾き出した組み合わせの人工受精卵から俺は製造られた。
新都の上層部に仕える、優秀な駒となるために。
「二大企業に忠誠を誓うよう育てられ、教育された。しかし俺は、お前や他の兄弟どもと違って奴等の思い通りにはならなかった。オリジナルの気性が相当アレだったのかもな。上辺の能力だけしか見ないでデザインするからそうなるんだ」
けれどフラスコチャイルドは時間的コストと教育の手間がかかりすぎるってことで、俺たち八人の第一世代を最初で最後の完成品として生産終了。
代わりに脳髄だけを培養し、強化外骨格の技術を流用したサイボーグ兵の生体CPUとして組み込む方向に切り替えたって寸法。俺が新都を出て間もない頃の話だ。
培養開始から二十歳相当のサイズまで成長させるのに一ヶ月、そこから命令コードの理解に必要な知識を転写するのに一ヶ月。製造ラインをフル稼働させれば一度に一〇〇機、年間六〇〇機のペースで量産可能。
安く手早く造れる上、まっさらな脳みそを使ってるお陰で命令にも忠実。貴重な半導体部品をふんだんに組み込んだマザーボードよりも遙かに高性能かつ長持ちする。
機械工学とエネルギーを司るヨツカド社、遺伝子工学と化学を司るトヨモト社の合同傑作。
素晴らしい倫理観に反吐が出る。
「……そんな俺ですら、結局は囲いの中に居る。嫌になる奴の千人や万人、そりゃ出て来るだろ」
壁の時計を見た。
そろそろ出なければ、凶三との待ち合わせに遅れる。
「なんかしみったれた話になっちまったな。何はともあれ、調べてくれてありがとさん。じゃあ俺はこれで──」
腰を上げようとした瞬間、胡桃が後ろから抱き締めてきた。
どったのセンセー。
「月。新都に戻れ」
かつての名と共に囁かれる、もう何度目になるかも忘れた提案。
近頃あまり言わなくなったと思っていたが、まだ諦めてなかったのか。
「そんなものが出回るようでは、もはや地上も長くない。いや、そもそも五十年前からずっと崖際なんだ。崩れてしまう前に、戻れ」
「異形因子保持者は新都に住めねぇことぐらい、治安維持局員サマなら当然知ってんだろ」
「私の権限で市民コードを発行できる。認識票も外させる。定期検診だって……っ」
だんだんと言葉が詰まっていく。
震え混じりに小さく嗚咽を上げ、まるで捕まえようとするかのように、更に強く抱かれる。
「お願いよ……私のところに戻ってきて……!」
…………。
またひとつ溜息を挟んで今度こそソファから立ち上がり、胡桃の腕を払う。
次いで放った返答は、いつもと同じだ。
「無理だね」
そもそも俺は、地下を出て行くためだけに異形因子の移植手術を受けた。
「トヨモト社が誇る最低の駄作、豊本月はとっくに死んだ」
あのまま飼い殺しの憂き目に逢うくらいなら、たとえ死んででも自由を掴みたかった。
「今の俺はシンジュクの人喰いシャチ──逆叉だ」
それくらいに、地下が嫌いだった。
あと、そう。
「ついでに俺が居ねぇと買い物もおぼつかんアホを、二人も抱えてるんでな」
「待っ──」
胡桃の泣き顔はありもしない良心が痛むため、視界に入れないに限る。
振り返らず部屋を出て、足早にゲッタウェイ。
程なく、扉の向こうから何かを投げ付けたり叩き壊したりする音と共に──あらん限りの罵倒でジルと凶三を詰る金切り声が、鼓膜を引っ掻いた。
言葉選びを間違えたか。アイツ、俺が新都に戻らないのは二人のせいだと捉えてるフシあるしな。
取り分け凶三に対する敵愾心は凄まじく、なんなら凶三の方も死ぬほど胡桃を嫌っている。
犬猿の仲どころの騒ぎじゃない。犬はともかく、猿の実物は見たことないが。
……せめて俺自身に怒りの矛先を向けてくれたら気が楽なんだが、生憎それも難しい。
遺伝子の相性を高める実験の一環として、フラスコチャイルドたちは第二世代のカップリング対象へと無条件で好意を抱くよう思考誘導されたからな。
離れて十数年経っても、洗脳教育が尾を引き続けてる。
世の中ままならないもんだ。