西部劇×ファンタジー ~長耳の不愛想娘と西へ旅する~ 作:ぬんぬ
湿ったカビと、生臭い油、そして乾燥した古い薬草のような匂いが私の小さな鼻を突く。
まっくら闇の階段を見つめながら、私はダスティのコートの裾を固く握りしめた。私たちアルカの民が持つ青銀の瞳は暗闇にも強いと言われるけれど、それでも見通せないくらい闇は深く、漂ってくる冷気が少しだけ怖い。
暗闇の奥から、カタリと小さな音がして、靴音がひとつ、ふたつ。階段を上ってくる。
ダスティの手が、素早く腰の後ろへと伸びた。彼の体から、ピリピリとした警戒の気配を感じる。私も腰帯に挿した狩猟ナイフの柄に手を伸ばし、身をかがめた。
「……誰だ」
ダスティが低い声で問いかける。
暗闇の向こうで、小さな火種がぽっと点灯した。古いランプの黄色い光が、ぼんやりと階段のレンガ壁を照らし出す。
そこに立っていたのは、頭の毛が半分白くなり、顔中に深いシワを刻んだおじいさんだった。着ている灰色の服はあちこちが擦り切れ、肘のあたりには不器用な縫い目が見える。胸元には、木を削って作られた歪んだ天秤の首飾りがぶら下がっていた。
「主の平穏あれ、彷徨える者よ。武器から手を離しなさい。ここに危険はないよ。金目のモノもないがね」
おじいさんの声は掠れていたが、聴いていると不思議と落ち着く気がした。ダスティはしばらくおじいさんを鋭い目で見つめ、それから彼の胸元の首飾りに視線を落として言う。
「……天秤の刻印。あんたらを探していた。『古い天秤』を信じる司祭様で間違いないかい?」
「私はモーリス。いかにも私は古くからの天秤の教義を信奉しているが……怪我をしているのか? それに、その背後の子供は……」
モーリスと名乗るおじいさんは、ランタンの光を私たちに向けた。わたしはダスティと視線を交わし、目深にかぶっていたフードを外す。
その瞬間、彼の白くなりかけた眉が微かに跳ね上がり、私の白い髪と長い耳、そして首筋の銀藍色の紋様の上を視線が滑る。
「アルカの子供か。なるほど、地上がなにやら騒がしかった理由が分かったよ」
「話は後だ。地下へ入れてくれ。追手がすぐそこまで来てる」
おじいさんは静かに頷き、私たちを地下の奥へと促した。
階段を降り切った先には、崩れかけたレンガづくりの広間があった。天井からは太い鉄の棒が何本も剥き出しになって飛び出し、壁の隅には藁が敷かれている。そこには、ボロボロにくたびれた大人や、痩せた顔の子供たちが数人、身を寄せ合ってうずくまっていた。
部屋の奥には、木箱を重ねて作られた小さな祭壇があり、そこにひとつだけ、ろうそくが灯されている。
ダスティはどさりと古い木箱に腰を下ろした。左の首筋から流れた血が、破れた服の襟元を赤く染めている。さっきの酒場で、悪い人たちが撃った銃の弾が掠ったらしい。
「ダスティ……その傷」
私がダスティの横に歩み寄ると、彼は面倒そうに顔を背けた。
「かすり傷だ。ほっとけば治る」
「嘘つき。血、出てる。……動かないで」
私はダスティの広い肩を小さな手で強引に押さえつけた。彼は嫌そうな顔をしたが、暴れはしなかった。
私はダスティの首筋の傷口にそっと掌をかざす。目を閉じ、胸の奥にある暖かい力に意識を向けた。体内の命石が、呼吸に合わせてドクドクと動き始める。幼い頃、お母さんから教わった癒しの言葉を呟くと、私の首筋の紋様がコートの隙間から青白く光を放った。
周囲の空気から引き寄せられた淡い光の粒子が、ダスティの首筋に集まっていく。
血が止まり、切り裂かれた皮膚が引き締まって、数秒の間に赤い線だけを残して塞がっていった。
「……おいおい」
ダスティが驚いたように自分の首筋を触り、それから私を見上げた。
「お前、こんな真似までできるのか」
「軽い傷なら、治せる。できる人、アルカでもそんなに多くない。……私、すごい」
「……まあ、助かったよ」
ダスティは照れくさそうに頭を掻き、視線を近くに立っていたおじいさんへ向けた。
「本題だ、モーリス司祭。俺はこのガキをここに預けたい。あんたら原理派なら、このガキを匿うか、どこかへ逃がすルートを持ってると思って連れてきた」
ダスティの口から出た言葉は、前もって聞いていた通りのものだ。私をここに置いて、彼は消える。わかっていた内容なのに、何故だか少し、胸が痛んだ。私は何も言わず、彼の横顔を見つめる。
だけど、おじいさんはゆっくりと首を横に振った。
「すまんが、無理だ。半年前ならいざ知らず、今の私たちにそんな余裕や力はない」
「……どういうことだ?」
「教会の主流派……教皇勅令を受け入れた連中の締め付けは、日に日に苛烈になっている。この隠れ家も、近いうちに踏み込まれて潰されるだろう。私たち自身、いつ捕まって鉱山へ送られるか分からん状況だ。そんな場所でその娘を預かり、無事を約束するのは無責任というものだろう?」
狭い地下に、静かな沈黙が降り積もった。
ダスティはポケットから空の煙草ケースを取り出し、トントンと指で叩いて苛立ちしげな音を立てた。彼の顔に、泥のような陰が差し込んでいく。
「チッ、どこに行っても行き止まりかよ」
「ダスティ……と言ったな。この子の安全を真に確保したいのなら、道はひとつしかない。彼女を、西へ連れて行くのだ」
「西だと?」
ダスティが跳ね起きるように顔を上げた。
「無理だ! 俺だってそれを考えなかったわけじゃない。だが……なんとか荒野を抜けたとして、西端まで行けると思うか? 西部はマナの嵐が吹き荒れて、バカデカい魔獣がのさばってるって話だぞ」
「確かに西部は過酷と聞く。だが、それ故に開拓の手が及んでおらんし、アズールや賞金稼ぎも踏み込めん。何より、そこにはその娘の仲間もおるだろうしな。本当の意味での安住の地は、やはり西にしかないだろう」
おじいさんの声は静かだったが、ハッキリとしていた。
ダスティは頭を抱え、深く、苦しそうに溜め息を吐き出した。
「ハッ……笑わせるぜ。俺が『西』を目指すだと? どのツラ下げてそんな真似ができる」
ダスティの口から、自虐の籠もった笑いが漏れた。
「モーリス、俺はそいつらを狩る側だったんだよ。聖堂騎士だった。……先住民の集落をいくつも焼き払ったよ。子供が泣き叫んでる前で、その親の胸から魔石を抉り出したこともある。あの冷たい石の感触が、今でもこの手にへばりついて離れねぇ」
彼の大きな手が、微かに震えていた。
「耐えかねて上官の頭を撃ち抜いて逃げ出したが……結局俺は、ただの臆病者だ。あれだけ手を汚しておきながら、自分だけは荒野を這い回り、酒と煙草で過去を誤魔化して生きてきた。ゴミクズだ。そんな俺が、コイツを西まで送り届ける? 今更そんな善人みてぇな真似……できねぇよ」
ダスティの目が、後悔の色で濁っていた。
私は彼の手を見た。傷だらけで、無骨で、鉄の匂いがする大きな手。彼が過去に私の同胞を手にかけてきたことは、聞かなくてもなんとなく分かっていた。彼の言葉や目線には、ふとした時に暗い過去を感じさせる哀しみのようなものがあった。
でも。
奴隷狩りの檻から私を引っ張り出した時。私の足から鎖を外してくれた時。痛がる私の肩に、不器用に酒を塗って消毒してくれた時。
彼の手にあったのは、殺意でも欲深さでもなかった。ただの、痛々しいほどの不器用さだった。
彼は、自分をゴミクズだと罵りながら、身を削るようにして私を守ってくれた。
「……ダスティ」
私は小さく彼の名前を呼んだ。
ダスティが気まずそうに私を振り返る。まっすぐに見つめ返すと、彼は視線を逸らした。
「……なんだよ。同胞殺しのクソ野郎と知って言いたいことでもあるか? ……すまなかった。言うタイミングが……いや、あっても黙ってたかもしれねぇな」
「……お前、バカ」
「あ?」
「ダスティの昔、詳しく知らない。でも……ダスティ、私を撃たなかった。売らなかった。お肉くれた。傷、治してくれた」
彼らの言葉だと上手く話せなくて、胸がもどかしくなる。私は必死に言葉を繋いだ。
「ダスティ、口、悪い。顔、ボロボロ。少し、臭い。でも……わたしを、人間扱いする。わたしを、モノにしない。……だから、わたし、ダスティを信じる」
ダスティはぽかんと口を開けて私を見つめた。やがて、彼の頬が微かに赤くなり、気まずそうに帽子のつばを深く引っ張って顔を隠した。
「……お前、ホントに生意気なガキだな」
「生意気じゃない。本当のこと」
おじいさんが、私たちのやり取りを見て微笑み、小さく息を吐いた。
「ダスティ。過去の罪は消えん。それでも、目の前の命を導くことはできる」
モーリスは服のポケットから、手のひらサイズの小さな木製のメダルを取り出した。そこには、ナイフで削り出された、小さな天秤のマークが刻まれている。
「大陸の西端に至るには、荒野を越え、いくつもの開拓街や集落を経由せねばならん。道中、主流派の目が届かない場所に、きっと私たち原理派の信徒や協力者が潜んでいる。その時はこの証を見せなさい。彼らは必ず、お前たちを助けてくれるはずだ」
ダスティは差し出された木製のメダルを黙って受け取り、自分のポケットにねじ込んだ。
「……中部を抜けるだけでも一苦労だぞ。水場も分からんし、奴隷狩りや賞金稼ぎに魔獣、どこだって危険だらけだ」
ダスティがなおも渋い顔をするので、私は彼のコートの裾を引っ張った。
「ダスティ。わたし、いる」
「……だからなんだよ」
「大陸にいるの、アルカだけじゃない。中部にも、西部にも、わたしたちの民、いる。『赤砂』の民、『風走り』の民。……みんな、お前たち外国人を嫌ってる。でも、わたしがいれば、言葉通じる。助けてもらえる」
私は胸を張った。
「それにわたし、荒野の水場、危険な魔獣、嵐の前触れ……全部わかる。案内できる。ダスティにわたし助ける理由、ない。でも……ダスティに、助けてほしい」
ずいぶん虫の良いお願いをしていることはわかっていたけれど、何故だか彼なら、叶えてくれる気がした。
彼は目を丸くして私を見下ろし、それから深く息を吐いた。
「……ガキに案内されて荒野を行くガンマンか。素敵な絵面だな」
「そんなことない。かっこいい……たぶん」
「そこまで言われて突き放しゃ、男の沽券に関わる、か」
ダスティは立ち上がり、腰の銃を手に取ってじっと眺めた。そして、何かを決意したように顔を上げる。
「……分かった。乗ってやるよ、その無茶苦茶な道行に」
ダスティの目から、投げやりな色が消えていた。彼の青い瞳に、強い意志の火が灯る。
「中部を抜けて、西端までこのガキを送り届ける。……そうすりゃ、ついでに神様の覚えも多少はよくなるかもしれねぇしな」
「主のご加護が、お前たちの足元にありますように」
おじいさんが、胸の前で木彫りの首飾りに手を当て、穏やかに呟いた。
西部劇といいつつ、物語の都合上、大陸中部から始まるという……。中部ですが、皆さんが思い浮かべる赤土と砂漠の景観となります。西部に向かうわけだから西部劇!(迫真)
ちなみに、この世界の新大陸西部はむしろ現実のアメリカ大陸における中部のような大平原や巨大湖のある豊かな土地ですが、マナ嵐が発生する関係上、魔導設備の建築にまったく向かず、過去の歴史的な経緯もあって、開拓の手が及んでいません。
地の文だけで出しきれない設定のあれこれは少しずつ後書きで説明できればと思います。