願えば、きっと叶う。   作:吉野家

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※ここらで一度、第1話から振り返りながら、設定や時系列、登場人物の動きなどを確認しつつ順番に修正していくことにしました。

大筋の流れはそのままに、後から増えた設定との整合や、描写が足りなかった部分、不自然になっていた部分などを中心に手を入れていきます。

修正版については分かりやすいよう、タイトルの末尾に【改稿版】を付けておきます。

それでは、改めて第1話からどうぞ。


願えば、きっと叶う【改稿版】

 

「母上っ!」

 

 九重の悲鳴が、黄金色に染まった京都の夜へ響いた。

 

 古都を巡る気脈が一点へ引き寄せられ、山々から流れ込む霊的な力が巨大な渦となって吹き荒れている。その中心にいるのは、九本の尾を持つ巨大な金色の妖狐――京都の妖怪たちを束ね、この土地を守護する九尾の狐、八坂だった。

 

 本来ならば京都を守る側にいるはずの彼女の瞳は赤く濁り、九本の尾からは制御を失った膨大な妖力が噴き上がっている。石畳には無数の亀裂が走り、周囲に張り巡らされた結界すら軋むほどの圧力が辺り一帯を満たしていた。

 

 その原因が八坂自身にないことは、ここにいる誰もが分かっている。

 

 英雄派。

 

 彼らに捕らえられた八坂は意識を歪められ、京都を巡る気脈と強引に接続されている。本人の意思とは無関係に莫大な力を引き出され、英雄派の目的のために利用されていた。

 

 だからこそ、一誠たちも力任せに倒すわけにはいかなかった。

 

 周囲では、いくつもの戦闘が同時に続いている。

 

 激しい剣戟を響かせているのは木場祐斗とゼノヴィア。そして二人を同時に相手取るジークフリートだった。背中から伸びた四本の銀鱗の龍腕と本人の両腕、その六本すべてに剣を握り、二人の攻撃を受け流しながら反撃を叩き込んでいる。

 

 少し離れた空では、イリナが放つ光の槍とジャンヌの生み出す聖剣が幾度も交錯し、さらに別方向ではロスヴァイセが防御魔法を幾重にも展開してヘラクレスの爆発的な攻撃を食い止めていた。

 

 そして八坂の真正面では、匙元士郎が全身から黒い炎を噴き上げている。

 

「まだだ……! ここで放したら洒落にならねぇ!」

 

 ヴリトラの力を帯びた黒炎が蛇のように地面を這い、八坂の四肢と九本の尾へ巻きつく。相手を焼き尽くすためではない。動きを鈍らせ、可能な限り傷つけずに拘束するためのものだった。

 

 だが、今の八坂には京都の気脈から力が流れ込み続けている。

 

 黄金の妖力が一際大きく膨れ上がった瞬間、黒炎の拘束が一気に引き千切られた。

 

「なっ――!」

 

 振り抜かれた巨大な尾が匙の身体を捉える。

 

「ぐあっ!」

 

 黒炎を纏った身体が吹き飛び、石畳の上を何度も転がった。

 

「匙!」

 

 曹操と距離を取り合っていた一誠が反射的に振り返る。

 

 その一瞬だった。

 

「母上!」

 

 アーシアの傍にいた九重が駆け出した。

 

「九重ちゃん、待ってください!」

 

 伸ばされたアーシアの手が届くより早く、九重は八坂へ走っていく。

 

 一誠の顔色が変わった。

 

「九重ちゃん!」

 

 翼を広げ、一気に距離を詰める。八坂のもとへ辿り着く寸前で九重の小さな身体を後ろから抱き止め、そのまま勢いを殺した。

 

「離すのじゃ! 母上がそこにおるのじゃ!」

 

「分かってる! でも今近づいたら危ない!」

 

「母上は妾を傷つけたりせぬ!」

 

「本当の八坂さんなら絶対しない! だから今は――!」

 

 言い終わるより早く、頭上で風が唸った。

 

 巨大な尾が振り下ろされる。

 

 一誠は九重を抱えたまま地面を蹴った。直後、先ほどまで二人がいた場所を金色の尾が薙ぎ払い、石畳が轟音とともに砕け散る。

 

 アーシアも飛び散る破片から身を守りながら、一誠たちのもとへ駆け寄った。

 

 少し離れた場所へ着地すると、一誠は九重を下ろす。

 

 けれど九重は逃げなかった。

 

「母上! 妾じゃ! 九重じゃ! お願いじゃから、目を覚ましてくれ!」

 

 涙を流しながら、真正面から母親へ叫ぶ。

 

 その声が届いたのか。

 

 巨大な狐の顔が、ゆっくりと九重へ向いた。

 

 赤く濁った瞳が娘を捉える。

 

「母上……?」

 

 ほんの僅かだった。

 

 濁った瞳の奥に、本来の八坂の意思が戻ったように見えた。

 

 九重の顔に希望が浮かぶ。

 

 だが次の瞬間、その希望を押し潰すように八坂の口腔へ膨大な黄金の妖力が集まり始めた。

 

「九重ちゃん!」

 

 一誠が前へ出る。《赤龍帝の籠手》が唸り、左腕へ力が集中していく。

 

 九重にも逃げなければならないことくらい分かっていた。

 

 それでも、足が動かなかった。

 

 自分へ攻撃を向けているのが母親だから。

 

 また名前を呼んでほしい。

 

 勉強をしろと叱られてもいい。行儀が悪いと怒られてもいい。ただ一緒に食事をして、同じ場所で笑って、いつものように隣にいてほしい。

 

 それだけだった。

 

 あまりにも当たり前の願い。

 

 けれど今は、その当たり前がどうしようもなく遠い。

 

「母上……」

 

 涙に濡れた顔で、九重は母親を見上げた。

 

 そのときだった。

 

「――願えば、きっと叶う」

 

「……え?」

 

 すぐ隣から、男の声がした。

 

 九重が顔を上げ、一誠も目を見開く。

 

 そこに、一人の青年が立っていた。

 

 ほんの一瞬前まで、誰もいなかったはずの場所に。

 

 魔法陣が開いたわけではない。

 

 転移の光もない。

 

 空間が揺らいだ形跡も、妖力や魔力が動いた気配もない。英雄派によって周囲に張り巡らされた術式にさえ、侵入者を感知したような反応はなかった。

 

 それなのに、青年は最初からそこにいたかのような顔で九重の隣に立っている。

 

 白いシャツに黒いパンツ。

 

 戦場にはあまりにも似つかわしくない格好だった。

 

 何より異様なのは、その表情だった。

 

 目の前では巨大な九尾の妖狐が攻撃を放とうとしている。それなのに、青年の顔には焦りも恐怖もない。

 

「誰だ、お前!?」

 

 一誠が叫ぶ。

 

 青年は答えなかった。

 

 それより先に、八坂の口から黄金の奔流が解き放たれた。

 

「避けろ!」

 

 一誠が飛び出そうとする。

 

 だが青年は九重を抱えて逃げることも、その前へ飛び出して盾になることもしなかった。

 

 ただ右手を静かに持ち上げる。

 

――ゴォォン

 

 鐘が鳴った。

 

 寺の鐘ではない。

 

 遠くから響いたとも、すぐ隣で鳴ったとも思えない。方向というものさえ曖昧な、世界そのものの奥底から響いてくるような重く澄んだ音。

 

 そして。

 

 黄金の奔流が消えた。

 

 弾かれたのではない。

 

 別の力と衝突したわけでもない。

 

 爆発も、余波もない。

 

 九重たちを呑み込むはずだった攻撃そのものが、一瞬前まで存在していたことさえ嘘だったかのように跡形もなく失われていた。

 

「……は?」

 

 一誠の口から間の抜けた声が漏れる。

 

 アーシアも目を見開いたまま、言葉を失っていた。

 

「……何をした?」

 

 少し離れた場所から声が届く。

 

 曹操だった。

 

 その手には《黄昏の聖槍》が握られている。先ほどまで一誠を相手にしていた男の視線は、完全に突然現れた青年へ移っていた。

 

「ゲオルク」

 

「ああ」

 

 大規模な術式を維持していた黒髪の魔術師が、周囲へ意識を巡らせる。

 

 数秒後、その眉が寄った。

 

「分からない。侵入反応がない」

 

「転移は?」

 

「それもない。空間移動を使ったなら何かしら痕跡が残る。だが、何も……」

 

「それなのに、そこにいるわけか」

 

 曹操の口元に、興味を引かれたような笑みが浮かぶ。

 

 当の青年はそんなやり取りを気にした様子もなく、消えた攻撃の跡を眺めていた。

 

「派手だな」

 

「いや、今のあんたの方が派手だろ!」

 

 一誠が思わず突っ込んだ。

 

 そこで初めて、青年が九重を見る。

 

「母親を助けたいんだろ?」

 

 九重の瞳が揺れた。

 

「……助けられるのか?」

 

「違う」

 

 即答だった。

 

 僅かに浮かんだ希望が消えかける。

 

 だが青年は少しだけ腰を落とし、九重と目線の高さを近づけた。

 

「俺に聞くんじゃない。お前は、どうしたい?」

 

「妾が……?」

 

「ああ」

 

 どうしたいか。

 

 そんなもの、考えるまでもなかった。

 

 九重は胸元で小さな拳を握り締める。

 

「助けたい。母上を元に戻したいのじゃ。また、一緒にいたい」

 

「なら、それでいい」

 

「それだけで……よいのか?」

 

「願いは、誰かに許可されてするものじゃない」

 

 青年は立ち上がった。

 

 願っただけで何でも叶うほど、世界が都合よく出来ていないことくらい九重にも分かっている。

 

 それでも、その言葉は軽い慰めには聞こえなかった。

 

「叶えたいなら、最後まで願い続けろ」

 

 青年が八坂へ向き直る。

 

 曹操はその一連のやり取りを眺めながら、《黄昏の聖槍》を肩へ担いだ。

 

「面白いな。君が何者なのかは知らないが、先ほどの力には興味がある」

 

 視線だけをゲオルクへ向ける。

 

「もう少し見せてもらおうか」

 

 ゲオルクの指が動いた。

 

 八坂を中心として展開されている大規模魔法陣とは別に、周囲へ幾つもの小さな術式が浮かび上がる。英雄派が事前に組み上げていた魔術へ、八坂から汲み上げられた妖力が一気に流し込まれた。

 

 金色の巨体が揺らぐ。

 

 一体が二体へ。

 

 二体が四体へ。

 

 そして、八体。

 

 瞬く間に八体の九尾が周囲を取り囲んだ。

 

「なっ……!」

 

 一誠が視線を巡らせる。

 

 ただ姿が同じというだけではない。

 

 全身から放たれる妖気も、立っているだけで肌を刺すような圧力も、本物の八坂とほとんど区別がつかない。

 

「ただの幻じゃない……?」

 

 アーシアが息を呑む。

 

「その通りだ」

 

 曹操が答えた。

 

「外見だけを真似た幻なら簡単に見破られる。なら、妖力まで与えればいい。さて――」

 

 八体の八坂が同時に青年へ顔を向ける。

 

「どれが本物か分かるかな?」

 

 青年はゆっくりと周囲を見回した。

 

 困惑はない。

 

 焦りもない。

 

 むしろ、少し楽しそうだった。

 

「随分手が込んでるな」

 

「降参するかい?」

 

「まさか」

 

 青年は右手を持ち上げ、人差し指と小指を立て、中指と薬指を親指へ重ねた。

 

 狐。

 

 その形に九重が気づき、目を瞬かせる。

 

「化かすのは、お前らの専売特許じゃないぜ」

 

 狐を象った手をひらりと返す。

 

 それから腰へ手を伸ばすと、次の瞬間には機械的なベルトが巻かれていた。

 

「……狐」

 

 九重が小さく呟いた。

 

 青年が手にした大型のバックルへ指を掛けようとしたところで、九重が声を上げる。

 

「待つのじゃ!」

 

「なんだ?」

 

「妾はまだ、お主の名前を知らん」

 

 その言葉に、一誠も今さらながら気づいた。

 

 突然現れた。

 

 八坂の攻撃を消した。

 

 九重へ願えと言った。

 

 そして今から、八体の九尾を前に戦おうとしている。

 

 それなのに、自分たちはまだこの男の名前すら知らない。

 

 青年は九重を見下ろし、余裕のある笑みを浮かべた。

 

「浮世英寿」

 

「うきよ……えーす?」

 

「英寿でいい」

 

 九重が確かめるようにその名前を口にすると、英寿は小さく頷いた。

 

「覚えておけ。お前の願いが叶うところを見届ける男の名前だ」

 

「英寿が叶えてくれるのか?」

 

「叶えるのはお前だ」

 

 英寿は静かに首を振る。

 

「俺は、そこまで連れていくだけだ」

 

 そう言って、手にしたバックルへ指を掛ける。

 

 一つだった機構が左右へ分離した。

 

『MARK Ⅸ』

 

 英寿は分かれた二つのブーストマークⅨレイズバックルを、腰に装着したデザイアドライバーの左右へ差し込む。

 

『SET IGNITION』

 

 高らかなファンファーレが京都の夜気を震わせた。

 

 英寿の正面へ巨大な《Ⅸ》を描いた円盤状の光が現れ、その背後には白い機械仕掛けの九尾が姿を現す。

 

 九本の尾を大きく広げた白狐。

 

 九重は一瞬だけ、母親とは違うもう一匹の九尾から目を離せなくなった。

 

 英寿は右手を顔の横へ持ち上げる。

 

 乾いた音が鳴った。

 

 ――パチン。

 

「変身!」

 

『REVOLVE ON』

 

 バックルの機構が大きく展開し、せり出したレバーを英寿が引く。

 

 九尾を思わせる意匠から青白い炎が一斉に噴き上がった。

 

 炎の中へ仮面ライダーの素体が浮かび、その周囲を囲うように九本の白い光柱が地面から立ち昇る。機械仕掛けの白狐が柱の間を駆け、飛び、螺旋を描くように英寿の周囲を昇っていった。

 

 狐が光柱を通り抜けるたび、純白の装甲が身体へ重なっていく。

 

 九本の光が捻れ、編み込まれる。

 

 白。

 

 ほとんど黒を残さない、眩いほど純白の戦士。

 

 鋭い狐面が完成し、その奥で黄色の複眼が目覚めるように灯った。

 

 最後に九本の光が背中へ集まり、白い九尾を思わせる装備を形作る。

 

『DYNAMITE BOOST』

 

『GEATS Ⅸ』

 

『READY FIGHT』

 

 金色の九尾たちと向かい合うように、純白の狐が立った。

 

 仮面ライダーギーツⅨ。

 

「……なんだ、あの神器」

 

 一誠が思わず呟いた。

 

 ベルトのような装具を使ったと思えば、全身を鎧が覆った。

 

 自分の《赤龍帝の鎧》を考えれば、《禁手》によって全身装甲を纏うこと自体はあり得ない話ではない。

 

 だが。

 

「あれ……禁手なのか?」

 

 自分で口にしておきながら、確信が持てない。

 

 少なくとも一誠がこれまで見てきた神器とは、何もかもが違いすぎた。

 

「おい! そいつら、ただの幻じゃねぇぞ! 気をつけろ!」

 

 一誠が叫ぶ。

 

「分かってる」

 

 英寿は八体の八坂から目を離さず、短く答えた。

 

 八体の九尾が同時に咆哮する。

 

 黄金の妖力がそれぞれの口腔へ集中し、八方向から一斉に撃ち放たれた。

 

 英寿は避けない。

 

 僅かに右手を上げる。

 

――ゴォォン

 

 八本の黄金の奔流が、その場から消えた。

 

「また……!」

 

 一誠が目を見開く。

 

 今度も防いでいない。

 

 ぶつかり合った衝撃もなければ、相殺された余波もない。八本の攻撃だけが、世界から抜け落ちるように失われている。

 

 曹操の笑みが薄くなる。

 

「では、これはどうかな?」

 

 八体の八坂が一斉に動いた。

 

 巨体がそれぞれ別方向へ散り、英寿を取り囲む。妖力も、気配も、動いた際に地面へ伝わる重量さえ酷似している。

 

 曹操が問いかけた。

 

「どれが本物か、見破れるかい?」

 

「見破る?」

 

 英寿が僅かに首を傾けた。

 

「違うな」

 

「何?」

 

「最初から分かってる」

 

 黄色い複眼が、八体の九尾を一度だけ見回す。

 

 そして。

 

「神様には――」

 

「神?」

 

 一誠が反射的に聞き返した。

 

 英寿は気にすることなく、そのまま続ける。

 

「偽物なんて関係ないんだぜ」

 

 右手が僅かに動いた。

 

――ゴォォン

 

 次の瞬間。

 

 七体の九尾が、一斉に消えた。

 

「……は?」

 

 一誠の口が開く。

 

 爆発もしない。

 

 魔法陣が砕けることもない。

 

 そこまで本物そっくりに作られていた七体の擬似体だけが、最初から存在していなかったように跡形もなく失われていた。

 

「馬鹿な……!」

 

 ゲオルクが思わず声を漏らす。

 

「術式を解析した様子はなかった。魔力構造を探った形跡もない。それなのに、偽物だけを――」

 

「神様って……」

 

 九重も白い背中を見つめる。

 

 一誠も聞き返したものの、今は追及している余裕がない。

 

 残った一体。

 

 本物の八坂が、耳をつんざくような咆哮を上げた。

 

 九本の尾が一斉にギーツⅨへ襲いかかる。

 

 最初の一本が白い身体を叩き潰す寸前、英寿が地面を蹴った。

 

 尾の上へ軽々と着地する。

 

 そのまま駆け上がった。

 

 二本目が横薙ぎに迫ると身体を沈めてかわし、三本目が退路を塞ぐより先に別の尾へ飛び移る。巨大な九尾を相手にしているとは思えないほど、動きに無駄がない。

 

 速い。

 

 だが、それだけではなかった。

 

 八坂がどう動くのかを、攻撃が始まるより前から知っているように先回りしている。

 

「なんだよ、あの動き……」

 

 一誠が呟く。

 

 神だ何だという先ほどの言葉を抜きにしても、単純に戦い方がおかしい。

 

 力任せではない。

 

 相手の視線。

 

 重心。

 

 尾が動き出す直前の僅かな変化。

 

 それらを読み切り、必要なだけ身体を動かして攻撃を抜けている。

 

 英寿が八坂の目前へ迫った。

 

 巨大な前脚が振り下ろされる。

 

 今度は避けなかった。

 

 両腕を上げる。

 

 激突。

 

 轟音とともに石畳が陥没し、蜘蛛の巣状の亀裂が広がった。

 

 それでも白い身体は沈まない。

 

 巨大な八坂の前脚を、ギーツⅨが真正面から受け止めていた。

 

「嘘だろ……」

 

 体格差など比較する意味もない。

 

 にもかかわらず、押し返されているのは八坂の方だった。

 

 だが英寿は拳を返さない。

 

 八坂を殴り飛ばすこともしない。

 

 前脚を押し返し、体勢を崩させるだけ。

 

「英寿さん……」

 

 そのことに最初に気づいたのはアーシアだった。

 

「攻撃してません」

 

「……え?」

 

 一誠が改めて戦いを見る。

 

 受け流す。

 

 かわす。

 

 止める。

 

 押し返す。

 

 確かに、八坂本人を傷つけるための一撃を英寿は一度も加えていない。

 

 九本の尾が再び広がる。

 

 その瞬間、ギーツⅨの背後に備わる九尾状の装備が大きく動いた。

 

 白い尾がそれぞれ別方向へ伸びる。

 

 一本目を受け止め、二本目へ絡みつき、三本目の軌道を押し上げる。残る尾にも次々と巻きつき、八坂の九本すべてをその場へ縫い止めるように拘束していった。

 

 金色の九尾と、白い九尾。

 

 京都の夜に、二匹の狐が向かい合う。

 

 八坂が激しく身を捩る。

 

 英寿はその間に、ゆっくりと胸元へ近づいた。

 

 黄色い複眼が見ているのは八坂自身ではない。

 

 その奥。

 

 本人の意識へ食い込み、意思を押し潰しているもの。

 

 妖力を無理やり引き出しているもの。

 

 そして京都を巡る気脈へ、八坂の意思を無視して接続しているもの。

 

 英寿が右手を伸ばす。

 

 指先が八坂の胸元へ触れた。

 

――ゴォォン

 

 鐘が響いた。

 

 すると、それまで目には見えなかった異質な光が八坂の全身へ浮かび上がった。

 

「こんなに……」

 

 アーシアが息を呑む。

 

 鎖のように意識へ絡みつく光。

 

 身体の奥へ棘のように食い込むもの。

 

 地面から伸び、京都の気と八坂を強引に結びつけているもの。

 

 一つの術ではない。

 

 異なる役割を持った幾つもの干渉が重なり合い、八坂本人を押し潰しながら、その力だけを利用していた。

 

 ゲオルクの表情が変わる。

 

「見えているのか……?」

 

 英寿は答えない。

 

「随分好き勝手やったみたいだな」

 

 八坂を見上げる。

 

 右手を僅かに握った。

 

 その瞬間、意識へ食い込んでいた術が消えた。

 

 続いて、妖力を外から強制的に引き出していた干渉。

 

 さらに、京都の気脈へ繋ぎ止めていた接続まで。

 

 壊しているのではない。

 

 術を解いている様子とも違う。

 

 八坂に加えられていた余計なものだけが、存在する理由そのものを失ったように消えていく。

 

「なんだ……あの神器」

 

 一誠の声から、先ほどまでの勢いが消えていた。

 

 白い全身装甲を見たときは、《禁手》なのかもしれないと思った。

 

 だが、今目の前で起きていることは何だ。

 

「神器……なのか、あれ?」

 

 答えられる者はいなかった。

 

 アーシアも、離れた場所から様子を窺う木場たちも、英寿が使っている力の正体など知らない。

 

 ただ、鐘が鳴ったあと。

 

 八坂を苦しめていたものだけが、確実に消えた。

 

「母上!」

 

 九重が身を乗り出す。

 

 八坂の赤く濁った瞳が揺れた。

 

 一瞬、本来の金色が戻りかける。

 

 だが次の瞬間、八坂の身体から再び黄金の妖力が噴き上がった。

 

「まだ駄目なのか!?」

 

 一誠が構え直す。

 

 外部からの干渉は消えている。

 

 それでも、長時間にわたって京都の気脈から限界以上の力を流し込まれ続けたことで、八坂自身の妖力が制御を失っていた。

 

 九本の尾が大地を叩き、黄金の妖気が暴風となって吹き荒れる。

 

 それでも英寿は動かなかった。

 

 白い狐面が九重へ向く。

 

「願え」

 

「え……?」

 

「最後まで願い続けろって言っただろ」

 

 荒れ狂う妖気の中でも、不思議なほどその声はよく聞こえた。

 

「母親を助けたいんだろ?」

 

「……うむ!」

 

「だったら、お前の願いを届けろ」

 

 九重の小さな身体が震える。

 

 怖い。

 

 目の前では、今も母親の力が荒れ狂っている。

 

 けれど英寿は、母親を傷つけなかった。

 

 なら。

 

 九重は一歩、前へ出た。

 

「母上!」

 

 八坂の耳が僅かに動く。

 

「帰ってきてほしいのじゃ!」

 

 もう一歩。

 

「妾は、まだ母上と一緒にいたい! もっと話したいし、一緒にご飯も食べたい!」

 

 黄金の妖気が揺れる。

 

「叱られてもよい! 勉強しろと言われてもよい! 行儀が悪いって怒られてもよい!」

 

 涙が頬を流れる。

 

 それでも九重は声を止めない。

 

「じゃから……帰ってきてほしいのじゃ!」

 

 九本の尾の動きが、僅かに鈍った。

 

「妾を、一人にしないでほしい!」

 

「母上!」

 

 赤く濁った八坂の瞳が娘を見る。

 

 ほんの僅かに。

 

 その奥へ母親の意思が戻った。

 

「……く……のう……」

 

「母上!」

 

 掠れた声。

 

 それでも九重には十分だった。

 

「届いたな」

 

 英寿はその瞬間を見逃さなかった。

 

 デザイアドライバーへ右手を伸ばし、展開されていたレバーを一度引く。

 

『BOOST Ⅸ STRIKE』

 

 青白いエネルギーがギーツⅨの全身を走った。

 

 その力が右腕へ集中し、白い拳を蒼い炎が包み込む。炎の内側では青白い稲妻が幾度も弾け、その光が八坂の金色の毛並みを照らした。

 

 九重が息を呑む。

 

 けれど、不思議と怖くなかった。

 

 ここまで英寿は、一度として母親を傷つけていない。

 

 なら、この一撃もきっと違う。

 

 ギーツⅨが地面を蹴った。

 

 一誠の視界から白い身体が消える。

 

 次の瞬間には、八坂の懐へ潜り込んでいた。

 

 蒼炎を纏った右拳が振り抜かれる。

 

 狙うのは八坂ではない。

 

 その身体の奥。

 

 本人の意思とは関係なく、未だ暴れ続けている異常な力だけ。

 

 拳が八坂の胸元へ触れた。

 

――ゴォォン

 

 鐘が響いた。

 

 破壊力は八坂自身へ届かない。

 

 皮膚にも、骨にも、臓器にも。

 

 代わりに青白い光が身体の内部を走り、制御を失って暴れ続けていた異常な妖力だけを正確に捉えた。

 

 蒼い稲妻が貫く。

 

 八坂の身体から、膨れ上がっていた黄金の力だけが弾け飛ぶ。

 

 夜空へ光が散っていく。

 

 そして、巨大な九尾の身体がゆっくりと傾いた。

 

「母上!」

 

 九重が駆け出す。

 

 今度は一誠も止めない。

 

 八坂が地面へ倒れる寸前、その巨体が柔らかな光に包まれた。九本の尾が消え、身体が縮み、人の姿へ戻っていく。

 

「母上! 母上ぇ!」

 

 九重は倒れた八坂のもとへ飛び込み、その身体へ縋りついた。

 

 反応がない。

 

 ほんの数秒。

 

 だが九重には、その時間が永遠のように感じられた。

 

 やがて。

 

「……九……重……」

 

 弱々しい声が聞こえた。

 

 八坂の瞼が僅かに開く。

 

「母上……!」

 

 震える手が持ち上がり、娘の頭へ触れた。

 

 それだけでよかった。

 

 九重は声を上げて泣きながら、その胸へ抱きついた。

 

 一誠が大きく息を吐く。

 

 アーシアも胸元へ両手を重ね、目を潤ませながら母娘を見つめていた。

 

 だが、戦場そのものが消えたわけではない。

 

「ゲオルク」

 

 曹操が静かに呼ぶ。

 

 術式を確認していたゲオルクが、険しい顔で首を振った。

 

「駄目だ。八坂との接続は完全に消えている。気脈との経路もない。もう利用出来ない」

 

「そうか」

 

 曹操はしばらく英寿を見つめた。

 

 先ほどまでの余裕とは違う。

 

 未知の存在を測るような目だった。

 

「浮世英寿、だったね」

 

 黄色い複眼が曹操へ向く。

 

「覚えておこう」

 

 英寿は僅かに肩を竦めた。

 

「好きにしろ。どうせ忘れられないだろ?」

 

 一瞬。

 

 曹操が目を細める。

 

 それから、面白そうに口元を歪めた。

 

「……確かにね」

 

 英寿もそれ以上は何も言わなかった。

 

 曹操へ襲いかかろうともしない。

 

 最初から目的は変わっていなかった。

 

 九重の願いを、八坂へ届けること。

 

 それを邪魔するものがなくなった以上、今の英寿に英雄派を追い回す理由はない。

 

 逆に、八坂を利用した計画の根幹を失った英雄派にも、この場へ留まり続ける意味は薄かった。

 

「今日はここまでにしよう」

 

 曹操が告げた。

 

 その声を合図にするように、各所の戦闘が止まり始める。

 

 ジークフリートが木場とゼノヴィアから距離を取り、ジャンヌもイリナへの攻撃を止める。ヘラクレスもロスヴァイセを追わず、仲間たちのもとへ戻っていった。

 

「逃がすか!」

 

 一誠が前へ出る。

 

 だが、その視界を紫がかった濃霧が遮った。

 

「一誠さん!」

 

 アーシアの声に、一誠の足が止まる。

 

 八坂は助け出したばかり。

 

 匙も負傷している。

 

 木場たちも長い戦闘の直後だ。

 

 正体の分からない霧の中へ無理に突っ込めば、何が起きるか分からない。

 

「くそっ……!」

 

 霧が英雄派を包み込む。

 

 数秒後には、曹操たちの姿も気配も消えていた。

 

 静寂が戻ってくる。

 

 完全な静寂ではない。

 

 荒い呼吸。

 

 崩れた石の音。

 

 八坂へ縋りついて泣く九重の声。

 

 戦いの傷跡はそこかしこに残っている。

 

 それでも、先ほどまで京都の夜を満たしていた殺気だけは消えていた。

 

「一誠君!」

 

 最初に戻ってきたのは木場だった。

 

 その隣にはゼノヴィアがいる。少し遅れてイリナとロスヴァイセも合流し、負傷した匙も脇腹を押さえながら立ち上がった。

 

「八坂さんは?」

 

 匙が真っ先に尋ねる。

 

「助かった」

 

 一誠の答えに、匙の肩から力が抜けた。

 

「そっか……なら、ぶっ飛ばされた甲斐はあったな」

 

「匙さん、すぐ治します!」

 

 アーシアが駆け寄り、匙の身体を治癒の光が包み込む。

 

 一方、木場の視線は少し離れた場所に立つ純白の戦士へ向いていた。

 

「彼は……?」

 

「俺も今さっき名前知ったところ」

 

「え?」

 

「本当に突然現れたんだよ。そんで八坂さんの攻撃を消して、白い狐みたいなのになって……って、俺も説明してて意味分かんねぇ!」

 

 ロスヴァイセも白い戦士を凝視する。

 

「……あれは神器なのですか?」

 

「それ、俺も知りたい」

 

 一誠は即答した。

 

 白い全身装甲だけなら《禁手》と言われても納得出来なくはない。

 

 だが、その力まで含めれば分からない。

 

 どういう神器なら、攻撃だけを消せる。

 

 どういう神器なら、八坂へ加えられた術式だけを取り除ける。

 

 そもそも、あれを本当に神器と呼んでいいのか。

 

 誰にも答えは出せなかった。

 

 やがてギーツⅨの純白の装甲が淡い光へ変わり、英寿の身体から消えていく。

 

 元の姿へ戻った英寿は、九重と八坂の母娘を静かに見守っていた。

 

「いや……待て待て待て」

 

 最初に限界を迎えたのは一誠だった。

 

「聞きたいこと多すぎるだろ! どっから来た! 今の白いの何だ! あのベルト神器なのか!? あの鐘なんだ! 八坂さんに掛かってた術どうやって消した! っていうか、さっき神様って――」

 

 英寿は一誠が捲し立てるのを最後まで聞いた。

 

「一度に聞かれても困るな」

 

「じゃあ一個ずつ答えてくれよ!」

 

「気が向いたらな」

 

「答える気ないだろ!」

 

 木場が苦笑し、イリナも張り詰めていたものが切れたように小さく笑う。ゼノヴィアだけは、本当に何から質問するべきか真剣に考え始めていた。

 

 そのとき。

 

「……英寿」

 

 小さな声がした。

 

 先ほど一誠を軽くあしらっていた英寿が、すぐに振り返る。

 

 八坂の傍に膝をついている九重だった。

 

「どうした?」

 

「母上は……大丈夫なのじゃな?」

 

「ああ。余計なものは全部消した。今は力を使いすぎて疲れてるだけだ」

 

「目を覚ます?」

 

「少し休めばな」

 

「そうか……」

 

 九重の肩から、ようやく力が抜けた。

 

 母親の手を両手で握り直し、その温もりを確かめる。

 

 八坂は生きている。

 

 ここにいる。

 

 それだけで、今は十分だった。

 

 しばらく母親の顔を見つめていた九重は、やがて何かに気づいたように英寿へ顔を向ける。

 

「英寿」

 

「ん?」

 

「……もう、行ってしまうのか?」

 

 英寿は僅かに目を細めた。

 

「まあ、そのつもりだったんだけどな」

 

「だった?」

 

 反応したのは一誠だった。

 

 英寿はすぐには答えない。

 

 京都の夜空へ目を向ける。

 

 先ほどまで荒れ狂っていた妖力は薄れ、雲の切れ間から月が覗いていた。

 

 静かな夜だった。

 

 けれど英寿の意識は、その景色よりもさらに遠いところへ向いている。

 

 数秒。

 

 やがて、僅かに首を傾げた。

 

「……ないな」

 

「何が?」

 

「帰り道」

 

「は?」

 

 一誠の反応が止まった。

 

 九重も目を瞬かせる。

 

「帰り道がないって……どういうことだよ?」

 

「そのままの意味だ。戻ろうとしても、帰る先に繋がらない」

 

「いやいやいや、それ結構な大問題じゃねぇの!?」

 

「そうか?」

 

「そうだろ!」

 

 思わず声を張り上げた一誠とは対照的に、英寿本人には焦った様子がまるでなかった。

 

 自分の意思でここへ来たわけではない。

 

 気づけば、あの少女の願いの傍に立っていた。

 

 そして今、戻ろうとしても道が見つからない。

 

 分からないことは多い。

 

 だが。

 

 英寿は九重を見る。

 

 母親の手を握り、先ほどまでとは違う安堵した顔をしている。

 

「まあ、急ぐこともないさ」

 

「いや、なんでそんな余裕なんだよ……」

 

 一誠が頭を抱える。

 

「では……」

 

 九重がおそるおそる口を開く。

 

「英寿は、しばらく京都におるのか?」

 

「そうなりそうだな」

 

 その答えを聞いた九重の顔が、ほんの少しだけ明るくなった。

 

 本人は隠そうとしたようだが、英寿は見逃さない。

 

「なんだ。嬉しそうだな」

 

「そ、そんなことは言っておらぬ!」

 

「そうか?」

 

「そうじゃ!」

 

 慌てて否定する九重に、英寿が僅かに笑う。

 

 一誠も呆れながらそのやり取りを眺めていたが、ふと先ほどから引っかかっていた言葉を思い出した。

 

 だが、それを口にするより先に九重が首を傾げる。

 

「そうじゃ、英寿」

 

「なんだ?」

 

「さっきも言っておったが……お主、本当に神様なのか?」

 

 一誠たちが一斉に黙る。

 

 当然だった。

 

 全員が聞きたかったことでもある。

 

 英寿は少しだけ夜空を見上げた。

 

 八坂の妖力によって覆われていた雲は薄れ、京都の古い町並みを月明かりが照らしている。

 

 その景色を眺めてから、九重たちへ向き直った。

 

「改めて名乗っておこうか」

 

 何ものにも揺らがない、自信に満ちた笑み。

 

「浮世英寿」

 

 九重へ伝えた名前を、今度は全員へ。

 

「スター・オブ・ザ・スターズ・オブ・ザ・スターズ――」

 

「長いって」

 

 一誠の眉が引きつった。

 

 英寿は当然のように聞き流す。

 

「そして――」

 

 ほんの少しだけ、その声が柔らかくなった。

 

 視線の先には、母親の手を握る九重がいる。

 

「誰もが幸せになれる世界を願う」

 

 九重が英寿を見上げる。

 

「神様だ」

 

 一誠は絶句した。

 

 木場も僅かに目を見開き、ゼノヴィアは何とも言えない表情で英寿を見つめる。イリナとロスヴァイセも、すぐには言葉を返せなかった。

 

 アーシアだけは驚きながらも、八坂を傷つけることなく助け出した英寿の姿を思い返すように静かに見つめている。

 

 けれど。

 

 九重は、もう驚かなかった。

 

 眠る母親の手を握りながら、最初に言われた言葉を思い出す。

 

 ――願えば、きっと叶う。

 

 少し前までなら、そんな言葉を信じることなど出来なかった。

 

 けれど今、自分の手の中には確かに母親の温もりがある。

 

 そして、その願いの傍へ。

 

 何の前触れもなく、白い狐の神様が現れた。

 

 しかもどうやら、その神様はすぐには帰れないらしい。

 

 なら。

 

 願い続けることくらい。

 

 もう少しだけ、信じてみてもいいのかもしれなかった。

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