サイラオーグが大地を蹴る。
一誠も真正面から踏み込んだ。
『Boost!』
《赤龍帝の籠手》から響いた音声とともに、さらに力が増幅される。
次の瞬間、一誠の拳とサイラオーグの拳が激突した。
重い衝撃が腕から肩まで突き抜け、踏ん張った一誠の足元で地面が削れる。増幅を重ねても、真正面から押し返せるほど甘い相手ではない。僅かずつ後ろへ押されながらも、一誠は今度こそ力比べだけに意識を奪われなかった。
自分一人で勝とうとしない。
周囲を見る。
リアスの声を聞く。
仲間が動ける場所を残す。
「ゼノヴィア、小猫! 一誠に合わせて! 朱乃は上から!」
リアスの指示が飛んだ。
「任せろ!」
「はい」
一誠はサイラオーグの拳を受け止めたまま、左右から二人が動き出した気配を捉えた。
ここで無理に押し返す必要はない。
むしろ、自分が正面へサイラオーグの意識を引きつけていることそのものを利用する。
一誠は踏ん張る力を僅かに抜き、押される勢いに合わせて半歩だけ後退した。
サイラオーグが前へ出る。
その瞬間、左右からゼノヴィアと小猫が入った。
上空では朱乃の周囲に雷光が集まっている。
正面には一誠。
左右にはゼノヴィアと小猫。
頭上には朱乃。
四方向から攻撃が迫った。
サイラオーグは瞬時に状況を理解した。
だからこそ、笑った。
「そうだ! それでこそ、戦う価値がある!」
退かない。
一誠の拳を正面から押し返した勢いを利用し、サイラオーグは身体を半回転させた。最初に届いた小猫の蹴りへ左腕を差し込み、真正面から止めるのではなく軌道を外へ流す。
そのままゼノヴィアが振り抜いた剣へ身体を沈めた。
刃が頭上を通過する。
だが、そこまではリアスも読んでいた。
「朱乃!」
「はい!」
上空の朱乃が片手を振り下ろす。
轟音とともに雷撃が落ちた。
今度ばかりはサイラオーグも完全には避け切れない。
雷光が巨体を呑み込み、地面が爆ぜる。
一誠は爆風から顔を庇いながら、雷撃の中心を見た。
「入った!」
「まだよ!」
リアスの声がすぐに飛んでくる。
一誠は喜びかけた意識を引き戻した。
立ち込めた煙の奥で、大きな影が動く。
次の瞬間、サイラオーグが煙を突き破った。
服の一部は焦げ、身体にも確かな傷が増えている。それでも足取りに鈍さはなかった。
むしろ、攻撃を受けたことでさらに闘志を燃やしているようにすら見える。
「朱乃さん!」
狙われた先を察し、一誠が叫んだ。
サイラオーグは一気に地面を蹴り、上空の朱乃へ迫る。
朱乃は翼を広げて横へ逃れようとした。
だが、サイラオーグの跳躍は速い。
空を飛んでいるわけではない。
鍛え上げた脚力だけで、一気に高度を稼いでいた。
拳が振るわれる。
朱乃は正面へ魔力の防壁を展開した。
拳がぶつかる。
空気が破裂したような衝撃音が響き、防壁ごと朱乃の身体が大きく弾き飛ばされた。
「きゃっ……!」
それでも朱乃は直撃を受ける寸前に自分から後方へ飛び、威力を殺している。
サイラオーグが着地した。
そこへ一誠が割り込む。
「行かせませんよ!」
「ならば止めてみろ!」
拳が来る。
一誠は正面で受け止めない。
身体をずらす。
一撃目が外れる。
二撃目。
今度は腕を添えて軌道を変える。
三撃目が来る前に、一誠も拳を返した。
サイラオーグの腕へ当たる。
だが、そのまま力比べには移らない。
すぐに離れた。
「ゼノヴィア!」
「分かっている!」
一誠が空けた場所へ、間を置かずゼノヴィアが入る。
剣が走る。
サイラオーグがかわす。
逃げた先には小猫がいた。
小柄な身体から蹴りが放たれる。
一度見せた連携をそのまま繰り返してはいない。
攻撃する順番も、入る角度も変える。
一人ずつぶつかれば、サイラオーグには押し潰される。
なら、一人の攻撃が終わる頃には、次の攻撃が始まっていればいい。
リアスが戦場全体を見て僅かな隙を拾い、一誠たちはその指示へ応える。
それでも、サイラオーグは崩れなかった。
攻撃は入っている。
傷も増えている。
しかし一誠たちも同じだった。
むしろ、ほんの一度判断を誤った時の代償は、こちらの方が大きい。
サイラオーグの一撃は、それまで積み上げた優位を簡単に消し飛ばす。
一誠は呼吸を乱しながらも、視線を止めなかった。
サイラオーグだけを見ない。
ゼノヴィア。
小猫。
朱乃。
リアス。
相手の眷属。
見るものが多い。
身体を動かすより先に、頭の方が疲れてくる。
それでも、一誠は見ることをやめなかった。
◆
「随分粘るな」
観戦席で、アザゼルが感心したように呟いた。
英寿は返事をするより先に、画面の中で交差する攻撃を目で追っていた。
リアス眷属の連携は確かにサイラオーグへ届いている。
だが、複数人で一人を攻めているから優位なのかと言えば、まるでそんなことはない。
サイラオーグが前線へいることで、リアス側は常に大きな戦力をそこへ割かなければならない。
その分、サイラオーグの眷属たちが動ける。
王自身が最前線へ立つことで、味方全体へ余裕を作っていた。
「一誠たちも悪くない」
英寿が言う。
「ああ」
「でも、サイラオーグはあれだけ囲まれてるのに、自分が何をすれば味方が動きやすくなるかまで見えてる」
アザゼルも頷いた。
「自分が一番強いからって、一人で全部やろうとしてるわけじゃねぇんだよな」
「そこがいい」
英寿は短く答えた。
一誠が今になって意識し始めたことを、サイラオーグはずっと以前から自分の戦いへ組み込んでいる。
自分の力を信じる。
同時に、仲間の力も信じる。
必要なら自分が前へ出る。
自分が行く必要がないなら、任せる。
口にするだけなら簡単だ。
だが、これだけ激しく動き続ける戦場でそれを実践するには、それ相応の経験と判断力が必要になる。
英寿の視線の先で、一誠がサイラオーグの拳を防いだ。
完全には避けられない。
それでも両腕を入れ、身体を僅かに後ろへ流すことで直撃を避ける。
大きく押し飛ばされたが、倒れずに着地した。
英寿の目が僅かに細くなる。
「今のは良かったな」
「避け切れちゃいないけどな」
「全部避ける必要なんてないだろ」
英寿は当然のように返した。
「受けるしかないなら、次に動ける受け方をすればいい」
アザゼルは英寿を横目で見る。
「お前、本当に戦闘になると細かいところまで見るよな」
「そうか?」
「本人は自覚なしかよ」
英寿は気にした様子もなく、再び画面へ視線を戻した。
◆
戦場の別の場所でも、少しずつ決着が付き始めていた。
激しい戦いが続けば、どちらの眷属も無傷ではいられない。
アーシアが後方から回復を行っているとはいえ、全員の傷を好きなだけ癒やし続けられるわけではない。回復には時間も必要であり、その間も戦況は動いている。
サイラオーグ側にも確実に損耗は出ていた。
激しい攻防の末、一人が戦闘を継続出来なくなり、ゲームから退場する。
リアスはその変化を見逃さなかった。
「今よ!」
朱乃の雷撃が敵陣を分断する。
ゼノヴィアと小猫が一気に前へ出た。
一誠は二人ではなく、サイラオーグを見た。
行かせてはいけない。
仲間の援護へ回られれば、せっかく出来た隙が消える。
『Boost!』
力を増幅する。
一誠はサイラオーグの前へ出た。
「またおまえか!」
「そっちに行かせるわけにはいかないんで!」
サイラオーグの拳が振るわれる。
一誠は腕を添え、外へ流そうとした。
だが、拳が途中で軌道を変えた。
「なっ――」
読まれている。
サイラオーグの拳は一誠の防御を外から回り込み、脇腹へ叩き込まれた。
肺から息が押し出される。
視界が揺れる。
それでも一誠は倒れなかった。
歯を食いしばって踏み止まり、そのままサイラオーグの腕へ両手を掛けた。
「捕まえた!」
殴り返すためではない。
この場所から動かさないためだ。
一誠は自分から身体を密着させるように踏み込み、サイラオーグの腕を押さえ込む。
「小猫ちゃん!」
「はい!」
小猫が横から入る。
蹴りが放たれた。
サイラオーグは一誠に片腕を止められたまま、残った腕で小猫の蹴りを受ける。
そこへゼノヴィア。
剣が振り下ろされる。
さすがのサイラオーグも、そのまま全てを受けることは選ばなかった。
力任せに一誠の拘束を振りほどき、大きく後方へ跳ぶ。
初めてまとまった距離が出来た。
一誠は追わなかった。
目的は倒すことではない。
必要な時間を作ることだった。
後方では、朱乃とリアスの攻撃が別の敵を追い込んでいる。
「よし……!」
一誠が僅かに口元を緩める。
その瞬間、サイラオーグが動いた。
一誠もすぐに表情を戻した。
来る。
真正面。
サイラオーグが加速する。
一歩。
二歩。
三歩目。
見失った。
「っ!?」
次に認識した時には、サイラオーグが目の前まで来ていた。
拳。
一誠は咄嗟に両腕を上げる。
防御の上から衝撃が突き抜けた。
身体が浮く。
地面へ叩きつけられる。
さらにサイラオーグが追う。
「一誠!」
リアスが放った魔力弾が二人の間へ飛び込んだ。
サイラオーグは追撃を中断し、横へ回避する。
一誠もその隙に身体を起こした。
「……やっぱ、甘くないな」
唇の端から滲んだ血を腕で拭う。
戦えば戦うほど、サイラオーグの強さが分かる。
一誠たちが工夫すれば、相手もそれを見る。
一度通用した方法が、そのまま二度目も通るとは限らない。
英寿との手合わせとは違う。
あの時、一誠は圧倒的に経験のある相手から学ぶ側だった。
今は本番だ。
サイラオーグも勝つために考え、こちらの戦い方へ対応してくる。
「まだ行けますよ!」
一誠は構え直した。
サイラオーグの口元にも笑みが浮かぶ。
「ならば来い!」
一誠も地面を蹴った。
◆
試合が進むにつれ、戦場から残る者は減っていった。
どちらの陣営からも脱落者が出る。
一人が抜ければ、それまで担当していた役割を別の誰かが補わなければならない。
当然、残った者へ掛かる負担は増えていく。
一誠も荒い呼吸を整えながら、変化していく戦場を見ていた。
《Boost》を何度も重ねた身体には、かなりの負荷が掛かっている。
アーシアの回復を受けられる時間も限られている。
それでも、向こうに立つサイラオーグも無傷ではなかった。
身体には朱乃の雷撃による傷が残り、ゼノヴィアや小猫、一誠自身が与えた打撃も蓄積している。
倒せない相手ではない。
ただし、倒れるまでこちらが耐えられるかは別の話だった。
「無理に追わないで! 一度態勢を整えるわ!」
リアスの指示で、残った眷属たちが距離を取る。
一誠も後方へ下がった。
そこへアーシアが駆け寄る。
「一誠さん、少し動かないでください」
「まだ大丈夫だよ」
「大丈夫でもです」
普段の柔らかな声だったが、拒否を許さない強さがあった。
一誠は苦笑して従った。
アーシアの手から柔らかな光が広がる。
その間にもリアスは戦場から目を離していない。
残った味方。
相手側の残存戦力。
そして、依然として最大の脅威であるサイラオーグ。
「やっぱり、あの人をどうにかしないと……」
リアスの呟きが一誠にも聞こえた。
「俺が行きます」
反射的に答える。
しかし一誠は、そこで一度言葉を止めた。
以前なら、それだけだった。
自分がサイラオーグを倒す。
そう言って飛び出していた。
今は違う。
「……でも、一人でとは言いません」
リアスが一誠を見る。
一誠は立ち上がりながら、改めて戦場を確認した。
「俺一人で真正面からやったら、多分負けます」
口にすれば悔しい。
それでも、実際に何度も拳を合わせたからこそ分かる。
今のサイラオーグは強い。
その事実を認めることと、勝つことを諦めることは同じではない。
「俺が前でサイラオーグさんを引きつけます。その間に他を崩せるなら崩して、それから皆で――」
「一誠」
リアスに呼ばれ、一誠が顔を向ける。
彼女は少しだけ驚いたようにこちらを見ていた。
「あなた、本当に変わってきたわね」
「え?」
「少し前なら、『俺がサイラオーグさんを倒します』って言ってたでしょう?」
一誠は返答に詰まった。
否定出来ない。
「……多分」
気まずそうに頬を掻くと、リアスが僅かに笑った。
ここ数日、一誠へ向けられる笑顔にはどこか影があった。
今のものは違った。
自然に零れた笑みだった。
「でも、今の方がずっと頼もしいわ」
一誠の胸が大きく鳴る。
喉元まで言葉が上がってきた。
リアス。
呼びたい。
だが、まだ声にならない。
一誠の表情が僅かに揺れる。
リアスもそれに気づいた。
それでも、何も言わなかった。
今は急かさない。
一誠が逃げずに自分を見ていることは分かる。
それでいい。
「行きましょう」
リアスが言った。
「はい!」
一誠は力強く頷き、再び前線へ向かった。
◆
「力だけじゃなく、頭も使い始めたか」
アザゼルが言う。
「今頃?」
英寿が返す。
「お前、意外と容赦ないな」
「悪い意味じゃないよ」
英寿は戦場を見たままだった。
「今までだって何も考えてなかったわけじゃないだろ。ただ、力が上がるとそっちに引っ張られてた」
一誠には《赤龍帝》という圧倒的な武器がある。
力を増幅すれば、実際に突破出来た場面も数多くあったのだろう。
成功した経験があるなら、それを頼るようになること自体は不思議ではない。
英寿は一誠がリアスたちと合流し、次の動きを確認している姿を追った。
「強い武器ほど、使い方を覚えればもっと強くなる」
「お前が言うと妙に説得力あるな」
アザゼルが笑う。
「そうか?」
「お前も大概、とんでもない力を持ってるだろ」
英寿は一瞬だけアザゼルへ目を向けた。
それから再び戦場を見る。
「だからだよ」
それだけ答えた。
力があるからといって、いつでも最大のものを使えばいいわけではない。
必要な時に、必要なものを使う。
英寿自身、神になる以前からそうやって戦ってきた。
力を持つことと、その使い方を選ぶことは別だ。
一誠もようやく、その入り口へ立ち始めている。
「もっとも」
英寿の視線がサイラオーグへ移る。
「覚える相手としては、かなり厳しいけどな」
アザゼルは苦笑した。
「教材がサイラオーグだからな」
「だからいいんじゃないか?」
英寿は僅かに笑った。
◆
戦場へ戻った一誠の前に、再びサイラオーグが立った。
互いの身体にはすでに戦いの痕跡が残っている。
それでも、サイラオーグの目から闘志は少しも失われていなかった。
「戻ったか、兵藤一誠」
「まだ終わってませんからね」
「当然だ」
サイラオーグが拳を構える。
一誠も構えた。
だが、今度はその横にゼノヴィアが立つ。
反対側には小猫。
少し離れた場所で朱乃が上空へ意識を向け、後方ではリアスが戦場を見ていた。
一誠だけではない。
サイラオーグはその配置を確認すると、嬉しそうに笑った。
「良い」
身体を深く沈める。
「ならば全員で来い!」
圧倒的な自信。
だが、相手を侮っているから出た言葉ではなかった。
むしろ逆だ。
リアス眷属が全力で来ることを望んでいる。
自分も全力で応えるために。
一誠もその意図を感じ取り、思わず口元を上げた。
「後悔しても知りませんよ!」
「それは俺の台詞だ!」
サイラオーグが踏み込む。
一誠も走った。
真正面からぶつかる直前、ゼノヴィアが横へ開く。
小猫は反対方向へ回った。
頭上では朱乃の雷光が瞬く。
リアスの声が戦場へ響く。
一誠はその全てを感じながら、サイラオーグへ拳を振るった。
まだ完璧ではない。
見落とすものもある。
判断を間違えることもある。
それでも、一人で前へ飛び出していた頃とは違う。
自分には仲間がいる。
そして、自分たち全員を見ている王がいる。
拳と拳が激突した。
今度も、一誠の方が押される。
だが、後ろへ飛ばされる直前、一誠の口元が僅かに上がった。
「今です!」
サイラオーグの横からゼノヴィアが踏み込む。
同時に反対側から小猫。
上空から朱乃の雷撃。
一誠が押し返されたことさえ、次の攻撃へ繋げる一手になっていた。
サイラオーグの目が大きく見開かれる。
次の瞬間、その顔に浮かんだのは驚きではなく、歓喜だった。
「そうだ!」
四方向から迫る攻撃を前にしても、獅子は退かなかった。
「それでこそ、戦う価値がある!」
轟音が戦場を揺らした。
一誠たちの連携と、サイラオーグが長い時間をかけて積み上げてきた力。
その二つが真正面からぶつかり合い、レーティングゲームはさらに激しさを増していった。