紅い館の最奥にて。一人のヴァンパイアハンターと小さなヴァンパイアが向かい合う。ヴァンパイアハンターの片手には銀色の銃が握られており、その銃口は真っ直ぐにヴァンパイアの心臓へと向けられていた。
「あなたがレミリア・スカーレットであってる? 思っていた以上に小さいのね。幼児虐待をするようで心が痛むわ」
肩に合わせて綺麗に切り揃えられている真っ白な髪に、太陽のような橙色の瞳を持った女は、その軽い口調とは裏腹に鋭い殺意を瞳に宿らせ、強く銃を握っている。
そしてその銃口を向けられている吸血鬼は、その幼い外見に見合わない獰猛な笑みを浮かべている。
「ふふ、人間のくせに随分と偉そうな口を聞くのね。ここまで辿り着いたことは褒めてあげるけれど……少し、自分の立場を勘違いしているんじゃない?」
「立場?」
女はわざとらしく首を傾げた。
「獲物が狩人に銃を向けられている。とても分かりやすい状況だと思うけど」
「――ふふっ」
レミリアが小さく笑う。
銃口を向けられているというのに、その紅い瞳には恐怖の色など欠片もない。それどころか、まるでお気に入りの玩具を見つけた子供のように、女を眺めていた。
「面白いわね、あなた」
「どうも。遺言として覚えておくわ」
「名前は?」
「これから死ぬ相手に名乗る趣味はないの」
「あら、残念」
次の瞬間だった。女は迷わず引き金を引いた。乾いた銃声が緊張で張り詰めていた空間を震わせる。銀の弾丸が一直線にレミリアの胸へ飛び――その寸前で、彼女の姿が消えた。
「――っ!」
女は即座に身を翻す。
ほとんど反射だった。
直後、先ほどまで頭があった場所を小さな手が薙ぎ払う。
その小さな体にどれほどの膂力があったのか。空間が軋み、頭上からの暴風に冷たい汗が女の頬を伝う。
「へえ」
背後から、楽しげな声。
「今のを避けるのね」
「……速いじゃない」
女は床を蹴って距離を取りながら銃を構え直した。
軽口とは裏腹に、背中には冷たい汗が流れている。
見えなかった。
吸血鬼が人間より遥かに優れた身体能力を持つことなど知っている。これまで何匹も相手にしてきた。
だが、これは違う。
今まで狩ってきた吸血鬼とは、明らかに格が違う。
「少しだけ訂正してあげる」
レミリアが振り返る。その背から、蝙蝠を思わせる翼がゆっくりと広がった。
「あなたは狩人じゃない」
紅い瞳が妖しく輝く。
「私の館に迷い込んできた――一匹の獲物よ」
「…………」
一瞬の沈黙。やがて女は、小さく息を吐いた。
「そう」
銀色の銃を握り直す。そして口元に、わずかな笑みを浮かべた。
「だったら確かめてみれば?」
「あら?」
「どちらが獲物なのか――ね」
再び銃声。今度は一発ではない。二発、三発、四発。
レミリアは笑いながら身を翻し、銀の弾丸をかわしていく。
「ふふっ! 無駄よ!」
「でしょうね」
「――?」
レミリアの笑みが、ほんの僅かに止まった。
弾丸は一発たりとも彼女を狙っていなかった。
壁。柱。天井。そして床。
撃ち込まれた銀の弾丸から、細い光が伸びる。
それらは互いに結びつき、巨大な十字を描いた。
「捕まえた」
女が呟く。
瞬間、眩い光が広間を包み込んだ。
「――!」
初めて。
レミリア・スカーレットの顔から、余裕の笑みが消えた。
女はその一瞬を見逃さなかった。
懐からもう一丁の銃を引き抜き、レミリアの胸へ向ける。
「悪いわね、小さな小さな蝙蝠さん」
橙色の瞳に、先ほどまでの軽さはなかった。
「私は――あなたたちを殺すためだけに、生きてきたの」
引き金に指をかける。
「これで終わりよ、レミリア・スカーレット」
そして――
「――気に入ったわ」
「……え?」
光の中心。
追い詰められているはずの吸血鬼が。
再び、笑っていた。
吸血鬼にとって十字架や銀の銃弾は最大の弱点であり、ヴァンパイアを討伐する上では欠かせない重要なファクターである。女もそれを理解して、レミリアを銀の銃弾で作り出した十字架で雁字搦めに拘束したのだ。普通の吸血鬼ならこれだけで、死に至らしめる凶悪な技である。
しかし、この吸血鬼は普通ではなかった。
「――それで?」
「……え?」
女の指が止まる。
レミリアは拘束されてもなお、余裕そうに笑っていた。
苦痛に耐えているわけでも、強がっているわけでもない。
心の底から楽しそうに。
「これで私を捕まえたつもり?」
レミリアが一歩、踏み出した。
その瞬間、広間を満たしていた光が大きく揺らぐ。
「なっ――」
もう一歩。
銀の弾丸によって形作られた十字が軋み、光に亀裂が走った。
「嘘……」
ありえない。
これまで幾度となく吸血鬼を葬ってきた。どれほど力のある個体であろうと、この光の中では立っていることすらできなかった。
なのに。
三歩目。
甲高い音とともに、十字を形作っていた銀の弾丸が一斉に砕け散った。
光が消える。
その中心に立つ少女の姿には、傷一つない。
「なるほど。太陽の力を加えた銀に十字架……よく考えたものね」
レミリアは自らの服についた埃を払うように、胸元を軽く叩いた。
「少しだけ痛かったわ。もし私が普通の吸血鬼だったら、なすすべもなく消滅していたでしょうね」
「…………」
「でも残念」
紅い瞳が細められる。
先ほどまで楽しげだった笑みが、ほんの少しだけ形を変えた。
女の本能が警鐘を鳴らす。
逃げろ、と。
「あなたが今まで狩ってきた連中と――」
姿が消えた。
「私を一緒にしないでくれる?」
「――っ!」
声は、すぐ耳元から聞こえた。
振り向くより早く、女の身体が宙を舞う。
「がっ……!」
背中から床へ叩きつけられ、肺から空気が抜ける。鈍い痛みが背中からじわりと広がる。
しかし、それでも女は銃を手放さなかった。
倒れたまま銃口を向け、引き金を引く。
一発。
二発。
三発。
レミリアは避けない。
銀の弾丸を、小さな手で払い落とした。
「……化け物め」
「あら」
レミリアの笑みが深くなる。
「吸血鬼に向かって、今更でしょう?」
先ほどの一撃のダメージは、女が思っていたよりも深刻だった。背骨か肋の骨が折れているのだろうか。満足に呼吸することすらままならない。
人間と吸血鬼。
その生物としての差は、あまりにも大きい。
速さも、力も、頑丈さも。
何一つとして敵わない。
「……なるほどね」
女は床に手をつき、ゆっくりと身体を起こした。
「ようやく分かったわ」
「あら、何が?」
「あなたが随分と偉そうな理由」
震える脚に力を込める。
レミリアが僅かに眉を上げた。
「確かに強いわ。今まで狩ってきた吸血鬼とは比べ物にならない」
「今更気づいたの?」
「ええ」
女は、再び銃を構えた。
「だから――安心した」
「……?」
その言葉に、初めてレミリアが怪訝そうな顔をする。
「家族を奪った化け物たちを殺すために、私はずっと準備してきた」
懐へ手を伸ばす。
「その最後が、あなたみたいな相手なら――」
取り出したものを見て、レミリアの表情が変わった。
「全部使っても、後悔しない」
「…………」
女の手には、一発の弾丸が握られていた。
これまで使っていた銀の弾丸とは違う。
長い年月をかけて用意した、たった一発。
女はそれを銃へ装填する。
カチリ、と。
静まり返った広間に、やけに大きな音が響いた。
「まだやるつもり?」
「当たり前でしょう」
銃口が、再びレミリアの心臓を捉える。
「私はヴァンパイアハンターよ」
橙色の瞳が、真っ直ぐに紅い瞳を射抜いた。
「吸血鬼が目の前にいるのに――諦める理由がある?」
しばしの沈黙。
そして。
「……ふふ」
レミリアの口元が吊り上がった。
「やっぱり、あなた――」
「最高に面白いわ」
これで勝負がつく。
この一発の銃弾が当たるか、当たらないか。
女が手に取った特殊な銃弾は先ほどまでの銀の銃弾とは、訳が違った。
異常なまでに魔力を詰め込められたこの銃弾は、おそらくレミリアに掠っただけでも、致命傷となる一撃だ。
しかし、掠っただけではこの紅い悪魔を殺すのは不可能だろう。
確実に殺すためには、やはり心臓を撃ち抜く他になかった。
「さぁ、最終局面といったところかしら」
自分が殺される可能性が出てきたにも関わらず、レミリアは楽しそうに次の瞬間を今か今かと待ち焦がれていた。
「随分と余裕そうね」
「強者というものは、常に慢心と共に挑戦を受けるものよ?」
「そう」
女は静かに息を吐く。
「なら、その慢心と共に地獄に堕ちろ」
銃声が響いた。
レミリアの姿が消える。
当然だった。
どれほど強力な弾丸だろうと、当たらなければ意味はない。
そして女には、レミリアの動きを目で追うことすらできない。
ならば――見る必要などない。
「そこね」
女は振り返らなかった。
銃口だけを、自らの背後へ向ける。
「――!」
バンバンバン!
三発もの通常の銀弾が、誰もいないはずの空間へ放たれる。
その直後。
そこへレミリアが現れた。
「なっ――」
初めて聞く、レミリアの驚愕の声。
弾丸が肩に腕に足に当たったのだ。
女はレミリアの動きを完全に見切っていた。
速さでは勝てない。
反応でも勝てない。
ならば、レミリアがどこへ動くのかを予測すればいい。
レミリアにとってその弾丸による傷は、数秒すれば治ってしまう気にも留めないかすり傷だ。
しかし、ほんのわずかに生まれた小さな隙。
それだけで十分だった。
一発しかないこの魔弾を確実に当てるためには、リスクを取ってでも距離を詰めなければならない。
女が床を蹴る。レミリアが体勢を立て直すより早く、その懐へ飛び込んだ。
右手には、最後の一発を装填した銀色の銃。
距離は、ほとんどない。
銃口がレミリアの胸へ押し当てられる。
「さようなら」
「――っ!」
引き金が引かれた。
轟音。
閃光。
そして。
鮮やかな紅が、宙を舞った。
「…………」
「…………」
二人の動きが止まる。
女の橙色の瞳が、大きく見開かれた。
当たった。
間違いなく。
銃口から放たれた一撃は、レミリアの身体を捉えていた。
だが。
「……惜しかったわね」
耳元で声がした。
「……え?」
銃口は、心臓から僅かに逸れていた。
あと少し。
本当に、あと少しだった。
「ほんの少しだけ――」
レミリアの紅い瞳が、すぐ目の前にある。
「私の方が速かった」
小さな手が、女の胸元に触れる。
「――ぁ」
次の瞬間。
女の身体が広間の端まで吹き飛ばされた。
銃が手から離れる。
床を転がり、ようやく止まったときには、指一本動かす力さえ残されていなかった。
「…………く……」
それでも。
女は床を這うように手を伸ばす。
その先には、銀色の銃。
届かない。
あと少しなのに。
「まだやるの?」
靴音が近づいてくる。
一歩。
また一歩。
「……当然……でしょう……」
震える指先が、床を掻く。
「私は……殺さないと、いけない……! お前たちを必ず……!」
歯を食いしばり、必死に銃へと手を伸ばす。
だが、その意思は及ばず。
やがて、その手のすぐ傍で靴音が止まった。
女はゆっくりと顔を上げる。
レミリアがいた。
先ほどの銃撃によって服には大きな穴が空き、その下には赤黒い血がとめどなく溢れている。致命傷のはずだ。まともに立てる訳がない。
しかし、立っている。
自分は倒れ。
吸血鬼は立っている。
それだけで、勝敗は明らかだった。
「……殺しなさいよ」
女は悔しそうに呟いた。
「負けたんだから……早く」
「嫌よ」
「…………は?」
あまりにも即答だった。
女は思わず顔を上げる。
レミリアはしゃがみ込み、倒れた女と視線を合わせた。
「言ったでしょう?」
そして。
紅い悪魔は、今までで一番楽しそうに笑った。
「あなた――気に入ったって」
「…………」
「名前」
「……何?」
「まだ聞いていないわ」
女はしばらく黙っていた。
やがて、レミリアを睨みつけたまま口を開く。
「……教えると、思う?」
「あら」
「言ったでしょう。これから、死ぬ相手に名乗る趣味はないって」
「でも、私は死ななかったわ」
「なら、余計に教える理由がないわね」
レミリアは目を瞬かせる。
そして――楽しそうに笑った。
「ふふっ。そう」
「何がおかしいのよ」
「いいえ。ますます気に入っただけ」
レミリアはゆっくりと手を伸ばす。
女は反射的に身を退こうとした。
しかし、身体はもう動かない。
「……何をする気?」
「決めたの」
小さな手が、女の頬に触れる。
「あなたは殺さない」
「…………」
「その代わり――」
紅い瞳が、妖しく輝いた。
「これからは私のものよ」
「……は?」
その言葉の意味を問い返すより早く、女の意識は闇へと沈んだ。
次に目を覚ましたとき。
最初に感じたのは、喉の渇きだった。
「――っ」
女はゆっくりと目を開く。
見知らぬ天井。
身体を起こそうとして――違和感に気づいた。
「なに……これ……」
身体が軽い。あれほど傷ついていたはずなのに、痛みがほとんど消えている。
それだけではない。
音が聞こえる。
遠くを歩く誰かの足音。
風が窓を撫でる音。
そして――。
「おはよう」
「――!」
聞き覚えのある声。
女は勢いよく振り向いた。
「レミリア……!」
致命傷を与えたはずだった彼女の胸の穴は、すでに塞がっていた。
その事実に、言いようのない悔しさと、虚しさが襲ってくる。
「あら。元気そうね」
「何を……したの」
レミリアは答えない。
ただ、ベッドの傍らに腰掛け、楽しそうに女を眺めている。
「私に……何をしたの!」
「そうね。それを説明する前に――」
紅い瞳が細められた。
「名前を教えてくれる?」
「……ふざけないで」
「名前を教えなさい」
「だから誰が――」
そこまでだった。
「…………っ?」
言葉が。
勝手に喉から出ようとする。
女は両手で口を押さえた。
「なに……これ……!」
必死に抗う。
言うな。
絶対に言うな。
こいつの命令になんて従うな。
そう思っているのに。
身体が。
自分の身体が、自分の意思を聞いてくれない。
「やめ……」
レミリアは何も言わない。
ただ静かに待っている。
「わた、しは……」
女の瞳が見開かれる。
そして。
「……イリス」
口から零れ落ちた。
「イリス……クロイツ……」
沈黙。
女自身が、誰よりも驚いていた。
「…………」
やがてレミリアが微笑む。
「イリス」
初めて。
紅い悪魔が、その名を呼んだ。女の全身に鳥肌が立つ。
「いい名前ね」
「……何をしたの」
イリスの声が震える。
レミリアはそんな彼女を見つめながら、当たり前のことを告げるように答えた。
「簡単なことよ」
紅い瞳が細められる。
「あなたを、私の眷属にしたの」
その言葉を聞いた瞬間、イリスの体に悪寒が走る。
すぐに自分の身体の隅々まで意識を巡らせる。
呼吸。
鼓動。
視界。
聴覚。
どれも自分のもののはずなのに、どこかが違う。
今まで人間として生きてきた自分とは、決定的に何かが変わってしまっている。
「……嘘」
声が震えた。
「嘘よ……」
認めたくない。
認められるはずがない。
吸血鬼を憎み、吸血鬼を狩り、そのためだけに生きてきた。
なのに。
その自分が今、最も憎んでいる吸血鬼の血に繋がれている。
「ふざけないで……」
イリスは自分の身体を抱くように腕を回した。
「戻して」
「無理ね」
「戻しなさいよ!」
叫び声が部屋に響く。
レミリアは微動だにしなかった。
「私を……人間に戻して!」
「嫌よ」
「――っ」
また。
あまりにも簡単な拒絶だった。
イリスは俯く。
怒りとも、悔しさとも違う。
胸の奥に、これまで感じたことのない感情が沈んでいく。
「……最悪」
掠れた声が零れた。
「こんなの……最悪よ……」
レミリアはしばらく何も言わなかった。
やがてベッドから立ち上がる。
「好きなだけ私を恨みなさい」
「…………」
「殺したいなら、それでも構わないわ」
イリスが顔を上げる。
レミリアは扉へ向かいながら、振り返った。
「でも覚えておきなさい、イリス」
紅い瞳が、真っ直ぐに彼女を射抜く。
「あなたはもう、私の
「…………」
「少なくとも――あなたが私から自由になるまではね」
扉が閉まる。
一人残された部屋で、イリスはただ拳を握り締めた。
「……絶対に」
震える声で呟く。
胸の中に滾る憎悪と怨嗟をのせて。
「絶対に、あんたを殺してやる」
その日。
ヴァンパイアハンター、イリス・クロイツは敗北した。
そして同時に――
紅魔館での、長い長い生活が始まった。
憎き吸血鬼の眷属として。
いつかその呪縛を破り、レミリア・スカーレットの心臓に、今度こそ自らの銃弾を撃ち込む。
その復讐を胸に誓った。
かっこいいレミリアをかけたと思う。
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