幼き月に、復讐を   作:烏兎 満

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かなり筆が進む


第二話 悪魔の巣窟、紅魔館

 

 レミリアが部屋を出て行ってから、イリスは抑えられない憎悪を胸に閉じ込め、これからのことについて思考を巡らせていた。

 吸血鬼が人間を眷属にすることは、吸血鬼の勢力を広げていくための重要な手段として有名だ。眷属とはつまり、半吸血鬼となることと同義である。だが、半吸血鬼といっても寿命が吸血鬼と近くなる以外はあまり変わらない。ただ、主人である吸血鬼には逆らうことはできなくなってしまう。

 先ほどのイリスが無理やりに名前をレミリアに教えてしまったことがいい例だろう。つまり、今のイリスはレミリアに「死ね」と命じられれば、自ら命を絶たなければならない。どれだけ憎もうと、どれだけ拒もうと、主人から下された命令には抗えない。

 

 ――最悪だ。

 

 奥歯を噛み締める。

 殺すためにここまで来た相手に敗れた。それだけなら、まだよかった。命を奪われる覚悟など、とうの昔にできていた。

 だが、殺されるどころか生かされ、そのうえ自分が最も憎む存在の眷属にされた。

 

 これほどの屈辱があるだろうか。

 

 けれど、怒りに任せて再びレミリアへ襲いかかるほど、イリスも愚かではなかった。一度戦って、その実力差は嫌というほど理解している。まして今は眷属だ。正面から刃を向けたところで、命令一つで止められる可能性すらある。

 

 ならば、考えなければならない。

 

 イリスはゆっくりと目を閉じた。

 

 ――私は、どこまであいつに逆らえない?

 

 命令には逆らえない。それは間違いない。

 

 だが。

 

 レミリアはまだ、自分に一つも命じていない。

 

 『私を殺すな』とは。

 

 橙色の瞳が、静かに開かれる。

 胸の奥で燃え盛っていた憎悪が、ほんの少しだけ形を変えた。

 

 焦る必要はない。

 

 今日が駄目なら明日。明日が駄目なら一年後。それでも駄目なら十年後。

 皮肉なことに、今の自分にはその時間すらある。

 あの吸血鬼自身が与えた、この呪われた身体のおかげで。

 

「……殺してやる」

 

 誰もいない部屋で、小さく呟いた。

 

「いつか必ず、お前を殺す。レミリア・スカーレット」

 

 そのためなら、この館で飼われることすら受け入れよう。

 

 従順な眷属を演じてもいい。

 

 あの吸血鬼のすぐ傍で、その弱点を探し続ける。

 

 そしていつか。

 

 主人の喉元へ刃を届かせる、その日まで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 決意を新たに、まずはこの紅魔館について知らなければならない。

 この館は名前の通り壁面が真っ赤に染め上げられており、なんとも趣味の悪い外観をしている。吸血鬼が住んでいるためか窓も少なく、ジメジメとした印象を受ける。

 

 そして、この館を守っている門番もいる。

 

 イリスは最初、その門番を倒してから紅魔館に侵入していたのだ。

 あの門番はなかなかに手強かった覚えがある。飛び道具を持つイリスが有利だったこともあり勝利することはできたが、もし近接戦を仕掛けられていれば、おそらく倒されていたのはイリスの方だっただろう。

 

 単純な身体能力だけなら、明らかに向こうが上だった。

 

 それでも勝てたのは、相手がこちらの戦い方を知らなかったことと、何よりイリス自身が吸血鬼との戦闘を想定して、遠距離から仕留める術を磨いてきたからだ。

 

 次に戦っても勝てる。

 

 ――などと楽観視できる相手ではない。

 

 それに、あの門番だけではない。

 

 この館には、自分がまだ知らない何かがある。

 

 昨日のイリスにとって、紅魔館とはただレミリア・スカーレットを殺すために乗り込む敵地でしかなかった。館の構造も、そこに何人住んでいるのかも、どんな者がレミリアに仕えているのかも、十分に把握しているとは言い難い。

 

 そもそも、この館についての情報は一切出回っていなかった。大体が門番に返り討ちにされてしまうことと、あのレミリアと相対して生き残れたものはいないからだと思われる。

 

 今思えば、随分と無謀なことをしたものだ。

 

 復讐心を頼りに敵地へ飛び込み、門番を突破し、そのまま館の主人に挑んだのだから。

 

 そして、その結果が今の自分だ。

 イリスは忌々しげに自らの胸元へ手を当てる。

 同じ失敗は、二度としない。

 レミリアを殺すためには、まずこの館を知らなければならない。

 構造。住人。警備。そして、レミリアの生活。

 何を好み、どこで過ごし、いつ眠り、いつ一人になるのか。

 知らなければならないことは山ほどある。

 ならば、いつまでもこの部屋で考え込んでいるわけにもいかない。

 

 とりあえず、ベッドから這い出る。

 ベッド脇のテーブルの上には自分の獲物である銀の銃が二丁置いてあり、ご丁寧に弾までもが置かれている。

 

 今すぐにでもレミリアを殺しに行きたいが、その衝動をグッと我慢する。

 それにしても、あの吸血鬼は殺されたいのだろうか?

 先程まで殺し合っていた相手に武器を残しておくなど正気とは思えない。それとも、自分に武器を与えても殺せるはずがないと高を括っているのか。慢心にも程があるが、実際レミリアの命令に逆らえないので、その慢心を否定しきれないのが腹立たしい。

 

 仮に今すぐこの銃を持ってレミリアのもとへ向かったとしても、「撃つな」と一言命じられれば、それだけで終わる。

 

 それ以前に――。

 

 イリスはテーブルの上の銃を一丁手に取った。

 使い慣れた銀の重みが手のひらに戻ってくる。

 たとえ命令による拘束がなかったとしても、昨日の戦いで勝てなかった相手に、同じように挑んで結果が変わるはずもない。

 

「……舐めやがって」

 

 小さく吐き捨てる。

 殺せるものなら殺してみろ。

 まるで、そう言われているようだった。

 イリスは銃の状態を確かめると、慣れた手つきで腰のホルスターへ収めた。もう一丁も同じように反対側へ差し込む。

 

 武器を取り上げないというのなら、こちらとしても都合がいい。

 

 もっとも、それすらレミリアの掌の上なのだと思うと、腹立たしくて仕方がなかった。

 

「……気に食わない」

 

 そう吐き捨てて、イリスは部屋の扉へと向かった。

 まずは、この館を見て回ることにしよう。

 

 

 

 

 

 

 廊下は長く、やはり赤を基調としていて薄暗い。窓がほとんどないため、今が昼なのか夜なのかもわからない。

 さて、どちらへ行くべきか。

 イリスは左右に伸びる廊下を見比べた。

 

「…………」

 

 どちらも同じに見える。

 昨日はレミリアを殺すことしか頭になかったため、館の構造などほとんど覚えていない。

 

「……面倒な館」

 

 とりあえず右へ進むことにした。

 

 廊下を歩いていると、小さな子供に羽が生えたような不可思議な生き物が目に映る。確かあれは妖精と呼ばれる存在であったと記憶している。自然や生命力が具現化した存在である。

 何故こんなにも妖精がいるのか、イリスは首を傾げたが妖精の服装を見て納得する。

 妖精たちはどれもメイドのような服を着用しており、どうやらこの妖精たちはこの館の使用人のような役割を果たしているようだ。

 

 妖精たちはイリスを視認すると、何やらコソコソと話し合っている。

 

「……鬱陶しい」

 

 イリスが睨みつけると、妖精たちは揃ってびくりと身体を震わせた。それでも視線だけは外そうとしない。

 

「なに」

 

 痺れを切らしたイリスが声をかける。

 すると妖精たちは互いの顔を見合わせ、誰が答えるのかを押し付け合うように小声で何かを言い合い始めた。

 

「言いたいことがあるなら、さっさと言って」

 

「ひっ」

 

 その中の一人が、仲間たちに背中を押されて前へ出された。

 おそるおそるイリスを見上げる。

 

「あ、あの……昨日、門番さんを倒した人ですよね?」

「だったら?」

「…………」

 

 妖精は一歩後ずさった。

 

「それで、お嬢様を殺しに来た人……」

「そうだけど」

 

 今度は妖精たち全員が一斉に後ずさった。

 その反応にイリスは眉をひそめる。

 

「何なのよ」

「だ、だって! なんで普通に歩いてるんですか!?」

「それは私も知りたい」

 

 心の底からそう答えた。

 イリスは頭の弱そうな妖精たちに道を尋ねるのも気が引けたが、自分よりもこの館を知っているはずだ。

 

「ところで、ここはどこ? この館のことについて話してくれると嬉しいんだけど」

「え?」

 

 妖精はイリスの問いにキョトン、と不思議そうにする。

 

「………何よ?」

「もしかして迷子さんですか?」

「殺すわよ」

 

 妖精から小馬鹿にされたような気がして、ホルスターに手をかけると妖精たちは悲鳴をあげながら散り散りに逃げて行った。

 

 その騒ぎを聞きつけてきたのか、赤い髪に東国特有の独特な衣装を身に纏った女が姿を現した。

 

「あれ? 何の騒ぎですか?」

 

 聞き覚えのある声だった。

 イリスは反射的に腰の銃へ手を伸ばす。

 忘れるはずもない。

 昨日、紅魔館の門前で戦った女だった。

 

「あ」

 

 向こうもイリスに気がついたらしい。

 互いの視線がぶつかる。

 

「…………」

「…………」

 

 一瞬の沈黙。

 先に口を開いたのは女の方だった。

 

「おはようございます」

「…………は?」

 

 あまりにも普通の挨拶に、イリスは思わず間の抜けた声を漏らした。

 

「……………おはようございます」

 

「聞こえてるわよ」

 

 そういう意味ではない。

 昨日あれだけ派手にやり合った相手を前にして、どうしてそんな平然としていられるのか。

 イリスには理解できなかった。

 女はそんなイリスの様子など気にした様子もなく、逃げていった妖精たちの方へ視線を向ける。

 

「それで、何をしてたんです?」

「別に。あいつらにこの館のことを聞こうとしただけよ」

「それでどうして悲鳴を上げながら逃げていくんですか」

「殺すって言ったら逃げた」

「そりゃ逃げますよ」

 

 即答だった。

 イリスは不満げに眉を寄せる。

 

「撃ってないでしょ」

「そういう問題じゃないんですけどねえ……」

 

 女は困ったように頬を掻いた。

 

「あなた、あの吸血鬼から私についてどこまで教えられているの?」

 

 イリスは懐から銃を取り出すと、門番に向かって突きつける。

 尋問の開始である。

 

 唐突な命の危機に、紅魔館の門番ーー紅美鈴は、あまりに物騒な展開に苦笑いを浮かべる。

 

「えーと、そうですね。お嬢様からは仲良くしてやってほしい、と伝えられていて少し挨拶でもしようかなって思っていたんですけど………」

 

 門番の言葉を受けて、イリスは思考を巡らせる。

 

 仲良くしてやってほしい。

 

 随分と呑気な話だ。

 自分はこの館の主人を殺すためにやって来た侵入者であり、つい昨日には目の前の女とも殺し合っている。

 そんな相手を捕らえたというのに、レミリアから出た言葉がそれだけとは到底思えない。

 

「……それだけ?」

「それだけ、と言いますと?」

「私が何者なのか。どうしてここにいるのか。あいつから何も聞いてないの?」

「特には何も」

 

 美鈴はそう答えると、突きつけられた銃口をちらりと見た。

 

「まあ、お嬢様を殺しに来た人だっていうのは、私も身をもって知ってますけど」

「…………」

 

 どうやら嘘を吐いているようには見えない。

 少なくとも、レミリアは自分が眷属になったことまで詳しく話してはいないらしい。

 

 何を考えている。

 

 イリスには、あの吸血鬼の意図が分からなかった。

 

 自分を生かしたことも。

 

 眷属にしたことも。

 

 武器を返したことも。

 

 そして今度は、昨日まで敵だった者たちに「仲良くしてやってほしい」ときた。

 

 まるで――。

 

 最初から自分がこの館に馴染むことを疑っていないかのような。

 

「……気持ち悪い」

「えっ、私ですか?」

「あなたじゃない」

「それならよかったです。まぁ、お嬢様は確かに何を考えているかわからない方ですからねぇ。気持ちはよくわかります」

「……従者がそんなこと言っていいの?」

「本人の前では言いませんから」

「そういう問題?」

 

 昨日まで殺し合っていた相手とは思えないほど気の抜けた会話に、イリスは毒気を抜かれたような思いだった。

 

「それで?」

「はい?」

「私、この館のことを何も知らないの。あなた、門番なんでしょう?」

「ええ、一応」

「なら案内して」

「……それ、銃を突きつけながらお願いすることですか?」

 

 言われて、イリスは未だ美鈴へ向けていた銃を見る。

 

「…………」

「…………」

 

 銃をホルスターへ戻した。

 

「これでいい?」

「もう少しこう、言い方というものがあると思うんですけどねぇ……」

「…………」

 

 イリスは美鈴を無言で見つめる。

 

「……分かったわ。案内してくれる?」

「はい。それなら喜んで」

 

 満足そうに頷く美鈴を見て、イリスは小さく息を吐いた。

 

「そういえば、まだ名前を聞いてなかったわね」

「ああ、そうでしたね。昨日は名乗っている余裕なんてありませんでしたし」

 

 美鈴はイリスへ向き直る。

 

「紅美鈴です。この紅魔館で門番をしています」

「紅美鈴……」

「美鈴でいいですよ」

「分かった。美鈴」

 

 聞き慣れない名を記憶する。

 昨日までは、ただの『門番』だった。

 だが、この館について知るつもりなら、住人の名前や役割も覚えておく必要がある。

 

「あなたは?」

「…………イリス」

「イリスさん、ですね」

 

 仲良くするつもりはない。

 だが、この女から得られる情報は多いはずだ。

 今はそれで十分だった。

 

 美鈴に案内され、紅魔館の大体の構造について把握した。

 

 外から見ても大きな館だとは思っていたが、実際に歩いてみると想像以上に広い。数多くの客室や使用人たちの部屋、食堂に厨房。さらには地下へと続く階段まである。

 

 もっとも、一度案内されただけですべてを覚えられるほど単純な造りでもない。

 それでも、昨日まで何も知らなかったことを考えれば十分な収穫だった。

 イリスは歩きながら、頭の中で通ってきた道を組み立て直す。

 どの廊下がどこへ繋がっているのか。

 出入口はいくつあるのか。

 そして――レミリアの部屋まで、どの道を通れば最も早く辿り着けるのか。

 

「……ちゃんと聞いてます?」

「聞いてるわ」

「ならいいんですけど。そういえば、イリスはこれからこの館で何をするんですか?」

「……さぁ? アイツが何をしたいのか私にはさっぱりわからないわ」

 

 考えてみればレミリアは自分をどうしたいのかわからない。恨みなさい、と酔狂なことを言っていたが、だからと言って自分の立場はどのようになるのか? まさか、奴隷のように使われるのだろうか。いや、確かに現実的な話だ。あの吸血鬼はイリスのことをきっと面白い玩具が手に入ったと思っているに違いない。

 

 自分のこれからの扱いに眉を顰めていると、背後から妖精メイドが美鈴に声をかけた。

 

「美鈴さん! お嬢様がイリスさんを連れてくるようにって!」

 

 妖精メイドはそれだけ伝えると、忙しそうに来た道を戻っていった。

 

「……だそうですよ」

「聞こえてたわ」

「噂をすれば、ですね」

 

 美鈴はそう言って歩き出す。

 

「お嬢様のところまで案内しますよ」

「場所ならさっき教えてもらったけど」

「また迷子になられても困りますから」

「…………」

 

 イリスが睨むと、美鈴は何事もなかったかのように前を向いた。

 

 どうにも、この女は苦手だ。

 

 強いくせに妙に気が抜けていて、敵意を向けても暖簾に腕押しというか、まともに取り合っているこちらが馬鹿らしくなってくる。

 イリスは小さく息を吐き、美鈴の後を追った。

 しばらくして辿り着いたのは、先ほど案内された館の一室だった。

 美鈴が扉を軽く叩く。

 

「お嬢様、イリスを連れてきました」

「入りなさい」

 

 扉の向こうから、聞きたくもない声が返ってくる。

 それを聞いた瞬間、先ほどまで幾分か落ち着いていた胸の奥に、再び黒い感情が滲み出した。

 

 イリスは無意識に腰の銃へ手を伸ばしかけ――止める。

 

 今はまだ、その時ではない。

 

「それじゃ、私は門番の仕事に戻りますね」

 

 美鈴はそう言い残して去っていく。

 イリスは一人、扉の前に残された。

 

「…………」

 

 できることなら、このまま踵を返したい。

 だが、呼び出された以上はそうもいかない。

 イリスは扉を開けた。

 

「遅かったわね」

 

 部屋の奥で、レミリアは待っていた。

 紅茶を片手に優雅に飲みながら、こちらの様子を楽しんでいる。

 

「呼びつけておいて第一声がそれ?」

「あら。主人を待たせたのだから当然でしょう?」

「誰が主人よ」

「私よ」

 

 即答だった。

 イリスの眉間に皺が寄る。

 レミリアはそんな反応を楽しむように小さく笑うと、手にしていた紅茶のカップを置いた。

 

「ちょうどいいわ。あなたに、この館での仕事を与えようと思っていたところなの」

「……仕事?」

「ええ」

 

 嫌な予感がした。

 レミリアは椅子に深く腰掛けたまま、当然のことのように告げる。

 

「今日から、私の執事になりなさい」

「…………」

 

 沈黙。

 

「…………は?」

 

 ようやく出てきた言葉は、それだけだった。

 

 

 

 

 




美鈴さんが優しすぎて泣ける。

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