西部劇×ファンタジー ~長耳の不愛想娘と西へ旅する~ 作:ぬんぬ
冷たく硬い生体魔石の感触が、掌にこびりついている。目を見開いた女の顔。泣き叫ぶ子供の声。
赤土に染み込む血の匂い。炎に巻かれて崩れ落ちるティピー。
そして、その凄惨な地獄の真ん中で、どこまでも穏やかに微笑むファビアンの翡翠色の瞳。
『おやすみ、私のダスティン』
美しい銀色の銃口が閃光を放ち、俺の右肩を撃ち抜く。
砕ける骨。燃えるような激痛。赤土へ転がり落ちる、傷だらけの愛銃。
その鈍い音を最後に、世界が赤黒く暗転した。
「っ……!」
喉の奥で息を詰まらせ、俺は跳ね起きるように目を見開いた。
全身を冷たい脂汗が覆っている。息は荒く、心臓が肋骨を突き破りそうな勢いで脈打っていた。
暗闇の底で、誰かが俺を呼んでいる気がした。
『死なないで』
あの、悲痛な叫び声。
俺は荒い呼吸を整えながら、周囲を見回した。
見知らぬ天井だった。簡素な鉄板に囲まれた、薄暗く狭い部屋。硬い簡易ベッドの上に、俺は寝かされている。
荒野の静寂はない。
床下から腹の底を揺さぶる重低音が絶え間なく伝わってくる。規則的に響く金属の軋み。その合間には、蒸気を吐き出す甲高い音が混じっていた。
何か、巨大な乗り物の中にいるらしい。
俺は左手で、撃ち抜かれたはずの右肩に触れた。
シャツも革コートも、どす黒い血で汚れ、硬く強張っている。だが、その下の傷口は、盛り上がった赤い痕を残して塞がっていた。
肩の奥には鈍い痛みが残っている。腕を持ち上げることはできるが、力を込めれば傷が引きつった。
「……ウルの無茶に、また救われたのか」
アルカの民が使う癒しの魔法。
これほどの傷を塞ぐために、あいつにどれだけの負担をかけたのか。
考えるだけで、胃の腑が冷たくなる。
──ウルはどこだ。
俺は腰元を探った。
愛銃『パシファイア』がない。狩猟ナイフも弾薬帯も、まとめて外されている。
壁に手をつき、痛む肩をかばいながら立ち上がる。警戒しながら軋む鉄のドアを押し開け、油の匂いが漂う狭い通路を抜けた。
その先から、強烈な光が差し込んできた。
外のデッキに出た瞬間、俺は思わず目を細めた。
見渡す限り、日光を凶暴なまでに反射する真っ白な世界。
『死の谷』。
水場も生命の気配もない、干からびた岩塩の平原が地平線の彼方まで続いている。
そして、俺が立っている足元。
分厚い岩塩の層を砕きながら、巨大な車輪がゆっくりと回転していた。見上げるほどの鉄の車体には無骨な装甲が張り巡らされ、太い煙突からは黒煙と蒸気が噴き上がっている。
高くそびえる帆柱には、風を孕んだ魔導帆が張られていた。
帆が大きく唸るたび、船体が軋み、足元から重い振動が伝わってくる。
海など存在しないはずの場所を、巨大な船が進んでいた。
まるで、砂の海を泳ぐ鉄の鯨だ。
「おいおい、死にぞこないのデカブツが起き上がって歩いてやがるぜ。この馬鹿野郎が!」
背後から、油焼けしたようなだみ声が飛んできた。
素早く振り返る。
そこに立っていたのは、背が低く小太りな中年男性だった。
油と硝煙の匂いが染みついた分厚い作業着。額には無骨なゴーグルを乗せ、腰のベルトにはレンチや見慣れない測定器がいくつもぶら下がっている。
どう見ても、荒野のガンマンではない。機械いじりを生業とする技術者の風貌だった。
「寝てりゃいいものを。せっかく塞がった傷が開いたらどうすんだ、ええ!?」
男は口汚く罵りながら、俺の肩に目をやった。
自力で立っているのを確認すると、ほんのわずかに安堵したような顔をする。
「……あんたは?」
「俺か? 俺はヨハンだ。ヨハン・フォン・ハルデンベルク。この『アイゼンヴァール号』の船長であり、機関長であり、偉大なる天才発明家様だ」
ヴェストファーレン連邦系らしい、堅牢な響きの名だった。
教会の特許支配に反発し、独自の軍事技術を発展させてきた新興国。少なくとも、聖堂教会の息がかかった連中とは考えにくい。
もちろん、名前だけで信用するほど俺もお人好しじゃない。だが、今のところ敵意を向けてくる様子もなかった。
「一緒にいたアルカのガキはどうなった!?」
俺はヨハンに詰め寄った。
男は鬱陶しそうに手を振る。
「ガキの心配をしてる場合か、テメェは。自分の血まみれのツラを鏡で見てきな」
「いいから答えろ!」
「うるせえな。……あのガキなら、ひどく消耗してて、まだ泥みたいに眠ってる。だが、息はある。死んじゃいねえよ」
息はある。
その一言を聞いた途端、身体から力が抜けそうになった。
俺は手すりをつかみ、どうにか踏みとどまる。
「……そうか」
それ以上、言葉が出てこなかった。
ウルが生きている。
今は、それだけでよかった。
「俺は技術者でな。この『死の谷』の深部でしか採れねぇ、共鳴石って言う鉱石を調べに来てたんだ。そしたら、機関のマナ流量計が妙な反応を示しやがった」
ヨハンは船体の下を指さした。
「マナの流れが一瞬だけ乱れた。機関の異常かと思って調べてみりゃ、塩のど真ん中に人間が二人と馬が一頭。見つけちまった以上、見捨てるのも後味が悪くてな。仕方なく拾ってやったってわけだ」
この広い『死の谷』で、救助者と出会える確率はどれぐらいだろうか。
運がよかった、としか言いようがない。
「頼む。ウルに会わせてくれ」
俺が頭を下げると、ヨハンは大げさに舌打ちした。
「チッ、世話の焼ける野郎だ。こっちだ、ついてこい。転んで傷を開くんじゃねえぞ」
そう言って、船内の別の船室へと歩き出した。
薄暗い船室の簡易ベッドに、ウルが横たわっていた。
煤けた毛布にくるまれ、顔色は死人のように蒼白だ。呼吸も浅く、だぼだぼの革コートの下で小さな胸がかすかに上下している。
首筋には、アルカの民特有の銀藍色の紋様が見えた。マナの枯渇によって色が失われ、黒ずんでいる。
俺はベッドの傍らに膝をついた。
あいつは、俺を助けるためにここまでやったのだ。
眠っている間、どれだけ苦しかったのか。どれだけ心細かったのか。
考えても、答えは出ない。
ただ、かすかに上下する胸を見つめていた。
「俺たちが近づいた時、あのガキ、自分も倒れそうになりながら、お前を庇ってな」
背後から、ヨハンがぽつりとこぼした。
「『何でもするから、この人を助けて』って、引きずるような声で泣きついてきやがった。そのままバタリと気を失ってな」
あいつが、泣きついて……?
あの、口が悪くて、生意気で、プライドの塊のようなウルが。
俺は眠るウルを見つめたまま、何も言えなかった。
「一緒にいた黒鹿毛の馬も、下の貨物室に入れてある。まったく、厄介なお荷物をまとめて拾う羽目になったぜ」
ヨハンはぶつぶつと愚痴をこぼした。
だが、ウルの身体に巻かれた清潔な包帯や、丁寧に掛けられた毛布を見れば、彼が二人と一頭をぞんざいに扱っていないことは明らかだった。
「……あんた、この子が先住民だってわかってて助けたのか」
ヨハンは一瞬、きょとんとした顔をした。
「ああん? 長耳だろうが何だろうが、俺の機械の前じゃみんなただの生身の人間だ。それ以上の意味はねぇよ」
何でもないことのように、男は言った。
俺は、その横顔をしばらく見つめた。
「……恩に着る、ヨハン。この借りは必ず返す」
「へっ。返す気があるなら、とっとと元気になりやがれ。怪我人の世話なんざ、俺の仕事じゃねえんだ」
口ではそう言いながらも、ヨハンは追い立てるようなことはしなかった。
俺はもう一度だけウルの寝顔を確かめ、ゆっくりと立ち上がった。
船体を揺らす振動は、相変わらず途切れることがない。
「それにしても、この船はどこへ向かっているんだ?」
「目的地はクロイツ・バールだ」
ヴェストファーレン連邦の軍事要塞都市。
「クロイツ・バール……。確かに死の谷を越えた先にあるが、こんな場所を走破できる乗り物があるとはな。東部でも聞いたことがない。どうやって動いてんだ?」
ヨハンの顔が、ぱっと輝いた。
「よくぞ聞いたな! この『アイゼンヴァール号』の秘密を教えてやる!」
待ってましたとばかりに胸を反らす。
「まずは地熱と魔石蒸気を組み合わせた機関。こいつで車輪を回す。そして、船体の底に刻んだ俺様特製の聖紋バイパス回路が、この死の谷の濃いマナを取り込んで、船体を持ち上げる力に変える。車輪にかかる重量を軽くして、塩に沈み込むのを防ぐってわけさ!」
「つまり、浮かせて、走らせる?」
「そういうこった! もちろん、マナだけで動くわけじゃねえ。地熱も魔石蒸気も必要だ。どれか一つでも欠けりゃ、この図体は動かせねえよ!」
ヨハンは自慢げに船体を叩いた。
なるほど。
ただ車輪を巨大にしただけでは、これほどの重量を塩の平原で動かすことはできない。船体を持ち上げて車輪の負担を減らし、蒸気の力で車輪を回す。
荒唐無稽に見えるが、理屈は通っている。
「……大したもんだな」
「だろう! 魔導銃から蒸気魔導機関まで、何でもこなすこの多才さも俺様が大天才と呼ばれる由縁だからな!」
ヨハンは満面の笑みで胸を張った。
どうやら、自分の技術について語り始めると止まらない性分らしい。
「そうだ、銃といえばよ」
男は作業着のポケットから、見慣れた鈍色のリボルバーを取り出した。
俺の『ステリオン・パシファイア』だ。
「お前の腰から没収したこの銃。ステリオン社のアーク駆動構造は悪くねえが……つくづく、つまらん銃だ!」
ヨハンはパシファイアを掲げ、心底つまらなそうに顔をしかめた。
「教会のライセンス規定に縛られすぎてやがる。安全だの規格だの、決まりごとばかりで独創性の欠片もねえ。設計者の顔が見てみたいね、反吐が出るぜ!」
長年の相棒をボロクソにけなされ、俺の眉間がぴくりと跳ねた。
「悪かったな、退屈な銃で。だが、そいつは俺の相棒だ。返してくれ」
手を差し出すと、ヨハンは呆れたように銃を懐へ引っ込めた。
「こんな狭い船内で、いつ傷が開くかわからねえ怪我人に銃を渡すほど、俺は馬鹿じゃねえよ。街に着いたら返してやる。安心しな、盗みはしねえ」
「……好きにしろ」
俺は痛む肩をさすりながら、思考を巡らせた。
クロイツ・バールは、もともとスカル・メサを経由して向かうはずだった目的地だ。
ウルが命を削って『死の谷』という死地へ飛び込んだことで、結果的にファビアンや聖堂騎士団が想定する追撃ルートから外れることができた。
少なくとも、今すぐ追いつかれる可能性は低い。
だが、安心するには早すぎる。
ファビアンが諦めるとは思えない。あいつは、俺を追いかけるためなら、どこまでもやってくるだろう。
俺は眠るウルの姿を思い浮かべた。
今度こそ、あいつを守らなければならない。
「……見えてきたぜ」
ヨハンの声に、俺は顔を上げた。
男が船室の丸窓を指さしている。
窓に近づき、外を見た。
果てしなく続いていた白い塩の地平線が、少しずつ途切れ始めていた。その向こうには、荒々しい赤土の大地が広がっている。
蒸気と塩煙の向こう。サンダースパイン山脈の東麓に張り付くようにして、巨大な建造物群がそびえていた。
日干しレンガの重厚な壁。無骨な鉄骨。遠目にも威圧感を放つ防壁と、空へ突き出す工場の煙突。その間を縫うように、鉄路が都市の奥へと伸びている。
煙突から吐き出される黒煙が、赤茶けた空に溶けていた。
ヴェストファーレン連邦の軍事要塞都市──『クロイツ・バール』。
その姿が、地平線の彼方からゆっくりと迫ってくる。
死の谷は越えた。
だが、ここから先が安全だとは限らない。
俺は窓枠に手をつき、近づいてくる鉄の街を見据えた。
荒野を越えてきた鉄の鯨が、今、新たな岸へとたどり着こうとしていた。
ストックなくなってるので、次週投稿遅れたら申し訳ないです