「今日から私の執事になりなさい」
「…………は?」
あまりの唐突なレミリアの発言に、イリスの口から間抜けな声が出る。
「名案だと思わない? 私の身の回りの世話をする人が欲しかったのよ。美鈴は門番の仕事があるから任せられないし」
「いや、ちょっと待って」
イリスは額を押さえた。
何かがおかしい。いや、何もかもがおかしい。
「どうして私があんたの世話なんかしなきゃいけないの」
「随分な言い草ね。勝手に押しかけてきたのは、あなたでしょう?」
「…………は?」
あまりにも迷いのない返答に、イリスは目を瞬かせた。
「私を殺しにこの館まで乗り込んできたのはあなたじゃない。私は招待した覚えなんてないわよ」
「……あんたたちが」
低く漏れた声に、レミリアが眉を上げる。
「あんたたち吸血鬼がいなければ、私はこんなところまで来てない」
イリスは拳を強く握り締めた。
「私の家族を殺したのも吸血鬼よ。全部奪っておいてっ! 今度は私にあんたの世話をしろって?! ふざけんな!」
「それを私に言われても困るわね」
返ってきたのは、あまりにも軽い言葉だった。
「あなたの家族を殺したのは私じゃないもの」
レミリアは悪びれる様子もなく頬杖をつく。
「吸血鬼が嫌いなのは好きにすればいいわ。でも、どこかの誰かがしたことまで私に押しつけられても困るのよ」
「同じ吸血鬼でしょうが!」
「だから?」
「……は?」
「あなたの家族を殺したのは私じゃない。それだけの話でしょう?」
「っ……!」
「ふふ、私を恨みたいなら好きにすればいいわ。殺したいなら、それでも構わない。でも――」
レミリアは何でもないことのように言う。
「今のあなたは私のもの。従うのが道理じゃなくて?」
「っ!」
余裕たっぷりな顔でこちらの様子を楽しんでいるその態度に、イリスは奥歯を噛み締める。
今すぐその澄ました顔に拳を叩き込んでやりたい。
だが、そんなイリスの憎悪を意にも介さずレミリアは満足そうに笑った。
「というわけで、今日からよろしくね。執事さん」
「…………」
よろしくするつもりなど毛頭ない。
だが、ここで何を言ったところで、この吸血鬼が考えを変えるとも思えなかった。
それに――今の自分には、どうすることもできない。
レミリアを殺すことも、この館から逃げ出すことも。
ならば少なくとも、今ここで無意味に喚き散らす必要はない。
「……勝手にすれば」
吐き捨てるように言う。
了承したつもりなどなかった。
ただ、拒絶することを諦めただけだ。
それでもレミリアには十分だったらしい。
「ええ。そうさせてもらうわ」
満足そうに笑うその顔が、やはり腹立たしい。
するとレミリアは、ふと思い出したように手元のティーカップへ目を落とした。
「あら、ちょうどいいわね」
「……何が」
「早速、執事さんに最初の仕事をお願いしようかと思って」
嫌な予感がした。
レミリアはカップを持ち上げると、わざわざイリスに見せつけるように傾けた。当然、中には一滴も残っていない。
「紅茶を淹れてちょうだい」
「…………」
イリスは無言でレミリアを睨みつけた。
「何?」
「……本気で私にあんたの世話をさせるつもり?」
「そのための執事でしょう?」
さも当然のように返され、こめかみが引きつる。
つい先ほどまで殺し合っていた相手に、今度は紅茶を淹れろと言われているのだ。
馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
「……はぁ」
深いため息を吐き、イリスはティーポットを手に取った。
「あら。案外素直――」
そのまま、レミリアの頭上で傾ける。
「――ね?」
冷めた紅茶がレミリアの髪を濡らした。
「…………」
「…………」
沈黙。
「淹れたけど」
「これは『淹れた』とは言わないわね」
「細かい」
「あなた、執事という仕事を根本的に勘違いしてない?」
「今日なったばかりだから知らないの」
紅茶を滴らせながら、レミリアはしばらくイリスを見つめる。
やがて――くすりと笑った。
「いいわ。気に入った」
「……気持ち悪っ」
もちろん、イリスが天然なわけではなく、嫌がらせとしてわざとレミリアにかけたのだ。
レミリアは紅茶で少しだけベタベタとした髪を気にすることなく、愉快そうに目を細めている。
「何」
「別に?」
「……腹立つ、その顔」
「怒らせたかったのでしょう?」
「…………」
図星だった。
せめて少しくらい不快そうな顔をするかと思ったのに、当の本人は怒るどころか、ますます機嫌を良くしている。
「残念だったわね。これくらいで私が怒るとでも思った?」
「次は熱湯にしてあげる」
「あら、怖い」
まるで怖がっていない声だった。
イリスは舌打ちすると、空になったティーポットを乱暴にテーブルへ戻す。
「で? 満足したなら私はもう行く」
「どこへ?」
「知らないわよ。とにかくあんたの顔が見えないところ」
「駄目」
「は?」
「まだ紅茶を飲んでいないもの」
レミリアは何食わぬ顔で空のカップを差し出した。
「…………」
「今度はちゃんとカップに淹れてちょうだい、執事さん」
イリスのこめかみに、再び青筋が浮かんだ。
結局、これ以上レミリアと顔を合わせていたくなかったイリスは、適当に紅茶を淹れると、すぐに部屋を後にした。
その際、レミリアから味について「微妙」と一言。
やらせておいてなんだその反応は、と危うくキレそうになったが、今は言い返すことすら面倒だった。
一刻も早く、あいつから離れたい。
それだけを考えて廊下を歩いていたイリスだったが――ふと、足を止めた。
「…………」
そういえば。
「私、何すればいいの?」
執事になれとは言われた。
紅茶を淹れろとも言われた。
だが、それだけだ。
これから何をすればいいのか。どんな仕事を任されるのか。いつまで働けばいいのか。
何一つ聞いていない。
「……あいつ」
説明くらいしろ。
一瞬、レミリアの部屋へ戻ることも考えたが、すぐにその考えを振り払う。
ようやく離れられたというのに、わざわざ自分から顔を見に戻るなんて冗談じゃない。
かといって、このまま何もしなければ、後から何を言われるか分かったものではない。
「…………はぁ」
本日何度目かも分からないため息が漏れる。
この館で他に話を聞けそうな相手となれば、一人しか思い浮かばなかった。
「――美鈴」
「ん?」
門の前に立っていた美鈴が振り返る。
イリスの姿を認めると、少し意外そうに目を丸くした。
「どうしたんですか?」
「……ちょっと聞きたいことがある」
「私に?」
「他に聞ける奴がいないから」
「なるほど」
「何、その顔」
「いえ。わざわざ私のところまで来てくれたんだなぁ、と」
「帰る」
「あっ、待ってください!」
踵を返しかけたイリスを、美鈴が慌てて呼び止める。
「冗談です。それで、聞きたいことって?」
イリスは不機嫌そうに振り返った。
「執事って、何すればいいの?」
「…………」
「…………」
「聞いてないんですか?」
「聞いてない」
「お嬢様から?」
「『紅茶を淹れて』とは言われた」
「それだけ?」
「それだけ」
「……お嬢様」
美鈴がなんとも言えない顔で館を見上げる。
「普通、仕事をさせるなら説明くらいするでしょ」
「まあ、お嬢様ですからね」
「それで全部済ませるのやめてくれる?」
「慣れると便利ですよ、この言葉」
「慣れたくない」
きっぱりと言い切る。
「それで? 結局、私は何をすればいいの?」
「そうですね……」
美鈴は腕を組んで考え込む。
「基本的には、お嬢様の身の回りのお世話じゃないですか?」
「身の回りって?」
「食事を運んだり、紅茶を用意したり、部屋を整えたり。呼ばれたら用事を聞きに行ったり」
「…………」
聞けば聞くほどやりたくない。
「無理」
「執事ですから」
「なんで私があいつの部屋を掃除しないといけないの?」
「執事ですから」
「呼ばれるたびに行くの?」
「執事ですから」
「……」
真面目に聞く気のない美鈴に、イリスは無言で背を向けた。
「あっ、待ってください!」
「もういい。聞いた私が馬鹿だった」
「ちゃんと答えてるじゃないですか」
「どこが?」
「全部、執事の仕事です」
「…………」
どうやら本人は至って真面目らしい。
それが余計に腹立たしい。
「とにかく、お嬢様のお世話をしていれば大丈夫ですよ」
「それが一番嫌なんだけど」
イリスは再び館へと視線を向けた。
紅茶を淹れて、食事を運んで、部屋を掃除して、呼ばれればそのたびに顔を出す。
想像しただけでうんざりする。
「……無理」
「頑張ってください、イリスさん!」
そう言って肩に手を置いてサムズアップしてくる美鈴。
イリスはその手を払いのける。
「馴れ馴れしい」
「あはは、手厳しいですね。同じ従者なんですから、もう少し仲良くしましょうよ」
「誰が従者よ。あと、仲良くするつもりない」
それだけ言い残すと、イリスは門に背を向けた。
「また何かあったら聞きに来てくださいねー!」
「行かない」
振り返ることなく返し、館へと戻る。
さて、どうするか。
仕事内容は分かった。
分かったところで、今すぐやることがあるわけでもない。
レミリアのところへ戻るのは論外。
掃除をする気にもならないし、わざわざ仕事を探して回るほど殊勝な性格でもない。
「……暇」
自室に戻って寝るか。
そんなことを考えながら廊下を歩いていたところで、昨日、美鈴に案内された場所の一つを思い出した。
図書館。
勝手に入っていいのか知らないが、暇を潰すには困らないだろう。
「…………」
少し迷った末、イリスは自室とは違う方向へ足を向けた。
重厚な扉を開けると、中から古びた本の匂いがぶわりと顔に当たった。
「……広」
思わず声が漏れる。
見上げるほど高い本棚がいくつも並び、そのすべてに隙間なく本が詰め込まれている。
足を踏み入れると、その広さに圧倒される。
これだけあれば、暇潰しには困らなそうだ。
イリスはしばらく辺りを見回したあと、適当な本棚へ歩み寄る。
別に誰かに許可を取る必要もないだろう。
読むだけだ。
背表紙を眺めながら棚の間を進んでいく。
魔術、歴史、薬学――。
興味のないものばかりだったが、その中でふと、一冊の本に目が止まった。
「……吸血鬼」
小さく呟く。
その単語を見た瞬間、伸ばしかけていた手が止まった。
数秒。
イリスは無言でその本を棚から引き抜く。
ぱらぱらと中身を確認することすらせず、そのまま踵を返した。
「待ちなさい」
「……何?」
図書館を出ようとしていた足が止まる。
声のした方へ視線を向ければ、奥の机に一人の少女が座っていた。
積み上げられた本に囲まれ、その手には一冊の分厚い本が開かれている。
イリスが入ってきたときからそこにいたらしい。
「その本、どこへ持っていくつもり?」
「部屋」
「駄目」
「なんで?」
「私の本だから」
「ここに置いてあったけど」
「ここは私の図書館よ」
「…………」
イリスは手元の本を見る。
次にパチュリーを見る。
そして再び本を見る。
「……ちょっと借りるだけ」
「駄目」
「ケチ」
「初対面の人間に勝手に本を持っていかれそうになって、どうして私が悪く言われるのかしら」
「こんなに本がたくさんあるのにほんの一冊がダメなんて、器が小さいのね」
「本の数と、あなたに貸すかどうかは関係ないでしょう」
イリスの煽りに対しても一切反応しない。
こんな魔女相手に問答なんてしていられるか。
イリス悪びれる様子もなく、本を抱え直す。
「じゃ、借りるから」
「待ちなさい」
「今度は何?」
少女がようやく本から顔を上げた。
紫色の瞳が、呆れたようにイリスへ向けられる。
「レミィから聞いていた以上ね」
「……何が?」
「あなたのこと」
イリスの足が止まった。
レミィとはおそらくレミリアのことだろう。愛称で呼んでいることから、二人の関係が親しいものだと認識できた。
「昨日、レミィを殺しに来たのでしょう?」
「…………」
「惨敗して眷属になったと聞いたわ。あと、今日から執事になった、と」
イリスの眉間に皺が寄る。
「……あいつ、何でも喋ってるの?」
「ええ。随分楽しそうに」
「最悪」
心底嫌そうに吐き捨てる。
少女はそんなイリスをしばらく眺めると、ふと口を開いた。
「惨敗したわりには元気そうね」
「…………」
ぴくりと眉が動く。
「……何が言いたいの?」
「別に。ただ、レミィも随分と器が大きいのね。自分を殺しに来た相手を生かしておくなんて」
「……喧嘩売ってる?」
「あら。さっきあなたが言っていたでしょう? 器がどうとか」
「…………」
さっきの仕返しかのように言い返してきた少女に、イリスは少し眉を顰める。だが、言い返されたことよりも、いまだにこちらに視線を向けずに、本に夢中になっていることが気に食わなかった。
「ネチネチして陰気臭い。魔女狩りのが流行るのも納得ね」
当時の西洋では、魔女狩りが盛んに行われていた。その目的としては魔法を操る長寿の生き物を人々が恐れたからだと言われているが、一方で差別的なものが原因で一方的な蹂躙だったとも言われている。
教養のないイリスはそんなことは知らなかったが、当時の魔女に対する風当たりの強さは十分に知っていた。そのため、目の前の魔女に軽い皮肉として言ったつもりだった。
「……………」
それまで何を言われても動じなかった少女が、魔女狩りと言う単語に反応する。何を言われても変わらなかった少女の表情から、僅かに温度が消える。
「……今の、取り消しなさい」
「は?」
「聞こえなかった?」
初めてだった。
少女が本から完全に視線を外し、真っ直ぐにイリスを見据える。
「取り消しなさいと言ったの」
「…………」
先ほどまでとは明らかに様子が違う。
だが――そんなことで引き下がるイリスではない。
「何? 急に」
「…………」
「私のことを好きに言った割には自分が言われると怒るの?」
少女の眉が僅かに動いた。
「……あなたにだけは言われたくないわね」
「どういう意味?」
「そのままの意味よ」
少女はイリスを冷たく見据える。
「吸血鬼に家族を殺されたから、吸血鬼を殺して回っているのでしょう?」
「――っ」
今度はイリスの表情が変わった。
「……本当にあの吸血鬼は口が軽いのね。魔女のあんたに何が分かるの」
「何も」
「……」
あまりにもあっさりとした返答に、イリスは眉をひそめる。
「あなたのことなんて、レミィから聞いたことしか知らないもの」
「だったらーー」
「でも、それはあなたも同じでしょう?」
「…………何が?」
少女は手にしていた本を閉じるとまっすぐとこちらを見据えてくる。
「私のことを何も知らないというのに」
静かな怒りを向けてくる魔女に、イリスは少し居心地の悪さを感じ始めていた。まさかここまで地雷を踏み抜いてしまうとは思っていなかったのだ。
「…………」
何があったのかは知らない。
聞くつもりもない。
ただ、先ほどまでとは明らかに違う少女の様子を見れば、軽々しく口にしていいことではなかったらしい。
イリスは気まずそうに視線を逸らした。
「……悪かった」
「…………何に対しての謝罪かわからないわね」
イリスが謝ったことに対して少女は少し驚いたが、まだその瞳には静かな怒りが広がっていた。
「言いすぎたこと。あなたのことを知らずに勝手なことを言った。謝罪する」
少女はしばらくイリスを見つめたあと、ふっと表情を緩めた。
「………そう、意外とすんなり非を認められる人間なのね」
「別に、それくらい――」
「ああ、もう人間じゃなかったわね」
「…………」
ぴくり、とイリスの眉が動いた。
「……今なんて?」
「もう人間じゃなかった、と」
「………聞き間違いじゃないみたいね?」
「ええ」
先ほどの少し険しい顔から一転して、少女は平然とした態度でイリスを見つめている。
そんな少女の不遜な態度に、イリスは眉間に皺を寄せて少女を睨みつける。
「人がせっかく謝ったっていうのに……!」
「人?」
「…………」
「…………」
「喧嘩売ってるでしょ、あんた」
「さあ?」
「……はぁ」
イリスは呆れたように肩をすくめた。
吸血鬼が相手ならともかく、これ以上くだらない言い合いを続ける気にもなれない。
そこでふと、自分の手元へと視線を落とす。
「……それで、この本」
「貸さないわよ」
「まだ何も言ってないでしょうが」
「顔に書いてあるもの」
「…………」
少女は再び本を開くと、何事もなかったかのように頁へ視線を落とした。
「読みたいなら、ここで読めば?」
「……いいの?」
「持っていかれるのは嫌だけど、読むなとは言ってないわ」
少し意外だった。
イリスは少女から少し離れた場所に腰を下ろすと、手に持っていた吸血鬼に関する本を開いた。
ふと横目で少女の様子を窺う。
あれだけ言い合ったというのに、少女はもうこちらには興味を失ったのか、何事もなかったように本へ視線を落としていた。
イリスも同じように本へと視線を戻す。
静かな図書館に、再び沈黙が訪れる。
そして――
ぱらり、ぱらりと。
二人が頁を捲る音だけが、静かに響いていた。
紅魔館の面々たちと険悪な様子のイリスさん。
なんだかすぐに喧嘩腰になっちゃうような子だから、書いていて楽しい反面動かすのが難しいね。
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