それでも、スティルインラブの心は軽くならなかった。
勝てば勝つほど、愛する人を繋ぎ止められる。
完璧であり続けなければ、いつか見捨てられてしまう。
栄光のティアラは、いつしか彼女自身を押し潰すほどの「重力」へと変わっていた。
そんな三冠達成翌朝。
いつものターフで、トレーナーはストップウォッチをポケットへしまう。
「重いままでいいよ。君が持てない分だけ、俺が隣で持つから」
これは、重たい愛を捨てる物語ではない。
重たいままでも、愛していて怖くない世界があると知る物語。
スティルインラブ育成シナリオ後を想定した、独自解釈ハッピーエンドIF。
【第一話:沈むティアラ】
トリプルティアラ。それは限られたウマ娘だけが戴くことを許される、栄光と絶対の証明。
しかし、その偉業を成し遂げた夜、スティルインラブの心を満たしていたのは歓喜ではなく、どす黒く、ひどく重たい感情だった。
「これで……トレーナーさんは、私から離れられなくなった……ですよね?」
トロフィーを見つめながら、彼女は一人ごちる。彼女にとって走ることは、いつしか手段へと変わっていた。愛する人を、自分だけのものとして縛り付けるための手段。勝てば勝つほど、彼女の愛は重力を増し、周囲を、そして何より彼女自身を押し潰そうとしていた。
「もっと完璧でなければ。もっと、もっと……私が負けたら、トレーナーさんは私を見てくれなくなるかもしれない」
恐怖と執着。愛という名の呪いが、彼女の細い肩に重くのしかかっていた。
【第二話:封印された時間】
翌朝。誰もいないプライベートなターフには、朝露に濡れた芝の匂いと、静寂だけが満ちていた。
スティルインラブは、どこか強張った面持ちでターフの上に立っていた。三冠という絶対的な結果を手に入れてなお、彼女の心には「もっと完璧に走らなければ」という引力が渦巻いている。
彼女の視線は、トレーナーの手元へと吸い寄せられた。いつものようにタイムを測るのだろう。結果を、私の価値を、今日も証明しなければならない。そう身構えた彼女の目の前で、トレーナーはストップウォッチを手に取った。
しかし、彼はそれを「カチッ」と鳴らすことはなかった。代わりに、深く、深く、コートのポケットの奥底へとしまい込んだのだ。
「……え?」
スティルの息が止まる。「もう競技者じゃありません」と突き放されたような錯覚。タイムを測らないということは、自分に対する興味を失ったということではないのか。特有の重く暗い不安が、鎌首をもたげた。
「どうして……測らないんですか? 私のこと、もう見てくれないんですか……?」
すがりつくような、呪いにも似た悲痛な声がターフに響いた。
【第三話:重力の共有】
彼女の悲痛な声に対し、トレーナーはたしなめることも、呆れることもなかった。ただ真っ直ぐに、彼女の暗く沈んだ瞳を見つめ返した。
「重いままでいいよ」
静かな、けれど絶対的な肯定の声だった。
「君が持てない分だけ、俺が隣で持つから。だから今日は、好きなように走ってこい」
重たい想いを捨てろとは言わない。呪いを解けとも言わない。君の重たい愛は、俺が一緒に背負う。だからもう、何かに怯えながら走らなくていい。
その言葉が落ちた瞬間、スティルインラブを縛り付けていた見えない鎖が、甲高い音を立てて弾け飛んだ。「愛していても、怖くない世界」がここにある。自分のすべてを受け止め、絶対に離れないパートナーが隣にいる。
負の引力は反転し、底抜けに明るい無重力のエネルギーへと昇華しようとしていた。
【第四話:無重力の空へ】
「……っ!」
彼女は駆け出した。ストップウォッチの数字に追われるためではなく、ただ走る喜びのためだけに。
ターフの脇の舗装路では、トレーナーが自転車のペダルを立ち漕ぎしながら、必死に彼女の隣を並走している。
「ははっ、速いなスティル!」
「ふふっ、負けませんよ、トレーナーさん!」
朝の風が頬を打ち、跳ね上げた泥が服を汚す。競技者としての勝敗も、自分の重く苦しかった感情も、すべてが風に溶けていく。ただ無邪気に、大好きな人が隣にいるという絶対的な安心感だけを胸に、彼女はどこまでも高く飛んでいけそうだった。
見失っていたもの。誰かのためでも、自分を縛り付けるためでもない。ただ風を切って走ることそのものが、こんなにも自由で、楽しかったという事実。
【第五話:私が走り続ける理由】
ターフを駆け抜け、青空を見上げる彼女の胸に、不安も恐怖も、きっといつかまたよぎるだろう。
けれど、もうそれに追い立てられて走る必要はない。重力は存在する。でも、もう軌道を支配されることはない。隣には、自分が持てない重さを一緒に背負い、並走してくれる人がいるのだから。
無重力の空を舞うような笑顔を咲かせ、彼女は澄み切った声で宣言した。
「トレーナーさんが思い出させてくれた走る楽しみ、それを追いかけるために私走り続けます!!」
どこまでも続くターフの上で、愛する人と共に果てしない未来へと走り出していく少女。
息を切らしながら自転車を漕ぐトレーナーが、ふと目を細めて笑った。
「子供の頃に戻ったみたいで楽しいな、スティル」
その言葉に、スティルインラブは振り返る。
「……はいっ!! トレーナーさん!! 楽しいです全部、全部が!!」