織田信時の人生   作:秋月 了

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函館歴史科学大学 特別講義ー天授北辰・護国真槍と玉藻の前 ー史実・伝承・信仰の境界ー

 

 

 函館歴史科学大学。

 

 歴史学部大講義室。

 

 前回の「織田信時の謎」に続く第二回特別講義は、開始前から満席だった。

 

 今回の題目は。

 

 **『天授北辰・護国真槍と玉藻の前』**

 

 日本史。

 

 神話学。

 

 宗教学。

 

 民俗学。

 

 文化財保存学。

 

 四つの学部合同講義である。

 

 前方には四人の教授が並んでいた。

 

 歴史学部・足立弘毅教授。

 

 民俗学部・神崎理恵教授。

 

 宗教学部・高城誠教授。

 

 文化財保存学部・坂本直人教授。

 

 そして最前列には、前回と同じく織田千里の姿があった。

 

---

 

足立教授「今日は史実だけではありません。」

 

足立教授「伝承や信仰も扱います。」

 

足立教授「ただし、信じろとも否定しろとも言いません。」

 

足立教授「史料を見て、それぞれが考えてください。」

 

 スクリーンには一本の槍が映る。

 

 漆黒の鞘。

 

 銀色に輝く穂先。

 

 槍袋には菊花紋と織田木瓜。

 

 二つの家紋が並んで刺繍されていた。

 

足立教授「これが」

 

足立教授「天授北辰・護国真槍。」

 

足立教授「現存しています。」

 

 教室が静まり返る。

 

学生「本物なんですか……」

 

坂本教授「はい。」

 

坂本教授「現在も織田家が保存しています。」

 

坂本教授「湿度、温度とも厳重管理。」

 

坂本教授「文化財として最高レベルの保管環境です。」

 

学生「国宝ではないんですか?」

 

坂本教授「国宝指定は辞退されています。」

 

学生「え?」

 

坂本教授「理由は」

 

坂本教授「織田家が『国家の所有物ではなく、代々預かっている神宝である』という立場だからです。」

 

---

 

 スクリーンが切り替わる。

 

 そこには大きく一文。

 

 **『当主以外、直接触れることを禁ず』**

 

学生「本当に誰も触れられないんですか?」

 

坂本教授「はい。」

 

坂本教授「代々の当主のみです。」

 

学生「研究者でも?」

 

坂本教授「駄目です。」

 

学生「調査は?」

 

坂本教授「ケース越し。」

 

坂本教授「三次元スキャンもケース越し。」

 

坂本教授「直接触れた記録は」

 

坂本教授「歴代当主と」

 

坂本教授「例外二名のみです。」

 

学生「例外?」

 

---

 

高城教授「明治天皇陛下。」

 

高城教授「そして平成天皇陛下です。」

 

 教室中がざわついた。

 

学生「本当に?」

 

高城教授「織田家の古文書。」

 

高城教授「宮内庁側の日誌。」

 

高城教授「双方に記録があります。」

 

学生「どんな内容なんです?」

 

高城教授「お二方とも」

 

高城教授「槍へ静かに祈りを捧げた後」

 

高城教授「槍を持たれました。」

 

高城教授「すると」

 

高城教授「全身が軽くなった。」

 

高城教授「病が急速に快方へ向かった。」

 

高城教授「そのように記録されています。」

 

学生「医学的には?」

 

高城教授「説明できません。」

 

足立教授「だからこそ」

 

足立教授「歴史学者は困るんです。」

 

 教室から笑いが起こる。

 

---

 

神崎教授「逆の記録もあります。」

 

 画面には古文書が映る。

 

神崎教授「江戸時代。」

 

神崎教授「好奇心で槍へ触れた家臣。」

 

神崎教授「数日後」

 

神崎教授「大火傷。」

 

 次の記録。

 

神崎教授「明治。」

 

神崎教授「盗もうとした泥棒。」

 

神崎教授「落馬。」

 

神崎教授「全身複雑骨折。」

 

 さらに。

 

神崎教授「昭和。」

 

神崎教授「保管室へ無断侵入。」

 

神崎教授「帰宅途中」

 

神崎教授「大型看板が倒れ死亡。」

 

 教室が静かになる。

 

学生「偶然……ですよね?」

 

神崎教授「そう考える研究者もいます。」

 

高城教授「ですが」

 

高城教授「こうした事故記録が四百年以上続いています。」

 

学生「そんなに?」

 

神崎教授「百件近くあります。」

 

---

 

学生「千里さん。」

 

千里「はい?」

 

学生「織田家では何て教わるの?」

 

 千里は少し困ったように笑った。

 

千里「うーん……」

 

千里「家では」

 

千里「玉藻様は槍に宿る御方で」

 

千里「槍は歴代当主の妻のような存在だと教わります。」

 

学生「妻?」

 

千里「はい。」

 

千里「だから」

 

千里「当主以外が勝手に触るのは」

 

千里「他人の奥さんに勝手に触って」

 

千里「胸やお尻を触るようなものだって。」

 

 一瞬静まり返り。

 

 次の瞬間。

 

教室中「それは怒るわ……」

 

学生「そりゃ駄目だ。」

 

学生「絶対怒られる。」

 

学生「俺でも殴る。」

 

 教授たちまで苦笑していた。

 

足立教授「……非常に分かりやすい例えですね。」

 

千里「祖父も父も」

 

千里「そう説明してました。」

 

---

 

学生「除霊は?」

 

高城教授「実は」

 

高城教授「除霊を試みた例もあります。」

 

 スクリーンには昭和後期のテレビ番組資料。

 

高城教授「番組企画として」

 

高城教授「霊能者が除霊を行おうとしました。」

 

学生「結果は?」

 

高城教授「織田家は反対しました。」

 

高城教授「ですが」

 

高城教授「番組側が強行。」

 

 教室が静まる。

 

高城教授「除霊開始直後。」

 

高城教授「雷が落ちました。」

 

学生「え?」

 

高城教授「霊能者。」

 

高城教授「番組責任者。」

 

高城教授「さらに近くにいたスタッフへ落雷。」

 

高城教授「全員死亡。」

 

学生「……。」

 

坂本教授「その場にいた」

 

坂本教授「撮影助手一名だけが」

 

坂本教授「機材を運びに建物外へ出ていたため助かっています。」

 

---

 

学生「千里さん。」

 

千里「はい。」

 

学生「織田家では除霊をどう考えてるの?」

 

千里「除霊って言葉は使いません。」

 

学生「じゃあ?」

 

千里「追い出すって言います。」

 

学生「追い出す?」

 

千里「はい。」

 

千里「家では」

 

千里「玉藻様は家族。」

 

千里「だから」

 

千里「勝手に除霊するのは」

 

千里「何の関係もない他人が」

 

千里「家に住んでる客人を」

 

千里「無理やり追い出そうとしてるようなもの。」

 

学生「それも怒るな……。」

 

千里「ですよね。」

 

---

 

足立教授「興味深いのは」

 

足立教授「歴代当主の言葉です。」

 

 スクリーンへ一枚の古文書。

 

 信時自筆。

 

> 「己を槍の所有者と思うな。」

 

> 「預かっているだけと思え。」

 

> 「決して見せびらかすな。」

 

> 「決して粗末にするな。」

 

> 「この槍は陛下が織田家へ預けられた神宝である。」

 

> 「玉藻。」

 

> 「天照大神。」

 

> 「北辰。」

 

> 「三柱の御加護を忘れるな。」

 

---

 

足立教授「この文書は」

 

足立教授「信時が」

 

足立教授「家督を時継へ譲った日のものです。」

 

学生「信時自身が」

 

学生「自分の物じゃないって言ってるんですね。」

 

足立教授「その通りです。」

 

坂本教授「歴代当主も同じ教育を受けます。」

 

---

 

学生「千里さんも?」

 

千里「はい。」

 

学生「どんなことを?」

 

千里は少し姿勢を正した。

 

千里「家督を継ぐ者は」

 

千里「槍の前で」

 

千里「天照大御神。」

 

千里「北辰の神々。」

 

千里「そして玉藻様へ誓います。」

 

学生「何を?」

 

千里「民を守ること。」

 

千里「天皇家へ忠義を尽くすこと。」

 

千里「槍を私物にしないこと。」

 

千里「力を私欲に使わないこと。」

 

学生「重い……。」

 

千里「だから」

 

千里「織田家では」

 

千里「当主になるより」

 

千里「その誓いの方が怖いって言われます。」

 

---

 

足立教授「ちなみに」

 

足立教授「現当主は」

 

千里「父です。」

 

足立教授「お名前は?」

 

千里「織田信明です。」

 

学生「あ。」

 

学生「信由元総理のお孫さん。」

 

千里「はい。」

 

学生「家で槍を見るの?」

 

千里「年に数回だけ。」

 

学生「触ったことは?」

 

千里「ありません。」

 

学生「娘でも?」

 

千里「はい。」

 

千里「父から」

 

『まだお前は預かる立場ではない。』

 

『だから触れてはいけない。』

 

って言われています。」

 

---

 

学生「信由総理は?」

 

足立教授「毎回」

 

足立教授「戦場へ持って行っています。」

 

学生「怖くなかったんでしょうか。」

 

千里「祖父がよく言ってました。」

 

学生「何て?」

 

千里「『俺が守るんじゃない。』」

 

千里「『守っていただいているんだ。』」

 

学生「……。」

 

千里「だから」

 

千里「出陣前は必ず槍へ一礼してから家を出たそうです。」

 

---

 

高城教授「最後に。」

 

高城教授「この講義で一番大切なことを申し上げます。」

 

 教授は教室全体を見渡した。

 

高城教授「皆さんは」

 

高城教授「この槍が本当に神の力を持つと思いますか?」

 

 誰も答えない。

 

高城教授「構いません。」

 

高城教授「信じても。」

 

高城教授「信じなくても。」

 

高城教授「ですが」

 

高城教授「四百年以上。」

 

高城教授「歴代当主が。」

 

高城教授「この槍を」

 

『自分の物ではなく』

 

『預かった物』

 

として扱い続けてきたこと。

 

高城教授「そして」

 

高城教授「今なお天皇家を敬い」

 

高城教授「その誓いを守り続けていること。」

 

高城教授「それだけは」

 

高城教授「史実として確認できます。」

 

 静まり返った講義室で。

 

 千里は静かに頷いた。

 

千里「父も祖父も」

 

千里「曾祖父も」

 

千里「みんな同じことを言います。」

 

学生「何て?」

 

千里は少し微笑んだ。

 

千里「『織田家は槍を守っているんじゃない。』」

 

千里「『槍に織田家が守られている。』」

 

 誰一人、言葉を返す者はいなかった。

 

 それは史実なのか。

 

 伝承なのか。

 

 あるいは信仰なのか。

 

 その答えは、誰にも分からない。

 

 だが少なくとも。

 

 四百年以上にわたり、その誓いだけは一度も途切れることなく受け継がれてきたのである。

 

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