西部劇×ファンタジー ~長耳の不愛想娘と西へ旅する~ 作:ぬんぬ
割れた車輪のスポークから、焦げた木膏の臭いが立ち上っていた。
陽炎の揺らめく荒野の真ん中で、俺は死体同然に倒れた男たちのポケットを靴の先で突いて回る。
倒れている男の懐から引っ張り出したのは、汚れた革の小銭入れと、塗りの剥げかけた真鍮の煙草ケース、そして腰にぶら下がっていたふたつの革水筒だ。
大した量じゃないが、丸められた干し肉の包みやマッチもあった。
小銭入れの中身を確かめると、銀貨が数枚。
「シケたヤツだな。奴隷狩りなんてやってる割に、財布の中身はすっからかんかよ」
吐き捨てながら銀貨をポケットにねじ込む。
水筒の栓を抜き、喉に流し込もうとして——強烈な酸っぱい臭いに思わず顔を背けた。水じゃない。トウモロコシから絞った、喉が焼けつくような安物の密造酒だ。
「……チッ、中身は酒かよ。しかも安物だ」
思わず地面にぶちまけそうになったが、思いとどまる。この死の荒野じゃ、どんなに酷い酒だろうと貴重な水分だ。傷口の消毒にも使えるし、最悪の場合は喉を潤す足しにはなる。栓を固く締め直し、腰のベルトに括り付けた。
もうひとつの水筒には、ありがたいことに半分ほど本物の水が入っていた。そいつを遠慮なく喉へ流し込む。ぬるくて革の臭いが鼻についたが、生き返る心地がした。
馬車に繋がれた馬が一頭、鼻息荒く砂を蹴った。もう一頭は奴隷狩りどもの流れ弾が当たったのか息も絶え絶えだったが、こっちの栗毛は無傷でピンピンしている。革の馬具をナイフで切り飛ばして馬車から外し、背中に鞍を乗せ直す。
ふと振り返ると、ガキが倒れている男の足元に屈み込み、眉一つ動かさずに腰帯から小ぶりな狩猟ナイフを引き抜いていた。
「……お前、追い剥ぎが手慣れすぎてないか?」
「死んだ奴、物使わない。生きてる奴、使う。当たり前」
ガキは拾い上げたナイフの刃を抜き、太陽の光にかざして傷がないか確かめると、素早く自分の腰帯に挿した。身の丈に合っていなくて浮いているが、本人は気にした様子もない。
「死んじゃいねえよ。気絶してるだけだ」
「そう。起きたら困る。殺す?」
淡々とした声で恐ろしいことを言いながら、ガキは俺を見上げてきた。青銀の瞳が日光を跳ね返し、ガラス玉みたいに冷たく光っている。
「必要もないのに殺しゃしねぇよ。まぁ、荒野に置き去りにするわけだから、どのみちくたばるかもしれんが」
俺は馬の手綱を取った。用は済んだ。奴隷狩りをぶちのめして鍵も開けてやったんだ。アイツとこれ以上の付き合いは御免被りたい。
「よし、解放完了だ。お前はお前で、好きなところへ失せな」
手綱を引いて歩き出そうとしたが、背後から足音がついてくる。振り返ると、ガキが数歩離れた位置でじっと俺を見つめていた。
「おい。聞こえなかったのか? どっか行けって言ったんだ。自分の村にでも帰りな」
「帰れない。遠い。……着く前に、死ぬ」
「そりゃあ、お前の問題だ。俺はこう見えて慈善事業家じゃなくてね。これ以上、ガキの面倒みる義理はない」
「お前が、馬車壊した。馬、連れてく。だから、わたし死ぬ。お前のせい」
「いやいや、俺がいなきゃ、そもそも捕まったままだろうが。それとも、犯されて奴隷にされるか、石を抜かれるのがお望みだったか?」
理不尽な物言いについ声が大きくなる。だが、ガキは顔色一つ変えない。青銀の瞳も揺れない。
「それでも、助けてなんて、頼んでない。このままだとわたし死ぬ。責任、とって」
「それを言われるとぐうの音も出ないがね!」
ため息が出る。余計な厄介事は背負わない。そう決めているが、このガキを荒野の真ん中に放置して去れば、間違いなく干からびるか魔獣の餌になるだろう。そうすると……今夜の酒が最高に不味くなる。
「……はあ。わかったよ。最寄りの集落までは連れてってやる。それ以上はナシだ」
ガキは小さく鼻を鳴らし、自分より二倍も大きな俺の体をじろじろと見上げてきた。
「……名前ない、やっぱり不便。なんていう」
不意に呟かれた問いかけに、俺は肩をすくめた。
「……ダスティだ。ダスティ・ミラー。荒野のゴミクズって意味の、ろくでもない名前さ」
「ダスティ。……ホントにろくでもない名前」
「お前なあ……! 人がせっかく名乗ってやったのに!」
俺が額の汗を拭うと、ガキはそっぽを向いた。
「……ウル」
「あ?」
「私の名前。ウル」
「ウル、か。短いな」
名前の交換が終わっても、気まずい空気はちっとも晴れなかった。俺はウルの全身を改めて観察する。
銀に近い白髪に、尖った長い耳。首筋から頬にかけて走る、光を反射する銀藍色の幾何学模様。そして何より、日光の下で異様に目立つ青銀色の瞳。どこからどう見ても、アルカの民そのものだ。
「いいか、ウル。その面でうろついてみろ。次の街に着く前に、別の奴隷狩りか賞金稼ぎに捕まって、今度こそ売られるか、皮を剥がされて魔石を引っこ抜かれるぞ。お前の顔は『高価な商品です』って看板ぶら下げて歩いてるようなもんだ」
「……お前たち、本当に野蛮人」
「現実を教えてやってる俺まで、一緒くたに罵倒するんじゃねぇよ」
俺は自分が羽織っていた、薄汚れてサイズのデカい革のコートを脱ぎ捨てた。
「ほら、これに入れ」
「……臭い」
「文句を言うな! 殺されるよりマシだろ!」
俺はコートをウルの頭から強引に被せた。
だぼだぼのコートがウルの小さな体を丸ごと包み込む。尖った長耳を髪と一緒に折りたたむようにしてフードの中に押し込み、目元が深く陰になるように引っ張った。首筋の模様も、コートの広い襟元で完全に隠す。
これで、遠目からは得体の知れない貧相な浮浪児にしか見えないだろう。
「前、見えない」
「フードの隙間から足元だけ見て歩け。特に街では絶対に脱ぐな。できれば声も出すな。カタコトな喋り方でバレかねん」
「命令するな。むかむかする」
「助けてもらった立場を少しは自覚しろ」
俺はウルの首根っこを掴むようにして、馬の傍らへ引き寄せた。
「目指すはここから東にある『オールド・クリーク』。開拓集落だ。水場と酒場がある。そこに着いたら、俺はお前を誰か親切な奴に押し付けるか、適当にバイバイする。分かったな」
「……わかった」
ウルはブカブカの袖から小さな手だけを出し、コートの裾を固く握りしめた。
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太陽が西の地平線に傾き始めると、荒野の表情は一変した。
昼間の熱気がウソだったかのように、乾いた風が急速に体温を奪っていく。汗を吸ったシャツが背中に張り付き、今度は骨の芯まで冷えてくるような寒さが襲ってきた。
ウルは黙々と俺の後ろをついてくる。小さなサンダルの足音が、ガサガサと乾燥した土に響く。文句一つ言わないのは大したものだが、フードの隙間から覗く表情と足取りは明らかに重くなっていた。
「おい、歩けるか」
「……歩ける。アルカの民、お前たちより、強い」
強がっているが、声が微かに震えている。そりゃそうだ。満足なメシどころか、ろくに水も飲まずに歩き通しなのだから。
「無理すんな。馬に乗れ」
「嫌。近づいて、欲情されたら、犯される」
「ガキに欲情するほど飢えちゃいねぇよ! いいから乗れ、足引っ張られる方が迷惑なんだよ!」
俺はウルの脇を抱え上げ、栗毛の馬の背中に放り上げた。ウルは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに鞍の角に掴まり、フードの奥から俺を睨みつける。
「……変なところ、触ったら、刺す」
「もう少し、出るとこ出てから言え! 手綱は俺が持つが、落ちるなよ」
日が完全に沈むと、荒野は真っ暗闇に包まれた。満天の星空だが、月明かりだけでは足元もおぼつかない。遠くの岩山から、荒野に棲む肉食の魔獣らしき遠吠えが風に乗って聞こえてきた。
「今日はここまでだ。あの岩陰で夜を明かす」
道から少し外れた場所に、巨大な赤岩が崩れ落ちた洞窟状の窪みを見つけた。風を遮るにはおあつらえ向きの場所だ。
馬を近くの枯れ木に繋ぎ、俺は周りの干し草や折れた枝をかき集めた。だが、夜露を含んだ枝は生湿りで、奴隷狩りどもからくすねたマッチを一擦りした程度では火がつきそうにない。
「チッ、湿気てやがる。弾バラして火をつけるのも手だが……焚き付けでも作るか」
愚痴をこぼしながら、削り屑を作ろうとナイフを取り出した時だった。
馬から下りてきたウルが、すっと手を出してきた。
フードを少し持ち上げ、湿った枝の山に顔を近づける。そして、低い、聞いたこともない言語の旋律を口ずさみ始めた。
言葉というよりは、風の音や小川のせせらぎに近い、喉の奥を震わせる独特の発声だ。
歌のような声が響くと同時に、彼女の首筋に描かれた刺青が、コートの隙間から青白く脈動するのが見えた。周囲の空気中のマナが引き寄せられ、微かな光の粒子となって湿った枝に吸い込まれていく。
パチ、と高い音がした。
枝の表面から白煙が立ち上り、水分が蒸発して消える。次の瞬間、小さな赤々と燃える火種が生まれた。俺が驚く間もなく、乾いた枝は勢いよく燃え上がり、心地よい熱を周りに振り撒き始めた。
俺は言葉を失って、その火とウルを交互に見つめた。
「……おい、ガキ。今何をした?」
「……火、つけた」
「いや、そうじゃなくて……魔法——か。そういえば、お前らは聖紋なしでマナを使えるんだったな」
俺たち魔石のない旧大陸の人間は、精密に刻まれた回路……「聖紋」を通して魔石のエネルギーを引き出す。だが、こいつら新大陸の先住民は、詠唱で体内の魔石からエネルギーを引き出すことができる。
ウルは疲れたように膝の上に顔を埋め、青銀の瞳を伏せた。
「……アルカの民、みんなできる、普通。お前たちの鉄の道具のほうが変。うるさいし、冷たい」
「冷たい、ね」
俺は腰の魔導銃のグリップに触れた。無機質な金属の冷たさが指先に伝わってくる。
確かに、これは魔石から力ずくでエネルギーを絞り出すための歪な道具だ。先住民たちが旧大陸の技術を嫌う理由が、少しだけ解った気がした。
「……まあいい。これで凍えずに済む」
俺は奪った干し肉の包みを開き、硬い肉片をちぎってウルに差し出した。
ウルは一瞬警戒するように俺の手元を見たが、すぐにひったくるように奪い取り、小さな歯で必死に食らいついた。毒舌の無愛想なガキだが、必死に腹を満たす姿は年相応に見える。
肉を噛み砕きながら、ウルの肩が微かに震えているのに気づいた。
奴隷狩りに鞭で叩かれたのか、破れた服の隙間から、細い皮膚が真っ赤に腫れ上がり、薄く血が滲んでいるのが見えた。
「おい、見せろ」
「……触るな」
ウルが身を引こうとしたが、俺は強引にその華奢な肩を掴んで固定した。腰の革水筒から、例の密造酒を少量布の端に含ませる。
「暴れるな。消毒だ」
「それ、酒。痛い」
「消毒には酒の方がいいんだよ。我慢しろ」
酒を含ませた布を腫れ上がった傷口に押し当てると、ウルは身体を硬くし、歯を食いしばって声を殺した。
「……お前、下手くそ」
「文句を言うな。放っておくと腐るぞ」
手早く処置を終えて手を離すと、ウルは背中を向けたままコートを深くかぶり直した。
焚き火の火がパチパチと音を立てて弾け、二人の影を赤岩の壁に大きく映し出す。
東部の街や近くの開拓地、どこに向かってもこのガキの体内の魔石を狙う奴らは腐るほどいる。教会の聖堂騎士、一獲千金を狙う賞金稼ぎ、採掘公社の奴隷狩り。助けはしたが、こいつのお先はまさに真っ暗だ。なんとかする術はあるのか?
「……ハッ、冗談じゃない」
俺は自嘲気味に呟き、撃鉄をハーフコックにすると銃のシリンダーをカチリと回した。弾丸の装填を確認する金属音が、荒野の静寂に寂しく響く。
明日、オールド・クリークに着いたらこのガキとはお別れだ。それが一番賢い選択だ。俺の命が一番大事なんだから。
「ダスティ」
暗闇の中から、コートに包まれた小さな声が聞こえた。
「何だ」
「……お前、変なヤツ。私を人間扱いする」
俺は答えず、ただ焚き火に新しい枝を投げ込んだ。