おめでとうございます
さも当然のように、悲しみは今日もやってきた。
色々なことをした。見えていなかったことが、また一つ、見えてしまった。ピッチが少しずれていたことや、ステップが少し遅れていたこと、そうして自分のパフォーマンスが今日も完璧ではなかったこと。レッスンのたびにできなかったことに気が付くから、正直、面倒くさいし嫌だった。
でも、当然のように、凛の心は疼いている。
凛は、明日は完璧になれるかも、って知っている。レッスンで見えた課題は、次のレッスンで解決できる。そんな一つ一つの積み重ねが、完璧じゃなかった昨日の自分を、完璧かもしれない明日の自分に変えていく。今までそうしてきたように、明日もそうなるって思うと、明日のレッスンはわずかに楽しみでもあった。
「お疲れさま、凛」
そしていつも、隣にはプロデューサーがいる。レッスンが終われば、決まってスポーツドリンクを差し出してくる。
「今日もすごく良かったよ」
「でもまだ直せるとこばっか」
「そうかな? おれからしたらずっと完璧だったけど」
「その感想は素人すぎるんじゃない? 一応プロデューサーでしょ」
「……それだけ凛がすごいんだぞってこと」
「お世辞ってこと?」
「おせっ……」
「わかってるよ、素直に褒めただけなんでしょ」
隣で複雑そうな顔をした彼を放っておいて、更衣室に向かった。
本当はなんとなくわかっている。明日の自分だって完璧にはなれないことくらいは。完璧な人間なんていないことは明白なのだから、自分がその例外になれないことも当たり前だった。
そして、かつて凛はこう思っていた。完璧になれなくても、成長のためには何かしらの意味が必要なんだろう、と。憧れる姿がある、明確な目標がある。自分の前に、ずっとずうっと前に目印があって、そこに向かって走ること、それが成長なのだと。
凛には目標がない。憧れる誰かもいない。ゴールの無い自分にはとても成長なんてできるわけがないと思っていた。
しかし、今はそれだけではないと知っている。
ある日のファンレターのことを、凛は忘れられずにいた。
『しぶりんの歌とダンスから、いつも元気をもらってます! 仕事はずっと大変だけど、しぶりんが頑張ってるって思うと私も頑張れます。そしたらこの前、厳しい上司にやっと褒めてもらえました!』
なんでもない、ありきたりなファンレターだ。しかし凛にとってはそれがすごく重要で、どうしても忘れることはできなかった。
他にもたくさんのファンレターをもらった。内容は正直、同じようなことばっかりだ。でも、そのどれもが同じように大切だった。
更衣室を出れば、さっきと同じベンチにプロデューサーが座っていた。
「お待たせ」
「はい、待ちましたよ、完璧じゃない渋谷凛さん」
「怒ってる?」
「せっかく素直に褒めたんだしさ、素直にありがとうくらい言ってほしいじゃん」
「大人になってもそう言うこと言えるもんなんだね」
「なんか今日の凛いじわるじゃない?」
「いつも通りでしょ」
ボタンを押して、他に誰も乗り込まないエレベーターで下へ降りる。
「おれ、本当に凛のこと、完璧だと思ってるんだよ」
「はいはい、わかってるってば」
「そりゃ、パフォーマンスの面では課題が残ってるかもしれないけどさ」
「あれ、完璧なんじゃないの」
「そう言うことじゃないんだよ、なんて言うか、凛を見てると、元気になれる」
彼の言うことも正直、同じようなことだ。だから、彼の言葉だって同じように大切で。
「凛を見てるとさ、まず、歌上手いなーとかダンスきれいだなーとかって思うんだ。次に、でもこの子も頑張ってこうなってるんだよな、って思う」
「うん」
「そしたら次に、おれも頑張ったらこうなれるかな、って思うんだよ。アイドルになれるって意味じゃなくて、凛みたいに、誰かの力になれるのかな、って。凛のことを見るたびに、そうやって、頑張ろうって思える」
「……うん」
「ファンのみんなもそうなんだ。これってまさしくアイドルっていうかさ、たくさんの人にそう思わせられる凛は、完璧にアイドルなんだよ」
「……だといいけど」
思えばきっと、凛は恵まれていたんだろう。スカウトされて、仕事をもらって、こなしていくうちにファンができていて。正直、凛が自分からやりたいと言ってやったことなんてそうそうない。なのに今では事務所の代表的なアイドルみたいに扱われている。
しかし、そういう、凛が今までこなしてきたこと、凛自身はこなしてきただけと思っていることには、確かに、凛が頑張ったからできたことがたくさんあった。そして、これからも凛が仕事をこなしていくたびに、誰かが元気をもらっていて、誰かの力になれるのなら、それも悪くないかな、って思える。
エレベーターはとうに一階に到着して、このビルのエントランスを出れば、二人の帰り道は反対方向だった。
「そうだ、凛。これ」
別れ際に彼が渡してきたのは、一つの紙袋。
「え、何これ」
「ほら、今日、誕生日でしょ」
「……あ、そっか。じゃあ開けていいの?」
「もちろん」
中を覗き込むと、小さな箱と封筒が入っているのが見えた。箱に刻まれたロゴは見たことのあるブランドのものだった。
「……手紙?」
「開けるならもうちょっと開けてほしいかな?」
「いや、外だしさ。開けて無くしたら嫌じゃん」
「……それもそうかも」
「とりあえず、家に帰ってから開けるよ」
「うん、そうするのがいいね。明日のレッスンの時に感想聞かせてよ」
「わかった。またね」
そう言ってそれぞれの帰路につく。
……流石に今くらいは、素直に言ったほうがいいかな。
「ねえー、プロデューサー!」
思いっきり声を出すと、彼はすぐに振り向いた。
「これー、ありがとー!」
凛のその言葉に、彼は満面の笑みで、手を振って返す。
彼も、ファンのみんなも、私から元気をもらってるって言う。そんなみんなの言葉が、私の力になっている。このプレゼントがまさしくそうだった。
もう、切っても切れない関係になっちゃったんだろうな。
今日は相変わらず暑かった。もうそんなことは気にならなくなっていた。