最強はポットクリン(別題:その無敵性を絞り上げる) 作:淵岳 月夫
呆れかえるほどのどかな公園であった。
午後から雨の降るという空には雲間から暖かな陽射しが差しており、芝生の上で男が寝転び、ビニールシートの上で家族がランチバスケットを広げている。
そんな中を、クラピカは待ち合わせ場所を目指して歩いていた。
(関係ないのだろうな)
9月3日──昨日、近くの地区で大規模な抗争があった。
十老頭を中心とした二千人ほどのマフィアと、幻影旅団が争ったのだ。
最終的には
抗争は街中で行われ、街の被害はニュースで報じられていることをクラピカは知っている。
それでも、今この場にいる一般人が怯えもせず、呑気にピクニックをしている理由。
しかし、その関係は闇に潜んでおり、陽の当たるところにはでてこない。
もちろん一般人もその存在に気づいてはいるが、およそ普通の生活をする限り、彼らはマフィアとは無縁であった。
ゆえに、彼らは報道規制をかけられたニュースからマフィアの臭いを感じとり、関心を失った。
これが災害や事故であれば反応も違ったであろう。
被害に遭ったものに心を痛め、自身の周囲に同様のことが起こらないか警戒をしていたかもしれない。
しかし、世間の裏を生きるものたちに対して、表の人間の目は驚くほどに冷ややかであった。
インフラや家屋への被害を気にすることはあっても、自身の生活を脅かさない裏の人間の生死を気にするほど、彼らは暇ではなかったのである。
ひいては、どことも知れぬ歪みから生まれた盗賊団などまったくもって
「ぶぅはピカ!!」
クラピカの目線の先、キルアと芝生の上で早食い競争をしていたゴンは、クラピカに気づいて口から食べ物をこぼしながら声をあげると、彼の方に近づいて行った。
「……ゴ」「よかったね!」
ゴンはクラピカを遮るように声をかける。
「これで一番したかったことに集中できるね!
早く見つけてあげなきゃ! 仲間たちの眼」
もしオレたちも手つだぶ、と、後ろから迫ったキルアがゴンの顔にアイスを押しつけた。
顔がアイスまみれのゴンと、ゴンの口から出た食べ物まみれのキルアはボコスカと喧嘩を始める。
「ふっ……、ははっ!」
彼らの姿を見て、クラピカは思わず声を出して笑ってしまった。
(そうか。終わったんだな……)
昨日、蜘蛛の頭の死体を己が目で見た時。
惨殺された一族の鎮魂のため、蜘蛛に対してこの手で始末をつけられなかったことで抱いた後悔はまだ残っている。
しかし、肩の荷が降りた感覚があったのも、クラピカにとってまた事実であった。
「いい顔してんじゃねえか」
そこに、クラピカの後ろから見知った、しかしあり得るはずのない声が聞こえた。
「──ッ!? ミチノリ……!」
「おう、オレだよ。なんだァ? 死人が化けて出たようなツラになりやがって」
咄嗟に振り向いたそこには、オーバーサイズのスカジャンを着たアフロフェードの男、ミチノリが立っていた。
クラピカはその事実に驚き、同時に納得した。
彼は3日前、9月1日に地下競売場にて幻影旅団に、集まったマフィア共々殺されたはずである。
彼らの死体は肉の一片も残っていなかったが、その生存は望めなかった。
しかし、クラピカは彼の総合的な実力がおおよそ自身を超えていることを確信している。
振るえるのは蜘蛛に限られるとはいえ、彼らの斬り込み役であるウボォーギンを下した自身を、である。
その能力もオーラを使わない防御しか見せてはいないが、その能力だけでも彼の生存能力を保証するのに十分だった。
「だれ?」
「仕事の同僚だ。生きていたのか、どうしてここに?」
「アジトでセンリツから聞いたんだよ。
今はオマエがリーダーなんだろ? 帰還報告は直接しようってな」
「彼女か……」
クラピカは私的な理由であることもあり、自身がこの公園に来ることはセンリツたちには伝えていなかった。
しかし、彼女の耳であればある程度の場所は把握できるのだろう、と納得する。
「ていうかオッサンじゃん」
「よっ、キルア」
当然、知らない相手の素性を聞くゴンに対して、キルアは気さくに声をかけた。
「知り合いだったのか?」
「一回顔を合わせただけだけどな。コイツ、ジイちゃんとオヤジのターゲットだったんだよ」
「それ言っちゃうか……。
あ、コレもらうぜ。金払うから」
ゴンとキルアが持ち合わせた食べ物をあさってバーガーを取り出したミチノリはどかっと腰を下ろす。
ゴンたちが同じように腰を下ろすのを見て、クラピカもそれにならう。
キルア=ゾルディックは暗殺者の家系である。
ゾルディック家から逃げ延びた上、キルアとも面識があるという事実に、クラピカも興味があったからだ。
自然と彼らは食べ物を囲うように座った。
「続ける前に、オマエは初めましてだよな。ミチノリだ、よろしく」
「俺はゴン、よろしく!」
そう二人は握手を交わす。
「で、さっきの話なんだが、正確にはオレが逃がし屋として依頼を受けた相手がターゲットだったんだけどな」
「逃がし屋?」
「事情のある奴や命を狙われてる奴を逃すシゴト。
ゾルディック家に狙われるとか、オレからしたらどんな事情だよってなるけどな」
「ウチはたけーしな。でも、ジイちゃんとオヤジのタッグから逃げおおせたのはアンタが初めてだったぜ。
依頼が取り下げられるまで二年間も探し回ったってのによ」
(二年間も……!)
キルアのその言葉に、クラピカの顔には少なからず驚きの顔が浮かんだ。
彼は昨日、旅団に対する殺し屋チームとして当の二人に会っていたからだ。
その
目の前の男も見劣りしないオーラを持つが、彼ら二人がかりで狙われたとなると、敵うかどうか怪しいところであった。
「へー、すごく強いんだ!
たしかに、オーラの大きさもヒソカみたいだもんね」
「いや、逃げてただけだからなマジで。
あとヒソカと同列にしないでくんね? シンプルに嫌なんだけど」
(奴とも知り合いなのか……)
「じゃあなんで二年間も見つかんなかったんだよ。タネをあかせタネ!」
「……漂ってた、海を」
「ハァ?」
海ぃ? とキルアは怪訝な顔を隠さない。
海上は陸上より追跡され辛いが多くの制約があった。
大型の船であれば寄港が必要であり、小型であれば遠洋に適していない。
「博打みたいな手段だから二度とやりたくねえがな……、
「船の渡航記録ぐらいなら追えるぜ、ウチは。あとメシはどうすんだよメシは」
「企業秘密だよバカ野郎」
「あ、言ったなてめー! こちとらアレ言ってやってもいいんだぞ!」
「てめっ、それはナシだろ!」
そこには、
見苦しいとは思いつつも、キルアの話の続きにはクラピカも興味がある。
「アレとは?」
「今の説明だと、なんで俺とコイツが知り合いなのか説明がつかねーだろ?
実はコイツ、そのあと菓子折り持ってウチに来たんだよ」
「オレのイメージが……!」
「『ビビりすぎじゃろ笑』ってジイちゃん言ってたから」
「うるせえ! こちとら自由業なんだよ!
泥臭い営業とか競合との調整とかやって生きていけんの、白鳥はバタ足で泳いでんの!」
「白鳥ってツラじゃねーよ」
ギャーギャーと騒ぐ二人を横目に、クラピカは左手の薬指をチラリと見る。
(……鎖の具現化は解いている。自然に能力を使うのは難しいな)
彼はそう割り切ると、努めて自然にミチノリへと問いかけた。
「随分と遅い帰還だったが、今回もその博打とやらだったのか?」
クラピカが気になったのは、ミチノリが襲撃を受けた9月1日から9月4日の今に至るまでの空白期間。
彼が蜘蛛から逃れるために使った能力にも関わると思い、配慮のために空白の理由を確認しなかったが、No.4として蜘蛛に潜り込んでいるヒソカとの繋がりにより、彼への警戒度が一つ上がった。
それに、すでに復讐の対象である蜘蛛は壊滅しているのだ。
残る
「いや、オークション会場から逃げた直後には動けてたよ」
特に構える様子もなくミチノリは続ける。
「オレも合流しようと思ってたけどな。元のアジトも襲撃されてただろ?
ツラも割れてるし、能力で探知される可能性も考えると、旅団の死亡が確認されるまで潜伏せざるを得なかった」
「アジトも見てきたのか?」
「いや、居合わせていた。だから潜伏してたとも言えるな。
奴らに気付かれる前にダルツォルネも回収してきたよ」
「!!」
回収、という言葉にクラピカは驚かざるを得なかった。
アジトへの襲撃は複数人によるものだと彼はセンリツから聞いている。そして、ダルツォルネがやられたのは状況からして恐らく地下だ。
袋小路となったアジトからダルツォルネという荷物を背負って蜘蛛に気づかれることなく逃げ去るというのは、そう為せることではない。
「回収、というのは死体をか?」
「生きてるぜ。胸に穴が空いてるからかろうじてだがな。
今はオレの能力で保っているが、集中治療室での対応は必要だろう。治癒系の念能力者もな」
(防御、逃走に加えて怪我の維持か。
俺が思うのもなんだが、応用の利く能力だな)
「わかった。念能力者については私に任せてほしい」
「そうか。ま、トチーノとイワレンコフは無傷だぜ。すでにボスたちに合流している」
「二人も……!」
その口ぶりからして、二人についてもダルツォルネと同様、ミチノリが回収したのは明らかであった。
「彼らも能力で?」
「ああ」
「便利なんだな、オッサンの能力」
「ああ、最強だからな」
そう軽口を叩くミチノリに対しても、クラピカは一定の理解を持った。
(潜伏中はともかく、逃走時にも二名を回収した。間違いなく念空間を用いた収納系の能力……!
あの防御力と合わさっているのだとしたら、たしかに強力だ)
クラピカはそうして、ミチノリの能力の有用性から彼に関わるメリットを計算していく。
彼がこの護衛団に入った目的如何では、彼に協力することもやぶさかではなかった。
「ま、だから安心してくれ」
「……安心とは?」
露骨に能力を探りすぎて警戒されたか、とクラピカは考える。
しかし、その返答は彼の想像とはあまりにも違っていた。
「オレらは誰も欠けることなく護衛を達成できるってことさ。
代理とはいえ一安心ってもんだろ、リーダー?」
クラピカは一瞬、頭が真っ白になった。
彼に言われるまでそのようなこと
(俺は今この瞬間まで、彼らの生存に喜ぶこともしないどころか、その死を悼んですらいなかった……!)
トチーノ、イワレンコフ、ダルツォルネ、ミチノリ。
彼らや他の護衛団の面々とは、決して深い仲であったわけでもなかった。
護衛という一つの目的のために雇われ、各々の目的のために護衛という依頼を利用する、ビジネス上の関係にすぎない。
その上でクラピカは彼らを、彼らの死を、
自身の目的を達成するために、薄汚い行為に手を染める覚悟はあった。
実際、クラピカが護衛団のリーダーに居座り、ウボォーギンと対峙することができたのは、ダルツォルネが再起不能になっていたおかげであることは否定できない。
しかし、誰かの死を利用することと、その死を悼まないことは別だと、彼自身は考える。考えていたはずだった。
たとえ復讐に目が眩んでいたとしても、かつての自分であればこのようなことには決してならなかったはずだ。
己の中でなにかが褪せていることに、クラピカは今この段階でようやく気づいたのだ。
『え〜!? じゃあミイラはー? 盗まれちゃったの?』
ダルツォルネの死を報告した時のネオン=ノストラードの様子が脳裏によぎった。
下衆め、と心の中で思ってはいたが、なんのことはない。己自身も似たようなものだったのだと、彼の中ではそう結論付いた。
(関係ない、か……。人のことを言えた義理じゃないな……)
クラピカは公園を見渡した。
虐殺の次の日であっても日々を暮らす人々。
無関心から育まれる善良さよりも、己はタチが悪い。
人の死を利用し、人を殺し、その上で彼らと同じ無関心さを着込んでいる。
(ダブルスタンダードにも程がある……)
己自身の下した裁定に対して、彼はそう自嘲するしかなかった。
「ねぇ」
押し黙ったクラピカに代わり、ここまで目立った言葉を投げなかったゴンがミチノリへと声をかけた。
「なんだ、ゴン?」
「ミチノリはなんで、そんなに冷たい目なのに誰かを助けることができるの?」
ミチノリは目をぱちくりと開けて驚いていた。
「そんな薄情そうか、オレ?」
「うん。
俺には動物の友達がいっぱいいるんだけどさ、ミチノリはずっと、島の人が友達を見てるときみたいな眼だもん」
ミチノリと視線を交わしながらゴンは続ける。
「人を助けるのが仕事なんだったら、そういうものなんだって思ったけど、今回のは違うんでしょ?
そんな眼の人が命がけで誰かを助けることなんて初めて聞いたから、びっくりしちゃった」
ゴンの質問にミチノリが手で口を覆いながら考え込むと、しん、と場が静まった。
キルアも、先ほどまで自身についてショックを受けていたクラピカすら、ゴンのあまりにも不躾な質問に対してかける言葉が浮かばない。
そうした間に、ミチノリはゆっくりと口から手を離した。
「実利的なこととそれ以外があるんだが、それ以外の方でもいいか?」
「うん、そっちの方が気になる」
「わかった。……あえて言語化しようとすると中々込み入った話なんだがな」
彼は口ごもりながらも言葉を続ける。
「あー、まず、オレはヒトの名前をほとんど覚えらんねえんだよ。ていうか、認識できないってのが正しい」
「俺の名前はさっき呼んでたよ?」
「お前はゴンだ、それは解る。
名前が解る奴の法則性はあるんだが……、まあ、それについては
で、なんでオレが名前を覚えられないかっていうと、オレがヒトに対して心底見下している……、というか、対等に見れないからなんだ」
彼は後頭部をガシガシとかいた。
「さっきの動物を見る眼っていうのはまさにその通りなんだろうな。人間として見ていないんだ。
誰かが死んでも正直どうでもいいし、たとえ敬愛するヒトが死んでも、それを悲しむのは犬猫が死ぬのを見るようなもんだ。
……今もそんな眼なのか?」
「うん。ここに来てからずっとだよ」
「そうか。オマエらなら別だろうと思ってたんだが、考えてみれば当然か」
そう呟いたミチノリに、クラピカは初めて人間味を感じた。
普段の自信に満ちた態度も、ふざけているときも、全ての言動に裏の意図があるような、薄寒さを常に感じていた。
ゆえに、自身に向けた混じり気のない落胆こそが、クラピカが見た唯一の、彼が人間に向けた感情だったのだろう。
しかし、だからこそ疑問は深まる。
そのような人間に、人を助ける動機が実利以外にあるとは思えなかった。
「でも、オレはこの面白い世界が好きだ。大好きだ」
ゆえに、その答えはクラピカにとって想像もつかないものだった。
「考えれば考えるほど不思議な世界で、
そして、この世界を構成する一つ一つとして、ヒトがいる。個々人の行動とその結果が、オレに感動を与えてくれるんだ。オレはそれを尊重したい」
今までと打って変わって、ミチノリの目は少年のように輝いていた。
「だから、オレは自分の起こす結果についても誠実でいたい。それがヒトと関わるということ……なのだと、オレは思っている。
助けるのなら責任を持って助けるし、排除すると決めたものなら、
だから、他人を助けるのに命をかけられて、逃がし屋なんて仕事も続けているんだろう」
(なんて……)
話を結んだ彼を見て、クラピカは衝撃を隠せなかった。
(なんて、スケールの大きい馬鹿だ……!)
個々の真意については測りかねる。しかし、大意を把握したクラピカは呆れ返っていた。
つまり、彼はごく独尊的で独善的な欲求から、ある種の博愛を導き出したのだ。
しかも、いちいち視野が大きすぎる。大企業の社長や国家元首、革命家のようなビジョンがあるというわけではない。ただ、男は興味関心が直接世界に向いている。それでいて個々人を見ようとしているのだから、同じ人間と見れるはずもない。顕微鏡で微生物を見て、誰が対等と思えるだろう。
そして、彼は自身が世界に与えた影響を正確に把握し、責任を取れると
彼が対等に見ているのは人ではなく世界そのもの。
それはあまりにも、あまりにも人の手に余る視点であった。
「すごいや……。こんな、山とか海とか、自然そのものみたいな考え方の人、初めて見た……」
「自然というか天然というか……、馬鹿だろ」
「馬鹿は失礼だろ」
「テメーが先に言ったんだよ」
ゴンとキルアもその理屈に押されてしまったのか、冷や汗をかいて言葉をこぼしていた。
「はァ……。ガキンチョどもに長話したら引かれるとか、マジでおっさんじゃねーか」
「マジでもなにもおっさんじゃね?」
「うるせーうるせー。おっさんは帰るとしますよーだ」
キルアの茶々をあしらいながらミチノリは尻をはたきながら立ち上がる。
「戻るのか、他に用件は?」
「もう済ませたよ」
「そうか。……ミチノリ」
背を向けて歩き始めていたミチノリに対して、クラピカは声をかけた。
「ありがとう」
「ん? おう」
「……その様子では分かってないだろうな」
「おう?」
そう一人で納得するクラピカに、半身だけ振り向いたミチノリは疑問符を浮かべるしかなかった。
クラピカはある意味、どうでも良くなったのだ。
とんでもない馬鹿な同僚が、己の手の届かぬところで死んでいこうとしたものたちを助けていたという事実によって、己の内心について悩むことをひとまず取りやめた。
「結局のところ、その人間の内心とは行った行為によってしか推し量れないものなのだな」
「クラピカさん、なにを言ってはります?」
「私は貴様のことが嫌いでないということだ」
彼はただの馬鹿ではない。
思慮深く経験豊富で、なにより物事に誠実であろうとする馬鹿だ。
誠実であろうとした結果、少なくとも三人の人間を彼は助けた。
そういう馬鹿を彼は好ましく思っていた。
(俺自身は、どうだろうな)
そう、クラピカは思案する。
己は人を殺し、人の死を利用した。その事実に変わりはない。
しかし、少なくとも一人の男を埋葬することはできた。
それがたとえ己が
野晒しに朽ちていくのみであったウボォーギンという男を、眠らせることくらいはできたのだと、クラピカは信じた。
(……彼らの、墓を作ろう。死した蜘蛛の墓を)
殺し屋チームによって殺され、マフィアによって嬲られ、晒されたであろう蜘蛛の死体を回収することはできない。
しかし、ウボォーギンの近くに亡骸なき墓を作り、弔うことはできる。
彼らを赦すことは今もしないし、決してできるとは思えない。
その中でも、それが今の自分のできる、昔の自分や、仲間たちがするであろう、精一杯の憐れみだ。
クラピカはそう瞼を閉じると、故郷が、少しだけ輪郭を取り戻した気がした。
「……褒め言葉として受け取っておくぜ。
じゃ、オレはアジトにいるから、なにかあったら電話をかけてくれ」
「ボスのところではないのか? 居残りはスクワラがいるが」
「やだよ。女のウィンドウショッピングなんて難易度Sの任務だぜ?」
「任務の難易度によらずボスを守るのが護衛団の役目だよ。
それに、彼女は今頃文房具屋に缶詰めだろう」
「あ? なんでだよ」
半身だけの姿勢で会話を続けていたミチノリは、訝しみながらクラピカに向き直った。
「昨日会場付近で寝込んだときに、お気に入りのペンをなくしたらしくてな。今は代わりのものを探すのに夢中だよ」
トチーノたちを戻したときに聞いていなかったのか? とクラピカは首を傾げる。
その言葉に耳を傾ける様子もなく、ミチノリは口に手を当てて深く考え込んだ。
「……マズイかもしれん」
そういって足早にアジトに戻ったミチノリを見て、クラピカたちは顔を見合わせるしかなかった。
◇
「へェー、すごいね! 俺も占ってよ」
「いいよ。じゃ、紙に自分のフルネームと生年月日、血液型書いて」
時は一日さかのぼる。
9月3日、地下競売場であるホテルのラウンジに薄着の少女、ネオン=ノストラードとバンダナの男が談笑していた。
地下競売に参加しようと護衛の眼を盗んで逃げたネオンに対して、男が同行する形で検問を突破した。
今は二人で、競売の下見の時間までティータイムを楽しんでいるところだった。
ネオンの差し出した用紙に、男は己の本名を書く。
「クロロ=ルシルフル。
へェー、26歳? けっこう歳上なんだ。それにしても変わった名前ね」
「仲間にはダンチョーって呼ばれてるけど」
「あはは。なにそれ、もっと変」
そうして、彼女は懐からペンを取り出した。
クロロはテーブルに備え付けられているペンを横目で見る。
「そのペンかわいいね。持ち歩いてるの?」
「うん。
「?」
「こっちの話。じゃ、占うね」
──
自身の
(俺には一つ見落としがあった。
未来を知ることのできるこの能力が、
きっかけは旅団のメンバーから上がった二つの逃走。
地下競売場で逃げ去った男と、ノストラードファミリーのアジトで消えた、フィンクスに胸を貫かれた彼らのリーダー。
一つ一つであれば偶然の失敗だと片付けていたもの。
しかし、一日の間に立て続けに起きた逃走劇に対して、その手際の良さへの違和感をクロロはどうにも捨てきれずにいた。
(鎖野郎か……? にしてはやけに動きが手ぬるい。
ノストラードが知っていたにしてもそうだ。危機を察知できていたのなら、一度ウボォーさんを逃してしまうなんて馬鹿な真似はしない)
あるいはそれも予言によるものか? という思考をクロロは振り払う。
オッカムの剃刀だ。
予言などという不安定なものなんていくらでも仮定は立てられるが、余分な仮定は考えるだけリソースの無駄遣いであることをクロロは理解していた。
(逃走と救出、しかし、予言自体は組織内で共有されていない。
最も確からしい仮定は、ノストラード内、もしくはその受益者による単独犯……!
であれば、地下競売場の逃走者が最も怪しい……!)
フェイタンからの情報によると、逃走者は相当な手練であることが伺えた。
なまてたね、などと宣っていたが、たとえ鈍っていたとしても、彼から逃走が可能な時点でクロロにとっては十分警戒に値する。
しかし、予言の共有の有無や、予言そのものもまだ仮定の段階である。
確証を取るのであれば、目の前の少女に聞くことが最も手っ取り早いとクロロは考えていた。
「ハイ! できたよ」
そうクロロに手渡された予言の詩からは、霜月─ウボォーギンへこれから行う葬送の儀について書かれていることが容易に読み取れた。
『お前が頭なら、俺は死ぬまでついていくよ』
クロロの目頭から一筋の涙が頬を伝う。
団員のいない今だけはその涙を根元から止めなくてもいいことが、クロロにはありがたかった。
「君の占いすごいね、当たってるよ。
この一つ目の詩なんだけど」
「あ、ダメっ!!
あ、あたしね、自分の占い一切見ないの。なるべく自分が関わらない方が当たるような気がするから」
「なるほどね」
涙を拭ったクロロの言葉をネオンが遮る。
彼女の語る信条に相槌を打ちながら、クロロはちらりと時計を見た。
(まだ少し時間があるな……、カマかけてみるか)
「こんなすごい力があったら大変だろうね。
予言目当ての人がわんさか集まってきてさ」
「そうなの!
パーティの時もさ、パパの目を盗んで占ってくれませんか? なんて輩がゴロゴロいるんだから!
パパを通さないとお宝も手に入んないのにやるわけないって!」
欲しい情報を手に入れるコツは相手に気持ちよく話してもらうことだ。
特に苦労話であれば、聞いてもいないのに話してくれる、クロロの経験による知恵であった。
「俺はパパさんを通さなくても占ってくれたケド」
「今のはお礼っ!
私、イジワル言っても効かないから!」
「ごめんごめん。じゃあ他にはいなかったの、パパを通さずに占った相手って」
「んー。あっ、今月は一人いたかな。
すごいもの持ってきた人がいたから特別にね」
「えー、俺だけ特別だと思ってたのに」
「ふふ、残念でした」
(顔が良くて良かったー。今のが引かれねぇんだもん)
クロロの内心は別にして、仮説を立証するピースは彼の手の中で揃いつつあった。
(踏み込むか? ……踏み込もう。こいつだけなら警戒されてもいい。
今の俺はただのチンピラにしか見られていない)
「その人ってどんな人? 有名人だったりするのかな」
「どうだろ、私のボディーガードだけど、パパは雇えたとき喜んでたかな。
そっちの筋では有名なのかな」
「へー、俺なら名前で分かるかも」
「そうなんだ。なんて名前だったっけ……」
そう唸るネオンを、クロロは手元のコーヒーを飲みながら少しの間待つ。
「あっ、思い出した! ミチノリって人! わかる?」
「ゴメン、分かんないや」
「なにそれー!」
はははっ、と笑いながら、クロロは内心驚いていた。
彼にはその名前に心当たりがあったからだ。
(ミチノリ……! 逃がし屋か!)
逃がし屋ミチノリといえば、裏社会では名の通った人物だ。
家系として歴史のあるゾルディックほどではないが、その名前だけで人物を絞るには十分である。
(奴はフリーランスのはずだが……、短期であれば組織に腰を据えることもあるのか?)
幻影旅団も名を騙られることはある。
しかし、逃がし屋という職種の特性上、畏怖のために名を騙るものがいるとはあまり考えられない。
(それに、フェイタンから逃れた逃走者の手際。
相手が予言を用いた逃がし屋となれば納得がいく)
必要な情報は出揃った。
「……じゃ、もう一つだけ聞いていいかな」
「うん」
彼はネオンと席を立ち、死後の世界について語りながら思考を整理する。
(今月。つまりこの3日以内に組織とは別口で占った相手が一人いた。
そして、それが逃がし屋であることは確定情報として扱っていいだろう。
──つまりは、危険ということだ)
彼の頭の中には、先ほどハンターサイトでめくった*1ノストラードファミリーの護衛団のリストが入っている。
逃がし屋とおぼしき人物はリストには入っていなかったが、新しく入った人員であればまだ掲載されていない理由としては十分だ。
(探るべきは、逃がし屋の目的と予言の内容。
しかし、それをこの女から直接聞き出す必要はない)
「──だから、死んだそいつが一番やりたがってたことをしてやろうと思ってね」
「なにそれ?」
クロロは警備のひしめく中、恐るべき速さの手刀で周囲に気付かれることなくネオンの意識を刈り取った。
「大暴れ」
そこからは語るまでもない。
彼ら幻影旅団は計画通り、マフィアたちの雇った殺し屋たちを排除し、ゾルディックの襲撃を耐え、クロロに雇われたイルミは十老頭を殺害し、イルミとコルトピの能力によって地下競売を続けさせながら、競売品を偽物とすり替えていった。
彼らの死体すら
「救急車は襲うな。後は手筈通りに」
気を失ったネオンが救急車で運ばれていくのを横目に、クロロは電話を繋ぎながらあるものを取り出した。
(……壊れていないな。これならパクも問題なく
「シャル。明日だが、予定より少し早めに全員を集合させてくれ。
気になるものができた」
クロロは手の中でそれをくるりと回す。
それは、ノックに可愛らしくデフォルメされた動物のキャラクターのついたボールペンだ。
思わずクロロは吹き出してしまう。
包帯状のバンダナを外した、仕事モードの彼にとっては珍しい仕草だった。
「……いや、少しおかしくってな。
盗んだものがペン一つだなんて、まるでマンガのヤンキーだ」
煙が立ち上る夜の街。その笑い声は闇の中にかき消えていった。