リアスが自分の願いを言葉にした翌日も、駒王学園の時間は何事もなかったように流れていた。
学園祭の準備は日に日に本格化し、放課後の校舎には授業中とは別種の活気が満ちている。廊下を歩けば色紙や木材を抱えた生徒とすれ違い、教室からは出し物について意見を交わす声が聞こえてくる。リアスたちも自分たちに割り振られた準備を進めながら、夕方になればレーティングゲームへ向けた訓練へ移る予定だった。
表向きには、いつもと変わらない一日だった。
ただ、一誠には一つだけ気になることがあった。
「部長、こっちの飾りはどうします?」
「それは窓際へお願い。一誠なら届くでしょう?」
「了解です」
脚立を使いながら装飾を取り付ける一誠を、リアスが下から確認している。
会話そのものは普通だった。
リアスも普段通りだし、一誠に対する態度が露骨に冷たくなったわけでもない。
それなのに、一誠が「部長」と呼ぶたび、ほんの一瞬だけリアスの表情が変わる。
昨夜から意識して見るようになったせいなのか、今では見落とせなかった。
作業を終えて脚立から降りると、一誠は少し離れた場所で紙飾りを作っていた小猫へ近づいた。
「なあ、小猫ちゃん」
「何ですか」
「部長、やっぱり何か変じゃない?」
小猫の手が止まる。
「ようやく気づいたんですか」
「やっぱり何かあるの!?」
思わず声が大きくなり、一誠は慌てて周囲を確認した。近くの生徒には聞かれていないようで、ほっと息を吐く。
小猫は紙を折りながら淡々と続けた。
「そこまで気づいたなら、自分で考えてください」
「考えてるって。でも原因が全然分かんないんだよ」
「では、もっと考えてください」
「厳しくない?」
答えはない。
一誠は助けを求めるようにアーシアを見る。
アーシアも少し困った顔をしたが、直接教えるつもりはないようだった。
「一誠さん、一度リアス部長とゆっくりお話ししてみるのはどうでしょう」
「やっぱりそれしかないかな……」
昨夜、自分でも同じ結論には辿り着いていた。
何が原因なのか分からないから話せないのではなく、分からないからこそ本人へ聞けばいい。
英寿にも似たようなことを言われた。
ただ、いざリアス本人を前にすると、何をどう切り出せばいいのか分からなくなる。
一誠が悩んでいる間にも、リアスは朱乃と学園祭の予定について話していた。
その姿はいつも通り美しい。
学校中の憧れであり、自分の主人であり、自分を死から救ってくれた存在。
一誠はそこまで考え、無意識に視線を逸らした。
胸の奥に、理由の分からない引っ掛かりが残った。
◆
放課後の準備が終わると、一行はいつもの訓練場所へ移動した。
レーティングゲームの日程はすでに正式に決まっている。
残された時間は限られていた。
だからといって、一誠だけを集中的に鍛えればいいわけではない。レーティングゲームは眷属同士の団体戦であり、個々の力と同じくらい連携が重要になる。
その日は、リアスが全体を指揮しながら複数人での模擬戦を繰り返していた。
英寿も少し離れた場所から訓練を見ている。
自分から口を出すことはほとんどない。
ただ、一誠の動きが以前と変わっていることは分かった。
『Boost!』
《赤龍帝の籠手》から音声が響く。
一誠は増幅した力をすぐ攻撃へ回さず、正面にいるゼノヴィアと、その横から回り込もうとしている小猫の位置を同時に確認した。
ゼノヴィアへ正面から突っ込めば、小猫に横を取られる。
だから一度後退する。
小猫が距離を詰めたところで進路を変え、先に彼女の攻撃をかわしてからゼノヴィアへ向き直った。
まだ粗い。
反応が一瞬遅れ、小猫の蹴りが肩を掠める。
それでも、一つの相手しか見ていなかった以前よりは良かった。
模擬戦が終わったところで、英寿が一誠へ声を掛けた。
「周りを見る余裕は出てきたな」
汗を拭っていた一誠が顔を上げる。
「お、今回はちゃんと褒められた」
「まだ褒め終わってない」
「え?」
「小猫に気を取られた後、ゼノヴィアの位置を見失ってただろ」
一誠の笑顔が止まった。
「見てたのか?」
「見てなきゃ分からないだろ」
「そうだけどさ……」
少し離れたところからゼノヴィアが口を挟む。
「実戦なら、あそこで私は一誠を斬れていたな」
小猫も頷いた。
「私を避けたところで安心していました」
「二人とも容赦ないな!」
一誠は頭を抱えた。
英寿は少し笑ってから、訓練場へ視線を戻した。
「でも、前よりはいい。全部一度に出来るようになる必要はないだろ。今まで見てなかったものを見ようとしてるなら、それを続ければいい」
「……おう」
今度は素直に頷いた。
リアスもそのやり取りを少し離れたところから見ていた。
一誠は確かに変わろうとしている。
戦い方だけではない。
昨日から、自分の顔を見る時間も以前より増えた。
何かを気にしていることまでは伝わっているのだろう。
それでも、まだ一誠は自分を「部長」と呼ぶ。
分かっている。
その呼び方そのものが嫌いなわけではない。
眷属の王として頼られることは嬉しいし、一誠が自分を慕ってくれていることも知っている。
けれど、それだけでは足りなくなってしまった。
昨日、英寿に問い返されて初めて、自分でもはっきり認めた。
もっと近づきたい。
王としてではない。
学園の部長としてでもない。
リアス・グレモリーという一人の女性として、一誠に見てほしい。
その願いを自覚してしまえば、「部長」という二文字が以前より遠く感じられた。
「リアス」
隣から朱乃に呼ばれる。
「分かってるわ」
「まだ何も言っていませんわよ?」
「昨日も聞いたわ、それ」
朱乃は楽しそうに微笑むだけだった。
◆
訓練を終えた頃には、日もすっかり落ちていた。
アザゼルの判断で終了時間は厳しく管理されている。サイラオーグ戦を前に無理をして疲労を蓄積する方が問題になるからだ。
駒王学園へ戻った一行は、オカルト研究部の部室でその日の反省を行った。
作戦についての確認も終わり、そろそろ解散しようという頃になっても、一誠だけは席を立とうとしなかった。
アーシアが気づく。
「一誠さん?」
「アーシアたちは先に帰っててくれないか?」
その言葉で、小猫はすぐに察したらしい。
「分かりました」
「え、小猫ちゃん早くない?」
「一誠先輩が自分から話す気になったなら、邪魔する必要はありません」
リアスが僅かに目を見開く。
朱乃も事情を察したらしく、何も言わず立ち上がった。
「では、私たちは先に失礼しますわ」
ゼノヴィアも続く。
アーシアだけは少し心配そうに一誠を見たが、最後には小さく頷いた。
「頑張ってください、一誠さん」
「何を!?」
アーシアは答えずに部室を出ていった。
英寿もソファから立ち上がる。
「俺も出た方がよさそうだな」
一誠が珍しく即座に頷いた。
「頼む」
「分かったよ」
英寿も茶化さず、他の者たちと一緒に部屋を出た。
扉が閉じる。
部室にはリアスと一誠だけが残った。
急に静かになった室内で、一誠は自分の心臓の音が妙に大きく聞こえる気がした。
リアスは机の前に座ったまま一誠を見る。
「話って?」
先に聞かれ、一誠は腹を括った。
「最近、部長……俺に何か怒ってます?」
リアスの表情が僅かに曇る。
その変化を今度は見逃さなかった。
「やっぱり何かあるんですよね」
一誠は続けた。
「俺、何かしたなら言ってください。直せることなら直したいし、何も分からないままなのは嫌なんです」
リアスはしばらく黙っていた。
昨日までなら、ここでも「何でもない」と言っていたかもしれない。
けれど、自分が何を願っているのかはもう分かっている。
だから逃げることは出来なかった。
「一誠」
「はい」
「アーシアのこと、どう思ってる?」
「え?」
思いもしなかった質問だった。
リアスは真剣だった。
「答えて」
一誠は戸惑いながらも考える。
「大切ですよ。家族みたいな存在でもあるし……守りたいと思ってます」
「朱乃は?」
「朱乃さんも大切です。頼りになるし、いつも助けてもらってるし……からかわれるのはちょっと怖いですけど」
リアスは続ける。
「小猫は?」
「小猫ちゃんも大切ですよ。後輩だし、よく蹴られるけど、何だかんだ俺のこと心配してくれるし」
「ゼノヴィアは?」
「もちろん大事な仲間です」
そこまで答えたところで、一誠にも何となく分かってきた。
リアスは一度だけ目を伏せ、それから自分自身の胸元へ手を置いた。
「じゃあ、私は?」
一誠は迷わなかった。
「部長は特別ですよ」
「……どう特別なの?」
「俺を助けてくれた人です。俺を悪魔として生き返らせてくれて、それからずっと面倒見てもらって……俺が今ここにいるのだって、部長がいたからです」
全て本心だった。
リアスが特別でないはずがない。
だが、リアスの表情は晴れなかった。
「一誠」
「はい」
「今、あなたが答えた人たちのこと、もう一度思い出してみて」
「え?」
「アーシアはアーシア。朱乃は朱乃。小猫も、ゼノヴィアも……あなたはみんなを名前で呼ぶでしょう?」
そこで、一誠の身体が止まった。
リアスは真っ直ぐに彼を見る。
「どうして、私だけずっと『部長』なの?」
ようやく繋がった。
ここ数日、リアスが表情を変えていた瞬間。
全部、自分が彼女を「部長」と呼んだ時だった。
「私はあなたの王よ。それを嫌だと思ったことはないわ。オカルト研究部の部長でもある。そう呼ばれること自体が嫌なわけでもない」
リアスはそこで一度言葉を止めた。
声を震わせないようにしているのが、一誠にも分かった。
「でも……私は、あなたにとっていつまで『部長』なの?」
一誠は何も言えなかった。
答えなら簡単なはずだった。
名前で呼べばいい。
リアス。
何度も聞いている名前だ。
呼べない理由などないはずだった。
「リ……」
口を開く。
その瞬間だった。
胸の奥が冷たくなる。
古い記憶が、唐突に蘇った。
まだ悪魔になる前。
自分に初めて出来た恋人。
夕麻。
自分なんかに彼女が出来たということが、信じられないほど嬉しかった。
一緒に歩いた。
笑ってくれた。
楽しかった。
その日の最後に、彼女は自分を殺した。
好きだと言われたことも、自分へ向けられた笑顔も、最初から全部偽物だった。
胸を貫いた光の槍。
冷たくなっていく身体。
そして、自分を見下ろしていた少女の顔。
それ以来、色々なことがあった。
リアスに救われ、アーシアたちと出会い、命を懸けて戦うことも何度もあった。普段は昔と同じように笑っているし、自分ではもう乗り越えたつもりだった。
けれど、誰かが自分を異性として特別に思っているかもしれないと考えた瞬間だけ、胸の奥から同じ恐怖が顔を出す。
そんなはずがない。
勘違いだったらどうする。
自分だけが勝手に期待していたら。
また全部嘘だったら。
リアスの名前を口にするという、ただそれだけのことが、自分の中では知らないうちにその一歩になっていた。
「……俺は」
結局、名前は出なかった。
リアスの瞳が揺れる。
「呼べないの?」
責める声ではなかった。
だからこそ、一誠には辛かった。
「ごめんなさい、部長。俺……」
言ってから、自分でも気づいた。
また呼んだ。
リアスの目から涙がこぼれた。
「……そう」
「違うんです!」
「何が違うの?」
一誠は答えられない。
名前を呼べない理由を、今まで自分自身ですら分かっていなかった。
リアスは椅子から立ち上がる。
「ごめんなさい。今は少し、一人にして」
「部長!」
今度こそ呼び止めようとして、また同じ言葉が出た。
リアスは一瞬だけ足を止めたが、振り返らなかった。
そのまま部室を出ていく。
扉が静かに閉じた。
一誠は立ったまま動けなかった。
自分が何を間違えたのかは、もう分かっている。
それでも、どうすればいいのかまでは分からなかった。
◆
旧校舎の外へ出た一誠は、人気のない階段へ腰を下ろしていた。
リアスを追いかけようとは思った。
だが、今のまま追いついて何を言うのかと考えると、足が動かなかった。
結局また「部長」と呼んでしまうかもしれない。
自分でも情けなかった。
「何やってんだろ、俺……」
「それを考えてるところか?」
声が聞こえ、一誠が顔を上げる。
英寿が少し離れたところに立っていた。
「……英寿」
「終わったみたいだな」
「見てた?」
「中までは見てないよ」
英寿は近くまで来たが、一誠の隣へ無理に座ることはしなかった。
一誠は自分の両手を見る。
「名前、呼べなかった」
英寿は何も言わない。
「リアスって呼ぶだけなのにさ。何で出来ないんだって自分でも思う」
そこで初めて、一誠は意識して名前を口に出来た。
本人が目の前にいないからだろう。
それが余計に情けなかった。
しばらく沈黙してから、一誠はぽつりと続けた。
「俺、一回女の子に殺されてるんだ」
英寿の表情から僅かに笑みが消えた。
「悪魔になる前。初めて彼女が出来たと思ってた。俺みたいなのを好きだって言ってくれて……本当に嬉しかった」
一誠は乾いた笑いを漏らした。
「全部嘘だったけどな」
それから一誠は、自分が悪魔になるまでのことを簡単に話した。
夕麻として近づいてきた少女。
その正体。
デートの最後に殺されたこと。
リアスによって眷属悪魔として転生し、今の自分になったこと。
英寿は途中で質問を挟まなかった。
一誠が話し終わるまで、ただ聞いていた。
「もう平気だと思ってた」
一誠は膝の上で拳を握る。
「普段は全然気にしてないんだよ。でも、さっきリアスの名前を呼ぼうとしたら、急に思い出して……」
少し間を置いてから、ようやく自分の中にあるものを言葉にした。
「怖いんだと思う。誰かが本当に俺を好きかもしれないって信じるのが」
英寿は静かに一誠を見る。
「そうだろうな」
一誠は苦笑した。
「即答かよ」
「今の話を聞けばな」
責められているわけではなかった。
それでも、一誠は俯く。
「俺、リアスのこと傷つけた」
「そうだな」
今度も英寿は否定しなかった。
「慰めてくれないな」
「傷つけてないって言った方がいいのか?」
「……いや」
一誠自身、それを望んでいるわけではなかった。
英寿は少し間を置いてから口を開く。
「でも、怖くなったことまで悪いとは思わないよ」
一誠が顔を上げる。
「一度信じた相手に裏切られて、殺されたんだろ。すぐ忘れろって方が無茶だ」
「英寿……」
「ただ」
英寿の声が少しだけ変わる。
「昔裏切った奴と、今お前の前にいるリアスは別だ」
一誠は黙った。
それは分かっている。
リアスが夕麻とは違うことくらい、誰より知っている。
何度助けてもらったか分からない。
何度自分を信じてもらったかも分からない。
それでも怖かった。
「俺が怖がってるせいで、リアスまで疑ってるみたいになってたんだな」
「そこは自分で考えろ」
英寿は答えを決めなかった。
一誠は少し考えたあと、英寿を見る。
「英寿なら……怖くても行くのか?」
英寿はすぐには答えなかった。
少し考えてから、一誠へ視線を向ける。
「怖くないふりをする必要はないだろ」
「え?」
「怖いなら、怖いまま行けばいい」
一誠は英寿を見る。
英寿の表情はいつもと大きく変わらなかった。恐怖を恥ずかしいものとして扱う様子もなければ、無理やり勇気を出せと言うつもりもないらしい。
「願うのは自由だ。でも、リアスがどう思ってるかまで、お前が勝手に決めるのは違うだろ」
その言葉に、一誠は返事が出来なかった。
自分が傷つかないように、リアスの優しさへいくつもの理由を付けてきた。
王だから。
部長だから。
眷属を大切にする人だから。
そう考えていれば、その先を期待する必要がない。
けれど、それではリアス自身の気持ちがどこにもない。
英寿は校舎の方へ一度視線を向けた。
「知りたいなら、本人に聞けばいい。お前の気持ちも、その時に自分で伝えればいい」
「……俺の気持ち、か」
「名前を呼べない理由は分かったんだろ?」
一誠はゆっくり頷いた。
理由が分かったからといって、恐怖が消えたわけではない。
もう一度リアス本人の前に立てば、同じ記憶が蘇るかもしれない。
それでも、今度は何故怖いのかすら分からないまま立ち止まることはない。
「ありがとな」
一誠が言う。
英寿は少し笑った。
「礼を言うのはまだ早いだろ。何も解決してないぞ」
「分かってるよ」
今度は一誠も僅かに笑えた。
◆
その頃、リアスは旧校舎から少し離れた場所にいた。
隣には朱乃がいる。
泣き止んではいたが、目元にはまだ僅かに赤みが残っていた。
「一誠くんも、何か抱えているようでしたわね」
朱乃が静かに言う。
「分かってるわ」
リアスはすぐに答えた。
怒っているわけではない。
一誠が自分を嫌っているとも思っていない。
名前を呼ぼうとして、明らかに様子が変わった。
何か理由がある。
それくらいは分かった。
「でも……」
リアスは胸元へ手を当てる。
「分かっていても、辛いものは辛いわ」
「ええ」
朱乃は否定しなかった。
リアスは少しだけ目を伏せる。
昨日、英寿に聞かれて自分の願いを認めた。
もっと近づきたい。
一誠に、自分自身を見てほしい。
その願いを自覚した翌日に、名前すら呼んでもらえなかったのだから、傷つかない方が難しい。
「私、急ぎすぎたのかしら」
「それは一誠くんと話してみなければ分かりませんわ」
朱乃の返答は穏やかだった。
リアスは僅かに笑う。
「英寿と似たことを言うのね」
「では、神様と気が合うのかもしれませんわ」
冗談めかした言葉に、リアスも少しだけ笑った。
その表情を見て、朱乃は安心したように息をついた。
二人の間にある問題は、まだ何も解決していない。
だが、少なくとも互いに何かを抱えていることは、もう隠せなくなっていた。
◆
翌日、レーティングゲームの開催について改めて正式な確認が行われた。
試合の日は近い。
学園祭の準備もある。
リアスと一誠の間に出来た距離も、まだ残っている。
それでも訓練が始まれば、二人とも自分の役割を果たした。
「一誠、右から来るわ!」
リアスの声が飛ぶ。
「はい!」
一誠は反射的に返事をし、横から接近してきた小猫の攻撃をかわす。
リアスの指示を信じて動くことに迷いはなかった。
リアスもまた、一誠へ指示を出すことを躊躇わない。
王と兵士として築いてきた信頼は、一晩のすれ違いで消えるようなものではなかった。
ただ、訓練が終わった時には少しだけ気まずい沈黙が残る。
一誠は何度かリアスへ話しかけようとした。
まだ、うまく声を掛けられなかった。
英寿はそれを見ていたが、何も言わない。
昨夜、必要なことは話した。
ここから先まで手を引いてやれば、一誠自身が向き合う意味がなくなる。
やがてリアスが全員を集めた。
「試合まで残された時間は少ないわ。相手がサイラオーグだからといって、最初から勝てないと決めるつもりはない。私たちは私たちの出来ることを全部やりましょう」
眷属たちが頷く。
一誠も真っ直ぐリアスを見た。
「はい」
いつもの「部長」は続かなかった。
リアスが僅かに目を見開く。
一誠自身も、無意識に止めたことへ少し遅れて気づいた。
まだ名前は呼べない。
けれど、何も考えず同じ呼び方へ逃げることだけはしたくなかった。
リアスもそれを察したのか、それ以上何も言わず、小さく頷いた。
二人の間にある距離はまだ残っている。
それでも、昨日までと全く同じ場所に立っているわけではなかった。
その変化を見届けた英寿は、僅かに口元を緩めたものの、何も口にはしなかった。
サイラオーグとのレーティングゲームが近づく中、一誠には戦いとは別に向き合わなければならないものが出来た。
それをどう乗り越えるのかは、神様にも決められない。
答えを選ぶのは、一誠自身だった。