銭形警部がちょっと可哀想かも
小都市の路地裏に革靴の音が忙しなく響く。
「先輩! 待ってください、追い付かないっす!」
新米捜査官の佐藤(さとう)は、ゼェゼェと荒い息を吐きながら、前を歩く大男の背中を追った。
銭形幸一。ルパン三世専門の捜査官として、世界中にその名を知られた男である。佐藤にとって、銭形は憧れであり、目標であり、そして何より尊敬すべき先輩だった。
「遅いぞ佐藤! 奴は風だ、少しでも気を抜けばすぐにまた霧の中に消えちまうんだ!」
銭形の目は鋭く光り、前方の雑踏を射抜くように凝視している。 北欧の小都市に現れた怪盗ルパン三世。狙いは街の博物館に展示されていた「王家の雫」と呼ばれる巨大なブルーダイヤモンドだ。
ようやく街の路地裏に追い詰めた時、ルパンはいつも通りの薄ら笑いを浮かべていた。
「やぁ、とっつぁん! 今日も随分と賑やかだねぇ。お巡りさんたちも大変そうだ」
「ルパン! 観念しろ!今日こそ逮捕だぁぁ!」
銭形が叫ぶと同時に、包囲していた警察隊が一斉に銃を構える。
「撃てぇーっ! 逃がすな!」
銭形の怒号とともに放たれた無数の銃弾。しかし、ルパンはいつも通りだった。ふざけたステップで地面をバタバタと踏みならし、まるでダンスでも踊るかのような奇妙な身のこなしで、全ての弾丸を華麗に避けていく。
(あれが、伝説の大泥棒……) 佐藤は驚愕と畏怖で見つめた。
理屈ではない。あの男には「当たらない」という絶対的な法則があるのだと、周囲の誰もがそう信じていた。
佐藤も銭形の指示に従い、銃を構え銃の引き金を引き絞る。
「えいっ!」 パァン、と乾いた銃声。
一直線に飛んだ弾丸は、避ける動作に入ろうとしたルパンの右肩を正確に貫いた。
「ぐっ……!?」 ルパンの動きが一瞬、停止する。
あのコミカルで淀みのない回避リズムが崩れた。
佐藤は戸惑いもせず、無意識のうちにもう一度引き金を引いた。 パァン。 今度は胸の中心を貫く。
ルパンは、背後から押されたかのように力なく地面に膝を着いた。
「えっ……」 周囲の空気が、凍りついたように静まり返った。
警察隊も、銭形さえもが動きを止める。 ルパンは胸を抑えながら、掠れた声を漏らした。
「……とっつぁん、……ギャグ補正……ぶち壊すやつ……呼んできちゃ……ダメでしょ……」
それが、大泥棒の最後の言葉だった。ルパンは糸が切れたかのように地面に倒れ込んだ。
銭形と佐藤が駆け寄った時、ルパンの瞳からは既に光が消えていた。
「ルパン……? おい、ルパン!」
銭形はルパンの胸ぐらを掴み、激しく揺さぶった。
「起きろ! ふざけるな! ワシが……ワシが逮捕するんだよ! こんなとこで死ぬんじゃない!」
涙ながらに心臓マッサージを繰り返すが、衣服の下から滲み出る鮮血は止まらない。心臓が綺麗に撃ち抜かれていた。
「……死んだ」 銭形の震える声が響く。
佐藤は呆然と銃を見つめ、銭形に尋ねた。
「……先輩? 俺、なにか、やっちゃいましたか? え、撃てって……先輩が、撃てって言ったんじゃないすか!」
銭形は、血の付いた手を見つめたまま、長い沈黙の後に答えた。
「……そうだな。ああ、そうだよ。お前は悪くない。……そうだな」
それは納得なのか、自分を言い聞かせているのか、誰にも判別できない虚ろな響きだった。
ルパン三世の死は、全世界でトップニュースとして報じられた。
警察当局の弁明は事務的でマニュアルに則ったものだった。
「極めて凶悪な犯罪者であり、追跡中も銃撃を行っていたため、正当な法執行の結果である」
一般市民もまた、ルパンを危険な犯罪者と認識していたため、その死を当然の帰結として受け入れ、議論さえ起きなかった。
かつての仲間たちの反応も静かなものだった。
次元大介は、安酒のグラスを傾けながら、ただ呟いた。
「……まあ、そういうこともあるか。泥棒稼業だ、いつかはこうなると思ってたさ」
次元は愛銃をホルスターに収めると、何事もなかったかのように用心棒の依頼を引き受け、裏の世界へ消えていった。
石川五ェ門は、道場で黙々と剣を振るっていた。
「……武士の末路としては、あまりに味気ない。されど、それが選んだ道ならば、とやかく言うまい」
五ェ門はそう言い残すと、修行の旅へと再び足を踏み出した。
峰不二子だけは、一ヶ月もの間、その事実を信じようとしなかった。だが、ルパンはいつまでたっても自分の前に現れず、富豪を誘惑して突き止めたルパンの墓を目にして、彼女もまた認めるしかなかった。
彼女は墓前で、高級ワインを地面に注いだ。
「……じゃあね、ルパン」
不二子は、振り返ることなく去っていった。
銭形は、ICPOの上司から「長年のルパン捜査の功績」を称えられ、長い休暇を与えられた。
久しぶりに戻った日本のマンション。部屋には、追跡の過程で集めた大量のルパンに関する資料や、彼を追いかけた記録が山のように残っていた。
銭形はソファに沈み込み、放心状態で壁を見つめた。 にっくき仇敵、人生をかけて追い続けた宿敵がいなくなった。心にぽっかりと穴が開いたようだ。これからの自分の人生に何の意味があるのか――。
その時、玄関のチャイムが鳴った。
「先輩! 銭形先輩! 佐藤です!」
ドアを開けると、佐藤が大きな旅行カバンを下げて立っていた。
「先輩、旅行に行きましょう! いい温泉があるんすよ。リフレッシュしましょう!」
佐藤の必死な表情を見て、銭形は彼が自分を気遣っているのだと悟った。 「……そうか。お前、わざわざ……」
「行きますよね! はい、決定っす!」
佐藤の屈託のない笑顔に、銭形は小さく息を吐き、そして少しだけ口角を上げた。
「……よし、わかった。お前の奢りなら付き合ってやろう」
旅の途中、銭形はふと空を見上げた。高く、どこまでも青い空。
(ルパン……お前との関係、悪くなかった。……ワシも楽しかった。)
銭形は今までの捜査を思い返す。
「先輩! あそこの店、美味しそうなソフトクリームあるっすよ!」
佐藤の声に、銭形はふっと現実に戻る。
「わかったわかった、そんなに急かすな!」
銭形は、ようやくその足で、新しい一歩を踏み出した。