「絵島四席。涅隊長より至急来られたしとの通信が入っております」
そう言って頭を下げたのは、絵島が右腕と頼みにしている
十一番隊書記官室で大量の書類と格闘していた
「……通信機が壊れてたってことにしてトンズラするのは無しかね」
「生憎、直ちにお伝えすると返事してしまいましたので……」
生島がすまなそうに項垂れる。
絵島は海より深い溜息をついてから、筆を置き、重い腰を上げた。
生島は悪くない。護廷十三隊において最も頭が切れ、最も意地の悪い死神に嘘をつけばどうなるか、冷静に判断した上での回答だろう。
時計を見やる。現在時刻は朝の九時。
「…………
「は。──ご武運を」
廊下を歩きながら、絵島は無言で片手をひらめかせた。
〇〇〇
涅マユリ。
自他ともに認める、尸魂界いちのマッドサイエンティストである。
研究のためならば嬉々として人体実験に勤しむ姿勢は、部下からは恐怖を、同輩からは嫌悪を、上官からは忌避の目をもって眼差されている。
といっても、十二番隊隊長たる彼より上に立つ者など、護廷十三隊総隊長・山本元柳斎重國をおいて居ないのだが。
しかし、絵島自身はもう少し違う印象を抱いていた。
「畏怖と信頼……ってトコかねぇ」
十二番隊隊舎への道を歩きつつ、口の中で呟く。
噂によれば、マユリは、旅禍を捕らえるために新入隊士を爆弾に変えて追跡させたという。残虐この上ない方法だけれども、旅禍をその場で処断せざるをえない状況を想定したと思えば、なかなか善い手だと言えなくもない。
実際、マユリの活躍によって、旅禍のひとりであり、不倶戴天の敵でもある滅却師を倒せたのだから、あまり悪し様に罵るのも憚られた。
冷酷。なれど有能。
それが、絵島のマユリ評であった。
「まあ、ウチの隊長や一角は好き勝手貶してるけどねぇ」
指先で
そもそも、涅マユリに好意を寄せる隊士が圧倒的少数なのだ。
多少なりとも肯定的な態度を示すのは絵島と八番隊隊長の京楽、そして────
たったいま、技術開発局の建物から出てこちらに向かってくる御仁くらいのものだろう。
涅隊長の秘書兼副隊長兼実娘の涅ネムである。
ネムは感情の読めない顔つきで、機械的な辞儀をした。
「お待ちしておりました絵島様。技術開発局にてマユリ様がお待ちです」
「なんとね。副隊長殿直々にお出迎えとは畏れ入る」
軽口にネムは答えない。苦笑する絵島の手元──正確には煙管を、じっと見つめていた。
今日は金木犀の香りがする煙草を詰めている。
「あぁすまないね、
「いえ、お話は伺っております。どうぞそのままお吸いになってくださいませ」
「そうかえ? それじゃ遠慮なく」
絵島が言葉通り喫煙を再開すると、ネムが好奇心いっぱいの目で凝視してきた。どうも煙管に興味があるらしい。
「……吸ってみるかえ?」
絵島が煙管を差し出すと、ネムは名残惜しそうに首を振った。
「マユリ様の管轄外で薬品を摂取することは禁じられておりますので」
絵島はおもわず笑ってしまった。
そう断るネムの表情が、おやつを取り上げられた子供のようだったからだ。
「ふふっ。ならお前さんも喫えるように涅隊長と交渉してあげるよ。アタシの実家は煙草屋でね、綱吉の名を出せば安く買えるはずさ」
「お気遣い、感謝いたします」
二人はゆるやかに談笑しながら、技術開発局へと歩を進めた。
〇〇〇
「待っていたヨ。よもや居留守を使われるのじゃないかと心配だったガ、来てくれて良かっタ」
涅マユリ十二番隊隊長は、バインダーに挟んだ書類をぱらぱら捲りながら嫌味たっぷりに挨拶してきた。
売られた喧嘩は買うのが十一番隊流である。絵島はにこやかに微笑みながら、わざとマユリに向かって煙を吐きかけた。
「まさかまさか。お忙しい涅隊長のお誘いを差し置いて仕事なんて畏れ多くて出来やしませんよ」
言外に、仕事中に呼び出しやがってこのクソッタレ、の意を込めたのだが、無論この程度で怯む男ではない。
マユリは川のせせらぎでも聞いたかのごとく無視を決め込み、部屋の中央にある椅子を指さした。
「それじゃ、そこに座ってくれたまエ」
絵島は胡乱な目でマユリを睨みつけた。
ただの椅子ではない。肘掛けと足置きにベルトが垂れている。座った者を完全に拘束するための造作だ。
「……せめて用件くらい先にお聞かせ願えませんかね」
僅かに殺気を込めて問えば、マユリはわざとらしい仕種で己の額を叩いた。
「おお、私ともあろう者がまだ絵島四席殿に今日の趣旨を説明していなかったネェ! これは大変失礼したヨ。いやいや、お呼び立てしたのは他でもなイ、十一番隊の隊士が食らった虚の毒について詳しくご報告したいだけなんダ! 旅禍だの藍染惣右介の離反だのでゴタゴタが絶えないところ必死に時間をやりくりして解析するのは並大抵の苦労ではなかったガ、なに、これが私の仕事だからネ、気にしないでくれたまエ!」
「…………」
絵島は苦虫を噛み潰したような顔で、実際に煙管の吸口を噛み締めながら、もそもそと腰かけた。
先週のことだ。
現世での哨戒任務についていた十一番隊隊士三名が、相次いで虚の襲撃に遭い瀕死の重症を負うという事件が起きた。
うち一人は席官クラスであったことから、事態を重く見た絵島が単独で出陣、当該虚を討伐したのである。
通常、負傷した隊士の治療は四番隊に一任されるが、三名とも虚由来の毒に汚染されていたため、技術開発局が解毒と解析を担当した。
局長自らその結果を伝えるべく、絵島を呼び寄せたと言いたいらしい。
ただ報せるだけなら紙一枚で事足りる。わざわざ招いたからにはなにがしかの企みがあるはずだ。
断れるものなら断りたい。十中八九ろくでもない企みだろうから。
しかし、護廷十三隊隊長と技術開発局局長を兼任する立場上、マユリは常に仕事に追われている。不可抗力とはいえ、そんな人物の負担を増やしてしまった事実を思えば、余程のことでない限り謹んで協力すべき……なのだろう。
不本意だけども。はなはだ不本意だけれども。
拘束されているあいだ、落ち着かなげに周囲を見回していた絵島は、注射器片手に近づくネムを見つけ、口元を引き攣らせた。
「まさか、新薬の実験体にでもするつもりかえ?」
「察しがいいネ」
各所のベルトを締めながら、マユリは唇が裂けそうなほど深い笑みを湛えた。
全く安心できない笑顔であった。
首筋に鋭い痛みが走る。
生ぬるい液体が全身を駆け巡った。
「……どんな薬で?」
「今回の虚の毒ダ。十二倍に希釈したら質のいい自白剤になることが分かってネ。サンプル第一号になってくれたまエ」
「な……っ」
絵島が意識を保てたのはそこまでだった。
次の瞬間、視界が暗転した。
〇〇〇
「…………そろそろ効いた頃かネ。始めよう。
君の名ハ?」
絵島がうっすらと目を開く。
瞳はどろりと濁り、唇の端から唾液がひとすじ零れ落ちていた。
マユリの問いに、覇気のない声で応じる。
「…………絵島十兵衛、綱吉……」
「所属と階級ヲ」
「十一番隊……第四席……」
「斬魄刀の名前ハ?」
「……
マユリは満足気に頷いた。
実に素直な応答だ。薬は正常に作用している。
マユリはいきなり絵島の袂に手を突っ込み、白鞘の
鞘を引いた。刃はない。絵島が霊圧を注ぎ込むことで、任意の形・長さの霊刃が形成される仕組みになっている。
もしも霊圧知覚の低い者が絵島と相対した場合、刃を認識することすら叶わない。柄も手の中にすっぽりと収まってしまう大きさだから、まったくの無腰に見える。そうして油断していると、突然真っ二つに斬られるのだ。絵島の攻撃が“不可避の斬撃”と呼ばれる由縁である。
死神にとって命に等しい斬魄刀を無遠慮に眺め回しても、絵島の反応は鈍かった。
「ふム。筋弛緩作用もそれなりに高いようだネ。記録しろネム」
「はい、マユリ様」
ネムが手元の端末に情報を入力する。
斬魄刀を無造作に戻して、マユリが言った。
「それじゃ本題に入るとしよウ。訊きたいのはずばり、君と更木剣八の仲についてダ」
半分閉じられた絵島の瞼が、ぴくりと震えた。
噂によれば、この絵島と十一番隊隊長の剣八は男女の仲だという。初めて聞いた時、戦うことしか眼中に無い戦闘狂にも愛欲や性欲があったのかと驚いた。あの野獣がこの少女をどう抱くのか、下卑た興味がないと言えば嘘になる。
しかしマユリが知りたいのはもっと別のところにあった。
「更木が君を愛するのは、君の霊圧に
「…………っ」
絵島の唇が、微かに
霊圧。
霊体が発するエネルギーの総称である。死神は皆、霊圧を鍛え、操作する術を叩きこまれる。斬拳走鬼、すべての技の力の源であるからだ。
ところが、絵島十兵衛綱吉は、他と少々異なる霊圧を持っていた。
平たく言えば、周囲を“酔わせる”特性を備えていたのである。
絵島の霊圧に触れると、まず最初に気分が向上し判断力が鈍る。次いで時間感覚が狂いだし、五感が曖昧になっていく。終いには、平衡感覚が完全に失われ、己が立っているのか寝ているのかさえ判らなくなり、人事不省に陥る──らしい。
なにより特筆すべきは、霊圧に触れる時間が長いほど、彼女に好感情を抱いてしまう点だ。
そばに居るだけで相手を夢中にさせてしまう、いわば〈生ける洗脳装置〉なのである。
そんな霊圧を垂れ流していては悪影響甚だしいことから、絵島は特別に調合された煙草をひっきりなしに吹かし、己の霊圧を掻き消して“調整”しているのだ。
涅マユリはそれを知った時からずっと、絵島を調べたくて仕方なかった。
けれども日頃は十一番隊隊舎の奥にこもって滅多に出てこない上に、やっと見かけたと思ったら隊長の更木剣八がそばにいるせいで、中々機会を得られずにいたのである。
この千載一遇のチャンスを、是非とも物にしたかった。
絵島を拘束している椅子には仕掛けが施してあり、こうしている今も霊圧の解析を進めている。自白剤の試験などおまけでしかなかったが、作っておいてよかった。
「煙管で霊圧の効能を誤魔化したとて、結局は対処療法に過ぎン。あの猪突猛進筋肉バカならば数日君の霊圧を当てるだけで洗脳できただろウ? どれだけ愛を語ろうが育もうが、全ては酔っぱらいの
「…………っ!」
マユリの言葉は
顔色から察するに、絵島自身何度も疑ってきたことらしい。
もしも、愛されてなどいなかったら?
剣八の言葉も態度も、己の霊圧が見せた都合のいい幻だったとしたら?
拘束された手を何度も握りしめている。
マユリの笑みが残虐さを帯び始めた。
「どうしタ? 苦しそうだネ? 私でよければ喜んで話を聞くヨ。自白剤を増やしてやろうカ?」
「や、め……」
絵島が固く目を瞑った、次の瞬間。
部屋の扉が吹き飛んだ。
〇〇〇
「なっ!」
唖然とするマユリの頬に拳がめり込む。
あまりにも突然の出来事に、受け身すら取れず吹っ飛んでいった。
「マユリ様!」
壁に叩きつけられたマユリにネムが駆け寄ろうとして、凄まじい霊圧に身を強ばらせた。
「……やけに絵島の霊圧が乱れてると思って来てみりゃあ…………なんだ、これぁ?」
表情の失せた更木剣八が、一歩踏み出す。
その手には既に、抜き身の斬魄刀が握られていた。
あまりの怒りように、その場の誰も動けなかった。
マユリは殴られただけで顔の半分が崩壊し、血と歯とを撒き散らしている。ネムは今すぐに補肉剤を渡したいようだが、蛇に睨まれた蛙のように硬直するばかりだ。
涅親子を全く無視して、剣八は絵島に歩み寄った。椅子に縛り付けられ、碌に力が入らない恋人に、そっと手を伸ばす。
おもわず絵島が涙を滲ませるほどに、その手は優しかった。
「ちっと待ってろ、綱吉」
二人きりのときだけに使う呼び方で囁く。
剣八は振り向きざま、刃こぼれだらけの刀を無造作に振り上げた。
マユリの背に戦慄が走る。
疋殺地蔵では到底受け切れない、息苦しいほどの殺気。
技術開発局ごとマユリを刻もうとした夜叉を止めたのは、絵島の一言だった。
「帰りましょう、剣八さん」
刃先が静止する。
絵島はもう一度呼びかけた。
「とても、眠くてね……
「…………。わかった」
斬魄刀を鞘に収め、椅子の拘束を手で引きちぎる。そのまま、くったりと脱力した絵島を抱き上げるや、マユリたちを一顧だにせず部屋を後にした。
〇〇〇
書記官室で絵島の帰りを待っていた生島六席に「今日は上がれ」とだけ告げて、剣八は己の部屋に絵島を連れ込んだ。
敷きっぱなしにしていた布団に寝かせる。髪紐をほどき、額を撫でてやると、絵島の
「なんで泣くんだ」
「…………いえね……優しいなと思って……」
「惚れた女に優しくするのは当たり前だろ」
「……………………」
絵島は沈黙した。
剣八は照れることがない。
恥じることもない。
思うがままに生き、動き、喋る。
照れたり恥じるのは、己を良く見せようと欲を出すからだ。
そんなくだらない虚栄心なぞ持ち合わせていない。
絵島とて、それは知っている。
だが、愛は。
こうして向けてくれる優しい眼差しも、あたたかい掌も、すべて霊圧の影響なのではないか。
そんな不安が、どうしたって拭えない。
急に黙りこんだ絵島に、剣八が覆いかぶさった。
額と額を触れ合わせ、有無を言わさず視線を合わせる。
戸惑う絵島に、剣八が告げた。
「よく聞けよ、綱吉。俺はお前の霊圧で狂うほど雑魚じゃねえ。お前が欲しくて、俺が選んだんだ。────だから」
ぐ、と剣八の瞳が強さを増した。
「お前だけは、俺を疑うな」
「────っ」
絵島は震える手を伸ばし、剣八の頬をそっと撫でた。
「……肝に銘じるよ、剣八」
「それでいい」
剣八は不敵に笑い、絵島に深く口づけた。
千年血戦篇のマユリ様有能すぎて大好き。