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本作は『カンロ×pixiv 空想果実小説コンテスト 〜雲海に潜む未知の果実『フワレム』の物語』への応募作です
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pixiv、ハメなろうカクヨム諸々にマルチ
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「祈り」という行為の起源は歴史を遡りきれないほど古く、人類が言葉や「死」への意識を持った先史時代──つまり、ネアンデルタール人の時代から旧石器時代にまで遡ると考えられている。
元はと言えば、死者の冥福を超自然的な存在へ願う行為だったのだ。
しかし形あるものは──いや、形のないものでも時が経つにつれてその在り様は変わっていく。
祈りの矛先が死者から生者へと向きを変えていったのだ。
後期旧石器の洞窟壁画に描かれた獣たち。新石器の集落から掘り出される無数の土偶。それらは装飾ではなく、儀礼の中で実際に用いられ、時に意図的に壊されて埋められた──産み、殖え、実ることへの願い。狩りと採集の暮らしが農耕に変わるにつれ、祈りは「畏れ」から「求め」へと重心を移していった。
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ところで「フワレム」という果実があるのをご存じだろうか。薄桃色の雲に包まれた林檎のような見た目をしている。
皮は薄く、爪を立てるまでもなく指の腹で裂ける。断面から覗く果肉は外皮の淡い桃色とは裏腹に濁りのない乳白色をしている。
口に含めば、まず来るのは甘味だ。蜜のように重たいそれが舌の上で解けきる前に追いかけるようにして酸が立ち上がる。林檎の実直な甘さと、さくらんぼの、あの熟れきる寸前の匂い立つような酸味。そこへ柑橘の皮を軽く爪弾いたときの香りが混ざり込み、鼻から抜けていく。
そして飲み下したあと、喉の奥にごくわずかな塩気が残る。汗の味に似ていると言う者もいる。果実にあるまじきその一滴が甘さを際立たせもし、後を引かせもするのだ。
もっともフワレムが尊ばれる理由は味ばかりではない。
一つ食べれば三日は他に何も要らないそうだ。人が生きるために必要なものがなぜかこの小さな実の中には過不足なく揃っている──まるで誰かが用意したかのように。
なぜ伝聞ばかりかといえば、私自身もこの実がどこから来て、なぜそんな力を持つのか──そういうことについては、私はとある人物から聞いた以上の知識を持たないからだ。
まあそのとある人物とは誰か、というのは後述するとして──。
さて、順番に話していくことにしようか。
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あれはもう二十年以上前の事になる。
あの頃の私は若く、体力にも自分の判断にも根拠のない自信を持っていた。
キンバリーはオーストラリア大陸の北西の端にある。面積は日本の倍以上もあるのに住んでいる人間は数万人という土地で雨季には河が溢れ、乾季には赤い岩と砂ばかりになる。ただし岩陰には四万年前とも言われる壁画が残っていて、私のような人間にはそれだけで行く理由として十分だった。
乾季の終わり、私は年代測定用のサンプルを採るために単独でそこへ入った。今なら大学が許可しないだろうし、私も学生には絶対にさせない。だが当時はそういうことが平気でまかり通っていたし、私自身、一人のほうが気楽だくらいに考えていた。
州都から北へ二日、地図に道が描かれていない領域に入って三日目の午後、乾いた河床を渡ろうとして車の腹を岩にぶつけた。嫌な音がした。降りて覗き込むと、冷却水が砂に吸われて黒い染みを広げているところだった。
無線は前日に岩の上へ落としてから雑音しか出さなくなっていた。衛星電話などまだ研究者個人が持てる値段ではない。誰かが通りかかる見込みは正直に言ってゼロだった。
残った水は二十リットルほど。南東へ歩けば二日で幹線道路に出られる、と私は計算した。日程を切り詰めたくて、来た道を戻るより近道を選んだのだ。この判断が全部を駄目にした。
方位磁針は狂っていなかったと思う。狂っていたのは距離の見積もりと、自分の脚への評価だった。赤い土、スピニフェックスの棘の茂み、たまに枯木。景色はいつまで経っても変わらず、目印にした岩山は歩いても歩いても近づかなかった。
二日目の夕方に水が尽きた。
その後のことは思い出そうとしても順番がはっきりしない。日中は岩陰でじっとして夜に歩く、というのを守れていたのは最初だけで途中からは暑いさなかに歩いていた記憶がある。舌が上顎に貼りついて、剥がすと血の味がした。妙に覚えているのはそんな細部ばかりで肝心の道筋はまるで思い出せない。
やがて汗が出なくなった。脱水の最終段階だ。皮肉なことにそういう知識だけはあった。
そうなってはじめて、私は自分が死ぬということを本気で考えた。
おかしな話だがそれまでは考えていなかったのだ。まずい、とは思っていた。だがそのまずさは実験に失敗したとか、財布を落としたとか、その延長線上にある種類のまずさだった。それがあの夕方、汗の止まった自分の腕を見下ろした瞬間、突然すり替わった。私はここで死ぬ。誰にも見つからず、水もなく、この赤い土の上で。
途端にみっともないほど狼狽した。
死にたくなかった。まだ何もしていない。論文も書きかけで母に手紙も出していない。好きだった人に何も言っていない。そういうものが一度に押し寄せてきて、私は乾ききった喉で何か喚きながら歩いた。歩いたというより、つんのめり続けたと言うほうが近い。膝が笑い、視界が傾き、それでも足を止めたら終わりだということだけは分かっていた。
そして私は生まれてはじめて本気で祈った。
信仰など持ったことはなかった。実家の宗派すらろくに知らない。研究対象としての宗教なら人並み以上に知っていたつもりだがそれはガラス越しに眺める知識であって、祈ったことは一度もなかった。その私が名前も知らない相手に向かって、助けてください、と繰り返していた。声はもう出ていなかったと思う。唇だけが動いていた。助けてください。何でもしますから。
だが当たり前の話だ。祈って助かるのなら、遭難という言葉は辞書に載っていない。
夜になる前に私は倒れた。転んだのではなく、電池が切れるようにすとんと崩れた。起き上がろうとして、腕に力が入らないことを確認して、それきり諦めた。地面はまだ昼の熱を残していて、頬に当たる土が生温かかったのを覚えている。
ああ、ここまでか──と思った。
世界は私が死のうがどうしようが構わず、ただ暗くなっていくだけだった。それが妙に腑に落ちて、狼狽がすうっと引いていった。諦念という言葉を字面ではなく、心から理解できた瞬間だったと思う。
どれほどそうしていたのか。
ふと、頬に何か冷たいものが触れた。
雪だ、と思った。乾季のキンバリーで気温は夜でも二十度を下らない。雪など降るはずがない。降るはずがないことくらい、朦朧とした頭でも分かっていた。それでも仰向けになった私の目に映ったそれは雪としか言いようがなかった。
薄桃色がかった白いものがいくつもいくつも音もなく舞い降りてくる。
月明かりの中をゆっくりと。ひどくゆっくりと。まるで落ちることを急いでいないかのようにふわり、ふわりと揺れながら降りてくる。そのひとつが伸ばすことすらできない私の手のすぐ横にぽとりと落ちた。
それは拳よりすこし大きい丸いものだった。
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私は視線を空へ向けた。
西の端にわずかに残った夕日を吸って、桃色とも金色ともつかない大きな雲がかかっていた。
ただ、あれが本当に雲だったのかどうか──二十年経った今でも自信がない。
そのときの私にはそれが巨大なクジラに見えたのだ。
丸い頭があり、背がゆるくうねり、尾に向かって細くなっていた。ひれのようなものが空を掻いてゆっくり動いてもいた。あの白いものたちはその腹のあたりからこぼれ落ちてきていた。
脱水の果ての幻覚だろう、と言われればそれまでだがあの時の私は幻覚かどうかなど考えもしなかった。雲がクジラの形をしていて、そこから雪が降ってくる。
クジラが空を泳ぎ去っていくのを私は呆然と見つめたものだった。
どれだけの時間が経っただろうか。日はすっかり沈んでしまっている。私はふと丸い何かに目をやった。どことなく林檎に似ている気がする。一つ持ってみると非常に軽い。まるで綿菓子かなにかのようだ。私の喉がごくりとなった。
鼻孔をくすぐる、この匂いと来たら!
桃を割った時の、あの噎せるような甘い匂い。そこに柑橘の皮を思わせる鋭さがひと筋通っていて、干からびた鼻の奥を突き刺してきた。
気づいた時には齧りついていた。
毒かもしれない、という考えが頭をよぎらなかったわけではない。だがどうせ死ぬのだ。それなら、いい匂いのするものを口に入れて死ぬほうがましだった。
歯を立てるまでもなく皮が破れて、果汁が溢れた。
甘い。
それしか分からなかった。味を分析する頭など残っていなかった。甘くて、冷たくて、噛むそばから水になって、ひび割れた口の中に染みていく。染みて、痛くて、それでも止まらなかった。私は泣きながら食っていたと思う。涙が出るだけの水分がどこに残っていたのか、いまだに不思議だが。
夢中で貪って、ふと、喉の奥にかすかな塩の味がした。
その一粒の塩気が腹の底に火を入れた。
胃に落ちたものがそこからじわりと熱に変わって広がっていくのが分かった。指の先まで血が通い直していく。さっきまで持ち上がらなかった腕が持ち上がる。干上がっていた眼球が潤って、月の輪郭がくっきりと結ばれる。
体を起こせた。
自分で起き上がれたことが信じられなくて、私はしばらく自分の両手を眺めていた。それから、地面に点々と落ちて月明かりに白く光っている実を一つ、また一つと拾っては食べた。
生き返る、という言葉があるがあれは比喩ではなかった。少なくともあの夜の私にとっては。
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夜が明ける前に私は動き出した。
散らばった実を拾い集め、荷袋に入るだけ詰め込む。機材はほとんど置いていくことにした。何十万ドルという値札のついた道具より、この軽い実のほうがよほど重要だ──その判断に迷いはなかった。
そして歩いた。
南東へ。何キロ歩いたのかは分からない。十や二十ではきかないはずだ。日が昇れば岩陰で休み、傾けばまた歩く。足が重くなり、頭の芯がぼやけてくると、袋から一つ取り出して齧る。すると嘘のように力が戻ってくるのだ。喉の渇きも──あれほど私を苛んだ渇きさえ、実を口にしている間はまるで感じない。
歩きながら、何度か声を出して笑った覚えがある。おかしかったわけではない。体の中に力があるということがただそれだけのことが笑いたくなるほどありがたかったのだ。
何日目だったろうか。
夕方近く、遠くに煙が見えた。
煙、それから木々の間に低い建物のようなもの。目をこすっても消えない。蜃気楼を疑うだけの冷静さは残っていたものの、近づくにつれて犬の吠え声が届き、人の姿が動くのも見えてくる。
結論から言えば、それはアボリジニの人々の集落だった。
助かった。
そう思った瞬間である。張り詰めていたものが切れたのだろう、体と気持ちを満たしていた力が栓を抜いたようにごっそり抜け落ちていく。膝から力が消え、私はその場にくず折れた。
薄れていく視界の向こう、いくつかの影がこちらへ駆けてくる。誰かが何かを叫んでいる。言葉は分からない。ただその声が慌てていて、心配の色をしていることだけは分かった。
大丈夫、と言おうとしたはずだが声になったかどうか。
そこで記憶は途切れている。
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目を覚ますと、樹皮葺きの屋根が見えた。
体の下には毛布が敷かれ、傍らに水の入った鉄鍋が置いてある。起き上がろうとすると、外にいた子供が飛び上がって、大声で誰かを呼びに走っていった。
さて、ここで少し説明が要る。
私は片言ながら、クリオールが話せた。クリオールというのはオーストラリア北部で広く話されている言葉だ。名前の通りクレオール言語の一種で植民地時代に英語とこの土地の諸言語が接触するなかで生まれた。単語の大半は英語から来ているから一聴すると英語に聞こえる。だが文法と発音の骨組みは先住民の言語のもので英語のつもりで聞いているといつの間にか話が噛み合わなくなる。キンバリーの共同体ではこれが日々の暮らしの言葉になっている。
私が多少なりともこの言葉を齧っていたのには単純な事情がある。岩壁画の調査というのは壁と岩だけを相手にしていれば済む仕事ではない。その土地に暮らす人々に話を聞けるかどうかで得られるものがまるで違ってくる。だから現地の言葉を覚えるのは研究者の心得というより準備の一部だった。とはいえ私の水準は挨拶と、買い物と、道を尋ねる程度。それでもあの時ほど学んでおいてよかったと思ったことはない。
やがて、子供に手を引かれるようにして老人がやって来た。
小柄で白い髭が胸まで伸び、目の周りの皺が深い。後ろにはおそらく私を運び込んでくれたのだろう、がっしりした体つきの青年が付き添っていた。老人は私の傍らに腰を下ろすと、しばらく無言でこちらを眺め、それからおもむろに口を開いた。
分からなかった。少なくともクリオールではない。後で知ったことだがそれはニャルジニ語という、この地域で古くから話されてきた言語のひとつだった。当時すでに話者は年寄りに限られつつあり、若い世代はクリオールで育つ。ひとつの集落の中で祖父の言葉と孫の言葉が違うのだ。
青年が横から、クリオールに直してくれた。
──どこから来た。何があった。
私はつっかえながら答えた。車が壊れたこと。歩いて道に迷ったこと。水が尽きて、倒れたこと。語彙が足りないところは身振りで補った。老人は口を挟まず、時折小さく頷きながら聞いていた。
そして空から降ってきたものの話になった。
大きな雲がクジラのように見えたこと。そこから白い実が降ってきたこと。それを食べたら力が戻ったこと。証拠を見せようと、私は部屋の隅に置かれていた自分の荷袋を引き寄せた。あれだけ詰め込んだのだ。まだ十や二十は残っているはずだった。
袋は嘘のように軽かった。
逆さにして振っても出てきたのは砂と、湿り気を帯びた甘い匂いだけ。溶けたのだ、としか言いようがなかった。まるで本物の雪ででもあったかのように跡形もなく。私は空の袋を握ったまま黙り込んだ。夢だったのか。いや、それなら私は何を食べて生き延びた。あの夜のことは初めから終わりまで幻覚だったのか。
だが老人は笑わなかった。疑う素振りも見せなかった。
空の袋と私の顔を交互に見て、それから袋に鼻を寄せ、残り香をゆっくりと吸い込む。深い皺の奥で目がすっと細くなった。老人は居住まいを正すと、私に向かって、一語一語を置くように短く何かを言った。
青年はすぐには訳さなかった。一度老人の顔を見て、確かめるような間を挟んでから、こちらに向き直った。
『大いなる精霊がお前を助けたのだ』
青年のクリオールはそういう意味のことを言っていた。
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老人の話は長かった。ニャルジニ語と、時折混じるクリオールと、青年のたどたどしい訳とを継ぎ合わせて、私が理解できたのはおおよそ次のようなことになる。
私が見たのはクジラではない。ムルングルという精霊だ、と老人は言った。
正直に言うと初めて聞く名前だった。
ワンジナやウングドといった、この地方の大きな精霊の名なら論文で読んで知っていた。だがムルングルの名はどの文献にもなかったはずだ。後で調べても分からず、結局、あの共同体の外では一度も聞いたことがない。あの土地の、あの人々だけの精霊なのだと思う。
老人が語ったのはこういう話だった。
昔、長い長い旱魃があった。川が干上がり、水場が割れ、大地の子らは草も獣も人もみな倒れて、死を待つばかりになった。それを見かねたムルングルは残された水をすべて呑み込んで腹に抱えたまま天へ昇った。地の上に水を置いておけば、じきに涸れて終わる。だから自分の腹に容れて、空から少しずつ返して回ることにしたのだ。雨とはそれだ、と老人は言った。
だが水をすべて呑んだ体はあまりに重くなった。もう二度と、地に降りることはできない。降りれば腹の水が一度に溢れて、今度は世界が流されてしまう。
『だからあの方は降りられないのだ。それでも地の上には雨を待てない者がいる。今まさに倒れて、死にかけている者が』
老人はそこまで言うと傍らで遊んでいた幼子を抱き上げて、私に見せた。
『母親というものはまだ歯のない子に食い物をやるとき、どうする。自分の口で噛んで柔らかくして、口移しに与えるだろう』
ムルングルも同じことをするのだ、と老人は言った。
『死にかけた子を見つけると、あの方は腹の水と大地の恵みを口の中で練り合わせ、実の形にして、雲の腹から落としてよこす。降りて抱いてやることの叶わない母親の、あれは口移しなのだ』
袋の底に残った砂をつまんで老人は言った。
『お前が拾ったのはフワレムだ』
フワレム──フとホの中間のような音で始まる、柔らかい響きだった。
意味を訊ねると、青年は額に皺を寄せて、口、与える、実、と切れ切れに訳してくれた。それ以上は彼の語彙の外だったらしい。後日、知り合いの言語学者に音写を見せて検討してもらったことも含めて言えば、現代の言葉に写すなら意味は多義にわたるものの、「天使に口づけされた果実」あたりが一番しっくりくるだろう。
ひとつだけ、と老人は指を立てた。
『あの方の目に映るのは飢え、死にゆく者だけだ。それ以外の者はあの方を見ることもできない』
私はその説明で自身の実におきた様々な出来事が腑に落ちてしまった。
研究者としての私は伝承と偶然が噛み合っただけだと言いたがっている。実際、同僚に話せば十人が十人信じてはくれないだろう。ましてや、写真も現物も何の証拠もないのだ。
だがあの実を食ったのは私だ。
私は信心深い性格ではまるでない。それでも自分の身に起きたことを起きなかったことにするほど不誠実にはなれなかった。
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集落には十日ほど世話になり、体力が戻ると青年が数日がかりで町まで送ってくれた。
それから帰国し、報告書を書き、失った機材の詫びを方々に入れて日常に戻った。遭難の顛末は聞かれれば話したが雲の話と実の話だけは長いあいだ誰にもしなかった。
どうせ誰も信じないだろうし。
そしてそれから約二十年──。
実は私はいまでも年に一度、キンバリーへ通っている。
もちろんあの時のような真似はしない。車は二台、通信機器は三系統、水と食料は日程の倍。行程は必ず複数人に共有する。学生には単独行を禁じておいて自分が破るわけにはいかないし、そもそももう、無茶のきく年ではない。
表向きの理由は調査だ。実際、壁画の仕事は続けているし、成果も出している。
だが本当の目的は別にある。乾季の終わりの夕方、私は決まって荒野に立ち、西の空を眺める。桃色に染まった雲が湧くたび、その輪郭に丸い頭をうねる背を探してしまう。
だが二十年あまり、一度もそれらしいものを見たことはない。少しだけ残念ではある──しかしそれでいいとも思うのだ。見えないことが満ち足りていることの証なのだから。それでも空を見上げるのをやめられないのだから人間というのは度し難いものだ。いや、この場合は私が強欲という事になるのだろうか。
ああ、そうそう、帰国後「フワレム」という言葉の意味を調べてみた事も話さねばなるまい。
まず頼ったのは例の言語学者の友人だった。オーストラリア諸語が専門で私の書き取ったフワレムという音写と、青年の切れ切れの訳──口、与える、実──を材料にいくつか仮説を立ててくれた。
最初に出てきたのはクリオール由来説だった。クリオールには英語のfull upから来た「フラップ」という語があって、腹が満ちる、満足する、という意味で使われる。そこに他動詞を作る語尾の「イム」がつくと、フラピム──満たしてやる、となる。フラピム、フワレム。音はたしかに近い。満腹にしてくれる実の名としてはこれ以上ないほど筋が通っている。
だが友人はこの説を自分で潰した。
クリオールは植民地時代に生まれた若い言語だ。ところが老人の口ぶりではフワレムの名は祖父の祖父よりもっと前から、ニャルジニ語の中にあったという。ならば英語由来の語が入り込む隙はない。似ているのは偶然か、あるいは後から音が寄せられたか、どちらかだろうと。
それより、と友人は妙なことを言った。
『この語、頭の音がおかしいんだよな』
私が「フとホの中間のような音」と書き取ったそれは音声学でいう両唇の摩擦音──唇を軽く合わせて息を擦らせる、日本語のフに近い音らしい。そしてオーストラリアの言語には本来、この手の摩擦音がまず存在しないのだそうだ。fもsも持たない言語が大半でそれはこの大陸の言語の際立った特徴として教科書に載るほどだという。
つまりフワレムという語はその土地の言語の音の体系から浮いている。周りのどの言葉とも口の使い方が違う。まるでその一語だけ、よそから紛れ込んだかのように──友人はそこで冗談めかして笑い、外来語なんじゃないか、と言った。どこの外だ、と私が訊くと、さあ、と肩をすくめた。
私は笑えなかった。
口を持たぬ土地の言葉たちの中にぽつんと一つ残された、唇を使う音。降りてくることのできない母親が落としていった実の名が人の唇の形をしている。考えすぎだと分かっている。分かってはいるのだが調べれば調べるほど、あの名前は正体を明かすどころか、静かに遠ざかっていくようだった。
結局、語源は分からずじまいである。
ただ、フワレム、と口に出すたびに気づくことがある。この名を正しく発音しようとすると、人は一度、軽く唇を合わせなければならない。
そう、口づけの形に。
(了)