西部劇×ファンタジー ~長耳の不愛想娘と西へ旅する~ 作:ぬんぬ
地上から、かすかな振動と足音が届く。酒場の親父がチクれば、ここにもすぐアズールどもが押し寄せると思ったが、どうもそうでもなさそうだ。
モーリスに尋ねると、実は親父も原理派のシンパで、チクリの心配はないと教えてくれた。
俺たちは夜まで待って、アズールどもが諦めて引き揚げるか、見張りを減らす頃合いを見計らって出発することにした。
これまでの疲れが出たのか、ウルは俺の側で丸まって寝息を立てている。俺は木箱に腰を下ろして、愛銃を整備しつつ時間を潰す。
ステリオン・アームズ社の属性可変型リボルバー『パシファイア』。質実剛健な作りが売りで、属性可変型にもかかわらず銃器としての信頼性が高い傑作。
教会を足抜けして、刻まれていた天秤のシンボルこそ削り落としたが、今でも俺の信頼できる相棒だ。
バレルや可変セレクターの金属部を布で拭い、硝煙の煤を落とす。カチリ、カチリと回るシリンダーの音が、暗い地下室に響いた。
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階上の騒がしさが収まってから更に経ち、夜も更けて出発の段となった頃、モーリスは俺たちに食料や水、いくつかの野営道具を分けてくれた。
麻袋に入った硬い干し肉の切れ端と、表面が白く乾きかけたトウモロコシのパン、いくらかの塩、それに革水筒一杯のぬるい水。
少し離れたところから、痩せた子供が物欲しそうな目で物資を見つめている。
「これくらいしか用意できなくてすまない。私たちも食うや食わずなものでね」
モーリスが申し訳なさそうに眉を下げたが、俺は手を振って感謝を示す。
「元々、あんたらには俺たちを助ける義理なんてない……にもかかわらず、こうして命綱を分けてくれたこと、本当に感謝している。あと、酒場の親父にも店をメチャメチャにして申し訳なかったと、そう伝えて欲しい」
「おじいさん、ありがとう……
ウルも耳慣れない先住民の言葉を交えながら、モーリスに感謝の言葉を伝える。
「行くぞ、ウル」
「……ん」
モーリスに見送られ、地下の重い鉄扉を静かに押し開ける。外の空気は刺すように冷たく、昼間の吐瀉物や馬糞の臭いが凍りついて、鼻腔を突くツンとした刺激に変わっていた。
街の灯りはその多くが消え、遠くの魔導鉄道の操車場から吐き出される白煙だけが、月明かりの下で怪しく揺れている。
さて、出発といっても今の俺たちには足がない。あの栗毛の馬は、いまも酒場の外の繋ぎ柱に放置されたままだろう。
だがあそこへ戻るのは、待ち伏せしているアズールどもに「どうぞ撃ってください」と頭を差し出すようなもんだ。代わりを手に入れなけりゃならない。
「足音を立てるなよ。影から影へ移動する」
「言われなくても、分かってる。ダスティのブーツのほうが、うるさい」
さきほど見せた殊勝な態度はどこへやら。もういつもの毒舌で無愛想なガキに戻っている。
それでも、まるで夜風の影そのもののようなウルの動きには、俺に言い返すだけの機敏さがあった。
目指すのは、街の外れ、鉄道の線路を越えた先にある開拓会社の管理区域だ。あそこには、運搬や伝令に使われる馬を集めた馬囲い(コラル)がある。
線路のバラストを踏まないよう注意しながら跨ぎ、木造の倉庫の影に身を潜めた。
背の高い木柵で囲われた広いコラルが見える。十数頭の馬が、寒さに身を縮ませて首を低くし、静かに鼻息を吐いていた。
「……ダスティ。あそこ、行くの?」
ウルがフードの影から小さく囁いた。
「ああ。足がないと荒野で干からびる。あそこから一頭、いただく」
ウルが露骨に顔を顰めた。青銀の瞳が、月明かりの下で不機嫌そうに細まる。
「それ、泥棒。悪いこと。……やりたくない」
「おいおい、お行儀のいいお嬢様だな。いいかウル、これは『泥棒』じゃない。『奪還』するんだ」
「……何がちがう、人のものとる。同じ」
「違うねぇ、大違いだ。あのコラルを仕切ってんのは、東新大陸開拓会社の悪徳商人どもだ。全部奴らがお前たち先住民から安値で買い叩いたか、力づくで奪い取った馬に違いない。元々まともな金で買われた馬じゃねぇんだ。それを俺たちが……というよりお前が、少し返してもらうだけだ。これは正当な権利の行使であり、泥棒とは言わない。奪還だ」
「……言ってること、無茶苦茶。私が取られた馬じゃない。屁理屈」
「屁理屈でも何でもいいんだよ! 足がなけりゃ荒野は越えられねぇ。まごまごしてると明日にはアズールどもに捕まって、お前は石を抜かれ、俺は首を吊られる。同じ状況なら、神様だって馬を盗む方を選ぶね」
俺が投げやりに吐き捨てると、ウルは呆れたように大きな溜息をついた。
「……結局、盗むって言ってる。ダスティ、本当に、ろくでもない大人」
「もう異論はないな? さあ、仕事の時間だ」
コラルの入口には、ランタンを足元に置き、ポンチョに身を包んだ見張り番が一人立ち尽くしていた。パイプから紫煙を吐き出し、寒さに身を縮ませながら欠伸を噛み殺している。腰には古いステリオン製のリボルバーが下がっていた。
「ウル、あいつの気を逸らせるか? 火でも風でもいい。あっちの積まれた木箱の向こうで音を立てろ」
ウルは気乗りしない様子で眉をひそめたが、小さな唇を動かし、低い言葉を呟き始めた。
首筋の銀藍色の模様が、コートの隙間からかすかに青白く光る。周囲の空気が微かに揺れ、マナが小さな渦を巻いた。
十数ヤード離れた資材置き場の影で、乾いた木箱がガタンと大きな音を立てて崩れ落ちた。
「うわっ!?」
見張り番がビクッと肩を跳ねさせ、腰の銃に手をやりながら音のした方へ慌てて歩き出す。
「おい、なんだ? 野良犬か?」
「いまのうちだ、行くぞ!」
俺とウルは影から影へ滑り込み、木柵の隙間を潜り抜けてコラルの内部へと侵入した。
馬たちが不審な気配に鼻を鳴らし、そわそわと脚を揺らす。俺はポケットから、モーリスにもらった塩をいくらか取り出し、手のひらに載せて一番近くにいた馬の鼻先に近づけた。馬がぬるい舌で塩を舐め始め、警戒を解く。
選ばなければならない。
ガサツな暴れ馬や、脚の弱い奴を連れ出したら、明日からの荒野越えで命取りになる。
暗がりの中で、一頭の馬と目が合った。
全身が艶やかな深い漆黒に近い毛並み──黒鹿毛の若い雌だ。小柄だが引き締まった臀部と、真っ直ぐに伸びた力強い四肢。そして何より、こちらの動きをじっと見つめるその黒い瞳には、静かな賢さが宿っていた。
「……こいつだ」
手で鼻筋を撫でると、馬は気持ちよさそうに短い息を吐き、俺の手のひらに顔を寄せてきた。馬の尻のあたり、所有者を示す焼印を確認する。
『P』の文字が刻まれていた。
「運がいい」
「なにが?」
ウルが周囲を警戒しながら小声で尋ねる。
「この『P』の字なら、後で線を一本追加すれば簡単に『B』に書き換えられる。追手に足取りを追われるリスクがガクッと減るんだよ。それに、この目を見てみろ。お前と同じくらい賢そうで、素直そうだ」
「……バカにされてる?」
ウルがボソッと呟きつつも、黒鹿毛の鼻筋を小さな手で撫でた。馬もウルの手に興味を示し、クンクンと鼻を鳴らしている。
小屋の壁に掛けられていた使い古しの革鞍と手綱を素早く引っ張り出し、黒鹿毛の背に載せて腹帯を締める。手慣れた作業だ。馬も暴れることなく、静かにそれを受け入れた。
「ちっ、ただのネズミか……寒くてやってられねぇな」
見張り番が呟きながら戻ってくる足音が聞こえる。
俺は黒鹿毛の手綱を引くと、木柵の裏手の傷んだ板を足で静かに外して、外へと連れ出した。
コラルから十分な距離を離れたら馬に飛び乗る。あっという間に街の明かりが遠ざかり、再び果てしない暗闇と星空が広がる荒野へ躍り出た。
月明かりの下、モーリスから渡された簡単な地図を広げる。
「ここから西へ向かうとなると、真っ直ぐ行けば『死の谷』と呼ばれる干からびた岩塩地帯だ。水場はないだろう。だからこそ追手は避けられるかもしれんが……」
「……あっち、ダメ。死ぬ。こっち」
ウルが小さな指で、地図の少し北側を指さした。
「北西の山沿い?」
「うん。『風走り』の民、あのへんに隠れ家、作ってる。水場、ある。……私の知り合い、いるかもしれない」
「『風走り』の里か。なるほどな、開拓会社の連中も手が出しにくい岩山地帯だ。次はそこを目指すか。『クロウ・リッジ』の集落を経由して、山沿いに入る」
黒鹿毛の雌が、荒野の冷たい風を吸い込んで鼻を鳴らす。俺は鞍の具合をもう一度確かめ、満天の星空を見上げた。
ステリオン・アームズ社(Stallion Arms Co.):
跳ね馬のマークで知られる新大陸シェアNo.1の銃器メーカー。頑丈さと推進力増幅(ドライブ)に長けた剛健な構造が特徴。
代表作である『パシファイア(pacifier)』の名前は『調停者』を意味する言葉だが、赤ちゃんのおしゃぶり、という意味もある