「娘、個人的な感想を言うなら、今の姿はずっと美しく見える。だけど…。」
俺は何処からか垂れていた蜘蛛の糸で、奈落の底から這い上がることができた。
「この世で一番大切なものの一つを、お前の手で送り出してしまったというわけだ。」
あいつのいう通りだった。
「あの子を形作るものはなくなってしまったんだ。」
「そうだ、俺は…忘れてしまったんだな。」
<違うよ、良秀。まだ握っているよ、その手で。>
俺はいつから握っていたのか…、ずっと昔からだったかもしれないし、逆についさっき掴むことができたかもしれない鞘の感触を感じ取る。俺の記憶は真っ白でも、バスの奴らとアラヤと…俺のそばにいてくれたあの子の気配を感じ取れた。
「あの子は子方を乗り越えたお前のための、最後の教本になれた。」
「……。」
あの子をない者として扱って、俺も無我に至り、蜘蛛の巣の役目が終わったなら…。
「俺が完成していたら、あんたには何が残ったんだ?」
「…さあな。それはいつも俺に囁いてくださる、ヘルメスだけが知ってるだろう。」
あいつがゆっくりと歩いてくる。
「…このままお前を送り出せば、お前は一生家には帰ってかないだろう。しかしお前を止めてここに留めたところで、俺に残るものは何もない。」
あいつの顔の半分から涙のような血が滴り落ちる。
「だけど…虚しい後悔が心臓を抉るよりかはいいんじゃないかな?」
「…ハッ。あんたが俺をここに留めるならそれこそ俺に残る者は…何もなくなる。」
だから…俺は…。
「帰るんだ。あの子たちとの約束だからな。」
時計ヅラが他の奴らを呼び寄せる。それぞれが人格を被り、リアンに攻撃を仕掛ける。
「娘、あの子は俺たち親方の名前を言わずに必ず"大人"と呼ぶんだ。」
俺たちの攻撃をなんともないように振る舞うのは頭に来る。
「けど、あの子はよく子方の名前を言ってたよ。自分に与えられなかった愛情を注ごうとしてたな。」
「興味がない割には、よく見てたんだな。」
俺に向けた優しさすら渡さないなら、なぜ…。
「指令にはなかったからな。ただ見ていただけだ。」
俺たちが傷をつけても意に介さない。
「俺もここに来る前は髪は白色だったんだよ、娘。初めて見た時はそっくりだと思った。」
「……。」
「子方の命を確認する機械を見ていた時は、俺のもう一人の娘だと再確認した。」
「だから…なんだって言うんだ。」
攻撃が激しさを増す。よほど俺を外に出したくないらしい。
「愛しい娘、お前さえ残ってくれればいい。そうすれば、蜘蛛の巣は消えない。」
仮面の下から、俺が削ぎ落とした跡が見えた。
「お前が忘れてしまったものを俺が教えてあげよう。だから…行かないでくれ。」
「くだらないな。結局、あんたは俺が出て行かないために全てを利用するだけだ。それに、手を借りずとも俺は俺自身で取り戻すだけだ。」
もうあの子を苦しめるものは何もなくなる。私が断ち切ってあげるから。この場所の糸の総てを。
「断ち切ってはいけないんだ、娘。…勝手に断ち切ってはいけないんだ。」
「勝手にじゃない、約束だったんだ。俺が一緒に連れて行く…あの時の約束だからな。」
鞘から刀を抜く。白い斬撃がリアンの胸を焼き焦がすように切る。
「あぁ………。」
ふと昔の記憶が思い浮かぶ。波と風の話だった。せっかく波が見守ってきたのを、風の一吹きで全部崩してしまう話。その結末もあんたは取っといてたけど、今なら分かる。あんたは怖かったんだろうな、この蜘蛛の巣の結末が。
「この刀の影響で記憶が消える前に思い出すのが、あんたとの記憶だとはな。」
「…波の音が聞こえるな。」
「…どう聞こえる?」
「…い。寂しい。」
それがあんたの答えか。
その後、俺たちは本社の研究所へ帰ってきた。刀を使って全てを断ち切ったはずなのに、俺はアラヤの事を覚えていた。…でも、何かを思い出せずにいた。大切なモノを。
「お母さん!」
「…アラヤ。」
あの時の記憶よりも少し大きくなったアラヤが俺の前へ走ってくる。
「ねえお母さん、お姉ちゃんのこと…。」
「お姉ちゃん…?」
「忘れちゃったの?お母さんの妹だって言ってたじゃん。」
妹…俺の妹。何かが少しずつ当てはまっていく。
「もっと聞かせてくれアラヤ。俺の妹の事を。」
「しょうがないな〜。」
アラヤから色々な事を聞いた。俺の妹で、優しくて、いつも誰かの事を気にかけて、アラヤをずっと守ってくれてた事、そして…。
「私、見えたんだ。お母さんと私の赤い糸を、お姉ちゃんがお姉ちゃんの糸で繋げてくれたところ!」
アラヤが話す度に、鞘から俺とアラヤの手に赤い糸が繋がっていく。
「…そうか。」
俺とアラヤを、繋げてくれたんだな。…ふと目尻に涙がたまる。
「……!」
鞘から細い赤い糸が、俺の目尻を拭き取る。
「あ、きっとお姉ちゃんだよ!」
お前を忘れてしまった。でも、お前の事を必ず思い出す。
「ねえお母さん。」
「なんだアラヤ?」
「私ともたくさん遊んで欲しいけど…、お姉ちゃんともたくさんの思い出を作ってね!約束!」
「ああ、約束だ。」
愛しい"私"の妹よ、いずれ再開する事を願って。
はい、これで終わりです。原作ではアラヤの糸は切られてしまいましたが、この物語では末那が良秀とアラヤの糸を、アラヤと自分の糸で紡いでくれました。そして自分の糸を使った事でアラヤは末那を覚えて、良秀も僅かながら覚えていました。