西部劇×ファンタジー ~長耳の不愛想娘と西へ旅する~ 作:ぬんぬ
『クロウ・リッジ』の街を北へ抜けて少し走ると、視界を巨大な赤褐色の岩山が埋め尽くした。
何万年もの風雨と地熱に削り出された断崖。その幾重にも重なる岩肌の裂け目こそが、フロストバイトが棲むと言われる峡谷の入り口だ。
俺は黒鹿毛の手綱を引いて足を止める。
「……ここまでだな」
ここから先は勾配も険しく、足場は崩れやすい細かい砂利と砕石に覆われている。騎乗では危険が大きい。
俺は鞍から下り、手綱を引いて風を避けられる大きな岩の窪みへと馬を誘導した。鞍の横に括り付けてあった水筒を外し重みを確かめる。
「首尾よくいったら、お前にもリンゴくらい食わせてやるからな。おとなしく待ってろよ」
黒鹿毛は賢そうな青黒い瞳で俺をじっと見つめ、ぬるい鼻息を一度だけ吐き出した。
「よし、行くぞウル。足元に気をつけろ」
「ん。……ダスティこそ」
ウルはコートの裾を片手で軽く持ち上げると、滑らかな動作で岩場を次々と跳び越える。足裏全体で着地し、音も立てずに次の岩へと移る技は、俺にはとても真似できそうにない。
そうして赤褐色の壁に挟まれた峡谷の中へ踏み込むと、風の質が見事に一変した。
照りつける太陽は今も頭上にあるというのに、峡谷の隙間を吹き抜ける風は身を切るように冷たい。日陰になった岩肌の根元をよく見ると、うっすらと霜がついている。
「冷たいマナ……ガルムの親玉、あっち」
前を行くウルが不意に足を止め、深く被ったフードの隙間から谷の奥を見つめて呟く。
「なぁ、さっきからお前、マナの流れでも見えてんのか?」
俺が尋ねるとウルは振り返り、不思議そうに青銀の瞳を瞬かせた。
「言ってなかった? ……わたしの目、魔獣とか、お前たちの銃の紋様とか、マナのチカチカした流れ、少し見える」
言われてみると、ガルムに襲われた際にも、ウルは明らかに先回りして出現箇所を指摘することがあった。
「それに……わたし、自然のこと詳しい。ガルムの親玉、追える」
ウルが自信ありげに、その小さな胸を大きく張る。
「いやぁ、ホント頼りにしてるぜ、小さなガイドさん」
俺が軽口をたたいてみせると、ウルは少し不満そうに口を尖らせる。
「むー、またバカにされてる? ……ダスティ、言葉と態度、バラバラ。むずかしい」
困惑するウルを見て、俺は堪え切れずに笑みをこぼした。
⬜︎ ⬜︎ ⬜︎
その後もウルの指示に従い、警戒しながらも渓谷を奥へと進む。
道中、冷たいマナの気配へ向かって伸びる湿った砂利の上に、先客の痕跡を見つけた。
靴底に刻まれた、深くて整った溝。ガリア王国陸軍のブーツに見られる特殊な滑り止め加工の跡。
「風下を確保しながら着実に進んでやがる。流石は元ガリア軍の精兵……ってとこかねぇ」
マリア・ヴァンス。装備や佇まいからも、間違いなくガリア陸軍・遠征旅団の出身だ。
見晴らしの良い高所の確保、間合いの管理、地形と風向きを計算し尽くした追跡術……そのどれもが、正規の訓練を受けたプロの業を感じさせた。
俺は屈み込み、足跡の沈み具合を指先で確かめた。おそらく俺たちより数十分前を歩いている。
「ダスティ。あの人、たぶん上の迂回路、通った」
ウルが指したのは、谷の側面にそり立つ切り立った赤褐色の岩棚だった。
谷全体を見渡せて、射線も通しやすい高所だ。安全に進むには合理的で隙のないルート選択と言える。
「……あの女に追いつくためには、多少の無茶もしなくちゃならない。俺たちは最短距離で突っ切るぞ」
俺はニヤリと笑うと、挑戦的な視線を向けてウルに問う。
「ウル、あそこの岩場。岩の脆さや風の抜け方を見て、渡り切れそうな足場を選べるか? 間違えれば、二人とも死ぬことになるが」
「……できる。通れるところ、教える。任せて」
「よし、お前にベットするぜ。先回りだ」
ウルのサバイバル経験に裏打ちされた地形の読解力は確かだった。崩れやすい砂利の層を避け、赤褐色の岩肌が強固に噛み合っているポイントだけを選んで跳び移っていく。
何度かヒヤリとする場面がありながらも、俺たちは危険な岩場を抜けて、再び平坦地へと躍り出た。
その瞬間、頭上の岩棚からパラパラと小さな砂利がこぼれ落ちてくる。
見上げると、そこには背中に『ウィンズロー M1853』を背負ったマリアが立っていた。
彼女は岩棚の端に片足をかけ、琥珀色の瞳を細めて俺たちを見下ろしている。
「……追いつかれるなんて。まさか、あの岩場を抜けてきたの? あんた、いい目をしてるじゃない」
マリアは立ち止まることなく、岩棚の上から軽やかに跳び下りてきた。ガリア軍衣のコートの裾が、冷たい風になびく。
「残念ながら、俺の力じゃあないさ。俺にはあんたと違って、頼りになる相棒がいてね」
俺は隣のウルの頭をわしゃわしゃと撫で、肩をすくめる。
彼女の視線が、俺の隣に立つウルの小さな姿へと滑る。マリアの琥珀色の瞳に、鋭い観察の色が宿った。
「その娘……ただの子供じゃなかったのね。荒野の自然を熟知してる。……先住民の血でも引いているのかしら?」
「さてね。俺の大事なガイド様だよ。それ以上の余計な詮索はやめてもらえるかい?」
俺が軽口で答えると、マリアはそれ以上追及せず、フッと口元を緩めた。
「まあいいわ。ウルちゃん……だっけ? さっきは子供扱いして悪かったわね。あんたたちの実力を見誤ったわ」
マリアは肩にかけた『ウィンズロー』のストラップを指先で軽く直すと、琥珀色の鋭い瞳を峡谷のさらに深部へと向けた。そして、思案を巡らすようにしばし目を細めた後、俺たちを振り返って言った。
「そうね。単刀直入に言うわ。……『フロストバイト』を狩るために、私と手を組まない?」
思わぬ提案に、俺は片眉を跳ね上げる。
「へぇ……どういう風の吹き回しだい?」
「勘違いしないで。別に一人で何か問題があるわけじゃないの」
マリアはそっけなく鼻を鳴らす。
「でも、フロストバイトが厄介な獲物であることは事実。……一人で追えば、仕留めたとしても無傷では済まない可能性もあるわ。そっちの優秀なガイドさんと……まあ、死なない程度に威嚇射撃ができる弾除け、いればより確実と思っただけよ」
「弾除け扱いとはたまげたが、そういう割り切った提案は嫌いじゃない」
俺は腰のリボルバーのグリップを撫で、掌の汗を無造作にズボンで拭った。
「で、賞金の配分はどうする気だ? 手配書によれば、クロウ・リッジの開拓委員会が出してる懸賞金は金貨十枚」
「簡単な話よ。五対五で山分け。金貨五枚ずつ」
マリアはあっさりとそう言いのけた。
「待て待て、計算が苦手なのか? こっちは俺とウルの二人だ。当然、三等分して一人当たり金貨三枚とちょっとってのが筋だろ!」
俺が指を三本立てて反論すると、マリアは心底可笑しそうに口元を歪めた。
「バカ言わないで。ガイド——ウルちゃんの力は認めるけれど、戦えるわけじゃない。あんたは道中、大して役に立たない。ふたり合わせてようやく一人前よ。だから五対五。嫌なら別に降りてもいいわ。無理強いはしない」
「……ちっ、口の減らない女だな。分かったよ。五対五で手を打とう」
俺が降参を示すように両手を軽く挙げると、隣でだんまりを決めていたウルが、俺のコートの裾をぐいぐいと引っ張った。
「ダスティ」
「なんだよウル。文句があるならあの女に直接言ってくれ」
「ちがう。実力、正しく評価すべき。ダスティ、まだ、何も働いてない。岩場抜けたの、わたしのおかげ」
ウルは澄み切った青銀の瞳で俺をじっと見つめ、淡々とした口調で容赦のない宣告を突きつけてきた。
「だから、マリアが五、わたしが四。ダスティが一。それで決まり」
「おい!? ウルお前、背後から身内を撃つような真似すんじゃねぇよ!」
思わず叫んだ俺に対し、マリアは声を上げて短く笑った。やがて楽しげに肩をすくめると峡谷の奥へと歩き出す。
「さあ、交渉成立ね。それじゃあ行きましょうか。無駄口を叩いている間に、獲物に逃げられたら元も子もないわ」
⬜︎ ⬜︎ ⬜︎
共闘を決めた俺たちは、ウルを先頭に峡谷のさらに奥へと足を進めた。
「あっち、足場脆い。……こっち」
ウルが小柄な身体でひょいひょいと岩場を跳ね、安全なルートを迷いなく指し示す。その後ろを、マリアが『ウィンズロー』を構えたまま油断のない足取りでついていく。
ウルの的確な先導と、マリアの隙のない警戒——二人の連携は驚くほど噛み合っており、俺たちは危なげなく峡谷の難所を突破していった。
だが、奥へ進むにつれて更に寒さが増す。日陰の霜どころの騒ぎではない。足元の砂利は完全に凍りつき、一歩踏み出すたびに「ガリガリ」と不快な音を立てて砕ける。
吐き出す息は真っ白な塊となって空中に消え、吸い込む空気が喉や肺を刃物のように刺す。寒さで指先の感覚が急速に失われていくのが分かった。
「おい、マリア……銃の機関部に気をつけろよ。この寒さだ、オイルが凍りついて動作不良を起こすかもしれん」
俺は息を殺しながら、腰の『パシファイア』を抜き、懐に入れて温める。
「ガリアの北方戦線に比べれば、この程度はマシな方よ」
マリアは眉ひとつ動かさず、手にした『ウィンズロー』を空撃ちし、撃針の動作チェックを済ませる。
「……いる」
突然、ウルが低い声で呟き、俺の背中にぴたりと身を寄せた。
彼女の長い耳がぴんと立ち、小さな体に緊張が走っている。青銀色の瞳が、行く手を遮る切り立った岩壁の先を凝視していた。
「冷たいマナ……近い。すぐ、そこ」
ウルの言葉を裏付けるように、突如として谷を吹き抜ける風が牙を剥いた。
ゴオ、と寒風が吹き荒れ、視界が一瞬白銀の闇へと塗り潰される。
寒波の波が肌を叩くどころではない。まるで目に見えない氷の壁が、こちらに向かって直接押し寄せてくるかのような圧迫感。
俺たちは大きく蛇行した岩壁の陰に身を滑り込ませ、息を殺してその先を窺った。
うねる岩の裂け目を抜けた先は、地殻変動で抉られたような巨大な袋小路が広がっていた。
周囲を十数メートルの氷壁に囲まれ、吹き溜まりとなったその最奥に……『王』は鎮座していた。
周辺に数匹のガルムが近衛のごとく侍っているが、それらをただの背景に変えてしまうほどの圧倒的な存在感が、中心の巨躯から放たれていた。
──デカい。
通常のガルムの倍以上、体長三メートルを超える、そびえ立つような威容。
毛並みは日光を跳ね返す白銀色に輝いているが、それは体毛そのものの色ではない。体内から溢れ出る異常な冷気が周囲のマナと水分を吸着し、体表全体が氷片を纏って怪しくきらめいている。
そして何より目を引くのは、その胸部中央、心臓のあたりだった。
体皮越しでもわかる、見る者を凍りつかせるような禍々しい青白色の光。間違いなく、高出力の『生体魔石』。あの化け物が放つ無尽蔵な冷気の源泉だ。
「……『フロストバイト』。噂通りの化け物ね」
俺たちの気配を察知したのか、白銀の王がゆっくりとその身を起こす。呼応した周囲の群れが一斉に低い唸り声を漏らし始めた。
グオオオオオオオオオオン……ッ!!
峡谷全体を揺るがすような、空気を凍てつかせる雄叫び。
同時に、肌を刺すような冷気の波が押し寄せた。俺の吐いた息が一瞬で真っ白く凍りつき、まるで煙のように足元へ沈んでいく。
「気づかれたわね!」
マリアが岩陰から躍り出ると同時に、『ウィンズロー』の引き金を引く。
死闘の始まりを告げる乾いた発砲音が、峡谷に響き渡った。
お盆が終わりますので、週一更新とさせていただきます。
毎週土曜の20時頃、更新予定です。